ディヤルバクル散歩@

城壁
町をぐるりと囲む城壁はチャコール・グレーの玄武岩で出来ており、、周囲5.5km、高さは12m。壁の厚さは3〜5m。合計82の塔がある。
最初の建設時期はよくわかっていないらしいが、349年、ローマ帝国コンスタンティノス帝によって 拡張、一部分修復されたことはわかっている。主な塔には、トルコ・イスラム様式の碑文が示されている。
この城壁には、元々4つの門があったが、町が大きくなるにつれ新たに4つの門が追加された。
門の名は、北から半時計周りに、サライ(Saray)門、ファーティフ(Fatih)門、ダァ(Dag)門、 テク(Tek)門、チフト(Cift)門、ウルファ(Urfa)門、マルディン(Mardin)門、イェニ(Yeni)門。

この城壁に囲まれた地区はいわゆる旧市街。大通りは、南北に1本と東西に2本のみ。あとは細い路地が ごちゃごちゃと入り組んで、とてもわかりづらい。
この地区はいわゆる旧市街で、歴史的な見所が集まっている。
主なものは、ウル・ジャーミィ(大モスク)、4本足のミナレット、サファ・ジャーミィ(サファ・モスク)、 メルイェマナ・キリセシ(聖マリアの教会)、デリレル・ハン(現ケルバンサライ・ホテル)、 ジャーヒト・ストゥク・タランジュ博物館など。

歩いて十分に回れる範囲だが、この辺りはスラム化したような場所もあちこちにあり、 治安はいいとは言えない。
昔は、さぞかし素晴らしいお屋敷だったろう建物が、保存状態が悪く朽ちかけている所も多い。
元々、キリスト教徒の町であっただけあり、教会もあちこちに残っているが、 (一部の教会はモスクにされている)こちらも、キリスト教徒が次々に町を出て行ってしまったため、 維持が出来なくなり、廃墟と化しているところもある。
もちろん、今でもちゃんと活動している教会もあるが、運営は大変だという。

♪それでは、順にディヤルバクルの主なものを紹介していきます。

ウル・ジャーミィ(大モスク)

ウル・ジャーミィ外観 エンピツのようなミナレット(尖塔)

トルコ・アナトリアでのイスラム社会における最古のモスクです。歴史あります。
まず、パッと見た感じ、トルコに数多くある、その他のモスクとは様子が違います。
トルコのモスクといえば、大きなドーム屋根が真中にドーンとかぶさっているものを思い浮かべますが、 あのタイプのモスクは、オスマン朝時代の建築様式です。 イスタンブールなどでオスマン朝のモスクを見慣れた目には、珍しく映るでしょう。

それもそのはず、このモスクには面白い歴史があったんです。
639年に、イスラム軍がこの町を征服した際、それまで建っていたMar-Toma(聖トーマス)教会を モスクとして使用し始めました。
それまでのディヤルバクルの町は、ローマ帝国の一部だったので、住民はキリスト教徒だったわけですが、 アラブ人が増えるに従ってイスラム教徒が増えていきます。住民のイスラム化が進みます。 従って、このモスクも時代と共に、モスクらしく建て替えられていったということです。
現在の建物は、11世紀、セルジューク朝時代のものらしいです。
そして、教会の鐘楼の上にはイスラムのミナレットが付け加えられています。これ、エンピツみたいで可愛いです。

内部(礼拝堂) 回廊の柱のレリーフ

大通りから、門をくぐって中に入ると、広い中庭になります。
この中庭をぐるりと回廊が囲っています。回廊の柱の装飾がとっても繊細で綺麗です。 (写真ではよくわからないのが残念)
中庭の真中に、シャドゥルワンという清めの泉があります。その左手に礼拝堂。
この礼拝堂は、横にだだっ広いのが特徴です。内装はいたってシンプル、明かり取りの窓がある程度で、 装飾は殆どなし。オスマン朝の豪華絢爛なモスクとは、まったく違った趣です。
建築材は黒い玄武岩でしょうか。ディヤルバクルの建築物は、この玄武岩がよく使われていますが、 この土地らしい、どっしりと落ち着いた感じ、また時に威圧的な感じ、質実剛健という言葉がよく似合う モスクです。
なお、このウル・ジャーミィは、シリア・ダマスカスのウマイヤド・モスクによく似た形式であるらしいです。


ディヤルバクル散歩A

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