ゲリボル(GELIBOLU)

投T要
イスタンブールより西へ約270km。ゲリボル半島の真ん中あたり。
チャナッカレ県に属する、ダーダネルス海峡に面した人口約2万人の港町。
夏のサルダルイェ(いわし)は有名。港近くには、いわしの缶詰工場が 数ヶ所ある。
海峡に面しているためか、年中風が強い。
ヨーロッパでは「ガリポリ」の名で知られている。

港の風景 うちのベランダより

中央やや右寄りに見えるのは、
ビザンチン時代の城の遺跡

痘史
元々はギリシャ人が住む、カリポリス(美しい町という意味) という町だった。 一番古い要塞はビザンチン時代、ユスティニアヌス1世によって築かれ、 既にその頃から、ダーダネルス海峡は戦略上の重要拠点だったようだ。
その後アラブ人の侵入や、 1190年には、第3次十字軍が侵攻してきた経歴もある。
港近くには、城の遺跡があるが、今はほとんど跡形もない。
1453年に、コンスタンチノープルがオスマン帝国に占領されると、この町は オスマン帝国海軍の軍港となった。

塔Qリボルの戦い
第一次世界大戦中、この半島で繰り広げられた、ドイツ側についたトルコ軍と、 連合国軍の壮烈な戦いのこと。
1914年から16年までの間に両軍合わせて、11万人以上の兵士が亡くなっている。
1915年4月25日は、連合国軍がそれまでの海上戦から、陸上戦に作戦を切り替え、 ゲリボル半島先端の岬に上陸した日。
これにちなみ、毎年4月25日には、半島先端の「アビデ Abide」という モニュメント前で、戦死者を出した国々の慰霊祭が行われている。 イギリスと、当時の植民地であったオーストラリア・ニュージーランド・ インド・パキスタン、そしてフランス、トルコが主な参加国。
モニュメント近くには、これらの国々の慰霊碑も立っており、 この慰霊祭のため、当時の殉死者たちの孫、ひ孫たちが観光をかねて大勢 やって来る。
尚、この日をトルコでは「アンザックの日」(注1.) と呼んでいる。
また、トルコの父(初代大統領)ケマル・アタチュルクは、この戦いで一躍名を 馳せ、その後の祖国防衛戦でも数々の成功を収め、近代トルコの基礎を築いて いったことは、誰しもが知ることである。


注1. アンザック
A.N.Z.A.Cとは、(Australia.New.Zealand.Army.Corps) の略。
上陸した兵士のほとんどが、オーストラリア人、ニュージーランド人 であった為、この名がついた。

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