★19歳で【結節硬化型ホジキンリンパ腫b】に罹患、その後の病歴エトセトラを残す個人的ページ
【Last Update 2016/10/19】

■「私」プロフィール
 1978年生まれ/♀/既婚/小梨/関東のはじっこにてパート事務スタッフなう

●1997年
【結節硬化型ホジキンリンパ腫b】と診断を受ける。
 左首から脇にかけてと縦隔に発症。
 生検がてら取ってしまおうと言う事になり、腫瘍摘出手術ののち
 ABVD療法(4クール)+放射線療法(40グレイ)を受け、寛解。当時19歳。

●2016年
ピロリ菌検査ついでにエコーで診れる箇所を診て貰い
【卵巣嚢腫】【子宮筋腫】がある事が発覚。38歳。
ちな、ピロリ菌はマイナスと言う…w


〜以下は病歴エトセトラの忘備録〜

★1997年5月★

専門学校2年生の当時(19歳)、就職活動真っ最中のある日
左首の付け根辺りがポッコリ腫れているのに気付く。

痛みは無く、赤いワケでも無く、ただ腫れている感じ。
母に見せたら、サロンパスを手渡されwたので、貼り付けといた。

翌日、学校近くにある企業へ新卒採用試験を受けた後
これまた近くの整形外科病院に寄って、首を診て貰う。
閉院間近で患者さんおらず、ヒッソリ感…。

レントゲン激写後、先生がそれを見て速攻、他の先生とヒソヒソ相談(´д`)ナニナニー?
「紹介状書くからもっと大きい病院にすぐに行きなさい」
 と言われる。あまり深く考えないまま、紹介状を貰う。

更に翌日、紹介状片手に市民病院に向かう。

再レントゲン&血液検査の結果、ベットが空き次第検査入院…とだけ聞かされドギマギ。

就職活動どうなるんじゃ〜(´д`)…と半泣きな中、たまたま(だったそうだ)院長先生が
診察室に現れ、ヒソヒソ話しかける外科医。。。

「生活道具持って明日からすぐに来なさい、心配いらないから、サッサと治そう!」
と院長先生に言われる。

更に翌日、学校に「とりあえず入院します〜」とだけ言い残して入院。λ…


●町医者に行って4日目、市民病院に入院。

●生検している最中、新卒採用試験を受けた会社からお手紙が。
 ガサゴソベッドの上で開封…結果は【採用〜!ヽ(´▽`)ノ】
 来年の4月まで約1年、治さなくっちゃ!と意気込む。

●今考えるとありえないのかもしれないが
 腫れている部分を摘出してしまおうと言う事になる。

 手術前夜のお夕飯…【にんにく炒飯(-ω-)】…嫌な予感が…
 半分位食べて、下剤&睡眠薬を飲んでご就寝。
 一晩中下剤効果と格闘、睡眠不足。手術明けまで個室だったからよかったもののー。
 翌日は看護師さんから浣腸の洗礼を受ける。


★1997年6月★
〜左頚部リンパ腫摘出手術〜
●手術後翌日…目覚めると元のベッドの上で、自分の体に4本管が刺さっていた。
 スゲ〜ぜこりゃ!と思うのだけど意識朦朧。モヤモヤ〜ッとした中で

 主治医「酸素ボンベもう外そうか〜?」
 私「△×■◎♪〜」
 …ワケわかめな事を言っていたので、先生は微笑みながらボンベを外したそうな…(母談)

 ちなみにこの時私は、
 「自分のニンニク臭がくさいです…」
 と言っていたはず…(-ω-)

●摘出したブツを調べ、当時先生は私に「慢性リンパ節炎」と、大嘘を。
 両親と相談した結果、嘘の病名路線でいく事にしたそうだ。
 治療は相当長いと脅され(事実長かったけど)落ち込む。


★1997年8月★
〜外科から血液内科に移住〜
●摘出手術の痕跡であるヒンヒン咳&抜糸跡の回復を待つ事約1ヶ月・・・
 ロクに喋れない日々が続き…

〜放射線治療開始(30グレイ)〜
●咳が止まった頃、放射線治療開始。
 左頚部・縦隔・左脇に30グレイ当てるとの事で、体の三箇所に十字架の目印を
 付けられました。アーメン(-人-)

〜放射線治療追加(10グレイ)〜
●度重なるCTの結果、まだちょっと悪しき細胞が残っているらしく、10グレイ追加される。

●1日5分足らずの照射治療の為に、残る23時間55分はヒマー・・・な入院生活。
 予定の30グレイを浴びた時点で、なんの副作用も無かった(´ω`)


★1997年9月★
〜ABVD療法開始(3クール(1クール5袋))〜
●朱色の点滴+大量の生食投与、いよいよ開始。
 一発目はダメージでかかったです。これが抗癌剤カーッo(x_xo)みたいな。
 吐き気(結局吐かなかったけど)と、スゲエ口内炎。

●化学療法ですっかりブルーになった私を見かねた母が、セカンドオピニオンしてみよー
 と言い出し、主治医にも「良い事です行って来なさい〜」と言われ、点滴の休息期間に
 入院籍を置きつつ諸国行脚を始める。息抜きにもなったのかな。

●ちなみに髪の毛が抜けだしたけど、一切切らない事に。

〜セカンドオピニオン先〜
・大阪府立成人病センター
・京都大学医学部付属病院
・名古屋大学医学部付属病院
・愛知県がんセンター
・他1件、どこか忘れたけど、大阪の甲状腺で有名な病院

●結果、今受けている治療法で間違いなく治ると全ての病院で言われ、元の病院に戻る親子。λλ…
 宿泊先の宿で、ようやく母が私に真の病名「悪性リンパ腫」と、明かす。

●以降改めて主治医から説明を受け、看護婦さん達にも解禁令が出たらしく、改めて励まされたよ…。

 

■余談■
〜腎臓病(ネフローゼ)のお兄さん〜
 4つ年上の、ネフローゼのロンゲ兄さんが同じ病棟に入院されてまして
 当時まだ健在だったセガサ○ーンを私が持ち込みw夜毎…供用テレビでぷよぷよ対決してました(σ・∀・)σ
 お兄さんはめでたく先に退院されたのですが、後日、テレビカード持ってお見舞いに来てくれました。
 ちなみにぷよぷよは私が圧勝です(´ー`)y―┛~

〜冷蔵庫の集金のお姉さん〜
 個人用冷蔵庫の集金に来るお姉さんが、中学時代の同級生でした。
 そしてネフローゼのお兄さんは、このお姉さんの友達の元カレだったそうでw…世間狭いな(-ω-)

 病人の扱いに手馴れてる事もあり、集金の都度やんわりと元気をくれた気がします。thx。


★1997年12月★
〜ABVD療法を1クール追加〜
●1クール=5袋の連続点滴。1クール追加となりました(´д`)=3

〜自然療法〜
 この頃から、母が東城百合子さんの自然療法に傾倒。

・玄米食
・100%野菜ジュースを1日1本
・青汁をより高級にしたやつ
・霊芝・隋芝を1日1袋ずつ(1箱25000円とかw)
・こんにゃく&びわの葉っぱで肝腎を暖めて脾を冷やす…を毎晩1回
・他、首の手術跡にはしょうがシップなるものをペタペタ…

 当時は懐疑的だったけど、今思えば親の愛(/ω\)感謝

〜副作用の低下〜
●後半は、抗癌剤の副作用がだいぶ軽くなってくる。体が慣れてくるっつーのも
 末恐ろしい話だけど、病院の隣にショッピングモールがあったので
 病院の駐車場に車を乗り付けてあった私は、1人買物に出かけたり
 土日は自分で運転して自宅に戻るように。地方万歳(´ω`)


★1998年1月★
〜退院〜
 ABVD療法の残り3クールを外来にして、退院。約半年の入院生活に終止符.←終止符。


★1998年3月★
●卒業ギリギリ直前に【寛解】の印を貰い、転勤先(関東)で経過観察の為の紹介状を
 主治医から受け取って、全ての治療が終了。

●髪の毛はチョンチョンだったけど、新毛が生えてきていたのでハゲ部分は無く
 ごまかせる程度まで復旧。

●一方学校は・・・出席日数が恐ろしく足りないけど、優等生だったのでw?卒業。


★1998年4月★
●駆け込み社会人w
 経過観察として選んだのは、聖マリアンナ医科大学付属病院。
 遠い遠すぎるなんて山奥なんだ・・・。バス・電車・電車・バスの4回乗り換え。

 採血&CT撮って、異常無し→めんどくさくなって
 約1年弱で経過観察を放棄。良くない事ですよー。


★2002年2月★
●いきなり4年後です。
 遊び呆けていたとは言え、体調がおかしかったこの冬。風邪→食中毒症状→風邪が連続私を襲い
 恐怖の点滴を受ける事に。いやビックリ。点滴ってラクになるものなのね。でも寝込んだり。

●2度目の風邪にて、5年ぶりにヒンヒン咳が出るようになり、何気に首のリンパ腺を触って驚愕。
【左側のリンパ節が腫れているではないか〜っ!!】


★2002年5月★
〜遂に国立がんセンター〜
●首の腫れがひきもせずはれもせずなまま3ヶ月・・・ここで1ヶ月程度のプチ出張が決まったので
 国立がんセンターで診て貰う事に。紹介状も無くまさに殴り込みヽ(`д´)

 これも現在だと考えられないですね。いい時代だった。。。

●過去5年間の経緯を話し&治療した病院から病理を送ってもらい、全身検査の始まり。
 連続して通院するあまり、疲れて(?)3キロ激ヤセよもぅ〜。

【検査結果:異常無し】
●全身CT・ガリウムシンチ・超音波・採血・検尿検査・お触り診断
●通院4回・約4万円(保険効いてこんだけってw)
●首の腫れ:約5ミリのリンパ節の腫れで、悪性では無い。
 (血液内科&喉頭科の先生2人が触っただけで断言)
 多分ウイルス性との事。放置して様子見となる。
 腫れっぱなしかもしれないし、ひくかもしれないし、
 また腫れるかもしれない・・・ってヽ(`д´)ノ

●余談@放射線あてた部位が再発する事は、ホジキンリンパ腫ではあり得ないと言われた。


〜以降は定期的に国立がんセンターで経過観察とあいなりました〜


★2002年9月★
●検査結果:異常無し
●採血・お触り診断
●余談@寛解後25年間は再発の可能性があるとの事。私の場合は
 肺がん・乳がん・胃がんが有力。44歳までの恐怖。まぁ一生ものだけどw


★2003年1月★
●検査結果:異常無し
●採血・お触り診断
●毎回、ビルビリン値がチョイ高めとの事。
 ビルビリン=肝臓系黄疸に関係してくるヤツ?
 それにしても血液内科、ゲロ混みです。再診でも2時間待ちがザラ。


★2003年3月★
●検査結果:異常無し
●CT・採血・お触り診断
●通院2回・8900円
●CT結果は異常無しでした。ビルビリンもやや高いまま「体質ですかね」で片付けられw
●5年生存率をクリアしたので、次の診断は半年後になりました。

●余談@再発した場合、発症場所が原発と異なる場合は同じ治療法で
 大抵治るのだそうだ。その点が非ホジキンと違う所らしい。
 ホジキンの場合ほとんどが骨髄への浸潤は認められないそうだ。
 欧米人に多いのがホジキン、日本人に多いのが非ホジキン、
 私は何故か前者なのである。


★2003年9月★
●検査結果:異常無し
●採血・お触り診断
●寛解後、6年目に突入。検査通院は3ヶ月毎から半年毎になり、CT検査はナシになる模様。


★2003年12月★
〜喉・鼻が膿んで大腸炎勃発〜
●寒気と40度→1週間治らず。パブロンも効かず→喉奥が激痛なのに、鼻水も咳も出ない
 ようやくおかしいと気付き、病院へ駆け込む(オセーヨw)

●診断結果、鼻の奥から喉の奥まで膿んでると言われる。コ、コワッ。
 人によっては入院するけど?と先生(耳鼻咽頭科)に言われ、でも入院する?とも
 聞かれなかったので、ファイザーのジスロマック(抗生物質)を貰っておうちに帰宅。

●翌日・喉痛はパタリと治り、熱も一気に37度。恐るべしジスロマック!と感動してたら
 翌々日から水ゲリ状態。2日目も治らないのでジスロマックに不信を抱き調べた所
 「まれに副作用で大腸炎になります」だって。

●副作用じゃないっすか?と病院に駆け込んだら、速攻入院しちゃいなさいと言われ
 下剤飲まされまくり、点滴打たれまくり、絶食の後、大腸カメラを突っ込まれ【異常なし】

 そう、絶食の3日間で副作用は治ったようである。

 1週間の入院費65000円(`ε´)そして有休もズドーンと使っちゃい。

→以降、高熱&喉痛の咽頭炎が定期的に起こるように。
 私は何かのウイルスに極端に弱い体質との事。なんだよー。


★2004年2月★
〜浮腫爆発〜
●背中の左上にある空豆サイズの浮腫、かれこれ4年?くらい存在していて
 いつも気にしていたけど、この度スノボデビュウした際に背中を強打し見事に点火。

●段々と腫れてきて2週間。遂に寝返り打つのも痛い有様に。
 ぽっこり腫れてて服を着ても異様に目立つw諦めて病院に駆け込む。

●皮膚科にて、浮腫が運悪く化膿したとの事。
 抗生物質で抑えて放置しとていもヨイと言われましたが、化膿部分を切開する事に。
 まずは局部麻酔・・・3針ぶんの激痛がほとばしり、そっから膿をドロドロ排出。

 先生「おー!出るわ出るわwwww」

 麻酔ゼンゼン効いてマセーン@@ジタバタあえぎながら、涙目の私。めそめそ。

●毎日通院+お風呂禁止令を戴き、以降は抗生物質で炎症を抑えるそうです。
 直後は浮腫の真ん中がパックリ割れてて、まじまじと眺めると己のニクにプチ失神(σ・∀・)σ
 これで完了とはいかず、縫合は1ヵ月後(/д\)ヤダー


★2004年3月★
〜切開部分縫合〜
●さてさて化膿切開傷はパックリしてるものの、じゅくじゅくからぱさぱさになった今日この頃。
 いよいよ本編でもある縫合日がやって参りましたョ〜。

●まず局部麻酔。前回と違って10針以上?かなり打たれましたぃ。
 その後、パッツン、パッツンみたいなホッチキス音が響く中、手術は20分くらいで終了。
 前回の膿出しに比べれば、ほとんどイタクナかったです。やれやれ。

●以降は抗生物質で以下略・・・浮腫は傷跡となってしぼみましたとサ。


★2004年5月★
●検査結果:異常無し
●採血・お触り診断
●首の腫れ:相変わらず存在。左背中にある浮腫:切開傷となって残っております。
●遂に寛解後、7年目に突入しました。白血球が減少気味との事で、ガビ〜ン。
 最近膀胱炎を繰り返しているので(市販薬を飲んでみるけどすぐブリ返すのですブー)
 そのせいですか?と聞いてみた所、あんまりカンケー無いと言われる。ショゲ。


★2004年7月★
●検査結果:異常無し
●採血・お触り診断
●採血して白血球の数を調べた所
 先生「あぁ、元に戻ってますねぇ。じゃ次は1年後でイイデスヨ(´_ゝ`)」

 (´_ゝ`)。


★2005年1月★
●検査結果:異常無し
●採血・お触り診断
●主治医の先生「何年経ちましたかねェ・・・7年半ですか〜(´_ゝ`)」

 (´_ゝ`)。


〜訃報〜
 2007年11月10日、私が一番最初にお世話になった血液内科の中条先生が
 急逝されたとWebで知りました。まだ40代後半くらいだったのでは、と思います。
 フとお名前で検索したらこう言う事に。虫の知らせってあるのかな(-人-)合掌。


★2008年2月★
〜三十路突入〜
●アラサーになりました(´∀`)
 最近は咽頭炎も発症せず、風邪すら引かず、逆に不安。
 寛解から10年経ちました。

●春先、母に初期の胃がんが発覚し。2/3切除して終了。
 両祖父・伯父が胃がん経験者なので(遺伝しないそうだけど)
 何かしらの要因がある家系なのは確定的。


★2013年2月★
〜34歳〜
●14年勤めた会社を自主退職。海外旅行・職業訓練校受講などを満喫し
 転職しました(´∀`)


★2015年1月★
〜36歳〜
●ようやくケコンしました(´∀`)遅。
 寿退職して正社員人生にピリオド.


★2015年9月★
〜37歳〜
●寛解からは18年経ちました。


健診の乳がん検診(エコー)で引っかかる。しかも

【左のう胞あり。右腫瘍の疑いあり。】

・・・な、なんだってー!!gkbr。

折りしもこの年この月は、川島なお美・北斗晶のがん騒動で
世の中の婦人達はアンニュイな空気。

即日中堅病院の乳腺外科へ駆け込むと、新規外来は41人待ちwで
22時まで待つ事もあるけど「待つ?」と言われ
勿論待ちます(´_ゝ`)3DSと漫画持ってきたし。


9時半に初診手続き→10時に診察待ち開始→2時間待つも、音沙汰無し・・・。
→許可が出たので、12時〜15時迄、外出。
駅ビルでランチ&買物ののち、一旦帰宅して軽く家事をし、車で再度病院へ。

15時に病院に戻ると、すぐにマンモを受けるよう指示を受ける。初マンモ。
貧乳なのでw技師さんがギュウギュウかきあつめてくれるも、1度目は失敗w

そこから更に2時間程待ち。でも意外に早く、診察は17時過ぎ。触診とエコー。

技師「なんにもないですねー。うーん。なんにもないですよー」
先生「エコーもマンもなんにもないよー。脂肪が重なってたのかねー?」


(´_ゝ`)。


実はセルフチェックでもなんにもないと思っていたので、そんな気はしていた。


少しでも影や不審点が浮かべば、都心でも診察を受ける気だたけど
今回の先生が、副院長で乳腺外来の権威で大人気だと知ったので
(´_ゝ`)モウイイヤ。

 

★2016年2月★
〜38歳〜
●寛解からは19年経ちました。

胃痛持ちだしかねてから気になっていた、ピロリ菌の検査&除去に行く事に。

近所の町医者にて、レントゲン・エコー・胃カメラ・採血・検尿を実施。
エコーで見える内臓を全て診て貰ったら、子宮筋腫やら卵巣嚢腫やら胃ポリープやら
レントゲンではやや気管支炎やら、もうねボロボロw
だがしかしピロリ菌はマイナスで除菌不要との事。

そして健診で引っかかった乳房、ここでも念入りに診て下さり、「なんもないですよー」

所見から、現時点でどうと言う事は無いけど、経過観察しておくといいよと言われ
乳がんの再検査を受けた中堅病院の、今度は婦人科への紹介状をゲト。とほほλ…


★2016年3月★
中堅病院の婦人科へ。
乳腺外来時の41人待ちの洗礼を受けているので、今回は諦めて11時に行ってみた。
相当の待ちを覚悟したものの、12人くらいかな。あれ、そこまで混んでない?

診察は12時過ぎでした。エコー・カメラ・採血。

卵巣嚢腫は左側にあったのが消えていて、右側にできてると言われたw
どちらもきれいな円形なので、今回のも出来ては消えるものだろうとの事。ホッ。

子宮筋腫は小さいのが3つ以上あるとの事。そして、ポリープが1つあるらしい。
このポリープがもしかしたら、妊娠の妨げになる場所かもしれないとの事。ひょえー。

街医者同様、どちらも今すぐどうこうと言うシロモノでは無いとの事。
ただ妊娠したいのならば、年齢的にw全てを急いだ方が良いよ、と言われ
次回MRIで診て見る事に。


★2016年4月★
19年ぶりのMRI。昔は固定具とか無かった気がするし、あんな音もしなかったような。

結果、ななんと「子宮体がんの疑いあり」と言われ愕然呆然とする。

だがしかし細胞診では何も出ず。自覚症状も無いので「子宮内膜掻爬手術」をして
掻爬したものを検査する事に。ぐすん。


★2016年5月★
婦人科に1日半の検査入院。こちらでは6人部屋を4人で使っているようで、広いけど
他3名はガン治療の老人な様子。フラッと散歩してみるも50代以下風は見当たらず。
やはり入院はアンニュイ。

さて、久々の手術。とは言っても下剤投与は無く、30分程度で終わったそう。
麻酔の影響で術後、しばらく愉快な気分で過ごすw
自分でもヘラヘラしているのが分かる。麻薬KOEEEw

出血もほとんど無く、翌日昼、退院。全く支障が無いので午後からパートに出たお。


★2016年6月★
「子宮内膜掻爬手術」の検査結果は異常無し。異形成すら無いようで、むしろこの
3カ月間の精神的ストレスでガンになりそうわろえないw

結局「妊娠の妨げになるのかどうか」と言う件を再確認すると
「年齢相応の妊娠率になりますね(=ポリープは影響無いと解釈しちゃうYO!)」

と主治医に言われる。なんだ切除とかしなくていいのか、と、ひとまず安堵。
※子供は(昔から)欲しいとは思っていないけd


★2016年9月★
そうは言っても3カ月毎の定期検診を受ける事になり、第1回目がやってきた。
子宮をつまんでの細胞診。これ嫌いだなあ…。
結果は後日郵送方式だそうで、開封するの怖いんですけどもw


細胞診を受けた夕方、病院から電話が掛かってくる。

「えーっ?!?!異常があっての緊急電話か?!?!」

と慄きながらも通話。

…診察代の加算ミスがあったそうで、後日追金させていただきますスミマセン。ですと…!


戦慄の雰囲気が受話器ごしに伝わったのか
「驚かせてごめんなさいね」
と言われる。ほんと心臓に悪いw


★2016年10月★
9月定期検診の細胞診結果が郵送されてくる。
結果が怖いので、開封するのに2日かかったw

…結果「異常なし」。ほ。
異形成も無いのなら、検査頻度減らして欲しいなぁ…ぽつり。


次回は来年1月。そしてその翌月は39歳。
無事に迎えられるかどうか(ヽ’ω`)