Great pianist Cyprien Katsaris
ものごっついピアニスト
シプリアン・カツァリス

このサイトは、超絶技巧の持ち主にして、ロマンティックな歌い上手、そして最高のエンターテイナーである「ものごっついピアニスト」シプリアン・カツァリスのファンサイトです。
いまでこそアムランやヴォロドス、サイなど個性派ピアニストが認知されていますが、まさしく彼こそ「元祖個性派」! 日本ではなぜか実力のわりに正当に評価されない不遇のピアニストであるカツァリスに刮目せよ!
2008.03.08
 第4回「リスト作品集リリース」を掲載
2008.02.28
 デザイン変更
長期連載企画「カツァリス今昔物語」

『カツァリスは如何にして我々日本の音楽ファンの前に登場し、忘れられていったか』

 いまの音楽ファンは30年前の状況を想像できるだろうか。インターネットなどなく、当時の音楽ファンのえられる情報は、雑誌などいまより格段に選択肢が少なかった。レコードショップは大都市に数件あるだけで、近くのレコードショップには定番としてグラモフォン、ロンドン(ポリドール系)の「ベスト100」などがならんでいるだけ。当然ながら、グラモフォンならカラヤン、ケンプとかCBSならバーンスタイン、グールドとか自然と自分たちの視野に入ってくる演奏家は限られていた。音楽ファンも保守的傾向が強くてまだまだ「芸術家肌」大家をありがたがっていた時代、CDが登場し始めた時代にカツァリスは本当に颯爽と現れたのだ。
 カツァリスには、はっきり人気の山は2回あった。1980年代のテルデックから出したベートーヴェン交響曲全集で度肝をぬいた超マニアック人気。それが一段落した1993年のNHK「ショパンを弾く」の講師をつとめて一般的に「ショパン弾き」として一気にブレイクした超バブル人気。しかし、その後本人のレパートリー嗜好とレコード会社の意向にそぐわないマーケティングべたによる低迷に加えて、日本招聘元とのトラブルによる来日公演の空白などがあり、いまや個性派ピアニスト全盛の時代に皮肉なことにその元祖であるはずのカツァリスが忘れられてしまっているという皮肉な結果に。
 いまやYahooで「カツァリス」を検索すれば、最近ヒットするものはほとんど「のだめ」「ベト7」関係。あの人気マンガ原作のドラマでのだめがベト7のピアノ版を弾いたことで急になぜか脚光があたったカツァリス。それもほとんどが「カツァリスという人も弾いているようです」とか完全に過去形。無理もない・・・。いまや、カツァリスのファンは第3世代の時代。マニアックなベト交響曲時代のファンを第一世代としたら、ショパンを弾くのファンが第二世代、そして、いまはそれすら知らないファンがちらほら現れて第三世代となっているわけで。
 いかん、このままでは完全にカツァリスは過去の遺物になってしまう。いや遺物どころかすっかり忘れ去られてしまう・・と危機感を覚えて、当サイトの使命として、カツァリスが1980年代に日本の音楽ファンの前に登場してから、1990年前後に確固たる名声をえて、そして忘れ去られてしまったという1990年台後半までの歴史を長期連載で振り返えることにしよう。
 この間のカツァリスの歴史というのは、新しい個性派ピアニストを認めようとしない音楽評論家による、まさに「迫害の歴史」であり、その旗頭となったレコード芸術の月評は、いまとなってみれば「天動説」を唱えているにも等しく滑稽でもある。でもそこに時代を感じるのだなあ。長期連載となるでしょうが、気長にお付き合いを。

目次
第1回「カツァリス事始め、レコードデビュー」 2005.12.25up
第2回「カツァリスソロデビュー盤」 2006.01.14up
第3回「ベートーヴェン交響曲リリース開始」 2006.06.23up
第4回「リスト作品集リリース」 2008.03.08up

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第1回「カツァリス事始め、レコードデビュー」
 第1回は「カツァリス事始め、レコードデビュー」と称し、彼の日本でのレコードまでを振り返ってみたい。

 まずは大前提なのだが、レコードデビューといった場合、現在でもそうだがいささかあいまいな定義なので整理が必要である。現在では「レコード」とはいわないので、若い人には違和感があるかもしれないが、当時はもちろんCDはなく、LPオンリーの時代。CDは、1984年くらいから徐々に普及しはじめ、完全にリリースがCDオンリーに切り替わるのは1980年代後半からである。よって、レコードデビューというのは、1980年代半ばまでは、初のLP発売のことを指す。そして、もうひとつ、日本でのデビューという認識に関しては、「国内レコード会社による国内盤の発売」というのが一般的であろう。これも若い人にはピンとこないかもしれないが、いまのように輸入盤が当たり前に誰でも買える時代ではなかったため、レコードはほとんど国内盤が基本であった。たとえば、ご存知のようにカツァリスがブレークした「テルデック」はドイツのレコード会社であり、そのレーベルブランド「テレフンケン」の日本での発売元はキングレコード株式会社(現在はワーナーミュージックジャパンに版権が移っている)であった。また、国内盤というのも厳密には2種類があり、原盤から国内でプレスし、日本語ジャケットで発売する純然たる国内盤と、キングレコードが輸入したレコードを日本語ジャケットに入れて販売するというものがあり、当時は後者を輸入盤と呼んだりする場合もあった(このあたりはややこしい)。いずれにしても、ここでは、日本のレコード会社からの発売されたものを国内盤として話をすすめたい。

 さて、ようやく本題で、カツァリスの日本レコードデビューは1983年1月である。しかし、当サイトのディスコグラフィーを参照いただきたいが、彼のレコード録音キャリアはグラモフォンにはじまり、1970年代はEMI、そしてテルデックでのデビュー盤「リスト作品集(メフィストワルツ)」の発売は1980年12月である。しかし、これは海外でのみ発売され、日本では発売されず、同様に1970年代のEMI録音も日本では発売されていない。そして、この1983年1月の日本デビュー盤は実はカツァリスのEMIでの最後の録音となったオーマンディ指揮フィラデルフィア管との共演盤「リストハンガリア協奏曲」なのである。つまりこの1983年1月にEMI最後の録音が日本で発売されたときには、カツァリスはEMIからテルデックへ移籍しており、すでに海外ではリスト作品集、ベートーヴェンリストの田園、の2枚は既にリリースしている状況だったのである。この後、この2枚が日本でも遅れてリリースされた後は大きな時期ずれはなく、海外と日本で同じ順序でレコードが発売されていくのである。

 では、このデビュー盤の紹介に移る前に、日本でおそらくはじめてカツァリスというピアニストが単独で取りあげられた記事を紹介しておこう。前述したように、このときすでに海外では、田園が発売されており、レコード芸術1983年2月号に音楽評論家の福本健一氏が海外LP視聴記でこの田園を紹介したのがこの最初にカツァリスを批評した記事であろう。内容は、まったくカツァリスを知らなかった福本氏が最初ゲテモノだとおもったこのレコードをきいてビックリ、絶賛するというものである。

(レコード芸術1983年2月号海外LP視聴記より)福本健一氏
「あまりうれしくないな」というのが消極的、そして「誰だ、こんな趣味の悪いレコードを出したのは」というのが積極的な批判として頭の中を走り、口にまで出てしまった。編集部から届いたレコードを見た瞬間の偽らざる心境である。もともと交響曲をピアノで弾いたものを聴いて楽しむという趣味は、生憎と持ちあわせていなかったし、そうしたものは自分で弾いて楽しむべしと思っていたので、リストがべートーヴェンの交響曲全九曲をピアノ用に編曲したことは知っていたし、それで演奏したレコードも何枚か発売されて手許にあるにもかかわらず、進んで聴こうとはしなかった。考えるに〈英雄〉や〈運命〉のように構成美を柱とする作品ならば、まだしもピアノで弾いてもそのおもしろさは大きくは減じられないだろうが.叙情的かつ描写的な〈田園〉では、あまり成功も期待できないだろう。この曲がポピュラーであるにもかかわらず、ピアノ版としてはこのレコードが世界初録音というのも、そのあたりの危惧があったからだろうと勝手に決め、どうせお遊びだろうと気持ちも重く針を下した。
 ところが聴いてビックリ、これはとてもお遊びなんかではありませんぞ。オーケストラのスコアを見ながら聴いたのだが、リストは必要最小限の音による旋律と和声で曲の大まかな外形を伝える、いわばムード・ミュージック的なセコい編曲はせず、さすがにピアノのヴィルトゥオーゾだけあって、いかに技巧的に難しくなろうとも、原曲にできる限り忠実に、すべての音を最大洩らさずという姿勢でピアノに置き換えており、作品の持ち味を十二分に伝えている。もちろんこう言うには演奏の良さもなくてはならないのだが、このカツァリスというピアニスト、なかなかに達者である。今回初めて聴いた人だが、一九五一年生れというから現在三十一歳のフランスのピアニストで、一九七五年のエリザベート国際コンクールに入賞の経験を持ち、西欧、東欧、アメリカなど世界的に活躍し始めているらしい。彼は作曲家でもあるということだが、この演奏に聴かれるきわめて音楽性豊かな、旋律の好情的な歌わせ方が印象的であると同時に、曲をすみずみまでよく見透し、実に明快に作品の構造、特質を打ち出しているのは、そのためかも知れない。いくつもの声部が同時にそれぞれ異なった旋律あるいは伴奏で進む部分でさえ、どれひとつとして曖昧にならず、明瞭に弾き分けるあたり、豊かな才能を感じさせる。カツァリスはまた、その高度なテクニックを土台として、作曲家としての見解から、リストでさえも、編曲の時に省略したいくつかの部分のある声部を、よりオリジナルに近づけるためにつけ加えて、と言うより甦らせて弾いている。たとえば第一楽章の第四一小節と第四六小節から第五〇小節までのフルートの音や第五楽章の第一二一小節から第一二八小節までのホルン、ファゴット、フルートの旋律などだが、それによって技術的には一段と難しさを増しているが、聴く者にとっては、それだけおもしろさも増える。もうまるで、二本の手、十本の指だけで弾いているとは信じられないほどの複雑なテクスチュアを、何とも見事なほどクリアーに弾き切っているのである。もしかしたら両足も使っているのではと疑いたくなるほど。まさしくここにはべー卜ーヴェンの書いた音楽がそのままに再現されている。もちろんオーケストラのようには多彩な音色を求めることはできないが、ピアノで可能な限りの音色が使われ、鳥の鳴き声など実に美しい。誠にピアニスティックな効果満点である。これほど楽しいレコードに、冒頭のような暴言を吐いて、恐縮、恐縮。
 


福本氏は最初のネガティブな印象から実際に演奏をきいてびっくりし、きわめて正直に絶賛しており、この批評文はまだカツァリスが「どこの馬の骨」ともわからなかった当時にはかなりフェアであったといえる。このようにカツァリスの登場はやはりテクニック面で驚愕をもってむかえられたようだ。余談だが、この後のカツァリスに対する批評の迫害に次ぐ迫害の歴史の中で、この福本氏は現在に至るまで一貫してカツァリス擁護派の旗頭となってくれたことは感慨深い。またこれも余談だが、カツァリスについて「異端」のイメージが強かった当初、率先して持ち上げてくれた評論家の方々はやはり「異端」と見られていたような方が多く、その傾向は関東ではなく関西で強かったというのも、当初カツァリスが受け入れられたときの業界の雰囲気がわかるようでおもしろい。(いまでもそうかも)

 それでは、本題に戻り、EMIへの最後の録音にして日本デビュー盤のリスト「ハンガリア協奏曲」のレコードについて、である。これは1983年1月21日発売で、レコード芸術で紹介されたのは1983年2月号のEMI広告が最初である。

左のようにカツァリスのデビュー盤であるということと、新発見されたリストのコンチェルトを紹介するもので、扱いは決して悪くなく、注目度はそこそこあったというべきか。巻末のデータでは『フランスの注目の若手ピアニスト、カツァリスの日本での本格的なデビュー盤である。(中略)1972年のシフラコンクールで優勝し、以来グールドにも似た極めてユニークなレパートリーで活動を続けている』と紹介され、やはりユニークなレパートリーが注目されていたことがわかる。

では、レコード芸術の翌月3月号に掲載された月評をみてみよう。当時の協奏曲部門の月評は、かの宇野功芳氏と高橋昭氏。






レコード芸術1983年3月号より
《宇野氏執筆月評》無印
リスト作曲、チャイコフスキー編曲による「ハンガリー協奏曲」の世界初録音である。リストの「ピアノ協奏曲第三番」に当たるこの曲は、彼の最晩年、弟子の女流ピアニスト、ゾフィー・メンターのために書かれたが、オーケストラ・パートはピアノ譜のまま未完に終わった。彼女はオーケストレーションをチャイコフスキーに依頼したが、この作曲家がリストを嫌っていたので自らの作といつわったため、長い間ゾフィー作曲として知られてきたのである。曲はコンチェルトというよりはオーケストラ伴奏つきの「ハンガリー狂詩曲」という感じで、極めて親しみやすい旋律が多用されている。
 シプリアン・カツァリスは一九五三年生まれのフランスの若手で、一九七四年度のシフラ国際ピアノ・コンクールで優勝した。彼のテクニックは実にめざましく、音色は鈴のようであり、外面美では最高といえよう。つまり、リストを弾くために生まれてきたような演奏家であり、弱音がやや小手先に聴こえるのはこの種のピアニストの宿命か。
 「ハンガリア幻想曲」も同様だが、ここではさらに見事なピアニズムを披露しており、特に後半の艶やかた輝きや、時には夢見るような音色美は愉悦感の極といえよう。「さすらい人」は冒頭の自信たっぷりなゆとりにおどろかされるが、その後は今一つ味がうすく、小型の演奏になってしまった。
 オーマンディの指揮は相変わらず豪奢かつ雄弁である。そのパンチカは絶大だが、少しもうるさくなく、聴いていて溜飲が下がるようだ。
レコード芸術1983年3月号より
《高橋氏執筆月評》無印
 このレコードの何よりの強味は、オーマンディ=フィラデルフィアの起用で、「ハンガリー協奏曲」冒頭の低音弦から表惰が豊かで聴き手をひきつけるし、木管の響きも明快で音色も明るい。トゥティも力強く、しかも決して重苦しくならないのはリストの場合には音楽を素直に受け入れさせる点で非常に効果的である。
 カツァリスのタッチは粒が実によく揃っており、響きは明確でしかも硬くない。細かいパッセージでも強い集中力を持続するために迫力がある。しかし、決して単なるテクニシャンではなく、メランコリックな情感も充分に生かしている。解釈も常に音楽的で細かな感情に裏づけられており、それが前述の強い集中力と共に演奏に説得力をもたらす。
 オーマンディの指揮も手馴れたもので、エネルギーが躍動している。「ハンガリー幻想曲」では木管ののびやかな響きが思いがけないほど豊かな拡がりをもたらしているし、「さすらい人」幻想曲でのオーケストラも力強さと軽快さで、爽やかな後味を残す。この爽やかな余韻という点ではカツァリスのソロも同様で、特にppでの細かいパッセージが魅力的である。異色あるピアニストの登場を喜びたい。

 宇野、高橋両氏の批評はおおむね好意的で、特にカツァリスのテクニックに注目し、絶賛している。しかし、このレコードに対する両氏の評価は「無印」。レコード芸術では、2人の批評家がそれぞれ、「無印」「準推薦」「推薦」マークをつけ、「推薦」マークが二人そろったら「特選」となるシステムであるが、このレコードはよって推薦でもなんでもない「無印」盤という評価なのである。もともとレコード芸術はいわゆる従来からの空白のレパートリーを埋める珍曲盤には厳しく「推薦」マークがつくことが少ないことから、無印については仕方なく、それよりも批評文からはむしろ好意的な印象のほうが強い。総合的にってカツァリスのデビュー盤は期待を持たせる新人の登場と受け止められ、まずまず成功だったのではないだろうか。
 しかし、そう思ったのも束の間。このハンガリー協奏曲の月評の載ったレコード芸術1983年3月号には、カツァリスソロデビュー盤の「超絶技巧変奏曲集」発売の予告があるが、まさにここからカツァリス迫害の歴史が始まるのである。
(次回へ続く)

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第2回「カツァリスソロデビュー盤」
 第1回はカツァリスのコンチェルトのレコード日本デビュー盤にみる音楽界の反応を書いたが、今回はいよいよソロデビュー盤をふりかえることとする。
 カツァリスのソロデビュー盤の日本発売は、EMIからのハンガリー協奏曲の発売の直後の1983年3月のことで、題して「カツァリス超絶技巧変奏曲」というLPであった。前回にも述べたが、このときはすでにカツァリスは海外盤では、テルデックから「リスト作品集」「ベートーヴェンリスト田園」を発売しており、この「変奏曲集」は本来テルデックでは3枚目のリリースなのだが、日本ではこれが最初となり、順序が逆となっていた。(ちなみにこの後、1983年8月に田園、1984年1月にリスト作品集が日本でも発売となる) 収録曲は、彼のデビュー間のないころのレパートリーだったリストのバッハカンタータ「泣き、悲しみ、悩み、おののき」BWV12による変奏曲、シューマン練習曲集(ベートーヴェンSyn7の主題による自由な変奏曲形式)、ラフマニノフ ショパンの主題による変奏曲というマニアックなもの。アルバムタイトルの「超絶技巧変奏曲」というのがお茶目。
 前回のコンチェルトは比較的、好意をもって迎えられたのだが、いよいよソロである。左のように発売広告をみればわかるのだが、これはテルデックからの直輸入盤扱いで当時流行のDMM盤として発売された。ソロデビュー盤であるとの文言もなくどちらかといえば、本格的な国内での売り出しを前にした「テスト販売」的なものではなかっただろうか。そのためか、この後数々の彼のLP、CDが日本でもリリースされるようになり、何回にもわたっていろいろなCDが再発売されたのだが、この「変奏曲集」はこの後一度も国内で再発売されず、CD化もされなかった「忘れられた録音」になってしまったのである。なお、この後1990年代になって海外では、ベートーヴェン運命のカップリングだったエロイカ変奏曲とこのリストのカンタータ変奏曲、ラフマニノフのショパン変奏曲の3曲で変奏曲集としてCD化され再発売された。シューマンは日本でも、ベートーヴェン第7とカップリングされ再収録された。
 ではいよいよ、レコ芸の批評である。当時の器楽曲の月評担当は岩井宏之氏、武田明倫氏。掲載号はレコード芸術1983年4月号。

レコード芸術1983年4月号より
《岩井氏執筆月評》無印
 ギリシャ系フランスの新進、カツァリスの満三十一歳になる直前の録音だが、選曲に特色があり、あまり演奏される機会のない技巧的な変奏曲を、リスト、シューマン、ラフマニノフの作品から選び出している。
フランスの若いピアニストが、技巧重視の作品に取り組むのは珍しいことだが、それをやろうというのだから、かなりテクニックに自信がある人なのだろう。だが、この三曲を聴いたかぎりでは、カツァリスの演奏技巧はたしかに達者なのだが、スケールの大きさ、たくましさで断じて傑出している、というほどではない気がする。たんに技巧に依存するピアニストではなく、むしろ作品全体の情趣を重視した演奏をしている。その点では、西ヨーロッパで学んだ多くの新進ピアニストたちと少しも異なるところがない。ソヴィエトやアメリカの一部にあるような、<テクニックの申し子>といった乾いた存在ではない。そのこと自体は好もしいのだが、さて、ではカツァリスがロマン派のピアノ音楽の演奏で、その独自性を主張し、名前を挙げてゆくようになるか、どうか? もっと判断の材料が揃うのを待ちたい。〈岩井〉
レコード芸術1983年4月号より
《武田氏執筆月評》無印
 シプリアン・カツァリスは一九五一年、マルセイユ生まれのギリシャ系フランス人であるという。多くの国際コンクールにチャレンジした後、一九七四年ヴェルサイユで催されたシフラ国際ピアノ・コンクールで第一位を獲得したという。このレコードの録音は一九八二年である。
 このレコードに収められている曲目からいうなら、どこかスキをねらって売り出そうといった下心もみえる。たしかにリストのバッハのカンタータによる変奏曲やシューマンの作品番号のない「べートーヴェンの主題(交響曲第七番第二楽章)による自由な変奏曲形式の練習曲」などという選曲は、意志をつくものである。
 だが、このピアニスト、カツァリスは一応の目的はとげている。つまり、技巧的にいうなら、まさにすばらしいものを持っているといわねばならないだろう。それは、逆にいうとこうしたリスト、シューマン、そしてラフマニノフの曲を選んだことでも明らかになるといえる。
 ただ、音楽はサーカスではない。このあたりのことをこの若いピアニストがどれほど理解しているだろうか。このピアニストが〈弾ける〉ということは、今回のレコードでよくわかった。今度は、どんな音楽を持っているか、ということをきかせてほしい。この若いピアニストを判断するのは、それからでも遅くはあるまい。〈武田〉

 岩井氏の月評は、けなしているようでもあり、ちょっとほめているようでもあり、いわゆるよくある「何を言いたいかわからないトンデモ月評」の典型なのだが、はっきり言えるのはどうも彼にとってはこのカツァリスというピアニストは興味をひくものではなかったらしい。特別に悪意は感じられないものの、やる気なしモード全開で、仕方なく仕事をこなしたという程度か。
 武田氏の月評は悪意すら伺える文章であるが、この後、カツァリスをけなすときの論調の典型となる「技術偏向」指摘パターンである。技術はすばらしい、しかし音楽性が・・・というのは、若くて元気のいいピアニストが出てきたときに言われる典型的な批評であるが、「音楽はサーカスではない。それを理解しているのか」とは、大人気ないと思えるほどの「斬り」ようである。加えて、「スキを狙って売り出そうとの下心」うんぬんなどは、余計なお世話である。
 しかし、2人の月評にも、百歩譲れば、この演奏は確かにマニアックなレパートリーで「スキ」を狙ったといえるかもしれないし(まあ、カツァリスのことだからかなり意図的に)、演奏も実はそれほど練れているわけでなく、彼の録音の中でも完成度は低いほうだとは思われ、二人の月評も奇しくも、評価保留で次回作へ期待と結んでいるのは、納得できるかもしれない。当然ながら両者とも無印であるが、「名刺は受け取った」という論調ではないだろう。
 さて、それでは、評価保留の後、彼への評価はどうなっていくのか。次回のリリースはいよいよ彼を一躍有名にし、音楽界に賛否両論を巻き起こしたベ^トーヴェン交響曲シリーズの第一弾田園なのである。そして、カツァリスとこの両氏とのバトルの火がきって落とされるのであった・・。

(次回へ続く)

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第3回「ベートーヴェン交響曲リリース開始」
 いよいよ、カツァリスが世の中に知られることになる有名なシリーズ「ベートーヴェン交響曲ピアノ版シリーズ」のリリースが開始される。第一弾は第六番「田園」で、日本でのリリースは1983年8月21日のことだった。前回にも述べたようにカツァリスは日本ではこれまでにEMIへのハンガリア協奏曲とテルデックへの変奏曲集の2枚のレコードをリリースしているが、実は録音年代では、この田園は両者よりも早い。海外でのリリースも順序が逆になっているのも前回述べたとおり。

 この田園は海外でも話題騒然でヒットしたようで、日本での発売もかなりレコード会社のサポートがあったことがうかがえる。もちろん、扱いはちょっと「キワモノ」扱いなのだが、インパクトをもって迎えられたことは事実だった。

 さて、この田園の録音だが、カツァリスもさまざまなインタビューで答えているとおり、子供のころにきいた田園のレコード(もちろんオケ版)への強烈な印象から、自分がプロの演奏家になったときに、真っ先にレパートリーにしたかった作品だそうだ。テルデックでの録音の第一弾をこの曲にしたのは当然だったのだろう。ちなみにカツァリスのテルデック契約となった理由は、カツァリスが田園を弾いている様子をFM放送で聞いたテルデック幹部が即決してカツァリスとの契約きめたのだとか。さらに余談だが、カツァリスは、この田園を演奏会のレパートリーとして以前は取り上げており、コンクール入賞後の1970年代の最後から1982-3年までは実際にコンサートのメインレパートリーだった。しかし、この当時の田園のライブ演奏を聞くと、技巧的にもすこしつらく、とても録音のような完成度での演奏はできていない。そのせいか、1983年くらいを境に実際の演奏会レパートリーとしては英雄のほうが主となり、日本公演でも披露したように1988年当時まで英雄を弾き続けたのである。実際に、英雄のほうが演奏会レパートリーとしてライブでの完成度も高く、おさまりもよかったのは皆さんご存知の通り。
 
 それではレコ芸批評はどうだったか。
実はレコ芸でこれから続くカツァリスへの迫害は、ベートーベン交響曲シリーズでどんどん盛り上がっていくのだが、初回はそれほどでもない。とにかく判断のつかないゲテモノだったためか、あまりの異色作にこれからシリーズとして続くものとも思えなかったためか、比較的おとなしい論調だ。

交響曲第六番へ長調「田園」(ベートーヴェン〜リスト編)カツァリス(P) S(テレフンケンK28C270)\2800
レコード芸術1983年9月号より
《岩井氏執筆月評》無印
 リストが「田園」をピアノ独奏用にアレンジしたのは一八三七年だが、この時代はオーケストラだってそう多く存在したわけでもなし、オーケストラでシンフォニーを聴く機会は極めて限られていた上に、レコードを家庭で楽しむわけにもいかなかったから、ピアノ版のシンフォニーは、音楽の専門家にとっても、あるいはまた極めて熱心な音楽愛好家にとっても、はなはだ貴重で歓迎すべきものであったろう。ピアノの名手リストは、べートーヴェンのシンフォニーのピアノ用アレンジによって、べートーヴェンの"偉大な"業績を広く知らせるのに貢献した。
 たとえぽ、先年亡くなったグールドもリスト編の「第五」をレコーディングしていたように、こんにちでも、ごく一部のピアニストがリストの仕事に注目し、オーケストラの音楽をピアノ独奏用で再生してみせるリストの腕前の確かさを、私たちに教示してくれる。さすがに、コンサートにべートーヴェンリストの「第五」や「第六」や「第九」を持ち出す現投のピアニストはいないようだが、レコードでは、ときおり聴く機会がある。ピアニストにとって、意欲をかき立てる何物かを秘めているアレンジなのであろう。
 カツァリスは、べートーヴェン=リストの全九曲の録音をめざしているというほど熱を入れているピアニストの一人。「田園」という作品のせいもあるだろうが、いわば晩年のワルターばりに、ゆったりと、感情豊かに歌いこんだ演奏を聴かせる。数多くの指揮者がつぎつぎに出すオリジナルの「田園」のレコードには食傷した人たちに、ぜひ聴いてもらいたいと思う。「田園」の新しい一面を発見することができるだろうから。〈岩井〉
レコード芸術1983年9月号より
《武田氏執筆月評》無印
 一九五一年、マルセイユ生まれのギリシア系フランス人、シプリアン・カツァリスはパリ音楽院出身で、一九七〇年代に幾つかの国際コンクールに入選し、七七年にはシフラコンクールに優勝している。ジャケットには〈WORLD PREMIRE RECORDING〉とあるが、同じリスト編曲の第一楽章は、すでにグールドがレコーディングしている。また、使用ピアノはカツァリスのために特製された〈マーク・アレン・モデルNo.1〉だという。
 いかにリストの編曲が見事ではあっても、シンフォニーはやはりオーケストラによる"演奏がベストであろうから、このような作品の演奏をオーケストラの代用、としてきいてもあまり意味がなかろう。つまり、あくまでピアノという楽器を生かし、どのような表現を、どれだけ達成しているか、である。そのことはカツァリス自身、充分に意識しており、けっしてオーケストラに対抗しようとしていない。その意味では<ピアノによる田園〉という興味本意のレコードではない。
 また、いかに困難な都分でもカツァリスの演奏には、これがせいいっぱい、といった感じはなく、むしろゆとりをもって表現をコントロールしている。したがって、ここではピアノによる「田風」がきわめて伸びやかな感性を伴って生み出されている。いかに複難なテクスチュアでも、その構造を明晰に弾き分けるカツァリスのキャパシティはかなりの大きさを感じさせる。〈武田〉

 両者の批評とも、悪意があるようには読めないが、しかし、どうも的を得ていない。岩井氏は、田園をレパートリーとして弾くことにのみ言及し、肝心の演奏内容にはほとんど触れていない。誰が聞いてもものすごい技巧の連続のこの演奏について、なんの感想もないものなのか? 本当に最後までにきいたのだろうか。またカツァリスが演奏会でこの田園を弾いていたことは調べればわかるはずなのにそれにも触れず。武田氏は技巧には若干触れているが、絶賛しているほどではない。それから最も重要なことは、このカツァリスの演奏が純粋なリスト編曲のみでなく、例によってのカツァリス補筆編曲版であることに、両氏とも触れていない(気付かなかった?)ことである。田園は他の曲に比べて補筆部分は比較的すくないがそれでもオクターブの加筆などは頻繁にあるため、さすがに気付くだろう。ましてや、一般ファンではなく、日本でも名の通ったプロの評論家の人たちである。気付かないというのはさすがに問題なのではないか? 現に第一回で紹介した福本健一氏は気付いたのみならず、自らリスト編の楽譜を購入し比べたらしい。
 どうもあくまで想像だが、両氏のこの後のシリーズに対する批評を考えても、まじめにこの曲を聞いて、また受け止めたとは思えない。
自分たちの興味の範囲外のゲテモノがこっそり発売され、どうせ消えていくだろう、というスタンスでなかっただろうか。なぜなら、この後、このシリーズが両氏の予想に反して(?)、ますます絶好調に発売が継続され、世間で話題になっていくにつれ、両氏の批評も悪意あるものに変わっていくからである。

(次回へ続く)

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第4回「リスト作品集リリース」
 田園の発売から約半年、テルデックからのデビュー盤となった「リスト作品集」が日本でもリリースされた。このころにはすでに「田園」を弾いたカツァリスは「超絶技巧ピアニスト」としてのレッテルを貼られており、だが、実はいまと違い、それは「ほめ言葉」ではない時代(特にレコ芸誌上では)だった。超絶技巧も立派なエンタテイメントとして一目置かれるのはつい最近で、当時ではやはり曲芸ピアニストとして認識されれば日本の偉い評論家の方々や芸術至上主義ファンの方々からはとことん無視されるという運命にあったのである。そのためか、キングレコードはカツァリスにそのようなイメージを与えないように必死に宣伝文句に腐心していた。これから後にリリースされるグリーグやショパンもあるのでそれはうそでもないし、現にカツァリス自身も「テクニックをひけらかす」ことが自分の音楽の目的ではないとあちこちで発言はしていたが。
 で、このリストである。いまでも彼がレパートリーにしている「孤独〜」などが収録されているこのアルバムの評価いまでは確実に好評価で固まっているが、このレコ芸のお二方にはどうもお気に召されなかったらしい。

レコード芸術1984年2月号より
《岩井氏執筆月評》無印
昨年の四月号に登場した《カツァリス/超絶技巧変奏曲》より録音は二年早い。日本での発売は前後したものの、ここでもまたカツァリスは達者にリストを弾きこなしている。が、ときおり、たとえば「メフィスト・ワルツ第1番」がそうなのだが、重厚さや迫力の不足を感じさせる瞬間もある。しかし、これはおそらく、カツァリスがたんに達者に弾きまくるタイプとはちょっと違うところをみせるために、やや斜に構えてリストに対したためではあるまいか。おなじ「メフィスト・ワルツ」でも第三番や第四番になると、重厚さや迫力が不足すると感ずることはない。
リスト弾きとしてのカツァリスは、しかし「メフィスト・ワルツ」のような作品より、むしろ孤独の中の神の祝福のように、たんなる技巧を超えてピアノの表現力そのものを全的に活かそうとする作品のすぐれた解釈者たらんとしているのではないか。そしてこのレコードを聴くかぎり、カツアリスは自分自身のとるべき道を誤っていない。たんなるテクニシャンというだけなら、この人を超える若いピアニストを数えあげるのに、さして苦労はしない。だから問題は、カツァリスが彼自身の感性をどれだけ活かし、独自の音楽を生み出し得るか、の一点にかかっているといえる。「孤独の中の神の祝福」は、おおらかに歌いあげてみせ、将来の可能性を暗示したように思う。
レコード芸術1984年2月号より
《武田氏執筆月評》無印
第一から第四までの「メフィスト・ワルツ」ほかを収めたレコード。A面冒頭の「詩的で宗教的な調べ」からの「孤独の中の神の祝福」は素直ではあるが、まさに作品そのものがそうであるようにもったいぶった、期待感をいだかせる演奏。しかし、響きそのものは清潔で好感がもてる。だが、その清潔さは、ともするとききてをいたずらにさめた感覚へと追いやるのでもある。
このA面冒頭の作品の雰囲気は以下に続く「メフィスト・ワルツ」でも基本的には変わらない。極めて精密な整った演奏だし、音そのものも細部まで美しいが、きいていてインヴォルヴされない。そして、インヴォルヴされない場合でも、鑑賞の対象として充分に意味を持ちうる場合もあるわけだが、そこまで冷徹さが徹底してはいないわけだ。
もっとも、音楽つくりそのものの姿勢としては、大ぎな見取図の上である起伏を設定してドラマティックな展開にクライマックスを作るというよりは、むしろ瞬間瞬問の鳴り響く現在を大切にしようとしている、という姿勢は感じられるが、トータルな演奏としてはまだ、充分にききてを説得する域には達していないということである。 

 二人ともまったく評価していない。岩井氏は、全体としてテクニックは認めるが解釈が「若い」というダメだしか。これはこの後も続く氏の一貫したカツァリスへの評価の姿勢。とくに「カツァリスがたんに達者に弾きまくるタイプとはちょっと違うところをみせるために、やや斜に構えてリストに対したためではあるまいか」なんて悪意ある見方のような気が。
 一方武田氏の評はまたしても意味不明。正直この人の文はほんとにわからない。。これは原文ママです。念のため。「素直ではあるが、もったいぶった、期待感いだかせる演奏」?→「しかし、響きは清潔で好感」→「だが、その清潔さ」 と逆説の連続で結局よくわからん。貶すならもっとわかり易く貶してもらいたいのだが、「充分に読み手を説得する域に達していない」と思われるが・・。
 貶すのは個人の感性の違いなのでまだしも、演奏について両者とも細かく触れれていないのが残念。このメフィストワルツでは実にカツァリスはいろんなことをやっており、他のきらびやかなリスト作品と違って地味なこの作品から魅力を引き出している。カツァリス特有のフレージングのゆらぎや、ペダルの妙技、オクターブの追加。ベートーヴェン交響曲のときでもみせるOcciaの効果的な選択など、盛りだくさん。少しよく聞いていればちょっとは違った感想になると思うのだが。
 それはさておき、実はこのリスト作品集で、カツァリスと運命的な出会いをした人がいた。ライナーノートを執筆した音楽評論家の石井宏氏である。いうまでもなくカツァリスに惚れ込み日本での公演を私財を投げ打って実現させ、その後のカツァリスの日本での人気を定着させた文字通り後見人となった方である。彼はこの1枚でカツァリスに魅了され、その出会いに感謝し、恐ろしいばかりの才能に敬礼すると、ライナーノートで書いている。後に不幸な事件で袂を分かつ二人だが、カツァリスの日本における活動を考えた場合、それは本当に幸運な出会いだったと、管理人は石井氏に感謝するのである。
 さて、この後は衝撃の問題作「第九」が続くのであった。
 
(次回へ続く)

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