Great pianist Cyprien Katsaris
ものごっついピアニスト
シプリアン・カツァリス

このサイトは、超絶技巧の持ち主にして、ロマンティックな歌い上手、そして最高のエンターテイナーである「ものごっついピアニスト」シプリアン・カツァリスのファンサイトです。
いまでこそアムランやヴォロドス、サイなど個性派ピアニストが認知されていますが、まさしく彼こそ「元祖個性派」! 日本ではなぜか実力のわりに正当に評価されない不遇のピアニストであるカツァリスに刮目せよ!
2013.09.02
2012年海外サイトインタビュー

2013.03.05
2013年インタビュー「茅ヶ崎市楽友協会便り」を掲載

2010.10.05
2010年インタビュー「茅ヶ崎市楽友協会便り」を掲載

2009.06.13
WGBHのインタビューを追加

2009.06.08
ラジオフランスのインタビューを追加

2008.11.24
ファンファーレマガジンの記事を抜粋掲載

2008.11.08
2008年インタビュー「茅ヶ崎市楽友協会便り」を掲載

2008.02.28
デザイン変更


インタビュー記事 主な内容
1985年12月 雑誌「ショパン」 いまでは「変人」の名を欲しいままにしているカツァリスがまだ「いい青年」という感じ。おもしろいのは、ここではまだベートーヴェンの交響曲の全集化は決定していない旨を発言しているが、同時期の音楽現代でははっきり明言しています。(いまとなってはどっちでもいいが)
1985年12月 雑誌「音楽現代」 マニアックな音楽現代らしく、結構つっこんだ記事。特におもしろいのが同世代のピアニストに対して言及しているところで、ポゴレリッチとかデュシャーブルというのは納得。とくにキャリアがちょっと似ている同じフランス人のデュシャーブルがすでに引退してしまったというのは時の流れを感じる・・・。それから、この当時はベートーヴェンの交響曲に続いて、ソナタもかなり興味があったというのがびっくり。公式には12番、30番以外まったく弾いた形跡がないが・・・。
1986年1月 雑誌「レコード芸術」 作曲家西村朗氏との対談。このころのインタビューはみんなそうなのだが、ベートーヴェンやシューベルトを主なレパートリーにしてたカツァがどうも「ドイツ人作曲家」弾きと思われていたのに苦笑・・・。いまでは、そんな人が中南米プロとか弾いてますけど・・・。
1987年6月 雑誌「音楽の友」
  宮沢明子カツァリスと大いに語る
自他共に認める親友、宮沢明子さんとの対談。本当にウン十年の付き合いですね。このとき約束した共演が2008年に実現したということに??
2000年8月 英雑誌「PIANO」
ちょうどPIANO21の立ち上げ当時のインタビュー記事。結構マニアック。このころになると発言内容はいまとさほど変わらない。
2001年8月 キプロスメール  キプロスの新聞社発行のメールマガジンかなにかのインタビュー。内容に目新しいものはないが、Q&Aにて「24時間以内に世界が終わるとしたら」のカツァリスの答えは?
2001年5月 仏雑誌「ピッチカート」  フランスの雑誌からCopinさんによる仏日翻訳。冒頭から「あなたのコンサートプログラムは変ですよね」とケンカを売られ、結構挑発に乗ったのか、古楽器演奏をボロクソいうカツァ。なかなか刺激的。
2003年10月 ラジオフランス ラジオフランスで地中海プロという超マニアックマニアックなプログラムを放送用に録音したときのインタビュー。このときの放送は音もよくてすばらしい出来でした。
2004年 王子ホールマガジン夏号 2004年来日直前の王子ホール会員向け会報誌から転載させていただきました。
2004年 ヤマハ広報誌のインタビュー もはや世界でほとんど唯一の著名なヤマハ弾きとなってしまったカツァリスのヤマハ広報誌への登場。
2008年10月 平塚公演 
      (茅ヶ崎市楽友協会)
2008年10月23日の平塚公演のときに会場で配られたインタビューを茅ヶ崎市楽友協会さんのご好意で転載させていただきました。
2008年11月 ファンファーレマガジン
      
海外のマニアックなレコードコレクター向けの雑誌「ファンファーレ」にのったPIANO21からの新譜「ピアノラリティーズ」についてのインタビュー記事。マニアックな雑誌らしく、内容もマニアックです。
2009年02月 WGBHのインタビュー 2009年の2月に初めて訪れたボストンで地元放送局WGBHのスタジオに招かれたときのインタビューです。実際に演奏をしたり、なかなか充実した内容でしたが、インタビューの内容としてはシフラやオーマンディとの思い出話がおもしろい。パソコン音痴のカツァリスでもYOU TUBEは見たことがあることが判明。。。
2010年10月「楽友協会だ!より」No.275 2010年9月の茅ヶ崎公演の際に配られたインタビューを、2年目と同じく茅ヶ崎市楽友協会さんのご好意で転載させていただきました。
2013年03月「楽友協会だ!より」No.293
毎度おなじみ茅ヶ崎市楽友協会さんのご好意で2013年来日時のインタビューを転載させていただきました。
2012年海外サイトインタビュー
2012年2月に行われた海外のピアノ教育者向け(?)サイトの約15,000字の超ロングインタビュー。

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2012年02月 海外サイトのインタビュー


2012年1月4日のインタビュー
海外ピアノ教育者向けサイトのインタビュー?


マルセイユ生まれでパリ音楽院出身のシプリアン・カツァリス。
その技巧は長年の間、最高レベルのものとされている。

Q:楽譜に忠実というのが演奏者の責任です。偉大な演奏者は、作曲家の視点を超えるということが可能なのでしょうか?


CK:それは重要な質問です。作曲家の中にはいくつかの解釈を用意した人もいます。リストのような人は自分の作品で多くのバージョンを書き、ショパンでもいくつかのバージョンを書いています。ショパンも、走り書きにて自分の作品を残していますが、たとえば、有名なノクターン作品9−2ではいくつかのバージョンがあります。一番最近ではショパンコンクールの前の審査員の一人が発見しています。

ショパンは、自作を弾く際には、いつも新しい変化をつけていました。同じパッセージを弾く時には、テンポを変えたり、強弱をつけたりしていました。それゆえ、私は作曲家について持っている情報の範囲である程度自由度はあると思っています。しかしあくまで作曲家の書いた通りに私たちは演奏すべきです。オペラ歌手が有名なアリアを歌う時の自由はまったく信じられません。音符を変え、テンポを変え、ときには伴奏の音符も。もちろんピアノ音楽ではこんなことはできませんが、ある一定の再構成の余地はあるべきです。バッハなら強弱がないところでも想像力を働かせないと! すべてが楽譜に書かれているわけではないのです。ラヴェルのように書かれた通りに演奏するように望んでいた作曲家ですらも、柔軟に考えなくては!

ルバートは、自然に頻繁に考えていたため、楽譜に書かれていません。コンピューターのように演奏してはいけません。楽譜は尊重すべきですが、自由度は必要です。この自由度はみなに歓迎されるものではありませんが、楽譜の通りに正確に演奏するだけなんて、つまらないですよね。

Q:ショパンとリストをスタイル的に、ピアニスティック的に比較するとどうでしょうか?

CK:ショパンについてはちょっと特殊だと思わなければいけないですね。彼はそんなに多くの作品を残しているわけではありません。39歳で亡くなっています。リストはあまり興味を持たれていない作品も少なからずありますが、非常に良い作品もあります。しかし、ショパンはほとんどの作品が最高レベルにあります。感情的にショパンには心動かされる特別なものがあります。また彼の作品は非常にバラエティーに豊かです。前奏曲、エチュード、バラード、みな違います。いまの作曲家のエチュードをみたらみな同じですよ。早いか遅いかだけ。ショパンの前奏曲やエチュードは全部違いがありますが、でもいつもショパンなのです。

例えば、私は何年も前にショパンの3つのソナタをソニークラシカルに録音しました。このいわゆるマイナーな作品にて、緩徐楽章が5/4拍子というのは驚きじゃないですか?(管理人註:原文では3ソナタとなっていますが、第1番のことだと思われます。) このソナタの最初のフレーズはトリスタンとイゾルデのテーマからというのは驚きじゃないですか? (管理人註:これもソナタ第1番のことだと思われますが、当然ながら、ショパンのソナタが作曲された時にはトリスタンとイゾルデは作曲されていないので、なにかの間違い? 最初に半音階が続くところを言っているのかも?) リストはショパンのエチュードOp.10-3について「自分なら作曲するのに3年かかる」と言いました。でも私はリストの3番目のノクターンについても同じことが言えると思います。このレベルにおいては同等でしょうが、しかし、私はショパンは、彼の作曲の量に比例して、リストよりも多くの偉大な部分を持っているかもしれないと信じています。ただ私の言っていることは、リストは何年も多く生き、たくさんの曲を作曲したのでフェアではないかもしれません。判断するにはちょっと難しいですね。

メンデルスゾーンはショパンの前奏曲第17番についてこう言いました。「私はなぜかわからないがこの曲が非常に好きだ。一つだけ確かなことは私ならこの曲は作曲できないということだ」とね。私はメンデルスゾーンの大、大ファンです。すべてではありませんが、良い曲はほんとうに素晴らしい。彼の良い曲は本当に華麗で、シューマン、リスト、ショパンにも劣りません。

Q:あなたはパリで育ち、コンセルヴァトワールで学びました。フランスのピアノ教育の特長とはなんでしょうか?

CK:過去、50年、60年、70年前まではフランスのピアノ教育はいわゆる「指奏法」がベースでした。これは、より腕の力を使うロシアの奏法と反対のものです。しかし、これは個人差があります。例えばイヴ・ナット、彼はシューベルト、ベートーヴェン、シューマンの作品を非常に美しい音で弾きますが、彼のスタジオ録音を聴くと非常に美しい指奏法を聴くことができます。彼は、あまりコンサートで演奏しませんでしたが。私は、国家の成熟やテレビやラジオの発展もあり、国の教育というのはもはやないのではと思っています。フランスのピアニストでもロシア人よりも上手くロシア音楽を弾くこともありますし、より指奏法が必要となるバッハをロシア人ピアニストも弾きます。すべての音楽教育はいま混ざっていってると思いますよ。

私は数年前にヨーロッパではジュリアード音楽院出身のピアニストが「より速く大きく演奏する」ことで評判となり褒められたことを覚えています。音楽的に評判となったわけではありません。マレイ・ペライアは非常に詩的で音楽的だと思われているアメリカ人ピアニストですが、通常、アメリカのピアノ音楽学校は国際コンクールで聞くと、良い評判ではありません。私はこれはちょっと誇張されていると思います。今日においてはすべての人がYouTubeやCDでいろんな演奏を聴けるのですから、そんなに大きな違いはないと思います。

しかし、中国には興味深い現象があります。中国の若いピアニストたちは非常に優れた技術を持っていますが、西洋のピアニストを教えを請うため招いています。彼らは自分たちが持っていないものを西洋のピアニストが教えてくれると思っているのです。私はこれについては必ずしも同意できません。若い中国人、韓国人、日本人のピアニストを聴くと素晴らしく感性豊かです。彼らは、モーツァルトのソナタやショパンのノクターンの弾き方を知っていますよ、中国人は彼らの音楽的な質にコンプレックスを持つべきではありません。

Q:あなたは1990年のショパンコンクールで審査員を務めました。ピアノコンクールは才能を開花させるのに有益ですか? またはこの世代の潜在的な芸術性にとっては害ですか?

CK:いや、いまはみんなテクニックではトップレベルですよ(笑)。でも、審査員はみんなより速く、より音も大きく弾かれることにうんざりしてきています。審査は自分の常識だけにとらわれないようにしなければなりません、それから公平に。超絶技巧が要求される曲、これは運動能力を求められるようなものではなく、音楽的な意味で。シフラの演奏などはすべてにおいて、好きか嫌いかにかかわらず(たいてい私は大好きですが)、音楽的に印象深くなりえます。これは私の言う表現上の超絶技巧というものです。まるで単調な練習のように弾くだけではコンピューターの演奏のようでまるで面白くありません。ときにはそういう演奏もありでしょうが、でもやはりもっと表現深くすべきです。まあ曲によりますが。

鬼火やマゼッパやプロコフィエフの7番ソナタの終楽章などを興味深いアプローチで弾いても、同じ価値であるべきです。シンプルなモーツァルトのコンチェルトのアンダンテと同じように喝采されるべきですし、メロディーを歌わせることもハイレベルで音楽的にコミュニケートすることも可能です。私は、審査員がすぐに辞めたり誰かを拒否したり、排除したりすることが理解できません。私はこれらを経験しました。そんな彼らを嫌いですし、私自身も嫌です。私は最初は非常にオープンマインドでしたが、だんだん情熱を保つことが難しくなりました。誰かの演奏を審査するためにずっと座っているなんて自分のステージで演奏するよりもずっと困難です。

パリのロン・ティボー国際コンクールで12年前に審査員をしたことを覚えています。若い韓国人のピアニストがはじめて優勝しました。とても素晴らしく、ラヴェルのラヴァルスを悪魔的に官能的に衝撃的に、まさにこうあるべきと弾きこなしました。また彼は唯一シューベルトの即興曲も非常に美しく感情的に弾きました。両方を弾けることが素晴らしいのです。シューベルトの即興曲やブラームスの小品をうまく弾けるのに音楽的に技巧的に難しい曲を弾けないというのは、なにかが足りないのです。結局、聴衆に印象深いということとよりも感動させる方が難しいということです。両方が重要ということです。

Q:あなたくらいのレベルでもまだ技術的な上積みを考えますか?

CK:私の先生であるモニク・ド・ラ・ブリュショルリは素晴らしいピアニストでした。不幸なことに事故で演奏をできなくなってしまいましたが。彼女はパリ音楽院の教授に1967年になりました。また彼女は1951年にはじめて女性としてラフマニノフの第3番協奏曲を弾きました。彼女のアンセルメとのカーネギーホールでの演奏の録音が最近見つかりましたが、彼女はこのように言いました。「とにかくステージに出るために十分に準備しなさい。でもステージではすべて準備したことや間違うかもしれないこともすべて忘れなさい。まるで初めて弾くかのように心から演奏しなさい」。またこのようにも言いました。「アーティストとして自分を表現する前に、とにかく十分に完全に何回も何回も練習しなさい」

私はたくさん練習します。飛行機に乗っている時だけ練習を止めます。そのときでさえ、指だけで頭の中で練習することもあります。休日もありません。ときどき音楽を聴いたり楽譜を読んだりするときだけ練習を中断します。常にありうる問題ですが、そんなに練習してもどんなに時間を費やしても常に失敗するリスクはあります。記憶の問題だったり、つまらないミスだったり、常に100%完璧はありえません。このようなリスクは常にあります。恐ろしいことに。年齢とともに私も記憶が問題となることを認めざるをえなくなってきましたが、技術的、音楽的にはNoです。しかし、評判が高い場所で演奏するのはもちろん責任を感じます。これを考えるとおかしくなりそうですが、恐怖を感じれば、間違いを引き起こします。

すべてのピアニストが忘れがちですが重要なことが一つあります。練習をよくこなすと、自動的に精神的なある種のメカニズムが自分に入ります。私たちが歩くとき、他発的な筋肉を動かしますが、誰もそのことを意識しません。ピアノを練習しているときも同じなのですが、忘れがちです。ステージ恐怖症になると、この記憶がすべて破壊されます。本当に自分自身でこの問題を作ってしまうのです。自分の中に記憶が埋め込まれていると信じられれば、演奏するだけなのに。本当に、ステージ恐怖症は悪循環なのです(ため息)

Q:すべてのピアニストに質問しています。ショパンのエチュードで最も難しいのではどれですか?

CK:興味深い質問です。一番最初のやつですね(Op.10-1?)。私は比較的手が小さいので何度も手を返さなければいけないので。これかも(笑)

Q:中国でのランラン現象についてどう思いますか?

CK:ランランには北京オリンピックに招かれたときに会いました。とても親切で大好きです。私たちは毛沢東時代に収監されていた作曲家の書いたコンチェルトを演奏しました。ランランがファースト、私がセカンドです。他にも、ルイ・ロルティ、ウラディーミル・フェルツマン、フィリップ・アントルモンなどもいました。

ランランについてですが、彼は本当に偉大です。中国では、ピアノを習うことがいまもっとも流行していて、ピアニストを羨望の眼差しでみています。2500万、3000万、5000万人がピアノを習っているとさえ、言われています。これは信じられないことです。私が中国で演奏した時も聴衆がみな若い人ばかりだったのでびっくりしました。1月1日も上海フィルと中国で演奏しましたが、たくさんの子供が聴衆にいました!

私はランランのファンです。私は彼のことを好きでない人が多くいるのを知っていますが、私はそれは単なる嫉妬だと思います。あの若さであのレベルに到達したことは素晴らしいと思いますよ。彼は成功に値します。非常に良い音楽家です。私はフランスのTVで彼がシューベルトの鱒を演奏するのをみましたが、素晴らしかったです。私は中国の人はみなランランを誇りに思うべきです。彼は中国だけでなく多くの人にクラシック音楽を届けているのです。

Q:もう一つの論点として。あなたは1974年のシフラコンクールで優勝しました。若い読者でシフラのことを知らない、聞いたことがない人のために、シフラってどんな人でどんなアーティストでしょうか?

CK:シフラは私の最初の衝撃です。1962か63年、母親にパリでコンサートに連れていかれました。そのコンサートははじめてリストの協奏曲第1番とハンガリー幻想曲をきいたもので忘れられません。すぐに彼は私にとってのアイドルになりました。私にとって彼は他のピアニストとはまったく別格となりました。まったく他の人と違うのです。非常に印象的に超絶技巧を駆使し、怒り、静けさなどどんな感情も表現しました。どんなものでも幅広く最大限に演奏できるのです。

シフラは古典もバロックもレコーディングしています。フランスのラジオ局が25年前に私にどの録音が好きか尋ねてきました。私はシフラの演奏でスカルラッティのソナタを誰が弾いているのかを隠して放送してもらいました。それを聞いた人々は、誰がこんな洗練された演奏しているんだ? なんてすばらしいんだと尋ねてきました。私はシフラだよといったとき、彼らは絶句していましたよ。

彼は、曲芸師のようピアニストとしてレッテルを貼られました。批評家やジャーナリストがこのような話を広めたので、人々は彼がベートーヴェンやモーツァルトのソナタ、ラモーやリュリを美しく弾けるということを受け入れませんでした。この期間、ほとんどの評論家は彼の演奏を批判し続けました。ようやくいま、彼の死から20年たち、彼の録音がどれだけ偉大かというレビューをみるようになりました。シフラの良さについて堂々と話せる人はほとんどいません。これは本当に非常識です。ちょっとリストに起こったことと似ていますね。

リストも偉大な作曲家として認識されるまでは100年かかりました。音楽史上ではリストは非常に多くの変化にとんだ幅広い作曲家です。ジプシー音楽や、ゲーテやヴィクトル・ユーゴーの詩に触発された曲を書いたり。またワーグナーを偲んで曲を書いたり。彼はワーグナーの死の5週間前に予感として悲しみのゴンドラを書きました。また教会音楽、レクイエムとか、フィッシャーディスカウとバレンボイムが録音した歌曲とか。私もマーガレットプライスと20年以上前に録音しました。

リストは誰よりも前に現代音楽も書いています。灰色の雲を知っていますか? この曲の最後の2つの和音は様々な問いかけをしてきます。我々はどこから来たのか? 我々はこの星で何をしているのか? 我々はどこに向かおうとしているのか? リストはこのような和音をドビュッシーよりもスクリャービンよりもシェーンベルクよりも前に作曲しています。リストは本当に天才です。

シフラに話を戻しますと、彼は認められるまでに死後何年もかかりました。彼は生前は、フランス、日本、イタリアではスーパースターでしたが。そして、アメリカではまったくよいキャリアを築けなかったことに非常に怒りを覚えます。どんな理由にせよ、本当に謎です。まあ私はなぜどうなのか思うところもありますが、とにかく彼はアメリカでは成功しませんでした。これは本当に恥です。彼の名前さえも知らないピアノファンもいるくらいです。

私が先月NYで演奏したときのことです。私は、マスタークラスの後、リサイタルの前の時間、ホールで試奏していました。ホールには一人の女性が座っていて、少し話しました。彼女は、ほかの州に住んでいて、私の知り合いであるジェローム・ローズが主催するこの素晴らしいピアノフェスであるマネス音楽祭を聴きに来ていました。私が、彼女にシフラの名前を出したところ、彼女は知りませんでした。私は、彼女にシフラはホロヴィッツでも出せないような音を出すんですと言いました。

私はホロヴィッツを3回聴いたことがあります。最初は70年代にフロリダで、2回目はケネディセンターで、3回目はNYのMETです。最初に彼にあいさつした時に、少し言葉を交わしました。「ホロヴィッツさん、私はピアニストです。シフラ編曲の熊蜂の飛行を弾いています」そういうとホロヴィッツは「あああ、シフラ!」と少し驚きの表情を見せました。彼はシフラを知っていました。

シフラは信じられないくらい繊細な人でした。花を見て感情いっぱいになり涙を流すほどです。また彼は友人に対してもピアニスト仲間に対しても物腰柔らかな人でした。そして非常に親切で寛大な人でした。彼は本当に素晴らしい人でしたが、彼の息子が亡くなって、病んでしまいました。

私はシフラの息子は、チャイコフスキーの協奏曲第1番で2回ほど共演し、よく知っています。彼は非常に教養ある人でしたが、不幸なことに、父親と同じファーストネームだったのです。非常に良い指揮者でした。しかし、オーケストラの団員には必ずしも歓迎されなかったのです。彼の父親が誰であるかのせいでね。ある日、妻が帰宅したところ、家が火事でした。なぜ火事が起きたのか、わかりません。ろうそくを使っていたのか、アルコールなのか。しかし、彼は焼死してしまいました。それ以降、父シフラは落ち込み、病んでしまいました。彼にとっては一人息子です。ご存知の通り、シフラには若い時から多くの困難が降りかかりました。ナチスや共産党からの弾圧など、本当につらい人生でした。

フランスでは、シフラはスーパースターです。彼のリサイタルはいつも満員、ソールドアウトで大喝采を受けました。批評家と聴衆とが正反対の態度でした。ピアニスト連中は、嫉妬して、シフラについて、戯言をいう人もいました、誰という名前を出すのは控えますが。本当に偽善でした。これはまったくリストに起こったことと似ています。両者とも世界中の人々にとって偉大です。シフラも、リストも偉大すぎます。でもシフラは批評家がシフラのことを音楽家ではなく曲芸師だと言うことで足を引っ張っていることを知っていました。この言葉を使うことを許してください、全くクソ野郎です! シフラはそのためいろいろ困難を被りました。全く間違っています。

私は1974年に批評家である女性の友人ドリールさんを通じてシフラに会いました。彼女はオルガン奏者でもあり、またシェーンベルクの本をフランス語に訳したりしています。彼女は私にシフラの前で弾いてと頼んできたので、会ったわけです。非常に名誉なことでした。私はシフラに熊蜂の飛行の編曲楽譜をくださいとお願いしたのです。なぜなら、あの曲をどうやって弾くのか知りたかったからです。しかし彼は楽譜にしていないと答え、ジュニアに録音を聴いて楽譜にするようお願いしてくれました。数か月かかりました。

知られていないことをお話ししますが、この曲は楽譜として出版され多くの若いピアニストが弾いているよりも、実際は難しい部分が少なからずあります。例えば、中間部に、E-F-E-Fのトリルがあるのですが、彼は私に重音で弾くように要求しました。私はそのように弾きましたが、彼自身はそう弾きませんでしたけどね。だから公式に出版されたバージョンは、私が彼にもらったバージョンよりも簡単なところがあるのです。彼は私をテレビ番組で弾くために招いてくれました。素晴らしいテレビ番組で「The Great Chessboard」という夜8:30から3時間の人気番組です。この番組では一人メインゲストが登場し、そのゲストがさらに自分のゲストを招くというもので、そこで私がシフラに呼ばれ、熊蜂の飛行を弾いたのです。(You tubeで視聴可)

Q:シフラの最も評価されている録音の一つが、ショパンエチュード全曲ですが。

CK:この録音はいままでの誰のものよりも素晴らしいものです。ショパンはリストがショパンのエチュードを弾くのを聞いて「彼の手を盗みたい」と言ったそうです。ショパンはリストが弾くのを聞いて、ずっとリストのように弾きたいと言っていました。もしショパンがシフラの演奏をきいたら、シフラを羨ましがるでしょう。一般的に聞いたり弾いたりするいわゆる練習曲とは全く違うように聞こえるに違いないからです。

Q:レコーディングと言えば、あなたはベートーヴェン・リスト編曲の交響曲を録音しました。ベートーヴェンの交響曲を弾いて理解できたこと、リストのピアノとオーケストラに対する考え方など、何かありますか?

CK:幼少の時期、私がカメルーンに住んでいたころ、母親が持っていたレコードの田園交響曲を何回も聴きました。そこで自分の指でその音楽を奏でたいと思っていたとき、リストの編曲に出会いました。1980年代に録音するまで10年かかりました。演奏会では20回以上田園交響曲を弾き、英雄交響曲は79回弾きました。田園と英雄の両方弾いたのは、ニューヨーク、パリ、ウィーン、サンフランシスコです。79回目の英雄交響曲を弾いた後、私はマネージャーに電話し、もう二度と弾きたくないと言いました(笑)

私はリストがどのようにこの素晴らしい作業を成し遂げたのか知りたかったので、すべての音符をベートーヴェンのオリジナルスコアとリスト編曲のものとを比べ、リストの作業に驚愕しました。一方で私はベートーヴェンのスピリットに近づくためには、もっと音符を足さなければいけないことも発見しました。それは私にとっても大きな課題でした。新しい奏法を発見しなければいけないのです。実際、ベートーヴェン・リスト・カツァリス編の交響曲を作るべきでしたが、リストに敬意を払いたいので、やっていません。私はできるだけオリジナルに近いベートーヴェンの楽譜を手に入れようとしていましたが、リストの編曲が素晴らしいので、ほとんど必要ではなかったですが。

あなたは、ワーグナータンホイザー序曲のリスト編を知っていますか? ワーグナー自身による編曲があることを知っていますか? 私は20年くらい前にソニークラシカルよりワグネリアーナというワーグナーの作品をリスト以外のいろんな人が編曲したものを集めたCDを発売しましたよ。とにかく、ベートーヴェン交響曲リスト編曲は私にとって、フレージングのセンス、音色、ピアノ奏法などについて発展させるまたとない学習機会でした。そのあと弾きものに役立ちました。

例えば、ショパンのバラード第1番です。ピアノは元来、打楽器です。ピアノを知らず、手を動かさなければ音は鳴りません。しかし、あなたがピアノを歌わせるように弾こうとするなら、ピアノを弦楽器のように、スムーズに滑らかに無理なく音を動かすように考えなければいけません。正しくルバートし、正しいフレージングを行い、歌手のように内側から感じなければいけません。ベートーヴェンの交響曲から聞こえるのは、木管楽器、弦楽器、金管楽器などですが、ソロピアノにするのです。ホロヴィッツはニューヨークタイムズのインタビューでベートーヴェン・リスト編の交響曲は偉大なピアノ作品だと語ったそうです。

Q:偉大なピアノ黄金時代の伝統というのはすでに無くなってしまったと思いますか?

CK:約20、30年前には、ピアノファンの中にはまたピアニストにさえも、そのような傾向はありました。フリードマン、ローゼンタール、ラフマニノフ、J.ホフマンなどが活躍した時代をいわゆるピアノ黄金時代といいます。彼らは、今日には失われてしまったものを持っていました。私が思うに、1960年代、70年代が中心で、80年代まででしょうか。私の勝手な意見としては、ピアノ演奏はどんどんアカデミックになってきています。一つの理由としていわゆる「ルバート」への誤解があると思います。

ショパン、リスト、タールベルクの時代には、彼らは、もっと自由に、ファンタジーにあふれ、ピアノで歌うように演奏していたそうです。ショパンは弟子たちに、すべての指が歌うように演奏しなければいけないと語っていました。タールベルクなどは数年間歌の先生であるマニュエル・ガルシアの元で勉強していたくらいです。

ガルシアはパリでNo.1の歌の先生でした。彼は2人の有名な歌手の父親でもあります。タールベルクは歌とベルカント唱法を彼に習いました。まったく驚くべきことです。タールベルクのような偉大なピアニストにとっても、ピアノに歌わせるということは重要だったのです。彼はリストやショパンのように偉大な作曲家ではありませんが、驚異的なピアニストで素晴らしいアイデアを持っていましたし、ピアノを歌わせるためにいくつもの奏法を生み出しました。彼は「The Art of Singing Applied to the Piano」というトランスクリプションを作曲し、これはフランスの有名な出版社から刊行されました。この中で、タールベルクはベルカント唱法をピアノ演奏に適用する方法を説明する序文を書きました。そして、知られてないことですが、カルメンで有名な作曲家のビゼーは出版社の要請にて、タールベルクの死後、この仕事を引き継ぎました。ビゼーはドイツ音楽で50、フランス音楽で50、イタリア音楽で50の計150のトランスクリプションを作曲しました。彼はこれらを「Le pianist chanteur」と名付けました。これらはタールベルクが始めたことから繋がっていることです。先日、パリ音楽院の二人の教授と話した時ですが、彼らはこの作品を知りませんでした。もう絶版になっていますからね。

私がなぜこれらの人々の話をしたか? それは彼らが自然なルバートを使用してピアノを演奏していたからです。私が思うに、間違っているかもしれませんが、一部のピアニストは、偉大なピアニスト達のルバートを真似しようとします。しかし、そのような模倣は自然ではありません。ショパンがルバートを行う場合は彼の内面から来るものであり、計算されたものではありません。ショパンのルバートを模倣しようとすれば、自然ではなく、過剰で誇張された趣味の悪いルバートとなってしまいます。だからこそ、逆に、私の嫌いな極端にアカデミックな演奏を生んでしまうのかもしれません。

1950年、60年、70年代に登場した著名なピアニストの幾人かは、私に言わせれば、不幸なことにこのアカデミック演奏の一翼を担いました。それは、「私たちが知る」作曲家の意図する範囲内での創造的自由とはまったくかけ離れたものです。この「私たちが知る」という意味は、もちろん、作曲家自身の書いたものやまたその演奏を聴いた人が書いたものなどを通じて推測するということですが。

しかし、正直に言えば、私も自分たちが新しい時代に生きているということを認めなければいけません。人々が世界の終わりを語るような、たとえば、2012年12月21日の終末論などが語られる時代で、私たちは新しい時代に直面しています。例えば、アイパッド、インターネットなど情報を簡単に手に入れることができ、私たちの生活は変わりました。もちろん、生活は、テクノロジーで変わりましたが、残念ながら、進歩ではありません。

私が言おうとしていることは、世界中のあらゆる地域から若いピアニストが出てきています。もはや、ヨーロッパとアメリカだけではありません。特にアジアの中国、韓国、日本、それからこれまで予想してなかったラテンアメリカなどの国からどんどん素晴らしいピアニストが出現しています。

信じられないくらい多くの才能ある若いピアニストは、非常に魅力的な個性を持っており、そのほとんどは、1940、50、60、70年代のピアニストよりもいい演奏をします。もちろん、フリードマン、ラフマニノフ、ホロヴィッツ、シフラなどは超個性派で素晴らしいピアノストです。しかし、今日でもよいピアニストはいます。ユジャワンもいます。スティーブン・ハフもいます。私は最近のピアニストでは誰がいいですか?と聞かれて思い出しました。故人のピアニストの話ばかりしがちですが、新しい現役の若いピアニストのことを認めるべきです。マルク・アンドレ・アムランもいます。好きな人もいれば、嫌いな人もいますが、誰も彼のことを偉大でないとはいいませんよね。私はスティーブン・ハフの演奏が好きです。彼はなにか持っています。まだコンサートは聞いたことがありませんが、2,3枚素晴らしいCDを聞いたことがあります。イギリス人なら、ベンジャミン・グローブナーとか他にもたくさん!
どうしてこのような素晴らしい才能を認めないのか? コージ・アトウッドという私の大好きなピアニストがいます。素晴らしい演奏をし、また信じられないトランスクリプションを作ります。またあまり知られていませんが、素晴らしい編曲をするマシューキャメロンもいます。シカゴにはロシア人ピアニストですが、ウラディーミル・レイチキスもいます。彼も素晴らしい編曲をする人で、彼が編曲したラフマニノフのピアノ組曲をのソロバージョンを最近録音しました。これはすごいもので、リストやゴドフスキー、タールベルクにも匹敵します。フェアにみましょう。私たちにはみな競争はあります。でも、「ジャングルゲーム」はやめましょう(笑)(管理人註:ジャングルゲームとはおそらく激しい生存競争のような足の引っ張り合いみたいな意味だと思います)

Q:過去の偉大なピアニストは、芸術家として成熟するためにはいろいろなものを読んだり知ったりすることが必要だと言っていました。

CK:それは個人差がありますね。作曲家の意図を把握し、理解することができる人がいます。そのために作曲家の障害について読む必要がある人もいるでしょう。やはり人それぞれです。16歳がリストのロ短調ソナタを弾くとします。しかし、ある人は、まだまだ成熟していないというかもしれません。私たちは16歳という年齢は十分ではないと考えがちです。また、ある人は、65歳でリストのソナタを弾くなんて、と考えるかもしれません。16歳や17歳でもただちに作曲界の意図を理解し、言葉できなくとも、素晴らしい演奏ができるかもしれません。人に依ります。

例えば、バレンボイムですが、彼は若い時から非常に成熟していました。若い時に、ベートーヴェンやモーツァルトのコンチェルトを演奏しました。私は彼が弾くチャイコフスキーやリスト、ショパンのコンチェルトなどは好きではありませんが、彼の若い時に弾いたベートーヴェン、モーツァルトのコンチェルトはまるで60、70歳のピアニストが弾いたかのように円熟しています。

Q:あなたが考えるに、芸術の目的とはなんでしょう?

CK:私は個人的に、画家であれ、音楽家であれ、社会的に大きな責任があると考えています。おそらく音楽はパフォーマンスアートであるために、より大きいと思います。聴衆は、コンサートに行ったり、家でCDを聴いたりして、日常の心配事や不幸な出来事を忘れることができます。音楽、芸術の創造は、ハイレベルなコミュニケーションであり、人々を幸福にし、精神的なレベルを引き上げることができます。わずかな投与量で痛みから解放することができる医者のようです。音楽家は、日常の怒りや心配から人々を解放します。音楽家にとっては、聴衆と感情でコミュニケーションをとる能力が非常に重要なのです。

Q:あなたが長年、音楽以外で興味をもっている芸術分野はありますか?

CK:はい、建築です。非常に建築は好きです。絵画よりも好きですね。ピアノを弾く時には色を感じることがあります。例えば、Fは緑色、Cは赤か白、Eは黄色、E♭はベージュなのです。絵画をみたときは、動かないものに一生をささげる画家に尊敬を感じます。しかし、私にとって、音楽こそが、最高の芸術です。

Q:あなたの考えでは、クラシック音楽は将来も安泰なのでしょうか?

CK:私はクラシック音楽はなくならないと思っています。非常に高いレベルの芸術は一種の真実です。真実とは物理的なものを超越します。音楽は精神的なものでハイレベルな真実です。真実は終わりがなく、無くなりません。クラシック音楽は、人類が続く限り、存在すると思います。

Q:いまのピアノ界には、あなたが好ましいと思うような変化の兆しはありますか?

CK:いえ、必ずしも。スタンダードなレパートリーは聖書のようなものです。でも、あまり知られていないようなレパートリーほど素晴らしいです。まったく退屈しませんよ。私は以前に、19世紀にかかれた作品のうち、我々はたった2%ほどしか演奏していないと言ったことがあります。信じられないですよね? 新しい音楽を発見するのは本当に素晴らしいことです。

私は3代のモーツァルトの作品集のCDを作成しました。たぶん歴史上はじめてです(笑)。このCDには、父レオポルド、ウォルフガング、フランツ・クサーヴァー(ウィルフガングの息子)の作品が入っています。私はこの中で、フランツ・クサーヴァーの「メランコリックなポロネーズ」を録音しましたが、これは、若いショパンが書いた初期のポロネーズに似ているのですよ。

現在、フランツ・クサーヴァーは第3級の作曲家だと思われています。実は彼は、母親のコンクタンツェにフランツ・クサーヴァーからウォルフガング・アマデウスと父親と同じ名前に解明させられたのです。彼にとっては悲劇でした。そうでなければ、誰も、彼がショパンから盗作したなどと言わなかったでしょうに。彼が「メランコリックなポロネーズ」を作曲したときはショパンは4歳か5歳だったのですよ。フランツ・クサーヴァーの最初の出版作は彼の父のドン・ジョバンニの変奏曲でした。2番目はは1805年にシューベルトに似ている作品でした。シューベルトはまだ8歳くらいです。だから、モーツァルトの息子は、ショパンの前にショパンを作曲し、シューベルトの前にシューベルトを作曲したなどと言われています。非常に興味深いです。これらの作品の発掘は素晴らしいことでした。

Q:あなたにとってアーティストとしての喜びとはなんでしょうか?

CK:私は完璧を目指していますが、常にそうではないことに悩んでいます。だからコンサートは嫌いです。完璧について考えると、それは演奏技術だけの問題ではなく、もっと大きなことです。テクニックとはただ単に正しい音符を弾くということではありません。テクニックとはフレージング、音色など様々な段階があるものです。そして最も重要なことは感情レベルでコミュニケーションすることです。音楽は人生の様々な、死、情熱、悲しみ、恐れ、怒り、楽しみ、陶酔などを表現します。私はマーラーの音楽を演奏するとき、マーラーほど人がどん底にいるときの無力感、絶望感を表現できる作曲家はいないと感じます。信じられないくらい上手く表現されています。

カラヤンは晩年、すべての音楽を常に美しく演奏していました。でもなぜ? ベートーヴェンの熱情ソナタを演奏するなら、美しいのではなく激しく反発心をこめなければいけません。反発! 音楽は人生のすべてを表現するのです。私の最も大きな喜びは、到達するのは不可能ですが、完璧を目指そうとしていることです。完璧な演奏には到達できませんが、私は常に作曲家をリスペクトしながらトライし続けています。私のモーツァルトのコンチェルトの演奏を好きだと言ってくれる人もいますが、控えめすぎるという人もいます。もちろん私はモーツァルトをリストのように演奏しません。全く違う音楽です。私にとってモーツァルトは非常にピュアで壊してほしくない何かがあると思っています。リストも好きです。でも、リストのドンジョバンニ幻想曲は好きではないですね。あれは重すぎます(笑)

Q:カツァリスさん、今晩は話せてとても楽しかったです。

CK:ありがとう。こちらこそ!



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2013年03月「楽友協会だ!より」No.293

《シプリアン・カツァリスにきく》
◆ききて:茅ヶ崎市楽友協会 小島 昭彦
(『楽友協会だ!より』No.293から転載)

昨日(3月2日)、逗子でのリサイタルのあと、カツァリスさんにインタヴューさせていただいた。公演直後の取材でご本人もだいぶお疲れの様子だったし、取材後の編集作業の都合もあり、今回は短めのインタヴューとなったものの、ききての質問に対し、カツァリスさんは誠意をもって丁寧に対応してくださった。取材にあたっては、今回もピアニストの寺田まりさんが通訳としてお手伝いくださった。

■今回のプログラムでは、後半演奏されるベートーヴェンの『皇帝』をカツァリスさんがピアノ独奏版に編曲されているのに大いに惹かれます。いつ頃、どのような理由で、この作品をピアノ独奏版に編曲しようと思いついたのですか。


CK:編曲することを思い立ったのは2年前でした。2つ理由がありました。1つめですが、私は子どもの頃アフリカのカメルーンに住んでいました。当時、両親にはたくさんの素晴らしいLPのコレクションがあったんです。その中で両親が特に気に入っていたのが、ベートーヴェンの交響曲第6番『田園』、そして、ウラディーミル・ホロヴィッツが弾くピアノ協奏曲第5番『皇帝』でした。それらをいつも聴いて私は成長しました。30年後、私がリスト編曲の『田園』をピアノで弾きたいと思ったのは自然なことでした。
 『皇帝』に関しては、いつも大変不満に思っていたことがあります。それは、オーケストラのトゥッティの部分が素晴らしいのに、ピアノでは弾けないということでした。それで1台のピアノで弾けるようにしたいと考えるようになりました。
 もう1つの理由。ベートーヴェン作曲=リスト編曲の交響曲は、1988年以来弾いていないのですが、いろいろな人にまた弾いてほしいと何度も頼まれました。でも、私はもう弾きたくなかったのです。たとえば、『エロイカ』(交響曲第3番)は79回も弾いてきました。日本でもかなり演奏しましたね。そこで、今度は、自分で『皇帝』を編曲してみようと思い立ったわけです。実際には2011年末から2012年の初めにかけて作業をしました。
 ベートーヴェンの音楽では、私は交響曲第6番の『田園』、交響曲第7番の第2楽章、交響曲第9番の第4楽章が特に最高だと思っています。

■『皇帝』の演奏は(3月2日の逗子公演で)初めて聴かせていただきましたが、ほんとうに素晴らしかったです。編曲は、実はかなり難しかったのではないでしょうか。ベートーヴェンの交響曲をピアノ独奏版に編曲したリストもすごかったけれど、カツァリスさんはそれ以上に難度の高いことにチャレンジされたのではないかと・・・。編曲されるにあたり、特にピアノのソロの部分と、オーケストラの部分を何か弾き分けるような工夫などされたのでしょうか。

CK:オーケストラはカラフルなものです。各楽器にカラーがあるものを、ピアノで演奏するとなると、どうしても白黒、モノトーンになってしまう。リストがやったことを意識して私も編曲したわけですが、白黒の写真であってもそれはそれで美しいのですから、影のつけかたなどを意識しながら取り組んでみました。

■ピアノ独奏版『皇帝』の一番の聴きどころはどのあたりになりますか。

CK:ベートーヴェンが意識していたかどうかは分かりませんが、私はこの曲からはナポレオンをいつも思います。第1楽章は壮大さを感じさせ、第2楽章は、交響曲第7番の第2楽章と同様に、最も美しい第2楽章の一つと思っていますが、そこはコラールのような精神的な美しさを感じます。そして、最後の楽章は、爆発するような喜び、歓喜が感じられます。
 皆さんに聴いていただきたいのは、最初から最後までです(笑)。

■『皇帝』の第3楽章では、カツァリスさんの晴れやかで幸せそうな表情がうかがえ、ききてである私たちも幸せな気分に浸ることができた気がします。

CK:はい。でも、『皇帝』は難しいんです。第1楽章のおしまいの方で、オーケストラの細かい部分を両手で、そして同時にピアノの16分音符の細かいパッセージを両手でやらなければならない部分があるのですが、それを私は、片手ずつでやっているので、とても外しやすく、非常に危なかっしいところなんです。でも今日はうまくいきました。明日もうまくいくといいのですが・・・(笑)。

■カツァリスさんには、今後も何かピアノ独奏版に編曲されようというプランがあるのでしょうか。あったら教えていただけますか。

CK:まだわかりません。数年前、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』の第3楽章をやり始めたのですが、まだ完成していません。

◆ここで、カツァリスさんが、突然本日の茅ヶ崎公演での即興演奏に関して、ひとつお話をくださった。

CK:明日(=本日3日のこと)の茅ヶ崎での即興演奏では、最後の方に、まだ演奏したことのない、つまり、誰も聴いたことのない新しいテーマを、茅ヶ崎の皆様のために発表します。とても美しいメロディですよ!世界初です(笑)。私の即興演奏の最後のメロディです。注意して、よく聴いていてくださいね。
 実はある日曜日、『皇帝』の練習をしていたときに、フロリダの女性でリザという友人から電話があったんです。そのときにインスピレーションを感じて、彼女にそのメロディを聴かせました。「このメロディを君に捧げるよ」と言ったのですが、聴衆の皆様の前で演奏するのは、明日が初めてです。
 今日(=昨日2日のこと)、逗子での即興演奏でも最後に弾いたのは、私自身のインスピレーションによるメロディでした。

■カツァリスさんには、私はこれまで2回インタヴューさせていただきましたが、それぞれで、まだ日本で誰にもお話されていないことを教えていただきました。前回は新しいレコーディングのニュースをご紹介くださいましたね。憶えていらっしゃいますか。

CK:もちろん、あなたのことを憶えていますよ!サムライ、いやゴジラかな(笑)。おっしゃりたいことがわかりましたよ。今回も、まだ発表していない、誰も知らないことをお話ししましょう!
 この春、実は4月末にロンドンで、ハイドンのピアノ協奏曲3曲を、サー・ネヴィル・マリナー指揮のアカデミー室内管弦楽団(アカデミー・オブ・セント・ マーティン・イン・ザ・フィールズ)と録音します。私が生きていればですけれど(笑)。もし私がこの世にいなければ、私の霊が代わりに弾いてくれるでしょう(笑)。はっはっは。これは、マル秘の情報ですよ。

■ということは、このニュースはまだ、茅ヶ崎でお客様に配付する会報には掲載できないってことですよね?

CK:いや、いいですよ。あなたが望むならかまいません。今のところ、招聘元のAさん以外誰も知りませんから(笑)。

■最後に3月3日の茅ヶ崎公演に来場するお客様にメッセージをいただけますでしょうか。

CK:茅ヶ崎にまたお招きいただき、心から嬉しく思っています。まもなく桜が咲くシーズンですね。今はまた世界情勢が不安定でありますけれども、政治家がきちっとやってくれたらいいなと思っています。
 平和、友情、愛、そして幸せを、茅ヶ崎の皆様にお贈りいたします。

■お疲れのところほんとうにありがとうございました。

CK:(日本語で)どういたしまして。

「どういたしまして」と言ったあと、「♪ドレミファソラシど〜ういたしまして。ドシラソファミレど〜ういたしまして」とメロディを口ずさみ、上機嫌なカツァリスさんであった。


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2010年10月「楽友協会だ!より」No.275

《シプリアン・カツァリスにきく》
◆ききて:茅ヶ崎市楽友協会 小島 昭彦
(『楽友協会だ!より』No.275から転載)

一昨日(9月21日)、鎌倉でシプリアン・カツァリスに会い、インタヴューさせていただいた。本日の公演が迫っての取材であったため、時間も30分ほどで、質問事項を絞ってお話を伺うことにした。取材では、今回もピアニストの寺田まりさんが通訳としてお手伝いくださった


■またお話を伺う機会に恵まれ、とても嬉しく思います。

CK:またお目にかかれ、私も嬉しいです。

■早速ですが、今回のプログラムはオール・ショパンですね。茅ヶ崎の曲目について、まずお話しいただけますでしょうか。

CK:2日後(日本語で「あさって」とカツァリスさん)ですね。1つだけ申し上げたいことがあります。コンサートのプログラムに19世紀のスタイルを再現したいと、私は思っているんです。当時、ソナタにしろ交響曲、協奏曲にしろ、どれをとっても、楽章を抜粋して演奏するという形をとっていたんですね。それでのちに全楽章を完全に弾く形になったのです。

■実は、そのこと(曲目が変わったこと)について伺いたいと思っていたんです。

CK:(感嘆の声をあげて) ああ、そうでしたか。私はショパンの時代を再現してみたかった。実際、去年の5月、ソウルでやってみたんですよ。
今完全になくなってしまったものが、19世紀の伝統で残っていた即興演奏で、たとえばバッハ、ベートーヴェンから始まり、ショパン、リストあたりは即興がとても得意な人たちでした。その演奏というのは、たとえばオペラからの抜粋であったり、バレエ曲からのものでした。同世代に生きたシューマンは、ショパンの最初のピアノとオーケストラのための作品『モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》の「お手をどうぞ」による変奏曲 変ロ長調 作品2』に感嘆し、ショパンを世に紹介したわけですが、この失われてしまった即興演奏という伝統を、(もしかしたら)茅ヶ崎で披露してみたいと思っています。クラシック音楽の分野では、今日、ピアニストやオルガニスト以外即興演奏をしようという人は、めったに見られなくなりました。

(筆者注) カツァリスさんは、ジャズのチック・コリアとは2度共演したことがあるが、実はクラシック音楽の演奏会でも即興してみたいという衝動によく駆られるという。実際、2006年の来日時には、東京公演のアンコールで『さくらさくら』の主題により即興演奏をしたこともある。

■カツァリスさんのショパンへの思いというのはどのようなものと言えますか。

CK:ショパンの音楽というのはとてもユニークです。どんな人の心にも訴えかけるものを持っており、私が思うには、ベートーヴェンが音楽について一般的に話していたことを正に表現している音楽だと思います。というのは、ベートーヴェンは「音楽というのは、自分の心から出て相手の心に直接訴えかけるものだ」と言っているからです。私はショパンの音楽というのは「魂の歌」だと捉えています。ショパンの音楽を弾くということは、(ショパンが)自分たちの生徒に言っていたことなのですが、「どの指もそれぞれ違ったように歌わなければならない」と言っていました。ということは、やはりそれだけ、深く音楽を感じ、コミュニケーションもできるようにしなければなりません。音符だけが弾ければよいというものではありません。これは「愛の音楽」であり、誠実な深い愛であります。
ショパンが尊敬していたのはベルリーニであり、同時代の音楽家であったシューマンやリストの音楽は特別好きだったわけではありません。それで、ショパンにとって何が大切だったかというと、ベルカント奏法をピアノの上で表現するということでした。

■茅ヶ崎のプログラムの後半ではおしまいの部分で、ノクターンから第2番のソナタの第3楽章のみを演奏し、そこから第3番の第3・第4楽章へと続 きますが、そこは何か1つの音楽の流れというか、ある意味大きなかたま りとして音楽を捉えていらっしゃるというようなことはあるのでしょうか。

CK:私の考えているコンセプトは、どういう作品であれ、どんなに音楽的に異なっていようとも、最終的にはどれも同じキャラクターを感じさせます。たとえば、ノクターンというのはベルカント奏法に近いので、ショパンの心髄だと思うのですが、ノクターンとあえて歌っていなくても、ソナタ第2番の第3楽章の中間部にはノクターンのような歌い回しが出てきますし、ポロネーズOp.26-1でも同様に中間部でノクターンのような歌が現れます。ポロネーズはもちろん3拍子ではありますが、ショパンの音楽の歌う部分、叙情的な面に重きを置きたかったということができます。そして、同じことが第3番のソナタのラルゴ(第3楽章)にも言えます。
あと、プログラムでマズルカをとりあげている理由についてもふれておきたいと思いますが、マズルカというのはショパンにとって祖国ポーランドへの愛国的な感情の表れだと考えます。これは、ショパンが祖国を去らねばならなかったという悲劇におけるすべての感情を表していると思います。ショパンは生涯58のマズルカを作曲し、シューマンは「マズルカは花の中に隠された大砲である」と評したのですが、これは当時、ロシアと対立していたポーランドへのショパンの愛国心が強く結びついているものだったので、それを聴衆の皆様にもう一度思い出していただきたかったということです。
マズルカはショパンが最も多く書いたものですね。ワルツは19曲、ポロネーズは20曲たらず、ノクターンは21曲、しかし、マズルカは60曲近くも書いたのです。

(筆者)このあと、「ここでもうひとつお話ししましょう」とカツァリスさん。だが、事情によりここでは割愛する(後日そのことについてはふれる予定)。 
(管理人注)
これは、この日の演奏会のアンコールでショパンコンセルトNo.2ソロバージョン2楽章を弾くことを予告したのでこの日演奏会当日に配ることに配慮したため、このような書き方になったそうです。

■ピアノ協奏曲第2番のCDをリリースされましたね。しかも、@(通常の)オーケストラとの協演、Aピアノ・ソロ、Bピアノと弦楽五重奏、C2台のピアノ、という4つのバージョンと伺い、ビックリしています。もしかしたら、ほかのバージョンというのも考えられるかもしれませんが、カツァリスさんは指揮にご関心はあるのでしょうか。


CK:あまりありません。
私は以前ショパンのピアノ協奏曲第2番を演奏したことはありませんでしたが、今年の6月25日にオーストラリアで、クイーンズランド交響楽団と協演しました。指揮者はアメリカに住むロシア人指揮者ですが、難しい名前の人でした(笑)。翌日飛行機でパリに戻るときに、急に常識外れなアイデアが湧いたのです。他の3つのバージョンも録音してみたら、とてもいいのではないかと・・・。ピアノ・ソロ、弦楽五重奏と、そして2台のピアノで。4つのバージョンに取り組むのですから、同じ曲でもそれぞれ違うカラーを出そうと思い、録音にあたっては4種類のピアノを使いました。オーケストラと協演したときにはスタインウェイ、ピアノ・ソロではベーゼンドルファー、弦楽五重奏とはヤマハ、そして、2台のピアノ版ではスタイングレーバー(Steingraeber、1852年にバイロイトで創業)というように。私は45年前にパリで小さめのグランドピアノを買い、それがスタイングレーバーだったんです。スタイングレーバーはバイロイトに工場を持っているのですが、ヤマハ、スタインウェイに匹敵するくらい音色がすばらしい名器だと思います。2台のピアノ版は、私が2台分録音しました。1台目のときは普通に録り、2台目のときには1台目で録った音をヘッドフォンで自分が聴きながら弾きました。このCDは、今回の来日公演にリリースを間に合わせたかったので急いで準備しました。ですから、2週間ほど前にはまだ録音をしていましたし、たった3日間ですべて完成させました(笑)。
ショパンは学生時代、青い目をした金髪のポーランド人の若い女性歌手に恋をしていたのですが、ショパンはとても恥ずかしがり屋だったため、声をかけることさえできず、親友のティトゥスへの手紙の中で「ぼくは毎晩彼女のことを想っている」と書き、その想いを表したのがこの作品です。1830年3月、完成したのち、ようやくその女性と話をすることができたそうです。

■お約束の時間が過ぎましたが、最後にあと1つだけよろしいでしょうか。

CK:ええ、どうぞ。

■では、カツァリスさんがまだ日本で誰にも話していないことを何か教えてくださいませんか。

CK:(笑)・・・(しばらく考えて)。お話ししましょう。これはマネージャーのAさんも知らない話ですよ(笑)。新しいレコーディングをご紹介しましょう。ハチャトゥリアンの『剣の舞』の2種類のピアノ編曲版ですよ!1つは私が自分で編曲しています。あと、有名なバレエ『スパルタクス』の中の「スパルタクスとフリーギアのアダージョ」、ラフマニノフの交響曲第2番から第2楽章など・・・。難しかったです。あと、ラフマニノフの2台のピアノのための組曲第2番はご存じですか。アメリカに住んでいるロシア生まれの友人が私のために編曲してくれたのですが、これが1台のピアノ用なんです。これはもう悪夢ですね(笑)。メチャクチャ難しいです。ほんと、悪夢です。でも、発売を楽しみにしていてください。

■これはもう待ちきれないですね。今日はいろいろお話を伺うことができ、茅 ヶ崎でのリサイタルがますます楽しみになりました。ほんとうにどうもあり がとうございました。

CK:(日本語で)どうもありがとうございました。

(2010年9月21日、鎌倉にて。◎取材協力:LEGARE [レガーレ])

【取材を終えて】
 2年前の2008年の取材時、「どんなことでもきいてくれてかまわないですよ」と気さくにききての質問に応じてくれたカツァリスさん。今回もききての質問にしっかりと耳を傾け、誠実に、そして丁寧に答えてくださった。カツァリスさんの頭の中にはいろいろなアイデアがたくさん詰まっている。取材時間はあっという間に過ぎていき、実に楽しいひとときであった。(小島 昭彦)



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2009年02月 WGBHのインタビュー

♪♪ ハンガリア幻想曲フィナーレ ♪♪

MC: 驚きの競演、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏、シプリアン・カツァリスさんのピアノ演奏でした。そして、本日そのシプリアンカツァリスさんをスタジオにお招きしています。ようこそ、カツァリスさん

CK: ありがとうございます。ボストンという歴史的にも音楽的にも伝統ある都市に来ることができてとてもうれしいです。オーマンディさんに会ったのは、確か25−26年前に、このEMIに録音したハンガリー幻想曲のレコーディングのときです。この録音は私のレーベルPIANO21でEMIからライセンスを受けて発売していますが、非常に興味深い経験でした。 3曲をレコーディングしたのですが、ある日オーマンディさんは私にこんな話をしたのです。
『私がまだ若いころラフマニノフと共演してね。パガニーニラプソディを最初に演奏したときのことなんだけど」、ご存知の通り、オーマンディさんは、数多くのラフマニノフ作品の初演を行っていますよね。「コンサートの本番で急にラフマニノフが即興で曲を変更したんだよ。びっくりして彼を恐る恐る見たんだ。ラフマニノフは非常に背が高くて怖かったのだけれど、怒りながらこちらを見てるんだ。「続けろ」という感じでね。私は終演後誤りにいったよ。するとラフマニノフは「あなたのミスではない。私が忘れて即興したんだよ。でもこっちのほうがよかった」と言ったんだ。』 (笑)

MC: (笑)それはよかった

CK: オーマンディさんはハンガリー人です。この曲は私がパリ音楽院にいたころ、はじめて人前で演奏した曲なのです。そして実は驚くべきことに、ちょうどその1年前同じパリのシャンゼリゼ劇場で同じ曲をジョルジュ・シフラさんが演奏するのを聴いたのです。そしてシフラさんも同じハンガリー人で素晴らしいピアニストです。しかし、残念ながら充分な評価を受けていないような気がします。特にこのアメリカで。例えば、ホロヴィッツ、彼は偉大なピアニストですが、そのホロヴィッツと同じくらい偉大だと思うのですが。 ピアニスティックな面において、例えば、シフラ編曲の熊蜂の飛行などは、ホロヴィッツのトランスクリプションに比べて非常に難しく、シフラをホロヴィッツより下に見るというのはアンフェアな気がします。

MC: 最初にシフラさんに会ったのは?

CK: 最初に彼の演奏を聞いたのは1962年11歳のときでしょう。このハンガリア幻想曲でした。個人的に会ったのは、1974年私が彼のコンクール(管理人註:第一回ジョルジュシフラ国際コンクール、もちろんカツァリスが優勝者)に出たときにヴェルサイユで会いました。私は、彼に熊蜂の飛行の楽譜をくれないかと頼みました。この曲はとにかく難しく、私は弾けるかどうかと思ってたのです。彼は非常に紳士でやさしく暖かい人でしたが、会うまではそんな人だとは思いませんでした。彼は私のリクエストに「あれはほとんど即興で演奏したので楽譜にしてないのだよ」と言いましたが、彼の息子であるジョルジュ・シフラ・ジュニアに頼んでくれました。ジュニアは優秀な指揮者でもあり、楽譜にするのは彼の役割だったようです。また、私はこのコンクールで彼とチャイコフスキーのコンチェルト1番を演奏しました。楽譜はジュニアが書き、シフラ本人がチェックして手直ししました。しかし、一部に違うなと思う部分があり、(実際に弾きながら) このEFEFの部分をこうだと思うといったところ、シフラさんは「君が思うように弾きなさい」と言ってくれました。そして、彼はフランスTVの自分の番組に呼んでくれたのです。この番組はプライムタイムの放送で、過去にはワイセンベルクやメニューヒン、カラヤンとベルリンフィルなど有名な演奏家ばかりでている20:30-23:30の3時間番組でした。「OK、私の番組でそれを演奏してよ」そんな感じでした。1975年4月のことです。私はかれの目の前で弾きました。最近このときの演奏を誰かがYouTubeにアップしているのを見ました。

MC: ええ、私も見ました。

CK: 本当に忘れられない体験でした。このとき、シフラさんはハンガリア幻想曲を弾く予定だったのですが、「楽譜を忘れたよ。シプリアン、貸してくれないか」ということで私の楽譜を貸しました。それ以来戻ってきていません(笑)

MC: それはよいことをしましたね(笑) では、レコーディングされたこの熊蜂の飛行を聞いてみましょう。

♪♪ 熊蜂の飛行(テルデック音源) ♪♪

MC: カツァリスさんの演奏による熊蜂の飛行でした。カツァリスさん、微笑んでますね?

CK: 34年前に、ジョルジュサンドゆかりの地、ノアンで演奏したときのものです。 (フーとため息をついて) それ以来弾いていません。恐ろしくて微笑むなんて・・・。

MC: でもかなりテンションを上げてくれる演奏ですよ(笑)

CK: オー(笑) 私がシフラさんを好きなのは、演奏するときに他のピアニストは決まりきった風に弾きますが、彼はいつも違った風に表情豊かに弾くところです。

MC: いつも違うものを作り出すというところが重要だということですか?

CK: その通りです。速く弾こうが、遅く弾こうが、いつも音楽的に感情を表現して弾かなくてはなりません。音楽は人生のすべてを表現しています。例えば、ベートーヴェンのソナタはよく感情的に弾くなといわれますが、ベートーベン自身は彼の怒りなどの感情をこめて演奏していたに違いなく、(実際にバンバン弾きながら) こういう風に弾くべきです。こういう弾き方は美しくありませんが、こうすべきです。カラヤンは晩年すべての音楽を美しく演奏しようとして批判されましたね。

以下、リストの話から、精神世界の話に繋がるので略。

シフラの話や、YOUTUBEの話が出てくるのは意外でした。YOUTUBEはさすがにカツァリスも見てるんだなあ。。。


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2008年11月 ファンファーレマガジン
著者:P.A.ラビノヴィチ
 
(P.A.ラビノヴィチ) ピアニストシプリアン・カツァリスのレコーディングレパートリーは非常に広く、フランスのバロックからブーレーズまで、メジャーな曲もあれば、ボルトキエヴィチのようなマイナーな曲まで、またヨーロッパの曲もあればラテンアメリカの曲もある。そのような彼の型破りなプログラムで、非常に興味をそそられる彼の最新CDが、「ピアノラリティーズVol.1 トランスクリプション」だ。
 このCDは、15曲入っているが、ドホナーニ編曲によるドリーブ「コッペリア」を除けば、私個人はまったく他のものは聞いたことがな曲ばかりだ。事実、ほとんどの編曲者の名前も聞いたことがない。フィオレンティーノはピアノマニアにとっては、なじみある名前だが、ディビット・アブラモビッチ・プリツカーとは誰? ワネーエフ? ベルンハルト・ヴォルフ? もっとも不思議な存在は、キャロル・ペンソン、彼のことはまったくわからないばかりか、このCDの15曲のうち10曲が彼の編曲なのだ。インターネットでも検索してもなぞは増すばかり。唯一検索できたのは、共著による物理学の論文だけだ。
 さっそくカツァリスに尋ねてみる。すると私のweb検索を裏付けるように言った。


CK 「ペンソンはすごい人です。作曲家でもコレクターでもあり、また物理学者というのも本当です」

CK 「彼は私の非常に親しい友人ですが、信じられないような才能の持ち主です。彼は音楽家ですが、それだけでなくパリ大学の理論物理学の教授でもあります。英語、ドイツ語、フランス語、ポーランド語、ロシア語を話すことが出来ます」

CK 「ペンソンは子供のころにピアノを弾き始めました。いまでも弾いていますが、プロフェッショナルなレベルではありませんが、かなり上手い部類です。そして彼はまた、楽譜のコレクターでもあります。彼の奥さんが言うのは、結婚したばかりのころ、たとえばイタリアに夫婦で行ったとしても、すぐにペンソンは楽譜店に直行し、トランスクリプションや珍しいピアノの曲がないかどうか調べに行くほどだそうです」

CK 「実は彼はこのCDのライナーノートに自分が物理学の教授であることを載せることを、アマチュアと見られるために、懸念していました。しかし、私の意見では、彼のトランスクリプションのレベルは非常に高く、偉大な編曲者と同等で、むしろ載せたほうが良いと説得しました。なんだかボロディンと似ています。あなたもご存知の通り、ボロディンは化学の教授でしたから」

CK 「キャロル・ペンソンは数年前に友人を紹介してくれました。いまでは私も非常に親密になった人ですが、ベルナルド・ヤンといいます。彼はニースに住んでいて、母親は何十年も前のパリオペラ座で非常に有名な歌手です。彼ももう72か73才ですが、かつては音楽家でした。あなたはどうだかわかりませんが、私もペンソンも同じくらいピアノオタクで、ピアノに関する知識はかなりあると自負しています。しかし、ベルナルドはピアノについての知識も同じくらいあり、また同様にオーケストラ曲、オペラ、歌曲の知識もものすごいものです。かれはまさに音楽百科事典です。そして中でも彼はトランスクリプションや珍しい曲を探すのに熱心で、私が楽譜を探すことを助けてくれてます」

CK 「ペンソンがトランスクリプションを書くことをはじめたのもベルナルドに触発されたからです。ベルナルドはペンソンの才能に気づき、どうして自分でやらないのだと彼にいい、そしてペンソンは書き始め、私がレコーディングしました。いまは誰もペンソンのことを知りませんが、いずれ認められると思います」

CK 「このCDにはペンソンの多くの編曲もののほかに、彼がポーランドで発見したポーランドやソヴィエトの多くの楽譜コレクションをおさめています。グリエールのワルツは彼の最後の1949年作曲のバレエ「青銅の騎士」からのものです。編曲者は、ディヴィッド・アブラモヴィッチ・プリツカーで1902年生まれで1978年に亡くなっています。彼は劇場音楽や映画音楽、また歌なども作曲していて、ソヴィエトから勲章を受けています。この曲でも私はもちろん少し手を加えています。私はそのままにしておくことができないのです。悪い癖なのはわかっていますが。編曲ものについていえば、私は100%すべてその編曲を尊重することは出来ないのです」

CK 「プリツカーの編曲は非常に珍しいものです。私はモスクワのピアニストの友人、たとえばアレキサンダー・ギンジンなどに聞いてみましたが、誰も知りませんでした。N・ワネーエフ編曲のクライスラーも同じです。ワネーエフは謎に包まれていて誰も知りませんでした」

CK 「そしてペンソンは私にこれらの編曲を提供してくれます。まだまだあるのです! まだ全部をお見せしていませんよ。しかし、ペンソンはさらに多くの珍しいトランスクリプションを探し続けるといってます。その量を見たら死にそうです、私は気が狂いそうになるくらい練習します。3-6時間しか睡眠がとれません。ペンソンもそうです。ベルナルドも、珍しい楽譜を探し続け、同じです。ですから、これは始まりです。ピアノラリティーズはVol.2もあるでしょうし、それ以上もありえます」

(P.A.ラビノヴィチ) 
しかし、私が思うに、このCDに収録されているトランスクリプションは比較的センスのいい曲だが、リストのオペラパラフレーズやシュトラウスのゴドフスキー編曲などの有名曲は収録されていない。そこで、私はカツァリスにフォーレのネルのペンソン編曲はグレインジャー編曲よりも簡単ではないかと指摘してみた。

CK 「おお、まったく違います。反論させてください。私はあなたが文句を言ってるのではないことはわかってますが、わたしの目的はいかにこの曲を大変ではないように聞かせられるかです。もちろんそれはトランスクリプションが上手くないということではありません。ペンソン編とグレインジャー編をぜひ比べてみてください。グレイジャー編はまるでソナチネのようですが、ペンソン編はまるでハンマークラヴィーアのようです。わたしはペンソン編の練習をしたときには非常に苦しみました。スコアを受け取ったら(事実、後日ペンソンから電子メールで送られてきた)ぜひピアノの前に座り弾いてみてください。信じられないと思いますよ。とにかく音符が多くて難しいのです。右手でメロディーを奏でながらあまりに多い伴奏の音符をすべてさりげなくメロディーを邪魔しないように弾かなくてはなりません。この曲はいままで弾いた中でもっとも難しいものの1つです。

(P.A.ラビノヴィチ) まったくそのように聞こえませんでした。

CK 「それはとてもうれしいことです」

CK 「あとペンソンはモンポウのトランスクリプションに非常に自信を持っています。まさにその通りで、モンポウの歌曲は非常にシンプルに書かれているので、ペンソンはまさに「モンポウ風」のハーモニーを作り出しました。このハーモニーはオリジナルにはありません。彼は研究を重ね、モンポウの本質に迫ることができたのです」

CK 「タレガのアルハンブラの思い出の場合、彼はこれを3連符で書いていますが、ギターのようにオッシアがあります。わたしはレコーディングのときにペンソンに成功するか約束できないがそれぞれ繰り返しのときにオッシアにチャレンジしてみますとね。で、成功しました。ペンソン自身が技術的には不可能だろうとおもっていたので最初は彼も信じませんでした。私達のコラボレーションは本当に上手くいってます。マーラーのアダージェットでも彼はピアノの音の継続性の不足という問題を解決するための方法を見つけました。これは非常に難しいことなのです。それにコンサートで弾く場合、ホールの音響にも左右されます。ドライなホールの場合、同じようには弾けないかもしれません」

CK 「わたしはまた曲順にも非常にこだわっています。シュトラウスとワーグナーの間にギター曲ではおかしいでしょう? だから、このCDは、クライスラー・プニャーニではじめました。これは本当に素晴らしいトランスクリプションでわたしのお気に入りのひとつです。それからずっとドイツものが続きます。間にスローな曲をはさみながら。それからその後はスペインものです。そのあとはフランスものです。モニューシコの美しい歌曲はどうですか? これはベルンハルド・ヴォルフによる編曲です。彼はドイツ人作曲家でハンスフォンビューローの弟子でもあります。彼は200曲以上のピアノ曲を書いています。ショパンの歌曲なんかよりもずっと良いと思いませんか? わたしは30年前にマイケル・ポンティのLPではじめてモニューシコを聞きました。ペンソンが今日わたしにメッセージを送ってきましたが、モニューシコの他の曲のトランスクリプションを手に入れようとしているそうです。その編曲者はポクルスキーで、チャイコフスキーの友人でもありいくつかの彼の交響曲を編曲しています」

CK 「そんなわけで、ペンソンもこのレコーディングには非常に満足しています」

(中略)

CK 「フィオレンティーノ編曲のヴォカリーズを最初に見たときになにか感じるものがありました。そして次に楽譜をみたときには確信し、3回目に指使いをチェックしたらすぐにレコーディングを行いました。新鮮さを保つためです。もちろん練習を疎かにしていいというわけではありません。わたしはとにかく練習します。しかし同時にステージに出たらすべての準備を忘れるようにしています。それは初恋の思い出を忘れないのと同じように、最初のフィーリングというものを大切にしたいからです。もちろん難しいパッセージがあればとにかく練習しなければいけません。しかし、音楽的な感情のためには同時にそうしなければいけないのです。

 
インタビューの最後にカツァリスは、セミラミーデ序曲を少し弾きながら、「やることがたくさんあるんです。とてもエキサイティングです。退屈しないでしょう?」と言った。


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2008年10月 平塚公演(茅ヶ崎市楽友協会)
「『楽友協会だ!より』(No.253 茅ヶ崎市楽友協会広報部 発行)より転載」

♪「ま」のインタヴュー《シプリアン・カツァリスにきく》
聴き手:茅ヶ崎市楽友協会 小島 昭彦
(通訳:寺田 まり)

とにかくよく喋る。1つの質問に対する答えから、次々に話題が新たに飛び出し、広がっていく。ときにユーモラスであり、茶目っ気たっぷりに笑いながら話すことも。しかし、音楽に対する姿勢は真摯そのもの。予定の1時間をはるかにオーバーし、実に楽しく充実したインタヴューとなった。

■シプリアンという名前はどういう意味ですか

カツァリス(以下CK):シプリアンはギリシャ語の「サイプロス/キプロス」から来ています。私の家系がギリシャ系で、フランス語になるとシプリアンなのです。

■年にどれくらい演奏活動をなさっているのでしょうか。
CK:たくさん練習をするので、今はあまり入れすぎないようにしています。だいたい30〜40回くらいですね。レコーディングをした曲をすべてリサイタルで演奏するわけではありません。リサイタルをするのにはさらなる準備が必要になります。

■昔からベートーヴェンの交響曲全曲をリスト編曲版でお弾きになっていますし、その後も珍しいものを多く録音され、私たち聴き手を楽しませてくださっていますね。このところにきて、南米の作品を演奏されるなど、新たなレパートリーの開拓にも大変積極的ですよね。
CK:今日ピアニストは19世紀のピアノ作品の2%くらいしか弾いていません。ピアノのために書かれた音楽がすべてすぐれた作品とは限りませんが、多くの忘れ去られているよい作品あるいはよい編曲ものを紹介することが私の使命であるとも考えています。

たとえば、チェルニーといえば、練習曲があることでよく知られていますが、それは彼の作品の中の10%に過ぎないのです。彼がすばらしい作曲家だということはあまり知られていないと思います。チェルニーが18か19歳の時に書いた作品7か8のソナタがあります。チェルニーがベートーヴェンから影響を受けたというのはよく知られているところですが、この作品の中にシューマンを思わせるようなフレーズがありますが、チェルニーがシューマンから影響を受けたことはありえません。なぜなら、この作品が書かれたのはシューマンが生まれた1810年だからです。

ラテンアメリカ音楽に関して言えば、30年前にメキシコに行ったときに、メキシコの大統領の夫人と知り合いました。彼女はピアニストであり、14台もピアノを持っていて、彼女の義理の息子さんはリコーダーのコレクターでしたよ。そのときに、ギター曲でも有名な作曲家マニュエル・ポンセのインテルメッツォ(間奏曲)という曲を紹介されたのですが、オリジナリティのあるすばらしい作品だったので、それに開眼されて、メキシコの音楽についてもっと知りたいと思うようになったのです。数年後再訪する機会があり、楽譜やCDを探し、それをまとめたものを『ラテンアメリカ・リサイタル VOL.1』(メキシコ音楽)としてリリースしました。私は、ドビュッシーやコープランドの模倣されたスタイルではなく、民族調を採り入れたりオリジナルな自分の語法を持った音楽に惹かれます。

まだ日本では誰も知らないことをお話ししますね。私は昨年上海に行きました。私はラテンアメリカ音楽だけのプログラムを演奏し、中国のテレビ局がそれを録りました。私は舞台上から「今日の演奏は収録されているので、いつかDVDという形でリリースできると嬉しい」と話しました。このコンサートでは作曲家について話していますので、DVDではステージ上での英語、フランス語のほか、中国語と韓国語(これらはその国の女性に手伝ってもらい)、さらに吹き替え用として、私自身がイタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ギリシャ語、トルコ語、ロシア語、ドイツ語、日本語、ヘブライ語、アラビア語を(訳してもらって)録音しました。私が12カ国語を喋ったのですよ(笑)。このようなことは、音楽家が史上初めてやったことではないかと思います(笑)。日本語の発音はそう難しくなかったのですが、韓国語の吹き替えにはかなり苦労し、自分で録音するのは諦めました。私がこのような企画をしたのは、ユネスコのアーティストであるということもありますが、人間として平和のために何か貢献することが大切であると考えたからでもあるのです。ギリシャ語で録ったらトルコ語でも、というのも互いの紛争を意識してのことです。

■ショパンのノクターン嬰ハ短調遺作は、よく日本ではアンコール・ピースでとりあげていらっしゃいます。あの演奏はカツァリスさんならではの独特の世界を感じさせるのですが、作品に対する特別な思い入れはあるのでしょうか。
CK:この作品は、日本でアンコールをリクエストされ続けてきたから演奏しているのです(笑)。ヨーロッパではそれほどとりあげませんよ。でも平塚で弾きましょうか(笑)。

■日常生活について教えてください。
CK:あなたのとそんなに変わらないですよ(笑)。毎日モーツァルトが弾けますか?毎日ショパンが弾けますか?・・・バラエティが必要ですよね。あるときどうしようもなくバロック音楽が弾きたくなってクープランの譜読みをしたこともあります。

練習するときにはかなり時間をかけ、中断することはほとんどありません。旅行に行くとしてもほんの数日です。ただし、演奏会のある日には練習はしません。演奏前で新鮮な気持ちを保ちたいし、聴衆とのコミュニケーションが図れるよう調子を整えています。

私がここでふれておきたいものとして、哲学者L.ロン・ハバードによる『ダイアネティックス』があります。どうやってよりよい日常生活を送ることができるか、人生の様々な問題を乗りこえていけるかが書かれており、私はこれを皆様にお薦めしたいと思っています。日本語でもこの本をはじめ多くの著書が出版されていますよ。

今は趣味として小さなラジコンのヘリコプターを集めています。23〜24機持っています。あとは卓球、それから『タンタン』のようなコミックスのコレクションがあります。

■ストレス解消の方法は?
CK:ハバードの本にとても助けられます。もっとも、私は本来そんなにストレスがたまるタイプではありません。

■健康面で気を遣うことはありますか。
普通に食べます。いや、ちょっと食べ過ぎかな?(笑)甘いものは好きですね。スポーツをしないので、寝る前に最低40分は歩きます。外が寒いとホテル内を歩いています。

日本食ではとんかつ、生ではない魚、スモークサーモン、いくら、やきとりが好きです。イカやエビはだめです。

■コンサートで験を担ぐことは?
CK:何もありません。そういうことは一切気にしていませんね。もし、アメリカのどこかのホテルに「13階」があったら私はそこをリクエストします。何も起きませんよ(笑)。

■さて、予定していた1時間が過ぎてしまったのですが、実はお尋ねしたいことが5%くらいしか終わっていないのです。もう少しよろしいですか(笑)。
CK:えっ、まだ5%(笑)? いいですよ、どうぞ。

■じゃあ、ちょっと急ぎますね。話題を変えます。小さい頃カツァリスさんはどんな少年だったのでしょうか。
CK:今はたくさん食べますが、すごくやせ細っていましたね。小さい頃はミニカーで遊んでいました。3歳のときには、テーブルの下にミニカーを落とし、それを拾うのをよい口実にして女性の脚を見ていました(笑)。

■えっ、それ、書いてもいいんですか?
CK:ええ、あなたの好きに書いてくれていいですよ(笑)。
3歳半の時、私はアフリカのカメルーンに住んでいました。今でもよく憶えているのですが、ある日ちょっと年上の姉のためにピアノが届けられ、部屋の隅に置かれたときに自分も非常に惹きつけられ、1本の指で弾き始めたのがピアノとの最初の出逢いでした。私は輪廻転生を信じているので、「現世」ではそのときが初めての(ピアノ)経験でした。

■ピアニストになっていなかったら何になっていましたか。
CK:たぶん、パイロットか医師ですね。
来世でまた話しましょう。そのときは私が主催者で、あなたがピアニストになっているかもしれませんね(笑)。

■NHKのピアノレッスンの番組(『ショパンを弾く』のこと)を拝見しましたが、カツァリスさんは大変教育にも熱心で、若者を育てるということにも高い関心をお持ちのように思いますが、これから音楽を学ぶ人に伝えたいことはありますか。
CK:大切なことは練習する時間ではなく、練習の質です。レッスンやマスタークラスは自分の専門ではないので、本来は好きではありません。しかし、やるときにはためになるよう努力はしています。それが1分であろうと1時間であろうと、テクニック的な問題は解決させます。

■カツァリスさんはPiano 21というレーベルを立ち上げられましたが、カツァリスさんがこのレーベルで目ざしているもの、あるいは今後の展望について教えていただけますか。
CK:私は今まで20年間、EMI、テルデック、ソニー・クラシカル、ドイツ・グラモフォンなどメジャーなレーベルに録音してきましたが、以前よりもクラシック音楽の録音には関心がなくなってきたので、自分でスタートさせました。2001年に創設したレーベルなので(21世紀の)「21」ということです。レパートリーは自由であり、大きなものと珍しいものとのバランスを図りつつ、録音していくようにしています。

■このレーベルではアーティストは基本的にはカツァリスさんだけですか。
CK:はい。大きく3つのパターンがあります。1つ目は新しい録音、2つ目はリ・ユンク指揮のザルツブルク・カンマーフィルハーモニーと協演して録音したモーツァルトのピアノ協奏曲全曲録音、そして3つ目は今までの私的な録音、ラジオ放送、若かった頃の録音などです。

■平塚公演のプログラムのコンセプトを教えていただけますでしょうか。
CK:私はだんだんモーツァルト、ハイドンのような古典のものに戻ってきています。演奏会ではいろいろな好みをお持ちのお客様がいらっしゃいますので、皆様に訴えかけられるようなものがよいかと思いました。オーストリアのクラシックなものから始まり、後半は世界中の様々な音楽をまじえてお届けします。

■ピアノで演奏される、マーラーの交響曲第5番のアダージェット(第4楽章)にすごく興味があります。
CK:マーラーは大きな挑戦です。編曲者のベンソンという人はポーランドの物理学者でもあるのですが、彼は幼少から楽譜を集め、編曲もしています。私は彼のすべての編曲ものを演奏しています。弦楽器の美しい合奏をピアノで演奏するのはなかなか難しいですけれども。

■平塚公演に見えるお客様にメッセージをいただけますか。
CK:平和、友情、愛を皆様に。このコンサートの2時間の間はご一緒に日常生活の様々なことを忘れ、音楽のすばらしさを堪能していただけたらと思います。

■楽しく伺えました。どうもありがとうございました。
CK:(日本語で)どうもありがとうございました。

(2008年10月5日・都内のホテルにて)

日本公演を終えると、「オーストラリアに行き、カンガルーやワニを見て(笑)、マレーシア、そして12月初めにヨーロッパに戻る」そうである。楽しく取材させていただいた。通訳を快く引き受けてくださったピアニストの寺田まりさん、取材にあたり多大なるご協力をくださったレガーレの相原由美さんにもこの場を借りてお礼を申し上げたい。
以上

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2004年 ヤマハ広報誌のインタビュー
以下、「ヤマハ広報誌」より転載

ベートーヴェンの交響曲ピアノ版(リスト編曲)の全曲演奏で世界中を驚愕させた"鍵盤の魔術師"シプリアン・カツァリス氏が昨年十月、三年ぶりに来日。モーツァルト・ファミリーの珍しい楽曲を集めたプログラムやお得意のシューマン、ショパン、バッハの作晶を披露し、ファンを魅了しました。

◆来日直前の九月に、NHKのテレビ番組「N響アワー」で初来日の際のリストの《ハンガリー幻想曲》の映像が放映され、大きな話題を呼ぴました。


初来日は一九八五年のことですから、もう二十年も前のことになります。初来日の年にはNHK交響楽団との協演のほかに、安永徹さんをはじめとするペルリンフィルのメンバーと共に来日し、室内楽の演奏会も開きました。その後もソロ、室内楽、コンチェルトとさまざまな演奏会で何度も来ています、これが十九回目か二十回目の来日になるのではないでしょうか。日本はとても好きな国です。縁も深いですね。一九九二年にはNHKの「ショパンを弾く」という番組に講師として出演しましたし、ベルギーに住んでいる宮沢明子さんは、私の大親友です。

◆今回の来日公演でお弾きになったヤマハNewCFVSはいかがでしたか?

日本が好きな理由はもう一つ、ヤマハのピアノがあることです。ヤマハのコンサートグランドピアノは素晴らしい楽器だと思います。でも、これは他のどのピアノにも言えることですが、しっかりメンテナンスがされていなければ楽器の良さを充分発揮することはできません。私がいつも感心するのは、ヤマハピアノのメンテナンスが優れていることと、調律技術の高さです。
ビアノの音というのは、ホールによっても随分変わります。ヤマハピアノはクリスタルな響きを持っていて、モーツァルトやショバンを弾くときには特に良いと思っていますが、今回はホールにも恵まれて、理想的な演奏をすることができました。弾いているときのアクションの感触が良く、音色の色彩も豊かで、ピアニシモからフォルテシモまでダイナミックレンジの軸が広いこと、そして強い音を出しても決して金属的な音にならないところが気に入っています。
六年ほど前に、パリの有名なシャンゼリゼ劇場でイヴァン・フィッシャー氏の指揮でブタペスト祝祭管弦楽団とリストのコンチェルトを演奏しました。そのときに弾いたヤマハのコンサートグランドピアノがあまりにも素晴らしかったので、その後それをザルツブルグに運んで、ウィーンからも同じピアノを二台運び込んで、モーツァルトの《三台のピアノのための協奏曲k242》と《二台のピアノのための協奏曲K365》をザルツブルガーカンマーフィルハーモニーとの協演で録音しました。一緒に演奏したピアニストは、ザルツブルグ往住のキム・ウングー、太田茉莉ご夫妻で、とても良い録音ができたので近々CDをリリースする予定です。

◆カツァリスさんのリサイタルは、他では聴くことのできない珍しい選曲も魅力のひとつですが、今回のモーツァルト親子三代の音楽を集めたプログラムも大変ユニークですね。

王子ホールをはじめ三つの会場で演奏したモーツァルトのプログラムは、前半をモーツァルトファミリーの作品、後半をモーツァルト自身のオペラと交響曲の編曲作品でまとめました。
まずモーツァルトの父レオポルドの作品の中から、《ピアノソナタ第三番》を選びました。何故この曲を選んだかというと、この曲の第二楽章が息子のアマデウス・モーツァルトの《ピアノ協奏曲第二十一番》の第二楽章アンダンテの有名な旋律にそっくりなのです。お父さんのソナタを聴いていて、息子が影響を受けたことは明らかだと思います。そういう意昧で大変興昧深いと思って取り上げました。次に、レオポルドの《おもちゃの交響曲》をマシュー・キャメロンというアメリカの若い作曲家に編曲してもらい、演奏しました。それから、レオポルドがモーツァルトの姉ナンネルのために書いた譜面帳の中のメヌエット、この曲の原稿に、レオポルド自身が「四歳のヴォルフガングが、この曲を五歳の誕生日の前日の夜九時半から十時までの三十分間に、練習して弾けるようになってしまった」と書いているんです。五歳の誕生日の前日ということは、一七六〇年の一月二十六日です。モーツァルトが弾いた日付まで分かっているのはおもしろいと思って取りあげました。次にモーツァルト自身が、姉ナンネルに「ハ長調で始まって変ロ長調で終わるプレリュードを四つ書いて」とねだられて、六歳から八歳の間に書いたという作品。これはカプリッチョとして出版されましたが、正確にはプレリユードです。そして、モーツァルトの次男のフランツクサーヴァーの作品。未亡人となったコンスタンツェが彼の作品をヴォルフガングアマデウスモーツァルトニ世として発表したため、彼は常にモーツァルトの息子という重荷と、名前を名乗ることすらできないという悲劇的な運命を背負ったわけですが、古典派とロマン派の両方のスタイルで曲を書いている、私の知る限り唯一の作曲家です。私が演奏した《歌劇「ドン・ジョバンニ」のメヌエットによる七つの変奏曲》は彼が十四歳のときの作品で、べートーヴェンを思わせるようなところがありますし、《六つの感傷的なポロネーズ》はショパンの初期のポロネーズによく似ています。彼は長くポーランドで暮らしていて、ポロネーズという形式で曲を書きました。この曲が書かれた一八一五年はショパンが五歳のときですから、彼がショパンから影響を受けたとは考えられません。しかし、その逆はありえます。ショパンはフランツクサーヴァーの書いたポロネーズを聴いて、影響を受けていたのではないでしょうか。このように、モーツァルト親子三代の音楽にはさまざまな興昧が尽きません。
後半のプログラムの《歌劇「後宮よりの逃走」より序曲とアリア》は、モーツァルト自身が自分のオペラをピアノ用に編曲した大変珍しい作品です。この曲は二百年間、出版社、ピアニスト、録音業界から忘れ去られていて、最近発見されました。時間がなくて完成には至らず、序曲の楽譜だけが残されたのですが、モーツァルトはこの序曲に一曲目のアリアをつなげようと考えていました。そこで、私はそのアリアの部分を自分で編曲して今回演奏しました。そして最後に演奏した《交響曲第四十番》は、モーツァルトの一番弟子フンメルの編曲で、ロマン派を思わせる要素もあるドラマ牲を持った交響曲の傑作をピアノで弾くことは、精神的な高揚を感じて楽しいです。
レオポルドやフランツクサーヴァーの楽譜を見つけ出すのは苦労しましたが、今回のモーツァルトファミリーのプログラムは音楽史的にも面白いものになったのではないでしょうか。

◆カツァリスさんの楽譜の発掘や収集、作曲家や作品についての豊富な知識にはいつも驚かされます。

私はある作品を演奏するときに、その作品、作曲家について、なるべく多くの情報を知っていた方がよいと思っています。でも、読んだり聞いたりする情報の中には、長い年月の間に間違ったり、歪曲されたものもあります。ですから、やはり一番大切なのは作曲家が残した楽譜なのです。楽譜としっかり向き合って、作曲家の意図を読み取った上で、自分自身の解釈をして演奏するのが、正しいやり方だと思います。これが唯一正しい演奏解釈だというようなものは存在しません。重要なのは、聴衆を説得できるかどうかなのです。私は、ショパン、ロンティボー、リストなどの国際コンクールの審査員を務めていますが、コンテスタントが私と同じ解釈で弾いてくれることを望んではいません。何を採点するかというと、いかに作曲家の意図を汲み取って自分なりの解釈で私を説得してくれるかということです。演奏解釈というのは、作曲家が書き残した楽譜と演奏する人間との恋愛関係のようなもので、この恋愛関係から生まれる"子ども"が、聴衆の皆様にお届けする、「演奏」なのです。

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2004年 王子ホールマガジン夏号
以下、「王子ホールマガジン2004年夏号」より転載

リスト編のベートーヴェン交響曲ピアノ版に、さらに自ら筆を加えて演奏するという、前代未聞のプロジェクトで一躍名をはせたシプリアン・カツァリス。バッハから「ピンクパンサー」まで網羅する独特のプログラミングでも知られる彼が10月の王子ホール公演で披露するのは、レオポルト、アマデウス、フランツ・クサーヴァー(アマデウス次男)というモーツァルト・ファミリー3代の 手による作品群。めったに聴く機会のないフランツ・クサーヴァーの曲や、アマデウス畢生の名作「交響曲第40番」のピアノ編曲版など、カツァリスならではの味付けが楽しめそうだ・・・それにしても、いったいどこからこういった発想が生まれるのだろう?

――今回のプログラムは「モーツァルト家の年代記」的な構成になっていますが、まずはたいへん珍しいこのプログラムのコンセプトをどこで得られたのかお聞かせください。

シプリアン・カツァリス(以下カツァリス) アマデウス・モーツァルト自身による「後宮よりの逃走」序曲のピアノ編曲版という、きわめてレアな曲があると知ったのがそもそものきっかけです。父レオポルトに宛てた手紙を読むと、アマデウスが「後宮よりの逃走」全体を、ピアノと声楽のための作品に編曲しようとしていたことが分かります。彼の存命中に発行されたスコアのうち現存するのはわずか5部、そして残念なことに編曲版はこの序曲しか残っていません。私は今年の2月25日、この序曲に自分で編曲したアリア「おまえとここで会えるのだ」を加えたものを、ベルリン・フィルハーモニーのカンマームジークザールで初演しました。
 「モーツァルト・ファミリー」プログラムの準備にはかなりの時間を割きました。何しろレオポルトとフランツ・クサーヴァーの楽譜を見つけ出すのがひと苦労なんです! どちらも非常に才能のある作曲家ですが、フランツ・クサーヴァーの作品には『チャーミング』であったり『ハッピー』な部分が見当たりません。その反対に深みがあって、メランコリック。面白いことに彼の「ドン・ジョヴァンニ変奏曲」はモーツァルト的というよりベートーヴェン的で、「ポロネーズ」などは若き日のショパンを思わせるところがあります。またレオポルトの「ソナタ」の第2楽章には、アマデウスの「ピアノ協奏曲第21番 K. 467」の第2楽章に通じる要素があります。
 同じモーツァルトとはいえ、これら3人の作曲家はそれぞれ独自のスタイルを持っています。今回のプログラムには確かに「モーツァルト家の年代記」的な側面がありますが、私が最も興味を惹かれるのは、三者三様の個性なんです。
 「交響曲第40番 K. 550」はギリギリにまで高められた感情とドラマ性を持った作品で、ロマン主義的な要素も強く、最終楽章の中盤にはリストのソナタに引き継がれていくエッセンスも見出せます。この曲を編曲したフンメルは、アマデウスの弟子の中でもいちばん有名な人物です。不思議なことにフンメルのピアノ編曲版からは、時折ベートーヴェンのソナタかと思うような響きがします。「後宮よりの逃走」序曲でアマデウス自身がやったようなシンプルでピアニスティックな『モーツァルト流』のやり方ではなく、オーケストレーションに忠実にピアノ編曲をされると、なぜかベートーヴェンの世界にワープする瞬間が生まれる。でもオーケストラ向けのオリジナルを聴くと、やはり『純モーツァルト』なのです・・・。

今後のリリース予定
――演奏会同様、ご自身の『Piano 21』レーベルのCDもまた個性的ですが、今後のリリース予定を教えていただけますか? お得意の編曲モノの次回作は?


カツァリス 『Piano 21』リリース予定をお教えしますと、まず日本公演で演奏するプログラムを含んだモーツァルトの編曲版作品集。これにはニューヨークを拠点とするピアニスト、マシュー・キャメロンが私のために編曲してくれた「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、それからビゼーとショパンの愛弟子マティアスの編曲による「魔笛」の抜粋も入ります。
 その他には・・・
・ 「モーツァルト・ファミリー」の作品を収めた2枚組CD。
・ 複数のコンサート録音を集めたシューマンのライブ盤。
・ バッハ作品集 Vol. 2:編曲作品
・ モーツァルト:ピアノ協奏曲全集 Vol. 3
・ ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第3番(1978年ラジオ放送用録音)
この他にもどんどんリリースしていきます。ちなみに編曲モノですが、びっくりするようなレア物を録音しようと計画中です。その作品とは・・・今のところまだ内緒です!


バックグラウンド
――音楽以外の芸術で、特に影響を受けたジャンルまたはお好きなジャンルは何でしょう?


カツァリス エジプトやメキシコのピラミッド、ギリシャの神殿、日本のお寺、パリの街並、ニューヨークの摩天楼・・・美しい建物を目にすると、そのコンセプトを生み出した建築家と汗を流した職人たちに等しく感心します。その他に好きなのは、ルネサンスの絵画、SF、歴史物の映画、昔のドキュメンタリー、ロマン派の文芸作品、フランスとベルギーのコミック、フランスのヴォードヴィル。天文学にも興味があります。でも、音楽にはかないません。音楽はあらゆる芸術を内包するものですから。それと、言うまでもないことですが、古今の名曲に負けず劣らず素晴らしい作品群である、『女性』も忘れてはなりませんね。

――カツァリスさんは所謂『クラシック』にとどまらず、南米やご自身のルーツであるキプロスの音楽も演奏なさいますが、これは生い立ちによるところが大きいのでしょうか?

カツァリス 私は各国に伝わる伝統音楽にいつも興味を持っていました。民謡はその地域の人々の心から流れ出る、素直で誠実な音楽だと思います。私たちは誰でも、異なる文化、異なる音楽から学び、成長することができるのです。私はキプロスをルーツに持ち、カメルーンで育ち、パリで生活をし、数え切れないほど旅をしてきました。そのため地球の住人であるという感覚をいつも持っています。だからバッハであれアルゼンチン・タンゴであれ、どんな曲でも違和感なく弾けるんです。それがショパンや日本の歌や、「ピンク・パンサーのテーマ」であっても同じです。

社会的な関心
――今日では毎日必ずといっていいほど国家や民族、宗教間の対立や、環境問題などのニュースを目にしますが、なかでも個人的に関心の高い社会問題はありますか? 音楽家として、または一個人として活動している分野がありましたら教えてください。


カツァリス 無責任な人類によってこの星がひどい状態にされていることにとても心を痛めています。環境問題は何としても取り組まなくてはならない課題でしょう。残念ながら人間社会には、狂気が蔓延しています。あの愚かで無用以外の何物でもない原爆が発明されたおかげで、かつてないほど危険な状況なってしまいました。
私は昔から精神世界に興味があって、若い頃は精神や魂をテーマにした本をたくさん読みました。もちろん様々な哲学や宗教に『真実』を見出すことはできるのですが、私にとって最もしっくりときたのはサイエントロジーでした。サイエントロジーは『知識の研究』という意味の造語で、アメリカのL・ロン・ハバードという人物が提唱した新しい宗教/哲学です。ハバードは精神の探求、教育、芸術、犯罪者や薬物依存者の更生に人生を捧げた人でした。私にとって人生において最も大切なのは、人生そのものを理解すること。そしてサイエントロジーは人生に向き合うことを教えてくれます。ですから私の場合、音楽を別とすれば、サイエントロジーにいちばん関心があるのです。
 音楽家としての私には、人類に対する大きな責任があると思っています。演奏を通して私は精神的な作用を与えることになるわけですが、その作用というのは、人々がより幸福になるためのものでなければ、と思うのです。報道によってたくさんの人々が不安や怒りを覚えるなかで、音楽や芸術は必要不可欠な解毒剤になるのです。

一問一答
――各国の音楽に興味がある、とのことですが、日本の音楽についてはどのような印象をお持ちですか?


カツァリス 日本の音楽は大好きで、「サクラ・ユニヴァーサリス」という曲を書いたぐらいです。この作品は日本風のスタイルで始まって、ベートーヴェン風、ショパン風の変奏が続く構成になっています。日本の歌唱は信じられないほど美しいのに、西洋ではほとんど知られていません。これはあまりにも勿体無い。マーケティングをもっと活用して、日本の歌を広めるべきです。

――最後に恥ずかしいけど笑えるエピソードがありましたら教えてください。

カツァリス 恥ずかしい体験ではありませんが・・・30年前、リストのソナタを演奏している最中に、舞台裏から犬が出てきたことがありました。舞台の右手から私のほうに歩いてきたかと思うと、おすわりをして私を見つめるんです。私が演奏を続けながらその犬に向かってニコッとしたところ、コミュニケーションをとれたことが嬉しいらしく、舌を出して尻尾をブンブン振っていました。数秒後、犬は静かに私の後ろを通り過ぎ、舞台の左手から退場していきました。そのお行儀のよかったこと!

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2001年5月 仏雑誌「ピッチカート」
★: ニューヨークタイムズの解説者は、現在、世界的に有名なスターとなるピアニストがいないことを嘆いています。また、ドイツの著明な批評家ヨアヒム・カイザーは、あなたのことを、とても個性的な性格であると述べています。もし私の解釈が正しいとすれば、あなたのコンサートプログラムはちょっと変であると批判もしているようなのですが…。

CK: Louis Jouvetの言葉を借りるならば《copin註:フランスで超有名な俳優(1887-1951)で、これは映画「Drole de drame」の中で彼が決まり文句で使うセリフだそうです。》「あなたがおっしゃることは変ですって?そうおっしゃることの方がよっぽど変ですよ。」ということです。あなたは同時にいくつもの質問をされますね。私がワルシャワのショパンコンクール、オランダのリストコンクール、来年のパリ、ロン・ティボーコンクールのような国際コンクールの審査員をする時には、たとえ私の解釈と違っていても、感情や“オープンマインド”をもっとうに審査するように心がけています。幸いなことに、音楽は単語や読み書きの分析から免れています。私達はいろいろな方法で音楽を伝えようと試みますが、旋律や音符の間に生じるものは常にほのめかされて演奏しなければなりません。そして、音楽作品はその普遍性を持っていると同時にいくつかのヴァリエーションで演奏するということが真の特性であるのではないかと、だんだん思えるようになってきたのです。私がステージに立つ時には、作曲家を乗せた船のキャプテンであり、作曲家にしか弁明しません。つまり、私は私の演奏について誰が何を言おうと全く問題にしていません。

★:以前インタビューで、あなたは19世紀の作曲家の生まれ変わりであると思うとおっしゃっていましたが。

CK: いいえ、そのようなことを言ったおぼえはありません。それは、あるジャーナリストが、生まれつき持っているテクニックのことを過って解釈したのでしょう。私が音楽院に通っていた頃、ひとりの若い音楽家が何の困難もなく演奏しているようにみえた時に、私達は生まれつき持っているテクニックについて話していたのだという事を言ったまでです。もし、私達が仏教徒であるか、場合によっては生まれ変わりを信じるなら、この生まれ持ったテクニックは、前世で身につけたものであると説明することができるという事も言いました。これが私の言いたかった事の全てです。

(中略)

★:今までの話をまとめます。あなたは19世紀の作曲家の生まれ変わりではないが、19世紀に興味はある。私が思うに、あなたは19世紀に生まれたかったとお考えではないかと…。

CK: 私達は皆19世紀に生きていたかもしれません、あるいは紀元前かも。しかし、19世紀だけではありません。おわかりのように、私は全ての時代の音楽に興味があるのです。昨年のことですが、私は、どんなプログラムを準備していたのかを忘れ、突然コントロールできない、しかし、ポジティブにコントロールできない欲求から、クープランの作品全てを譜読みしたということがありました。1日中クープランの作品を譜読みして過ごしたのです。また、LullyやRameauといったバロック音楽も聴きました。

★:現代のモダンピアノという楽器についてですが。だんだんと古楽器への回帰現象に直面して、あなたのお考えは?

CK: 今日まで古楽器を演奏したいと思ったことはありません。このような堕落した考え《copin註:イヤミっぽい言い方です!》が突然私を襲うかどうかはわかりませんが、私はとても素晴らしいモダンピアノという楽器の支持者であり続けるだろうと思います。もし、バッハがモダンピアノの存在を知っていたなら、彼はとても喜んだでしょうし、とても幸せだっただろうと思いますよ。

★:バロック音楽の演奏家達は、バロック時代と同じ形態での演奏に固執していますが、それはよくないことだと思いませんか? なぜなら、彼等は本当に大事なことに対して努力が足りないからです。

CK: それは難しい質問です。しかし、実際、自発性を犠牲にしてなされているということはありえますね。私は、このような煩わしい事を除いて演奏の捕らえ方全てに心を開いています。誰かが演奏している音楽を退屈だと感じる事ほど最悪な事はありません。私はモーツァルトK414をHarnoncourt、Sandorveghと演奏しましたが、2人の意図するところは全く異なっていました。しかし、2度ともそれは楽しい経験でした。私は、バロック音楽の演奏家達は音楽分野においてたくさんのものをもたらしたと考えています。これらを拒絶してはなりません。しかし、また、これらを機械的に全て軽々しく信用してもいけません。時に、バロック音楽とその他のクラシック音楽の統合は、とにかく称賛すべきものがあるのです。が、あなたのおっしゃる通りです。自発性、音楽的感情、それらは最も大切なことがらなのですから。

★:ファンタジーも同様に重要なことがらです! 私達はここへ来る途中、車でWillem Mengelbergとアムステルダムコンセルトヘボウの録音を聴いていました。私達は、人間が思いきって何かを成し遂げている様子を聞き取ることができました。

CK: しかし、シュナーベルをご覧なさい。確かに、Mengelbergは素晴らしいリストのプレリュードを演奏しています。ブルーノ・ワルターはワルキューレの出だし、失礼、あなたに変わって批評させていただきます: 私はある日ショルティのワルキューレ第一幕を聴き、その後にブルーノ・ワルターを聴きました。その時、突然身震いに襲われたのです。シュナーベル演奏のベートーヴェンソナタを聴くと、現在世界的に一目置かれているピアニストが何度録り直したベートーヴェンのソナタよりも、より真実に近いものであるように思えるのです。あくまでも、これは独自の見解ですが…。テンポの変動というものは、とても個人的な問題です。ルバートは、1723年イタリアの音楽理論家トスティのベルカントについての概論において、既に分析されています。そして、ショパンもまた事実、教え子達に、それぞれの指が歌手なのだと言っていました。しかし、付け加えるなら、事実テンポのコントロールはとても重要です。ルバートはイタリアの単語“robare”盗むという意味に由来しています。ほんの少し時間を盗む、そして、それを小節あるいはフレーズの終わりに戻してやる。メロディーは揺らすがベースのテンポはそのまま保つ、あるいはメロディー・ベース両方ともに揺らすということもできます。第一のやり方では風になびく葉は動いているが根のはった幹は動かない、そして第2のやり方では幹も葉っぱも揺れ動きます。アテネのパルテノン神殿を見る時にいつもこんふうに思うのです、「それにしても、何と生命力に満ち溢れているのだろう!」と。あなたはパルテノン神殿の支柱が完全にまっすぐではないことをご存じでしょう。ギリシャ人は天才でした。紀元前500年に、まっすぐではない様式の支柱を建築したのです。それは建築学や安全という理由だけではなく、他の理由もありました。このことは遠くから見れば歴然です。支柱は生命力という印象を与えているからです。つまり、私は、それが建築上のルバートであると思うのです。

★:あなたは耽美主義者でもありますよね? ある人にとっては、美はとても大切なものであり、あなたにとって、美は霊感を与えるものだという気がするのですが。

CK: 美は世界を救うだろうと言ったのはドフトエフスキーではありませんでしたか?私達は皆美しさに対して敏感であるけれども、美しさというものは、何かとても主観的なものであると思うのです。少し前に、私はパートナーとともに設立した“Piano21”という新レーベルから発売するCDの準備をしていました。フランス音楽のライブレコーディングしたものをリメイクし、フランス音楽の展望を示すために、いくつかの曲を付け加えました。それは、Lullyからメシアンになるところだったのですが、実際にはルイ13世からブーレーズということになるでしょう。私はルイ13世が作曲した歌曲を見つけ、そのアカペラ作品から抜粋した物に少しアレンジを加えました。さらに、国立図書館でルイ15世作曲の狩猟の時の合図に使用したと思われるちょっとしたメロディーも発見しました。私は自分に問いかけました、「なぜブーレーズでなくメシアンで止めてしまうのか?」というわけで、もしあなたが美学や耽美主義について語るというのならば、私達は、ブーレーズの音楽は聴衆にとって何の魅力もないものだと言うことができるはずです。が、しかし芸術家の立場からみれば、演奏する時には信じられないような美しさを見い出すことができるのです。そのことこそ、言わせてもらえば、あなたのおっしゃる“美”というものがとても主観的であるという所以です。現代音楽というこの音楽の問題点は、聴衆が強く感じ取るための音楽的感情を伝えるということの困難さにあります。私達が現代音楽を演奏する時には、そういったことをもっと個性的に表現したり、もっと強力にアピールしなければなりません。

(中略)

★:あなたは、発売されるCDについてお話しになりました。それはgood newsです。というのは、あなたをほったらかしにしていた大手のレコード会社自身が不振であると思っていたからです。

CK: いえいえ、大手のレコード会社が私をほったらかしていたわけではありません。私は25年前から主要なレコード会社とともに仕事をしてきました。EMI、TELDEC、ドイツグラモフォンでの録音もありました。1996年Sony Classicalと別れて以来活動していなかったわけではなく、たくさんの録音テープを作りました。制作者がやりたいようにさせないためには、演奏者が自分自身の録音テープの所有者であるべきではないかとだんだん考えるようになったのです。私が友人と設立した“Piano21”においては、私が、録音したテープの所有者であるということが保証されています。私達の最初のCDは、世界初ベートーヴェン“プロメテウスの創造物”で、ベートーヴェン自身がオーケストラ版をピアノ版に編曲したものです。このCDは私に大変満足感を与えてくれる一連のCDの最初を飾るものになることでしょう。

★:他のピアニストと比較しますと、いずれにしても、あなたはちょっと変わって  いらっしゃいませんか? あなたはピアニストとしての図式に当てはまらないような事ばかりなさっています。教えることをなさらないとか、指揮をなさらないとか…。

CK: 何人かの同業者は実に上手にやっていますが、《copin註:かなり皮肉っています。》 私は、指揮するというようなそのような堕落した考えに至ったことはまだありまん。教えるということには時間の問題があります。私はザルツブルク・モーツァルテウム、オランダ・Haye音楽院、ホンコンの芸術アカデミー、メキシコ、トロントなどで、いくつかのマスタークラスを受け持っていました。しかし、実際私には教えることに対して十分な時間がないのです。もし、オーケストラの指揮をするとしたら、アマチュアとしてではなく真剣な態度で望みたいですね。私の同僚達は趣味で指揮をしたがります。あなたにはおわかりだと思いますが、オーケストラの団員と話してみたら彼は本心を語りますよ。《copin註:つまり悪口ということです。》 私はそういうふうに言われる指揮者にはなりたくないのです…。

(中略)

★:結びと致しまして。私達は人生や生まれ変わりについて、いろいろと話し合ってきました。そこで、もしあなたが来世に生まれかわれるとしたら、何になりたいですか?

CK: もう一度ピアニストをやりたいです。理由はすでにおわかりでしょうが、私は音楽に熱中しているからです。私は、休暇もとらず、練習や譜読みに一日中時間費やしています。私は珍しい楽譜のコレクションを多数所有しています。また、図書館へコピーをしに行くこともあります…。計算したところでは、練習したいと思っているレパートリー全部をマスターするためには、およそ370年かかります。もし運良くピアニストに生まれ変わることができたなら、それを続けられることでしょう…。


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2003年10月 ラジオフランス
Cyprien Katsaris キプロスからパリへ 2003年10月13日のインタビュー

カメルーン在住であったギリシャ人の両親から(偶然)マルセイユで生まれたピアニスト シプリアン・カツァリス、彼はルクセンブルクのエヒテルナッハ音楽祭の芸術監督でもある.10月26日、彼は私たちを地中海巡りの旅へといざなう。

〈インタビュー〉
W:カツァリスさん、マルセイユ生まれのあなたが地中海の作曲家達を紹介するというこのリサイタルは、まさにあなたにぴったりの企画ですね。


K:はい.しかし、私は偶然そこで誕生したのです! 私の両親はフランスに次いでギリシャとカメルーンの社会に属していました。たまたま母は旅行中に産気づいてしまったのです。そんなわけで私はマルセイユで誕生しました。私は1951年から1959年までカメルーンで生活し、その後家族とともにパリへ引っ越しました。それ以来この地を離れたことはありません。もちろんツアーや旅行を除いてですが。

W:あなたは10月26日のリサイタルをピアノで地中海を巡る旅だと想像したのですね…

K:はい。このリサイタルはギリシャからキプロス、トルコ、エジプト、モロッコ、マルタ、アルバニア、クロアチア、イタリア、フランスを通ってスペインまで、それぞれの国から何人かの作曲家の作品を選び、13の過程を経ることになります。例えばギリシャ人Horvath Thomas作曲の「Le Reve de Seikilos」、パレスチナ人Patrick Lama(彼は昔Dutilleuxの弟子でした!)作曲「Souvenir」、アルバニア人Harapi作曲「Bisede」など。また、モロッコ人Ahmed Aydoun作曲「Jabaliya」やJoseph Vella作曲「La Rhapsodiemaltaise」のように世界初演となるものもあります。フランスに関しては、フォーレのバルカローレ第1番を選びました。(バルカローレといえばヴェニスですが!) ワーグナー編Halevy作曲「序曲La Reine de Chypre」、VincentScottoのオペレッタからの抜粋は、ピアノ用に編曲されたものですが、今回のリサイタルで弾くほとんどの作品はピアノのために作曲されたものとなります。私はいろいろと考察した後に、それぞれの国のローカル色が出るように、また単にそれだけに固執しないように曲を選びました。全てが似通った色彩や、似通った絵ハガキのような演奏になってはいけないからです。

W:あなたは地中海に愛着をお持ちのようですが…

K:はい。先日もたまたまではありますが、ベルリンでTheodrakisのコンチェルトを演奏しました。Theodrakisは政治に参加し、政治色の濃い作品を作曲する以前は、Messiaenの弟子でしたが、その後偉大なSymphonisteになりました。彼が1957年に作曲したコンチェルトは打楽器的で不協和音が多用されていました(バルトーク路線)が、最終楽章はよりメロディックなものとなっています。

W:10月26日のリサイタルでは、どのようなピアノをお選びになるのでしょうか?

K:私は古楽器は弾きません。しかし珍しい楽器を使用するつもりです.それは1852年にバイロイトで創立された会社スタイングレーバーの、戦後2台しか製作されていないというコンサート用グランドピアノです。もっと詳しく言いますと、私はそのうちの1台で、フンメル編モーツァルト交響曲第40番のトランスクリプション、そしてバッハファミリーによる5つのコンチェルトを演奏しました。その録音は近々PIANO21から発売されるはずです。

W:それはあなた自身の会社ですか?

K:はい。私は何年かにわたって有名なレーベルのもとで録音してきました。それからLaurent Worms氏の協力のもと、小さなレーベルを立ち上げたのです。まもなく私たちは新たな飛躍を遂げようとしているところです。私は有名な曲と無名な曲をバランス良く扱うように心掛けています。PIANO21から最初に発売されたディスクは世界初録音で、ピアノ版「プロメテウスの創造物」でした。またDVDの中にはショパン没後150周年であった1999.10.17カーネギーホールで行われたメモリアルコンサートもあります。しかし私は全てのレパートリーに熱中しています。「プロメテウスの創造物」を録音している間には、クープランを研究していました! いつも弾いているようなピアノ曲以外の作曲家の作品にも取り組む時間がまだまだ必要なのです。


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2001年8月 キプロスメール
シプリアン・カツァリスと1時間半に及ぶ楽しいインタビューを行った。

彼は、流暢でおしゃべりでゴシップ好き、おおきなジェスチャー、洗練されたしゃべり方、人懐っこいパグ犬(pag?)顔、(彼は比較されることを意識しているとはおもうが、エルトンジョンのようではなく)、赤茶髪でモップのような髪型である。子供の頃からジョークばかり言っていたそうだが、厳格な一面(外国人の名前を発音するときに注意深くスペルを綴っていた)や、一見陽気な性格と相反するような献身的な性格もあるようだ。

彼が、世界のトップピアニストのひとりであることは疑いようのない事実である。何度も演奏会を開いたカーネギーホールではショパン没後150年の記念演奏会を開き、同じように日本でも招聘演奏会を行ったばかりだ。彼は21歳のときに多くの国際コンクール受賞の後、最初のレコーディング契約をDECCAと交わした。(どうということはないと、彼は肩をすぼめるが)
 「私は、小さい子供のときから、ピアニストになるんだと思ってました」
はっきりと答える
「それだけです」
彼は、そのほかのキャリアを積んでこなかったし、求めてもこなかった。
彼の母親によれば、彼はすでに生後7ヶ月のときにラジオから流れるメキシコの歌を歌おうとしていたとのこと。両親は彼の姉のためにピアノを購入した。
「いまでもピアノが家に運ばれてきたときのことは覚えています。ピアノを運んできた男性をじっと見てました。ピアノがリビングルームの真ん中に置かれた瞬間、私は磁石のように吸い付けられ、1本指でなんとか弾こうとしました。それが全ての始まりです」
4歳のときには、ピアノの教師がついた。
「美しいブロンドの女性でしたよ」
これはカメルーンでのことだったが、彼の父親が石鹸工場を経営しており、幼いシプリアンには、フランスとカメルーンの2つの文化を学ぶ機会となった。彼は、現在パリ在住だが、どことなくギリシャ語よりはフランス語の方が堪能なバイリンガルである。(もっとも彼の多忙な生活はパリ在住とはいえないかもしれない)

(中略)

「ピアノはとんでもなく手がかかるものです」
シプリアンは断言する。
「音楽家が音楽的表現をあらわそうとするまえには、信じられないほどの練習量が必要です。わずか2小節のために45分間費やしたりすることもめずらしくありません」
何回も繰り返し弾くからですか?
「単に演奏するだけではありません!。練習するということは弾きまくることではありません。練習とは解釈の仕方を見つけることです。それは、大変難しい作業です。本当に音楽的な情感を表現するためには、楽譜を理解し、把握し、完全に自分のものにしなければいけないことがたくさんあります」
音楽的な情感とは何ですか
「音楽はすべて生命に源があります」

(中略)

驚くことではないが、シプリアンはテクニックよりもなによりも感情を重視している。
「どんな演奏でも完璧にひくだけの演奏より悪い物はありません。聴衆の感情に何か起こさなければならないのです」
彼は、大衆ウケを狙ってクラシックを堕落させたといわれる3大テノールすら認めている。
「とにかくコミュニケーションをとることが重要です」
しかし、今日のわれわれは、ポップスやロックのように若者がクラシック音楽に親しむ世界に生きてないのでは?と指摘すると、
「確かに悲しいことです」
彼は認める。
「しかし、リストもモーツァルトもマドンナと同じですよ。例えば、バッハ以前の音楽や、モーツァルトの14番交響曲、プロコフィエフの7番ソナタなど、非常にモダンなリズムです」
「ドラッグをやめなさい」
彼は若者にいいたいようだ。
「音楽の方がもっと刺激的です」
彼はドラッグについて言及したが、彼自身はアルコールもタバコもやらず、コーヒーを飲むことさえほとんどない。私は自分をコントロールできなくなることがいやだからかと尋ねると、肩をすくめて
「味覚の問題です。ヨーグルトもフレッシュバターも嫌いです。でもチーズは好きですけど」

彼はシリアスな問題でも率直に楽しくジョークを交えて話す。
その楽しい性格からか、彼にはいろんなところに友人がいる。ドイツのボンやカメルーン時代からのタクシードライバー、欧州委員会のジャック・サンテールなど。
また、彼が話すときに真剣になるものが二つある。ひとつはキプロスについて、そしてもちろん音楽について。

この二つのをあわせる試みが、彼の新しくたちあげたレコードレーベルPIANO21で行われようとしている。メキシコ民謡などや彼が影響を受けた音楽を発売する予定だ。彼は全力を傾けている最中だ。

「私はご存知の通り、情熱的な人間です」
カツァリスは最後に言った

「自分が練習したい音楽を全部マスターするには370年間かかる計算になります。時間が流れるのは早いです。もう私も50歳です。まだまだやらなければならないことが多いですよ!」

誕生日:1951年5月5日
子供の頃のヒーロー:ドラキュラ
ファーストキス:ティンカーベル(ピーターパンの友人)の写真が最初です! でも、女性にはcrazyです(原文そのまま)
いま読んでいる本:フランスの科学雑誌
最近見た映画:ハムナプトラ2 黄金のピラミッド
今週聞いたCDは?:ルーマニアのジプシー音楽
好きな食べ物:ギリシャ、モロッコ料理
好きなサッカーチーム:フランス
いつも冷凍庫に入っているもの:アイスクリーム
いまポケットに入っているもの:ティッシュとキプロス硬貨
24時間以内に世界が終わるとしたら:ミスユニバースに会いに行こうとする。

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2000年8月 英雑誌「PIANO」
 1951年マルセイユに生まれたカツァリス。両親は彼が生後6ヶ月のときに特別な音楽の才能に気づく。ラジオから聴こえてきたメキシコの歌を歌っていたのだ。
 その後、生涯の関わりを持つことになるピアノに3歳のときに出会う。ピアノレッスンをまもなく受けるようになったが、この時期の彼については、「母は私を指揮者にしたかったからすごく熱心だった。だけど、友人たちが、ただ手を振っているだけじゃないのって」このちょっとした母の希望は別として、彼にとってピアニストになることが最も自然な選択だった。
 家族のパリ移住に伴い、カツァリスはピアニストの修練ではかなり評価が高いパリコンセルバトワールへ入学する。数多い練習でも最も厳格で、進級していくために必要で、ピアニストが学ばなければならないのは初見演奏だった。
 「ピアニストは初見で弾けることが不可欠だと言われていたし、有名なフランス人ピアニストは皆そうです」
彼は3人の教師に師事し、テクニックと音楽性の基礎を学んだ。その後、シフラ、チャイコフスキー、エリザベスなどコンクールで入賞し、バーンスタインやインバル、マズア、オーマンディと共演し、ルクセンブルクのエテルナハ音楽祭の芸術監督を1977年以降務めている。
 インタビューで明らかになったのは、30年以上のコンサート活動において、音楽に情熱を傾け、フランス音楽様式において、その博学ぶりと音楽性を貫いているということだ。


 彼はキャリアの早い段階から、ロマン派の伝統の核を、レパートリーにおいてだけでなく、ものすごいヴィルトゥーゾを表現することにおいても取り入れていた。そして、安易にフランス物だけでなく、少なくともリストとその編曲物もレパートリーである。
 「私はベートーベンの交響曲についてどのようにリストが編曲したのか知りたくて、楽譜を取り寄せ、オリジナルと比べました。すると多くのところでオケのパートが抜けているのに気づいたのです。第9番の終楽章、リストは編曲にギブアップし、出版者はピアノ1台では無理だ、といいました」
 「また、第8番の終楽章。第一Vnが早いA音のパッセージを繰り返します。第二VnはE音です。リストはこれをAFAFと分けました。しかし、私は難しいのですが、正確に弾きました。そのため、指から血が出たくらいです! 私はいつもオーケストラ的な解釈を念頭においています。クラリネットやバイオリンときには、声楽部まで想像してます。それは非常に重要です。なぜなら、ピアノは打楽器であって、われわれはよく演奏するときにフレージングでブレスすることを忘れているからです。例えば、ショパン バラード第1番の冒頭をひくときに、普通に弾けば音が鳴るだけです。しかし、そのとき弦楽器で弾いているようにフレーズを意識すれば、全く変わったものになるはずです」
 
 
しかし、どのようにして、リストの編曲はオーケストラの音に匹敵するようになったもか?
 「リストの編曲様式の1つは、実際、皮肉にも彼のライバルだったタルベルクによるものです。大変興味深いことにタルベルクは歌を勉強しており、それは彼の見事なレガートでも分かります。リスト自身もタルベルクを「鍵盤でバイオリンを弾ける唯一の演奏家」と賞しています。彼はその技術で数多くのオペラアリアの編曲を残しました。私が思うに、彼の最も革新的なテクニックは、ピアノが音の連続性に欠けるという欠点を補うテクニックとして、メロディーを両手の親指によって華麗なアルベジオとアラベスクの間へ散りばめるというものでしょう。これは、シューベルトのアヴェマリアの編曲に使用しています」
 
 「少しだけ!」
 
彼は、リストの楽譜集を引っ張り出しピアノの前に座りすごい勢いでこれらのメロディーを弾き始めた。そして、指摘し続ける。
 「リストは、オクターブやトレモロの速い繰り返しによって、弦楽器の表現に匹敵するような新しい奏法のアイデアに多くの時間を費やしました。シフラの熊蜂の飛行では、このオクターブ奏法が使われています」

 (カツァリスはこれらの音楽を絶好のヴィルトーゾのデモとしてとらえている)
 「リストはこれらをタンホイザー序曲のエンディングでさらに発展させています。ワーグナー自身もピアノに編曲していますが、単なる音符の移植です。彼は本来ピアニストではないのですから。そこで、リストはオーケストラらしく響かせるために技術的な範囲を広げたのです。もちろんこれについては、彼ひとりではありません。メンデルスゾーンもまたピアノコンチェルト第2番や歌曲ではメロディーを2手に分け、一方ブラームスは和音を上手く活用しました。しかし、このピアノという楽器の表現法を広げることについて最も大きな点で貢献したショパンを忘れてはなりません」
 「ショパンもまた声楽に強い関心を持っていましたしピアニストの指使いは、ベルカントにもとづいて歌手のようでなければならないといっていたものです。信じがたいことですが、ショパンの最も尊敬していたのは、その分野での最先端だったベルリーニでした。私が、過去20年間で積極的に歌手と共演してきたのもこの理由によります。私のハイライトのひとつは、ブリジット・ファスベンダーとトーマス・モーザーと共演したマーラー大地の歌(世界初録音)でした。このフィナーレにおけるソロについて、これほど完璧に「苦悩」を表現できたものに出会ったことがありません。室内楽においても、歌の伴奏においても、ピアニストは第1に声楽部や楽器をサポートすることが要求されます。しかし、その際、どのように旋律パートが歌うか予想しなければなりません。例えば、ハーモニーのある部分を強調することについて、それぞれ違いがあります。そのためにお互い聴かなければなりません。それは本当のチームワークです。アーティキュレーションもまた重要です。例えば、私はときどき、より打楽器的な音を弦楽器と合わせるために使用します。ペダルをその音の色付けに使うことが出来ます。私は、真ん中のペダルを多く使います。例えば、ショパンソナタ第2番の第4楽章です」

 
彼はいいながら真ん中のペダルを使用し弾いてみせる。
 「これは、副旋律やフレーズの繰り返しにバリエーションを与えるのに使います」

 
ショパンかメンデルズゾーンかブラームスによって全くルバートについての考え方が違う。
 
「そうです」カツァリスは同意する。
 「ショパンは自然なルバートです。ルバートとは文字通りの意味でいえば、それはイタリア語の「Lubare」(盗む)という意味です。ときどき、楽小節の中から音符を出し入れするのです。これは、ベルカントルバートの一種です。1728年に出版された本において、この中で、ベース音は動かさないがメロディーは動かすべきと主張しています。これがルバートのタイプAです。タイプBは、すべてが動きます。ブラームスが20歳のときに作曲したソナタ第3番では、この柔軟なルバートを要求してます。彼は、後の作品では、変化の重要性が明らかなため、この様式をとるのをやめています。タイプAのルバートでは、ベース音は、根の張った木の幹のように、メロディーは風になびく葉の様に、これが私の意見ですが、音楽に命を与えるルバートなのです」
 
 「私は、アーセンでパルテノン神殿を見ているときに、そこにも建築上のルバートを使っていることが分かりました。支柱は完全に真っ直ぐというわけで無く、少し曲がっています。この微妙な調整がこのような建築物にも命を与えます。ショパンの弟子は彼のやったルバートを真似しようとしましたが、全く自然でなく、19世紀後半に悪い見本のようなルバートが増加していくということになりました。そして、それが今度はテンポにたいして厳格なアプローチをさせることに繋がっていきます。これは全く私には性にあいません。音楽学校ではベートーヴェンを決められたとおりに弾くことしか教えません。全く馬鹿げています!! チェルニーが書き残しているには、ベートーヴェンが自作のソナタを弾く様子は火山のようだったということです。速いテンポで大きなコントラストをつけていたのです。知的な解釈も良いでしょう。しかし、音楽には感情を持たせなければいけません」
 
「また、レパートリーについても、スタンダードなものと軽視しがちなものとの健全なバランスが必要です。確かに見過ごされているレパートリーには偉大な作品は稀です。しかし、形式上の影響は興味深いものです。例えば、チェルニーは彼の技巧によって誰にも知られる存在ですが、これは彼の能力の10%ほどしか認識されていません。彼は1810年にソナタを作曲していますが、その第2楽章はまるでシューマンのようです。まだそのとき、シューマンは生まれたばかりだというのに! 私は、シューマンが音楽を学び始めたとき、このソナタを意識していたと思います。同じようにボルトキエヴィツを聴けば、まるでラフマニノフかと思います。忘れてはいけないのは、作曲家はそれぞれ影響しあっているのです」


 
しかし、現在、レコード会社はよく知られていない作品をレコーディングするというリスクか避けている。
 「その通りです。ビックニュースがあります。私自身のレコードレーベルPIANO21というのをスタートします。ここでは、新しいプロジェクトもそうですが、以前レコーディングして未発表な録音も扱います。最初のCDはベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」です。この曲の自筆譜は残存していませんが、チェルニーによって、ベートーヴェン自身の編曲とされています」

 「自分のレコードレーベルを持つことはそんなに驚くべきことではありません。Joannna McGregorや Jordi Savall もそうです。私はただ単に、マーケティングや制作の人間から、誰の作品をレコーディングすべきだとかすべきでないとか言われたくないだけなのです。私は全く自由でありたいのです。現在、われわれは、インターネット時代のまったく新しい時代に生きています。わたしの新しいプロジェクトは、モーツァルトのピアノ協奏曲で Yoon K Lee指揮ザルツブルクカンマーフィルハーモニーと行う全曲録音を含んでいます。録音はザルツブルクのモーツァルテウムで行います。そして、これは、3台のピアノのための協奏曲も含む完全版の全集となります。モーツァルトがカデンツァを書かなかった曲には、私が2種類つけました。ひとつはかなり個人的なもので、モーツァルトとベートーヴェンのような他の作曲家との音楽的な繋がりを重視したものです。例えば、K491の第一楽章はベートーヴェンの第3番協奏曲のように始まります。幻想曲ハ単調もそですし、ソナタK457においてもそうです。このソナタの2楽章ではベートーベンの田園にそっくりなくらいです。だから、私はカデンツァでモーツァルトとベートーヴェンを繋げる効果を目指したのです。しかし、大部分のリスナーのためにモーツァルトっぽいカデンツァも付けました。選択してください!」


 
カツァリスは、ヴィルトゥーゾの伝統である、リスト、ショパン、タルベルクなどへ力をそそぐ一方で、バッハに対しても同じように情熱を持っている。
 
「私は今年、ニューヨーク、パリ、メキシコ、ミュンヘンでバッハの3つの側面に焦点をあてたソロリサイタルを開きました。最初に、彼のオリジナルを弾きます。次に彼自身の編曲物、最後に他の作曲家がバッハ作品を編曲したものです。バッハはコンピューターミュージックのように響かせてはなりません。意欲的に生命力に満ちた弾き方をしなくてはなりません」

 
「われわれは、バッハが多彩な音色のためにクラビコード(当時のピアノ)のほうをハープシコードよりも好んでいたということを知っていますし、リュートやハープシコードの音色との関係から楽器を改良していったことも知っています。これらのことを考えるに、私はバッハこそが、楽器についてもっとも貢献した作曲家であると断言できます。もし、バッハは現在のピアノを知ったなら、間違いなく使用したでしょう。ですから、われわれは、楽器を最大限活用しなければなりません。私がおもうに、バッハはピタゴラス的な意味で完璧な表現者です。ピタゴラスにとって音楽は数学であり、哲学であり、宗教でした。私は、バッハはどのような宗教家よりも宇宙の真理に近づいた人であると思います」
 
 
カツァリスはわれわれの音楽的知識が貧しいにもかかわらず、午後いっぱい、実演してみせてくれた。これが彼の音楽の生命力と活力の源だろう。このインタビューのあと、ピアノのフタが閉じられたが、彼の数世紀にわたる音楽作品への憧憬が部屋の中に漂っていた。

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1987年6月 雑誌「音楽の友」
シプリアン・カツァリスと大いに語る
宮沢明子


 
ベルギーのアントワープに、実は私たち二人の恩人でもある、マダム・トルコフスキーというかたがいらっしやいます。いろいろな国際コンクールなどで、たとえば本選まで残らなかったとか、1等を取るべきだったのに残念だったというようなときに、若い才能をスカウトするかたで、亡くなったご主人かピアニストでもあったために、1965年にアレクス・ド ・ヴリース財団というのをお作りになりました。私は、ご主人にコンクールで才能を認められたことから、奥さまともお知り合いになったのです。あるとき、トルコフスキー夫人が「フランスにギリシャ系の素晴らしい子がいる。70年のチャイコフスキー・コンクールで、そのとき彼はまだ19なのに、リストのソナタを弾いた。素晴らしい天才だ」と、目を輝かして語りました。そのときから私の頭の中にはシプリアンの名前があったのです。そして、72年のエリーザベト・コンクールで、彼はラフマニノフの3番の、それはもう素晴らしい演奏をしました。会場でトルコフスキー夫人や私の主人が叫びました、「1位カツァリス」と。でも1位はアファナシエフ、彼は何と9位でした。これは、ヨーロッパではショパン・コンクールでのポゴレリチ以上の大スキャンダルでした。聴衆は立ち上がりました。シプリアンの名前は、今でこそ世界的ですけれど、もっともっと前から私たちは知っていたんだということを、ぜひ読者の皆さんにも知っていただきたいと思います。トルコフスキー夫人は「たいへん育ちのいい青年だ」といいましたが、たしかにその通りで、私が75年にパリでリサイタルを開いたときにも、彼は暖かく、本当に心配そうに聴衆の一人としてきてくれました。私も彼の演奏会のときには、自分の演奏会以上にあがってしまい、胃がおかしくなるほど。それで、今回もブリュッセルから飛んできたのです。彼の公演中、私はベルギーとスペインでの公演が人っていて、やっとサントリーホールでの最終公演の前の晩遅くに着きました。シプリアンは、自他ともに認める私の大親友。彼は現代の天才の一人です。そして実は12年前にシプリアンを日本へ呼ぶといって、一人で騒いだのが私だったのです。ですから今回フェニックス・ミュージックさんが、再度の来日公演を実現してくださったことを、本当にうれしく思っています。

宮沢 シプリアンは、たしか日本は3回目ね。

カツァリス そう。最初は85年の6月、ベルリン・フィルの室内楽と一緒。次は86年の10月、8回リサイタルを開いて、2回N響と共演したよ。原爆被爆者の人たちのために、どうしても広島で演奏したかったんだ。それにしても、マイコ・ミヤザワ(宮沢さんはヨーロツハでは、こう呼ばれている)ほど、たくさんのレコードを作っているピアニストは、現役にはいない。レコード・オブ・レコーズだね。マイコのように僕の苦境時代を知っているベスト・フレンドがいてくれて、とってもうれしいと思うよ。
宮沢 私たち、最初に会ったときから、母親同士が仲がいいのね。
カツァリス マイ・マザー・ラヴズ・ユー(笑い)。
宮沢 困っちゃうのよねえ(笑い)。お母さまに「家に泊りにきていいですよ」って許されたピアニストって私一人みたい。あなたは朝が弱くて、お昼過ぎまで寝てるの。私は早くから起きて、キッチンでお母さまと朝ごはん食べたの。
カツァリス マイコは、ハイドン全部弾いたり、モーツァルト全部レコードにしちゃうほど、記憶力がいいからなあ。でもこれは『音楽の友』のインタヴューじゃないのかい (笑い)。
宮沢 みんなあなたの人間的な面も知りたがっているのよ。
カツァリス OK。じゃ、そういう話をしよう。僕には素晴らしい両親がいた。1947年にキプロス島からアフリカのカメルーンに父の仕事で移ったんだ。父はたいへんなビジネスマンであったと同時に、ものすごい音楽愛好家だった。51年に僕が生まれたんだけど、カメルーンで当時クラシックのレコードを持っている人なんかいなかった。でも、うちにはベートーヴェンの《田園》やワーグナーの「さまよえるオランダ人」、チャイコフスキーのスラブ行進曲なんかがあったんだ。僕は3歳のときに3つの楽しみをもっていた。まずカードで遊ぶこと。それからクラシックのレコードを聴いて音楽のことをいろいろ考えること。3つめは、椅子からおりて、テーブルの下からご婦人がたの美しい脚を眺めることだった(笑い)。音楽と美しい女性への興味はいまだに消えません。
宮沢 もう結婚したの?
カツァリス ノーノー、まだだよ(笑)。僕の音楽は僕にとっての女房であり、僕がいろんなところで弾くピアノは、すべて美しい恋人たちなのさ。美しい女性たちは、みんな音楽になる。さしずめ、マイコはショパンのスケルツォだ。
宮沢 わがままだからでしょ。私たち牡牛座なのよね。だからどうしようもないの。わがままで舌の感覚が鋭いのは。パリで一番高いレストランヘ連れて行ってもらったわね。
カツァリス だけど、神戸牛のステーキほどうまいものは、世界中探したってないと思うよ。
宮沢 それは私と同意見だわ。私、日本での演奏会のギャラは、みんな神戸牛のステーキに化けちゃうの。あ、これマネージャーには絶対内緒よ。
カツァリス オー、あなたもか(笑い)。ところで、さっきの話だけれど、子供の頃のあの《田園》のレコードが僕の運命を変えたといっていい。こんなに自分を即興的な感覚にしたレコードはなかったし、自分の考えで《田園》をピアノで表現したくなっていた。指揮者としてのいろいろな表現も考えたけれど、リストのピアノ・アレンジの楽譜と出会えたときはうれしかった。
宮沢 あなたは、きっと素晴らしい指揮者になれるわよ。
カツァリス (日本語で)アリガトウゴザイマシタ。もし、いつの日か僕が指揮者になったら、まっさきにマイコ・ミヤザワをソリストに指名することを読者の皆さんにここで宣言します。
宮沢 それじゃ、私はミニ・スカートで、あなたが脚を見ながら指揮できるようにしようかしら(笑い)。
カツァリス コンヂェルト3曲だ。
宮沢 それはあなたが決めるの?
カツァリス いいや、君が決めるんだ。その点においては、牡牛座のわがままよりもソリストの意見が優先するよ。5年前、オーマンディ、フィラデルフィア管弦楽団とレコードを作ったときのことだけど、僕はオーマンディのやりかなをよく知らなかった。レコーディングの前日に彼に呼ばれて、なにしろ大指揮者だから、ドキドキしながら行ったんだ。そして僕は彼の前で、リストのハンガリー幻想曲、シューベルト‥リストのさすらい人幻想曲とリストのハンガリー風の協奏曲を弾き、彼はスコアを見ていた。ハンガリー風の協奏曲は、そのとき世界初演だった。僕が「マエストロ、どんなテンポで弾いたらよろしいですか」ときくと、偉大なオーマンディが優しくいったんだ。「私じやないよ、君が決めるんだよ」。僕はこれを忘れられないよ。ハンガリー風の協奏曲のことだけど、リストにソフイー・メンテルっていう美しい女性のお弟子さんがいた。彼女がリストにヴィルトゥオーゾスタイルの協奏曲を書いてって頼んだんだ。それでリストはハンガリー風の曲を書き始めたんだけれど、結局未完のままオーケストレーションも残さなかった。メンテルは、チャイコフスキーとも親しくて、彼にあとを頼むんだけど、チャイコフスキーが、自分の《エフゲニ・オネーギン》のポロネーズをピアノ・トランスクリプトしたリストのことを快く思ってないのを、彼女は知っていたから、自分が書きかけの作品だとウソをいった。そういうイワクのある曲なんだ。オーマンディが「君はどうして、こんなハンガリーの独特なリズムがわかるのかね」って僕にきいたんだ。僕は小さい頃にブダペストにいたこともあってね、そこで歌ってたんだから何でもないのさ。それにしてもEMIは早くこれをCDにしてくれないものかな。テルデツクには15枚のCDがあるっていうのに。

宮沢 今、世界のピアノ界はマラソン・ランナーとプロ・レスラー、プロ・ボクサーの集まりで、ただ腕力で弾いたりする音の競争の中にあって、あなたほど心から歌うピアニストは、たいへん少ない。ものすごく歌心がある。これは小さいときから音楽好きのご両親のもとで育ったからじゃないかしら。
カツァリス マイコに歌心があるっていわれて、本当にうれしいよ。もしピアノがいわゆる打楽器で、ショパンのバラード第1番を弾いたとしよう。ちっとも面白くない。じゃ、ヴァイオリンで歌うことを考えよう。ほら、フレーズがあるじゃないか。
宮沢 私とあなたの共通点がまたあったわね。学校の先生になること大嫌いなのね。わがままで時間にルーズで(笑い)。だけど、あなたぐらい生徒をもって教えたら素晴らしい先生はいないわよ。今のバラードの教えかただけでわかるわ。
カツァリス 僕たちあまりにも理解しあえるね。同じ殼から出てきたんじやないかい(笑い)。
宮沢 嫌だわ(笑い)。でも、あなたは5月5日、私は5月10日生まれですものね。一緒に暮らしたらー時間ともたないわよ。たまに会うから仲がいいの。
カツァリス 僕は夫としたら最悪だろうけれど、父親としたら、すごくいいはずだよ。
宮沢 あなたのお嫁さん、読者の中から「オミアイ」で探しましょ。
カツァリス オー、それは勘弁してほしいな。あまりに美しい女性が多すぎるし、彼女たちを失望させたくないからね(笑い)。だけど子供は好きだよ。僕の姉には息子と娘があって、自分の子供のように、いつもプレゼントいっぱいあげるんだ。
宮沢 私もわかるわ。ところで、あなたはたいへん忙しい人だけど、時間がとれたらバカンスに行ったりして、アタマの中、からっぽにすることもあるの?
カツァリス 難しい質問だね。たとえば2〜3日の何もない日が2〜3か月にI回あったとしよう。僕には、あまりにもたくさんのレパートリーがあって、たくさん勉強しなくてはならないし、たいへんハードなスケジュールのレコーディングもある。だけど勉強のしかたと、その質、それによって自分を殺さなくても大丈夫な方法はいくらでもある。
宮沢 そういえば、私たち二人だけ、あるステキなプレゼントもってるのよね。あなたはシフラから、私は日本のあるかたからいただいたんだけど、折り畳み式の音なしピアノ。いつも一緒に世界中を旅してるのね。あるとき、いいもの見せてあげるっていって見せたら、シプリアンが「これ僕のだ」って、同じヤマハの製品だったのです。
カツァリス ヤマハの話が出たから一言いわせてほしい。今回僕が自分で選んだヤマハ・カスタムを6都市に運んでくれたんだよ。
宮沢 私も今回のベルギー公演にヤマハ・カスタムを使ったのよ。
カツァリス 僕たちピアニストは、いつも1台1台性格の異なるピアノを弾かなければいけない運命にあるんだ。スタインウェイには、とてもいいアクションがあるんだけれど、ときどきとても固いアクションがある。今回は、このカスタムのおかげで、いろいろ素晴らしいことができた。とても感謝しているよ。僕がなぜ「ゆうぽうと」(簡易保険ホール)とサントリーホールでスタインウェイを選んだのかというと、大きなホールでのスタインウェイから出る音色の豊かな伸びは、やはり素晴らしいからだ。だけど、近い将来ヤマハが豊かな音量と音の伸びにたどりつくことを折っているよ。
宮沢 私の夢は、シプリアンのようなベスト・フレンドとー緒になって、いろいろな楽器を、より素晴らしいものにしていくこと。そして、そういう国籍を超えた友達をもって、とっても幸せ。
カツァリス 日本人はもっとコンプレックスをもたないようにしなきや。
宮沢 それは難しい問題ね。だけど、あなたはウソがつけないうえに、とても正直な人ですものね。あなたのようなピアニストが、もっともっと日本にきて、いろいろなことをどんどんいってくれれば、日本の国はもっとよくなると思うわ。
カツァリス 話は変わるけど、僕にファン・クラブ(シプリアン・カツァリスの会)ができたんだよ。これがその会員証だ。(といって、うれしそうに見せる)
宮沢 私にもファン・クラブがあるから、早くあなたにもできたらいいと思っていたの。だからとってもうれしいわ。ねえ、私たちわがまま同士だけれど、今度4手連弾か2台ピアノをやってみない?
カツァリス うーん、ピアノの質とか、ピアノという楽器のことを考えると、一人でもいろいろやることがあるからねえ。でも、考えてもいいかなあ。完璧じゃないとだめだからね。一緒に時間をかけて練習しなくては。
宮沢 それじゃあ、あなたの息子か娘が一番いいパートナーね。
カツァリス そうしたら、僕たち4台のピアノをやちなくちゃいけないよ(笑い)。でもマイコ、もしかしたら本当に僕たち何かできるかもしれないよ。よく考えてみよう。
宮沢 あなたに何かリクエストすると、必ずかなえてくれるのよね。私もよく4手とか2台ピアノ頼まれるんだけれども、いつもシプリアンとと思うの。でも、わがままだし、朝起きてくれないでしょう。台所でごはん食べてばかりでパリから帰らなきゃいけなくなりそうだから。
カツァリス マイコは4手とか、2台はやったことあるの?
宮沢 私のデビュー・レコードは、モーツァルトの2台のピアノのためのソナタを、一人二役でベーゼン.ドルファーとスタインウェイで弾いたのよ。
カツァリス マイコはよく知ってるけれど、僕の子供はレコードなんだ。
宮沢 私は88人の子もちよ。ピアノの鍵盤の数。
カツァリス オー、ヒロヒトの歳と同じぐらいだ。僕の夢は天皇陛下にー度お目にかかることなんだ。同じファミリーで124代2000年以上も続いている。天皇陛下に《英雄》と《皇帝》を弾いて捧げたい。
宮沢 私の家はプリンス・ミカサのお屋敷のお隣りだったのよ。あなたの願いをかなえてあげたいわ。
       
 シプリアンが、来年3月にまた日本にやってくるときには、きっと今回の倍ぐらいファンが増えていると私は信じています。そしてまた、歯に衣着せない彼の意見をゆっくり聴きたいものです。読者の皆さんには、彼のお姉さんみたいな私から、暖かく歌うピアニスト、シプリアン・カツァリスヘの応援をお願いし、生まれたばかりのように夢が多い彼に、もうしばらく結婚しないように頼んでおきましようね。

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1986年1月 雑誌「レコード芸術」
西村(以下N)●今回がカツァリスさんのソリストとしての初来日になりますね。

カツァリス(以下K)●ええ、今年の六月にベルリン・フィルの室内アンサンブルで来ましたが、ソロでは初めてです。

N●カツァリスさんのレコード、ことにベートーヴエーン・シンフォニーのピアノ版シリーズが、今日本でも大変注目されています。今回の来日公演は多くのファンが待ち望んでいたことと思います。

K●とてもうれしいことですね。

N●カツァリスさんは、一九五一年マルセイユのお生まれですね。

K●そうです。両親はキプロス系ギリシャ人でした。

N●少しそのへんのところをお話し下さいますか。……ピアノを始められたのはおいくつからですか

K●四歳くらいでした。ただ私の母は私がお腹にいた時からすでに、将来指揮者になる息子を、と願ったそうです。母は音楽愛好家で、一九五一年当時、アフリカのカメルーンなんていう所でクラシックを聴いていた数少ない愛好家の一人だったのです。父もまた音楽好きでした。だから私も二歳の時からクラシックのレコードを聴いて育ちました<田園交響曲〉やくさまよえるオランダ人〉や〈スラヴ行進曲〉などのレコード盤がぐるぐる回るのを、まるで催眠術にでもかかったように見つめていました。 ヨーロッパ人にはあまり理解してもらえないのですが、私は前世というものの存在を信じており、その前世においても自分は音楽家であったと思っています。ですから私は母のお腹に入る前の霊魂であった時に、音楽家になる子供をほしがっている入を選んだというわけです。日本人であるあなたにはわかってもらえると思いますが……。

N●はい。日本の音楽家も、多くの人がそう信じていると思います。最初に公開でピアノを弾いたのは、おいくつの時ですか?

K●現世でという意味ですね。(笑)三歳半の時に、三つ年上の姉のために両親がピアノを買いました。私はごく自然にその楽器に惹かれ、1本指で〈ラ・マルセイーズ〉を弾いたのが最初の演奏でした。しかし正式なコンサートはかなり遅く、一九六六年、十五歳の時で、パリで〈ハンガリー狂詩曲〉などをオーケストラと協演しました。次いで翌年ドイツでラヴェル、プロコフィエフ、ドビュツシー等を弾きました。

N●パリ音楽院で師事されたお二人の先生についてお話し下さい。

K●二人ともすでに亡くなりました。バレンツェン先生は四、五十年前に有名だったピアニストで、彼女が音楽院で最初の賞をとった時はわずかに十一歳だったと聞いています。ベートーヴェン弾きとして知られていました。もう一人のブリュツシュルグ先生は偉大なヴィルトゥオーゾてした。東欧を含む中部ヨーロッパではかなり高名でしたし、アメリカでは。女流ホロヴィツツとまで呼ばれた人です。彼女のアパートに、リストの髪の毛と自筆の手紙があったのを憶えています。しかし絶頂期に事故にあわれ、片手、片足、片目が不目由になり、徐々に悪くなられて七二年に亡くなりました。 音楽院では他に、バレンツェンのアシスタントで、イヴ・ナツトやコルトーとも親交のあったグロツソという先生からも多くを学びました。音色や響き、表現スタイルのことなど彼女から教えられたことはたくさんあります。

N●パリ音楽院には色々な賞がありますが、どういった賞をおとりになりましたか?

K●ピアノで一等賞、室内楽で一等質をもらいました。それに初見奏でメダルを得ました。パリ音楽院の初見奏の授業は外国にも有名で、たとえばショパンのワルツの左手パートを手の動きを見ずに譜面だけを追いながら弾くというようなことをやらされました。しかも先生は楽譜を一小節づつしか見せてくれないのです。クレイジーでしょ。(笑)室内楽の先生は高名なジャン・ユボーでした。

N●スコア・リーディングもおやりになりましたか?

K●残念ながら音楽院ではやりませんでした。しかし、ソルフェージュは相当に厳しいレッスンを受けましたので、入学前にスコアの読み方はわかっていました。

N●メシアンのアナリーゼのクラスは世界一だと聞いていますが、受講されましたか?

K●まさにその通りですが、私はとりませんでした。とればよかったと侮んでいます。メシアンは全ての点において素晴らしい人です。今回の来日公演でもー曲弾きます。

N●七〇〜七二年の間に色々なコンクールに入賞されていますね。チャイコフスキー・コンクール、エリーザベト・コンクール、シフラ・コンクールなど……。

K●ピアニストというのは皆、賞をとっていますので、私の場合も特に珍しいことではないと思います。

N●コンクールではどのような曲をお弾きになったのですか?

K●七〇年のチャイコフスキ・コンクールで、ピエール・ブーレーズを弾きましたが、ブーレーズのような作品を弾いたのは私だけでした<第ニソナタ>です。非常に難しい曲でした。

N●弾くのも、聴くのも難しい作品ですね。(笑)

K●その通りです。しかし現代作品は聴くことより、弾くことによって内側から理解することができます。ですから一般の方もどんどん現代音楽を弾くことによって理解してもらいたいと思います。

N●エリーザベト・コンクールでは最終審査の時に新作の協奏曲を弾かねばならないそうですね。

K●ええ。七二年に出場した時、私たち十ニ名の予選通過者は、最終審査で、ラフマニノフの〈第三協奏曲〉と、現代作曲家による新作の協奏曲を弾かねばなりませんでした。三楽章、六十ページ、二十分の作品でした。演奏の準備に与えられた日数はわずか八日間で、スコアを渡された時には、全員がパニックになりました。さすかに暗譜は要求されませんでしたが、しかし驚いたことに、一人だけ暗記してしまった出場者がいたのです。日本人の女性です。

N●誰ですか?

K●神谷郁代さんです。

N●ああそうですか。神谷さんと同じ年ですか。神谷さんは確か上位に入賞されていますね。

K●はい。

N●シフラ・コンクールでは?

K●メシアン、ショパンのポロネーズ、マルセル・デュプレ、ダニエル・ルシュールの作品などを弾き、オーケストラとはチャイコフスキーの第一番を協演しました。その時の指揮者は亡くなったシフラの息子でした。

N●コンクールと言えば、今年のショパン・コンクールのレコード部門、ソロ分野で受賞されたそうですね。

K●ええ、ショパン・コンクールのレコード部門は審査委員長にペンデレツキを置き、ポーランドを代表する音楽家、批評家によって審査されます。今年は、ソロ分野でテルデツクからの私の〈バラードとスケルツォ〉が受賞しました。協奏曲分野では、リカドとロンドン・フィルによる〈第二番〉(G)が選ばれています。レコードの受賞と言えば、私のピアノ版〈第九〉は、昨年ブダペストで開かれた「フランツ・リスト賞」で、グランプリを得ています。

N●それはおめでとうございました。リストとショパン両方で賞をおとりになったわけですね。リストとショパンの音楽は、しかしある意味では対照的なものだとも思いますが、そのへんのお考えをお聞かせ下さい。

N●そうですね。全く対照的だと思います。しかし私にとってより興味深いのは、リストという一人の作曲家が正反対の部分を自分自身の中に持っていたというような点です。ショパンとリストの相違以上に、リスト自身の中に相反する要素があります。甘美な調性音楽、たとえば〈愛の夢〉を書いた同じ人が、 〈灰色の雲〉のような無調的作品を残しているわけですから。

N●リスト作品の、文学的、あるいは宗教的な性格を重視されますか。

K●もちろんです。私の〈メフィスト・ワルツ〉のレコードは、そういった点を第一に考えたものです。

N●技巧派のピアニストとして注目されていますが、むしろより内面的な表現にこそ、カツァリスさんの本領が発揮されていると見るべきですね。

K●技巧派ですって!とんでもない、私はたくさんミスをする人間ですよ。(笑)

N●リスト、ショパン以外に興味をお持ちの作曲家は?

K●シューマン、バッハ、モーツァルトは大好きです。シューマンは全部弾きたいと思っています。

N●全部ドイツの作曲家ですね。

K●ええ、しかし私はその作曲家が好きというのではなくて、作品が好きなのです。他の人もそうでしょうが、それも時期によって変わります。ショパンに惹かれる時、またシューベルトを弾きたくなる時、その時々で色々です。たとえば去年は突然バッハが弾きたくなり、すぐにレコーディングしました。それは来春発売予定のバッハの四つのピアノ協奏曲です。以前のショパンの〈バラードとスケルツォ〉の時も同様の衝動を感じました。

 
N●新しいレパートリーにヂャレンジする場合、あまり準備期間はとらない方ですか?

K●覚えるのは早い方ですが、磨きあげるには時間がかかります。ただ、作品に対する新鮮な直感みたいなものを失うのはこわいので、慣れすぎないように練習しては少し休みをとり、というようにしています。

N●レパートリーにしてから長い間レコーディングしないピアニストもいますが、カツァリスさんの場合、割合早い時期にされるようですね。

K●レコーディング活動は私にとって重要なものですし、レコードは自分の子供のようなものだと思っています。少し矛盾して聞こえるかも知れませんが、レコードは確かに絵画のように完成された美でなければならないと同時に、レコーディングそのものは一時的なものでもあるわけですから、必ずしも結論というわけではなく、レコーディング後もその曲を磨きあげてゆかねばならないと思っています。また、これとは別に、演奏会では弾かない曲をレコーディングすることもあります。

N●協奏曲で、今後お弾きになりたいものはありますか?

K●ハイドンのニ長調。またモーツァルトのK四六六やニ短調などです。

N●以前に現代作曲家テオドラキスの協奏曲を何度かお弾きになっていますが、現代音楽への関心はお持ちですか?

K●限られています。メシアン、ヴェーベルン、ブーレーズ、ストラヴィンスキー、テオドラキスといった作曲家の作品を演奏しますが、現代音楽だけで演奏会をやろうとは思いません。理由は簡単です。それだけの曲を覚えるのに費やされる時間が惜しいからです。なにしろブーレーズを三ページ覚える間にモーツァルトの協奏曲を三曲覚えられますからね(笑)。

N●(笑)そんなに難しいものばかりでもないと思いますが。

K●自分で作曲したものですら暗譜できないんですよ。七六年のパリのリサイタルでは、ブラームスのソナタ、そしてシューマンとクララの作品、リストとベートーヴェン、それに自分の曲を弾きました。自分の曲以外は全て暗譜で……(笑)。

N●今でも作曲をなさいますか?

K●残念ながら時間がありません。今は一日五十時間くらい欲しい毎日です。日本のあとすぐワシントンヘ行って国連コンサートでソロや室内楽を演奏しなければなりませんし、とにかく覚えるものが沢山ありすぎて……。

N●確かにたとえばベートーヴェンの交響曲をピアノでお弾きになるには、相当な準備の時間が必要でしょうね。

K●全くそれは気の遠くなるような時間のかかる仕事です。まず最初にベートーヴェンのオリジナルとリストのピアノ編曲を一音ずつ比べます。リストは素晴らしい仕事をしていますが、やむなくいくつかの音をぬかしています。私はそれらの楽器の音をなるべく多く加えるために技巧上の新しい解決方法を見つけてゆきます。それにはたとえばピアノ譜の一行に八時間かかったりします。そして次にそれを覚えるのです。ですから目分目身の解釈を実現するにはテクニック上の大きな問題を克服しなければならないのです。

N●あなたの手は日本人に比べて平均的な大きさですし、指も十本ですよね。(笑)

K●時々、あと二本指があればと思います(笑)。ただし、もちろん音楽の本質を表現するのに必ずしも音符の数は問題ではありません。つまり音符の数量は音楽的内容とは一致しないと言うことです。この点が重要なのですが、そのことを逆に見れば、大量の音符を早く弾くからといって、それが音楽的内容に乏しいとも言えないわけです。それについて、リストは百五十年間にわたって誤解されつづけてきた作曲家です。大切なのはリストの魂を見つめることです。リストのような偉大な作曲家とは、音符を通しての表面的な関係ではなく、演奏家はその精神‥と一体になるよう努力しなければなりません。それも自らの方法によってです。たとえば、ある著名なピアニストで、その人の先生がリストの直弟子だったからという理由で、真のリスト弾きだと認められている人がいますが、私はそういうことは信じません。口伝えの伝承は必ずしもあてにならないでしょう。それに、唯一正しい解釈があり、だれもがそれに従って同じ演奏をするのであれば、コンピューターでこと足りてしまいます。

N●ベートーヴェンの交響曲をピアノで弾くことに情熱を傾けておられるのは、それがリスト編曲によるものであるからという理由ばかりではないように思うのですが。

K●ベートーヴェンがオーケストラのために作曲した傑作をピアノで弾くのは私にとってまさに精神高揚の極みとなるのです。私は指揮者になろうとは思いません。私はピアニストです。だからそれを十本の指で弾き、十本の指で感じたいのです。そしてそれをやることによってピアノを弾くことへの理解が深まりました。しかもベートーヴェンの交響曲は、素晴らしいピアノ曲にもなります。まさに、スーパー・ソナタとでも言うべきものです。

N●ベートーヴェンの交響曲以外にも、御自身の編曲で交響曲や管弦楽曲を今後演奏されるおつもりはありますか?

K●今のところありません。ベートーヴェンの九曲を全部終えることが第一ですが、その後は目分の従来の演奏活動に戻りたいと思います。今回のシリーズによって多くの人々の注目を集めることができましたが、それはしかし私の活動全体のごく一部でしかありません。また時がくれば、マーラーの交響曲もいいですね(笑)。ショスタコーヴィチも(笑)。

N●お好きなベートーヴェン指揮者は?

K●一人ではなく、色々います。フルトヴェングラー、カラヤン、ジュリーニなどよく聴きました。しかしそのまねをしようとは思いませんでした。

N●フランスの指揮者は?

K●ブーレーズは好きです。それに〈第五〉ならクリュイタンスに良いのがあります。

N●最後にカツァリスさんのすばらしい技巧を支える特別なトレーニングがあったら教えて下さい。

K●私のテクニックなどたいしたことありません。ミスもありますし。パリ音楽院に来ている日本人の女の子たちのくペトルーシュカ〉の方がずっとすごい。ヨーロッパのピアニストより日本人のピアニストの方がテクニック的には、えてして優れていると思います。ただ、やはり大切なのは才能があっても努力を怠らないことです。ただただ努力あるのみで
す。

N●どうもありがとうございました。

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1985年12月 雑誌「音楽現代」

−−ショパン国際ピアノ・コンクールでは、今年からレコード部門も開催 されて、カツァリスさんのレコードが第1回目のグランプリを取られましたね。

カツァリス  十一ヵ国の十六のレコード会社による二十六枚のレコードが 審査されました。審査委員長は作曲家のペンデレツキでした。ピアノの作品 のジャンルで、テルデックから出た、私の「バラードとスケルツォ」がグランプリになったのです。ピアノとオーケストラの部門では、セシル・リカド とプレヴィン、ロンドンSOによる演奏が賞を取っています。

−−カツァリスさん御自身、ショパンは好きな作曲家ですか?

カツァリス  私は子供のころから大変にショパンが好きで、学生時代にも 狂ったように良く弾いていました。学校を出てから、少し離れていたのです が、この二〜三年はまた弾いています。 といっても、シンフォニーの編曲も のを弾かなければならない、といった現実的な理由から、機会は多くはあり ません。これからはなるべく弾くようにしたいと思っています。

−−カツァリスさんが音楽家を志すきっかけは

カツァリス  母は私がお腹の中にいる頃から、指揮者になるような男の子 が生まれて欲しいと思っていたのです。(笑)私個人としては、東洋の輪廻の思想を信じてます。私達というのは、霊的な存在であって、肉体でなく、精神が本当の自分なのです。死んだ後に、生まれ変わるべき人間に親近感を求め て来る。音楽家が欲しいと思っている母親のところへ、遊んでいる霊が人って来る。たぶん、私の霊は過去に音楽界に生きていて、音楽の活動を見てい た者なのでしょうね。日本では、こういった考え方は理解されると思います。 ヨーロッパでは理解されませんけれど。(笑)  私は幼ない頃、北アフリカのカメルーンに住んでいました。クラシック音 楽を聴く数少ない家庭の一つだったわけですが、そうした環境の中で、私自 身は二歳の時からクラシック音楽を聴いていました。ワーグナーの「さまよえるオランダ人」、チャイコフスキーのスラブ行進曲、そしてベートーヴェン の「田園」交響曲もその中にあったことを記憶しています。子供の頃から、 ベートーヴェンの交響曲が好きであったことも、現在の私が、「田園」をピア ノでレコーディングしたことに関係があるのでしょう(笑)。

−−その、フランツ・リストによる「田園」のトランスクリプション(編曲) についてお話し下さい。

カツァリス  私が初めて、ピアノ版の「田園」を見た時は本当に感激しま した。その理由というのは、ただ単にオーケストラの編曲ではなく、ピアノ 曲として立派に独立したものであるという点です。  六年前に、ポーランドでコンサートを開いた時のことです。その二、三日 前に批評家が私のところに来たのです。彼は、私が「田園」を弾くことに対し て非常に懐疑的でした。でも、コンサートが終わってから、ニコニコした顔 で『素晴らしい。シンフォニーを充分に分析しており、音楽として再生している』と言ってくれましたね。

−−ヨーロッパでのトランスクリプションに対する見方というのは

カツァリス 『何で、そんなものを弾くんだ? 時代遅れの音楽じゃないか』 と言う人もいます。ヨーロッパにもね。つまり、十九世紀にはオーディオ装置 が無かったから、シンフォニーを家庭で楽しむ為にそうしたピアノ編曲があ ったと言うわけです。しかし、リストのは素晴らしいピアノ音楽なのです。 自分の十本の指で音楽の内容を完全に伝達することができます。その為にど こまでシンフォニーを指で表現するのが可能か、というチャレンジングな魅力と知的な遊びがあります。

−−それは分析的な行為ということですか。

カツァリス  勿論その通りなのですが、ピアノ音楽でありながら、誤解さ れると困るのですが常にオーケストラで演っている様子を忠実に再現したい のです。

−−では、演奏する時にはシンフォニーのもとのイメージがあるわけですね。

カツァリス  まったくその通りです。実は、普通のピアノ作品を弾く場合で も、クラリネット、フルートといった様々な楽器の響きのイメージが自動的 に浮かんでくるのです。ホロヴィッツもこうした訓練を受けたようですが、 私の場合は天性のもののようです。そのうえ、音に色が付いて聴こえて しまいます。ファはグリーンで、レはブルーです。だから、私の頭の中では 様々な色が出てくるわけです。いろいろ述べましたけれども、一番 大切なのは、芸術家の側から聴衆の側にメッセージを伝える、ということで す。

−−カツァリスさんは他のピアニストによるトランスクリプションの演奏を聴いたことはありますか?

カツァリス  はい。でも芸術とはコミュニケーションの質の問題であって、下手に伝達するのは愚かなことだと思うのです。

−−カツァリスさんは御自分でメッセージを伝達している、つまりコミュニケーションを成立させているとお考えですか

カツァリス ドイツの″オーディオ″という雑誌があります。今年の一月号では読者に八四年のベスト・レコードのアンケートをとっておりまして、第1位に選ばれたのは私のベートーヴェン「第九」(リスト編曲版)でした。ヨーロッパの演奏会でも、最初にシューベルトのソナタを置き、二番目にベートーヴェンの「エロイカ」を弾くと場内は沸くのです。普通の聴衆は「エロイカ」を聴きたい、批評家達は『何をやるんだ?』と、目を光らせる。皆の興味が「エロイカ」に集中するわけです。(笑)

−−トランスクリプションを弾く場合の実際の難しさというのは。

カツァリス  まず、指の技巧の問題がある。しかし、一方では芸術上の解釈というものも出さなければならない。指に難しさを感じて弾いていると、解釈、つまり演奏の方まで気がまわらなくなってしまう。だから、徹底的に指 がまわるようにならないと人前には出せないのです。

−−それではかなり準備するのでしょうね。

カツァリス 練習というか、研究をするのです。ベートーヴェンのシンフ ォニーとリストの編曲をまず比較してみます。リストの譜面は勿論、素晴ら しいものだけれども、ピアニストの技術を考えて技げている部分があるので す。そこを書き込んでいくわけですが、その作業が私の人生を暗いものにして いますね。(笑)  不思議な現象なのですが、シンフォニーの編曲の演奏に取り組んできて、 今、突然、私の中で解らなかった部分であったベートーヴェンのピアノ・ソナタの方が逆に見えてきたのです。

−−では、ソナタの録音もあるのでしょうか。

カツァリス  来年ですが、皆があまり弾かない第九、十番、そして第八番 「悲愴」ソナタ、あるいは今回の公演で弾く第十二番「葬送」ソナタを演っ てみたいと思います。 子供の時に、第三十一番。第三十二番、「熱情」 を弾いても、ちっとも面白くなかったけれども、今はやる気になっています。

−−ベートーヴェンの九つのシンフォニーの中で一番お好きなのは?

カツァリス  日本の女性が九人いて、皆、着物を着て並んでいたら、『どの人 が一番きれいか?』と訊かれても困りますよ。(笑)

−−今回の公演のプログラムではリストの後期の作品が並んでいたりするわけですが、選曲はどのように。

カツァリス  来年はリストの死後百年ですので、リストの死というものを めぐって演ってみたかった。ご存知のようにリストは非常に霊的な人間だっ たわけですが、ベートーヴェンとシューベルトとの関わりの中で「死と英雄」 というテーマを考えてみたのです。ベートーヴェンからは「葬送」ソナタと  「エロイカ」シンフォニーを。シューベルトは最後のソナタを選びました。 シューベルトは、第二楽章で自分の死を予感しています。ですから、あの楽 章は自らの葬送行進曲なのです。 来年、パリでも同じ演目でリサイタルを開く予定です。

−−同世代のピアニストでは誰に関心がありますか?

カツァリス  まず、デュシャーブル。彼は非常にタフで演奏に安定性があり 尊敬しています。次にはポゴレリチ。モーツァルトを弾く時のバレンボイム、 そしてペライアの自然な弾き方も好きですね。アルゲリッチもいい。昔のピアニストではホフマンとラフマニノフがいいです。さらに、多くの人は異論 があるかも知れないけれど、シフラは刺激的な天才だと思います。ナットの音も素晴らしいですね。

−−現在、作曲活動の方は

カツァリス  時間があればやりたいと思いますが……。現代音楽というも のは遠いところに行ってしまっています。聴衆と作曲者達との間に大きな断 層が出来てしまった。聴衆はもはや新しい人の作品を聴こうとしません。そ うするとメッセージというものが伝わらない。そういう傾向の作品を書かねばならないとしたら問題です。

−−暇な時間のすごし方は。

カツァリス  現在は、飛行機の中ででしか暇な時間はありませんが。(笑)  休みの日にはピンポンをしたり、映画を観たりしますね。とくに映画は好 きです。

−−他に興味のあることは?

カツァリス  国際政治に関心があります。あれは本当に面白いゲームだ。

−−今後、取り組んでみたい仕事は?

カツァリス  沢山ありすぎます。まず、ベートーヴェンのシンフォニーを 全曲録音しなければいけない。シューマン、ショパンの全集も作りたい。来年の春に発売されるのですが、バッハの一台用の四曲のコンチェルトの録音。 共演はフランツ・リスト室内管弦楽団です。

−−最後に、カツァリスさんは今回で二回目の来日ですが、日本についての 印象はどのようなものでしょう?

カツァリス  大変に感動しています。まず、マネージメントをはじめとして音楽界の組織が非常にうまくいっている。そして聴衆が素晴らしい。熱心に 注意深く聴いてくれる。これ程西洋の音楽に対して門を開いてくれるのに、 我々は日本の音楽についてあまり知らないのは恥ずかしいことだと思います。そ れから、日本ではテクノロジーの進歩と伝統とが共存している点にも驚かさ れました。

−−有難うございました。


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1985年12月 雑誌「ショパン」
1985年10月14日、この日ワルシャワでは、カツァリス氏の「ショパン バラードとスケルツォ集」のレコードに対して、ショパン協会から、第一回レコードグランプリが贈られ、その授賞式が行われた。本誌は、たまたま同じ日に、コンサートで来日中のカツァリス氏にインタビューを行った。

 今、レコードの授賞式が行なわれていますが、ご当人はコンサートのために来日中、カツァリスさん、本当におめでとう ございます。今の心境はいかがですか?

 とても嬉しいです(笑)。今日は、ショパンのレコード大賞授賞式と雑誌 「ショパン」のインタビューとで、偶然にも「ショパン」の記念すべき日ですね(笑)。去年、ブダペストで、リストーベートーヴェン、シンフォニー第9のレコードで、レコード大賞を頂きましたので、″リスト弾きとか″ショパン弾き〃とか限られたレッテルを貼られないですむのでとてもいいことです(笑)。″ショパン弾き″になってしまうと、なかなかリストは弾けませんし、″リスト弾き″になってしまうと、なかなかショパンは弾けないので……

 今回は、2度目の来日ですね。

 そうです。ベルリン・フィルの室内楽と共に来日しました。東京、大阪、岡山でコンサートをしましたが、今回は、日本での初めてのリサイタルです。

 日本食はいかがですか?

 神戸ビーフは大好きですが、おさしみは、どうもダメなんです。私は、マルセイユで生まれましたし、私の家系のルーツはキプロスですから、シーフードには親しんでいるはずなのですが……生の魚は、どうも……。

 カツァリスさんの日本でのデビューは、リスト編「ベートーヴェン・シンフォニー」ですね。なぜ、シンフォニーを弾き始めたのですか?

 なぜなら、この作品に魅了されたからです。べートーヴェン=リスト、これは、二人の作曲家のラブーアクトだと思います。そして、その間にシューベルトのソナタのような素晴らしいものが生まれました。私は、この作品の中に、ベートーヴェンとリストの二人の精神を感じます。私は、子供の時からベートーヴェンのシンフォニー「田園」が大好きで、いつか実際に演奏してみたいと思っていました。私は指揮者ではないので、管弦楽を指揮することはできませんが、そのかわり、リストの素晴らしい編曲を見つけたのです。ベートーヴェンのシンフォニーという大作ですから、テクニック的にも音楽的にも非常に難しい作品です。テクニカルに難しい作品を弾くと、すぐに、ピアノのサーカスだと思われますが、私にとってこれらのシンフォニーを弾くことは、ショーのためではありません。リスト自身も彼の時代の批評家や聴衆に誤解され、彼のピアノはショーだと言われました。一世紀後、リストがいかに偉大な作曲家であるか理解されてきましたが、今でも、技術的な要素のある音楽に対してショーだと見なす傾向があります。リストは、10本の指で創り出される音楽の可能性を開きました。

 ベートーヴェンのシンフォニーの全曲をレコーディングするつもりですか?

 現在まで、第3番、6番、7番、9番の4曲のレコーディングをしましたが、技術的にも至難なので、できれば全曲を試みたいのですが・・・・まだ決心しておりません。それに、私自身特に編曲弾きではありませんし・・(笑)。

 カツァリスさんのコンサート・プログラムは、それ自体テーマと意味を持っているので、とても興味深いプログラムだと思います。


 ありがとう。プログラムは、考えて作ります。メニューとか……貴女自身も、洋服を着る時、スカートは何にしようか・・・くつは何が合うか・・・とか全体を考えて選びますでしょ? そのように、プログラムも、全体の統一性とか、あるいはコントラストでもいい、何か全体を通して関連づけたいんです。

 今回の日本でのリサイタル・プログラムは「死と英雄」という題がつけられておりますが、これは・・・・?

 1986年は、リスト没後100年、リストの年です。シューベルトのソナタ変ロ長調は、死のわずか2ヶ月前に書いたもので、第2楽章は、彼自身のレクイエムのようです。ベートーヴェンのソナタ第12番は「葬送」、「ベネツィア」は、ワーグナーの没した地・・・というように、死に関連しています。私は、音楽以外に「生命」についてとても深い関心をもっています。そして仏教思想の「霊魂再来説」を信じています。肉体が亡びても、精神は新しい肉体に生き移される……ということを……。

 カツァリスさんの思想に影響を与えられたのは?

 アメリカ人の哲学者であり、新しい「サイエントロジー」という分野を創った、ラファイエット・ロン、ハバードです。彼は、心・精神・教育・ドラッグ問題など広い分野に渡って考えており、チック・コリアやジョン・トラヴォルタなどもこの分野に興味をもっています。ハバードの言葉に「芸術とは、コミュニケーションの特性をもった言葉の総括である」というのがあります。私は、この言葉が大好きです。

 作曲や即興をなさいますが……

 はい。時間のある時は作曲もしますが、ピアノを弾く時間が多いので、最近はあまり作曲する時間がないことと、現代音楽は聴衆にあまり受け入れられていないという点で、その作品が演奏される可能性があまりないので、作曲活動が成功の道とは言えないでしょう。 「フェニックスの詩」という曲を一九七六年に作曲しました。これは、詩と彫刻から霊感を与えられ作曲しました。それから「キプロスのラプソディー」という曲もあります。それから、私のライヴ・レコードに含まれている一曲は即興した曲ですが、これは、イスラエル生まれのパリに住む彫刻家であるアガンの作った作品「心臓の鼓動」と題するもので、九つの心が共同作用している小さな彫刻作品にとても感動したので、この作品を教会のステージに置いて即興しました。

 ジャズはお好きですか?

 大好きです。私は、チック・コーリアと二度一緒に演奏したことがあります。キース・ジャレットにもとても興味をもっています。

 どんなピアニストがお好きですか?

 ヨゼフ・ホフマンのような独創的なピアニストです。彼の演奏には、彼の個性が表われているから好きなんです。作曲家に対しては尊敬しなくてはいけませんが、作曲家の本当に意図したことは誰も知らないのですから、独自の解釈をもった演奏家がいいですね。音楽院やコンクールの審査で、私は、ショパンのバラードー番を、一度に49回聴いたことがありますが、そんな時、誰かが、興味深い新しいアイデアで弾いてくれたなら、たとえその解釈が私の解釈と異なるものであったとしても、音楽に何かを感じさせてくれます。ですから、私にとって独創的であることはとても大事なことです。同じように弾くのでしたら、コンピューターと同じですからね(笑)。

 今後、音楽活動を通して望まれていることは?

 素晴らしいレパートリーを持つために、一日50時間は欲しいです(笑)。それから、私の音楽を通して人々が幸せになってくれたらなあ、と思います。いつか、私のコンサートにいらした御婦人が私の音楽を聴いて「頭痛がなおった」って……素晴らしいと思いませんか? 人を幸せにすることと、コミュニケーションがとても大事なことです。

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