Great pianist Cyprien Katsaris
ものごっついピアニスト
シプリアン・カツァリス

このサイトは、超絶技巧の持ち主にして、ロマンティックな歌い上手、そして最高のエンターテイナーである「ものごっついピアニスト」シプリアン・カツァリスのファンサイトです。
いまでこそアムランやヴォロドス、サイなど個性派ピアニストが認知されていますが、まさしく彼こそ「元祖個性派」! 日本ではなぜか実力のわりに正当に評価されない不遇のピアニストであるカツァリスに刮目せよ!
2008.02.28
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どうも変人である。髪型からして怪しい。風貌も若いのかオヤジなのか。サインも変だ。しかし、何度でも言うように、そんなことはどうでもいいのだ。このオヤジは、ものごっついのだ。

 まず、世界トップのピアニストといえば、誰を思い浮かべるか。ポリーニ、アルゲリッチ、ブレンデル、キーシン、その辺が多いだろう。カツァリスは、そんなピアニストと同次元で比べてはいけない。「真のピアノ好きのためのピアニスト」、それがこのカツァリス。

 まず、テクニック。ダントツだ。パラパラ指が回るだけの曲芸ピアニストではない。いまでこそ、アムランやヴォロドスなどの体育会系ヴィルトーゾが世間で認知されているが、まさに元祖「現代のヴィルトーゾ」なのだ。

 たとえば彼の出世作「ベートーベン交響曲全集」。リスト編曲だけにもちろん難曲だ。しかし難曲といっても、当時の「アマチュアでも弾けるように」かかれた曲。一般人に弾けない曲は売れないのだから当然だ。カツァリスは、さらに上をいく。リストの曲に音符を足すのだ。それは、想像を絶するテク。(こちら参照) しかし、録音では、どんなことでもできる、という人もいる。多重録音すればいいからだ。だが、カツァリスは実演する。ただ、鍵盤を必死にぶったたく、ブッタタキピアニストではない。音は一切割れたりしない。余裕なのだ。

 ただ、指が動くだけではない。音色がものすごくいいのだ。キレイなだけでない。あるときは、明るく、あるときは深く、あるときは、荘厳な響き。自由自在に使い分ける。彼の弾くシューベルトリストの歌曲をきけば、その歌心と音色の使い分けに驚嘆するはず。また、自身が編曲したトッカータとフーガをきけば、その荘厳な響きにピアノという楽器の可能性の大きさすら感じるはず。

そして、旋律を歌う心とセンス。本当に泣かせてくれる。シューベルトソナタD960や子供の情景は彼の歌心に感服。アンコールピースのショパンのノクターン遺作やタイスの瞑想曲などの小品もさらりと聞かせるセンス。

彼の来日公演の曲目をみればわかる。(来日公演参照) こんな面白いピアニストは他にいない。

Career
Year Topics Details
1951年 5月5日 マルセイユに生まれる。 両親はキプロス系。このときキプロスはまだ独立していない。
しかし、あるインタビューで、1947年に父の仕事のため(石鹸工場)、カメルーンに移住したとも言っている。母親が生まれるときだけマルセイユにいたらしい。
1955年
(4歳)
カメルーンにて ピアノをはじめる。 姉の影響でピアノをはじめたらしい。ちょっとモーツァルトのようだが。このころベートーベンの田園交響曲を聴いて、ピアノで弾いてみたいと思ったとか。ところがレッスンにいかせても1本指でしかピアノを弾かず、全部の指を使うようになるまでにはしばらくかかったという。頑固な性格はこのときからすでにあらわれている。
ピアノだけではなく音楽はとにかく好きだったらしく、レコードをかけて指揮者のまねごとばかりしていたとか。
1964年
(13歳)
パリ音楽院入学 Aline Von Barentzen、Jean Hubeau、Monique de la Bruchollerie らに師事。
1970年
(19歳)
同校卒業 室内楽とピアノ部門を主席で卒業。アルベール・ルーセル財団賞を受賞。
同年 チャイコフスキーコンクールで入賞 ディプロマ受賞(特別賞みたいなもの)
1972年
(21歳)
エリザベート国際コンクール9位入賞 審査委員長のギレリスの反対で落とされたそうな。このときの優勝はあのアファナシェフ。ポゴレリッチのショパンコンクール落選以来のスキャンダルだそうな。そりゃギレリスにしてみたら、カツァリスの音楽は理解できないだろうな。
1974年
(23歳)
ジョルジュシフラ国際コンクールで優勝 とうとう優勝。このころからEMIへレコーディングを開始する。
1976年 自作「フェニックスの詩」を作曲 カツァリスは作曲もする。
1977年 エテルナハ音楽祭の芸術監督に就任 ルクセンブルクの著名な音楽祭。現在も監督を務めているが、2008年は本人の出演は無し。
1978年 自作「キプロスのラプソディ」作曲 この曲は、アンコールCD集に収録されている。
1980年 TELDEC 移籍 LPを何枚かだした後、TELDECへ移籍。看板ピアニストとなる。ちなみにTELDECでは、他に、ブッフビンダーとか極めて地味なピアニストしかいなかった。
1981年 ベートーヴェン交響曲全曲レコーディング開始 カツァリスの名前を一気に有名にしたベートーベン交響曲ピアノ編曲版のリリースを開始。リスト編曲といいながら、足りない音符を追加して弾くという芸当に世界が脱帽。1990年に完結。
1984年 フランツ・リスト賞受賞 ベートーベン第九シンフォニーの録音が受賞
同年 ドイツ・アウディオ誌ベストレコード賞 同じく第九シンフォニー。この第九、合唱は?という疑問に答えると、当然合唱パートもピアノで弾いてます。もちろん1台で2本の手で。多重録音無し。壮絶。
1985年 ショパンコンクールベストレコード賞 ショパンのバラードスケルツォの録音で受賞。このため、1990年よりショパンコンクールの審査員を務める。
1986年 Record of the Year Award 受賞 全てのリストの録音レコードに対して、British Music Retailers Associationから贈られる。
同年 NYのカーネギーホールデビュー ピアニストとしてはひとつの到達点であるNYカーネギーホールデビュー。大成功を収め、常連となる。
1989年 再びフランツリスト賞受賞 ベートーベン第一・二シンフォニーの録音にて再度受賞。
1991年 SONY CLASSICALへ移籍 ショパン ピアノ作品全集にてSonyへ録音がスタート
1992年 NHKにて「ショパンを弾く」放送 ご存知、NHK「ショパンを弾く」の放送開始。いまだに思うが、NHKの番組担当者はどうしてカツァリスに白羽の矢をたてたのか。よほどの慧眼か、そうじゃないか。だって、「モーツァルトを弾く」がワルタークリーンとか、ベートーベンかなにかはオピッツとか・・・。B級ピアニストばっかりだし。
1995年 Sonyから「イタリア風バッハ」をリリース この後、Sonyとケンカ別れ。
1997年 Knight's Order of Arts & Letters 受賞 フランス政府より叙勲
1999年 カーネギーホールで記念演奏会 ショパン没後150年のメモリアル演奏会をまかされる。2000年にはバッハのメモリアルコンサートも開く。NYでは絶大な人気のカツァリス。
2001年 ついにオリジナルCDレーベル立ち上げ どこからもCDがでないのに業を煮やし、自分でレーベルの立ち上げを計画。とうとう7月に2枚の新譜が発売された。
2001年 ロン=ティボー国際コンクール審査員 11月に開かれたピアノ部門コンクールで審査員を務める。ちなみに審査委員長はネルソン・フレイレ。

Private
家族
  姉がいるらしい。この姉の影響でピアノをはじめたとか。子供好きで、この姉の子供たち(つまり甥、姪)を可愛がっている。あと、現在でもかなりの「お母さん」子だそうな。つまりマザコン。。。
異性
本人はいまだ独身。某アングラサイトでは、日本でファンに手をつけたなどと陰口をたたかれているが、本人を知れば納得。「音楽と美しい女性達への興味は永遠だ」とかやたらと女に例えるなど本人も自覚するほどの「病気」(本人談)。フランスでリサイタルを開いたとき、その直前に知り合った女性を急に呼び寄せたくなり、飛行機をチャーターしたことがあるらしい。。。うーん、ジュトゥヴー。管理人と好きな女のタイプを話すときが一番盛り上がり、神がもっとも地上に降りてくる瞬間。。。
性格
典型的な陽気なフランス人らしい。本人いわく「偉大な作曲家の生まれ変わりに違いない」だとか。外人特有の寒いギャグが炸裂するようだ。この陽気な性格がクラシック界では損をする。日本のファン様やエライ評論家様達は、苦虫噛み潰したような顔をしてる変人が好きなので。ただ、音楽面、仕事面ではかなりの偏屈でプライドが高い。絶対に人の言うことを聞かない頑固者。かなり人生損しています。
嗜好
タバコ、酒はダメ。食べ物は、神戸牛が最大の好物。このために最近神戸公演をやっているのではないか・・・。かなりの偏食で、生魚いっさいだめ。エビカニなどのたぐいはどんな風に姿を変えていてもだめらしい。卵、牛乳もだめ。生魚も卵もだめだが、魚の卵、つまりイクラなどは好物らしい。一日一食。修行僧のようだ。日本公演中もファミレスでハンバーグ食べてご機嫌。ちなみに、宇宙で1番うまい食べ物というのが、目黒のトンカツ屋。日本に来た際にはかならず足を運ぶ店。(ここを参照ください)
仲間
ほとんど情報なし。こういうところもマイナー路線をつきすすんでいていい。好んで共演する指揮者もいないようだ。日本の宮沢明子が知りうる唯一の演奏家仲間。
本人がこう語っている。「ボクの夢はヒロヒト天皇陛下に会うことなんだ。同じファミリーで124代2000年以上も続いている。天皇陛下に英雄と皇帝を弾いて捧げたい」 どこまで本気なのかわかりません。それにしても、124代って知ってるのもすごい。
ピアノ
ピアノは、コンサートではスタインウェイかヤマハを 使用。大きなホールでは豊かな響きのスタインウェイを使い、小さなホールではヤマハを使うという使い分け。ヤマハは緻密なタッチで表現できるそうな。レコーディングでは、加えて、ベートーベン交響曲全集制作の際に、マークアレン(カツァリスのための特製)、ベヒシュタイン、などを使用
レパートリー
極めて個性的。一言で言えば、「他人の弾く曲は興味がない」。ショパンはSonyへピアノ全集を録音しようとしたくらいだがもともとの発端は他人が録音していないマイナーな曲を録音して「本当の全集」を作りたかったところからはじまる。リストは、晩年の曲のみ好んで弾き、超絶技巧練習曲などは弾かない。ラ・カンパネラなど絶対死んでも弾かない。ベートーベンは交響曲を全曲弾いたが、ソナタは12番と31番のみ。シューベルトもソナタはD960のみで、 リスト編曲の歌曲が5曲のみ。モーツァルトは、一部のソナタ、幻想曲は手をつけたがいまはコンチェルトしか弾かない。そのコンチェルトもカデンツァをいじりたおして好き勝手弾いている。ブラームスは10年前にソナタ3番を弾いたがそれっきり。その他、中心になるのは、バッハ編曲ものや、タルベルク編曲ものなど。最近は中南米のピアノ曲をみつけてきて好んで弾いている。故郷キプロスの音楽を中心に地中海ものも得意。
コンチェルトも少なく、リストのハンガリー幻想曲と第2番協奏曲は得意なようだが、あとは、バッハの3番、シューマン、ベートーベン第3番協奏曲、ラヴェル、モーツァルトのみを繰り返して弾くだけ。以前、管理人が、なぜもっとポピュラーなコンチェルトを弾かないのかと本人に尋ねたとき、「例えば?」というので、チャイコ1番はどうかといったら、 「10年前にオーマンディと共演した」という答え。彼にとって、誰でも弾く当たり前の曲は面白くなくて、1回弾けば十分ということなのだろうか。いずれにしても招聘元としては在京オケに売りにくいと思われ。いつかもう一度ラフマニノフ3番なんかを弾いてほしいものだが・・。
そのほか
身長170cm、ややメタボ。現在、パリ在住。

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