エジプトの旅

ファラオの夢を追いかけて



朝起きると一番で地下のレストランまで行き、ベランダからナイル
川沿いのテラスに出た。

ホテルの後ろから太陽が昇ってくると、「王家の谷」があるナイル
西岸の山々を照らし出す。

熱気球が八つ上がっていた。
気球からナイルの恵みや「王家の谷」を眺めるそうだ。いいなあ。
うらやましい。
ナイル川から「王家の谷」の山々を望む
きょうはツタンカーメン王墓の発見で名高い「王家の谷」に行く。

ツタンカーメンの黄金のマスクは日本にも来たことがあるが、あ
の黄金の輝きはまぶしかった。「ツタンカーメン」と「モナリザ」は
どちらも忘れることが出来ない展覧会だった。

そして、もうすぐ「王家の谷」に踏み込む。
きょうも6時モーニングコール、7時半出発だ。

王家の谷のずっと手前、右手に大きな二体の巨像がある。

「メムノンの巨像」だ。
メムノンの巨像(修理中の像がその昔泣いたそうだ)
もともと第18王朝のアメンヘテップ3世葬祭殿の正面を飾ってい
たそうだが、今はこの像だけが残って、あとは何も残っていない。

ここも観光客目当ての野犬が目につく。

二体の像のうち、右側の像はその昔、明け方になると鳴き声の
ような音を出したという。(「ナイルの遺産」から)

トロイ戦争で討たれたエチオピアの英雄メムノンが、母である暁
の女神に悲しみの挨拶をする声だと言い伝えられ、「メムノンの
巨像」という名前がついた。

今は巨像の前で写真を撮ると通り過ぎて行く。
メムノンの巨像。その向こうに広がる王家の谷の山
すぐにハトシェプスト女王の葬祭殿が見えてくる。

岩山に華麗なテラス式の建物が作られている。

この女王の生涯は謎に満ちている。トトメス1世の王女に生まれ、
結婚して王妃にもなるが、側室に跡継ぎが生まれると摂政になっ
てエジプトを治めた。

女王として君臨したのは20年ほどだった。

王を宣言し、男装していたとも言われ、長い間、歴史学者の間で
も女であることが分らなかった。
ハトシェプスト葬祭殿
ハトシェプスト女王の最期は分っていない。

成人した側室の子、トトメス3世が軍隊を引き連れて戻って来て、
女王は追放されたとも、自害したとも言われている。

この華麗な葬祭殿にあったハトシェプスト女王のレリーフや彫像
もすべて破壊されいまは建物が歴史を伝えているだけだ。

この葬祭殿はキリスト教徒が一時使っていたこともあり、その時、
描かれた壁画なども残されている。
葬祭殿前の像 葬祭殿の像
葬祭殿の彫刻 葬祭殿の壁画
王家の谷のチケット売り場からトロリーに乗る。

黄金のマスクを印刷したチケットを見ると、「The Valley of 
The Kings」(three tombs)とあって、70ポンド(1400円)と
なっている。入場料とどれか三つの墓に入っていいよということ
だが、ツタンカーメン王墓はこのほか80ポンド取られる。

ハトシェプスト女王葬祭殿は25ポンドが必要だった。

チケット売り場から見る「王家の谷」はほんとにグランドキャニオ
ンのようだ。この谷のあちこちにファラオの墓が眠っている。

チケット売り場の周囲にはみやげもののテントがいっぱい出てい
て、盛んに呼びかけてくる。「1000円、1000円」というのが一
番多い。
葬祭殿前のみやげもの屋
真っ先に「ツタンカーメンの墓」に行く。

チケットには「Tut−ankh−Amun(トゥト・アンク・アメン)」となっ
ている。

陽が高くなって猛烈に暑くなってきた。2月だが30度は越えてい
るだろう。

暑さよけに傘をさす。それに砂埃がすごいので、マスクもする。

傘をさし、帽子、白いマスク、それにメガネをかけ、首からカメラ
という姿はなんとも異様だが、国辱ものだが仕方がない。

これが7月、8月だったらどういうことになるのだろう。

現地のガイドは「50度を越える日もあります」と平然と言う。
「えっ、50度?」と疑ってかかると「本当です」と怒られてしまった。

「Tomb of Tut−ank Amun」の標識があり、ここがツタンカ
ーメンの王墓だ。
ツタンカーメン王墓の道標
「ああ、やっと来たんですね」

ツアーの皆さんが皆感激している。

ピラミッド、スフィンクス、アブ・シンベルの奇跡と見どころは多い
が、このツタンカーメンの王墓もいつか来たかったひとつなのだ。

若くして死んだこのファラオの名前は歴代ファラオの名前を刻ん
だ王名表や碑文から消し去られていた。

1922年11月、イギリスの考古学者ハワード・カーターの発見は
劇的だった。

大富豪のカーナボン卿の援助で発掘を手がけていたが、5年たっ
ても何も出てこない。もうおしまいという時に、水甕を運んでいた
少年が水をこぼし、それが地下にどんどんしみ込んで陥没が出
来た。それがきっかけだった。

王墓からは黄金のマスクや副葬品が山ほど出てきて、カイロの考
古学博物館の目玉になっている。
王墓のプレート ツタンカーメン王墓の説明板
発掘した品々はエジプト政府に没収され、わずかの金が渡され
たが、カーターはその金をすべてカーナボン卿の未亡人に渡し、
”発見者”の名誉だけで満足したという。

たいしたものだと思う。

そろりと地下の階段を降りて行く。

王墓そのものは意外と小さい。しかし、壁画などはいまも色彩豊
かに残されている。

一番奥の玄室に棺があり、ツタンカーメンはいまも眠っている。

このファラオの生涯も謎だ。事故で死んだのか、暗殺されたのか
それも分っていない。
山の上から王家の谷を見る
「王家の谷」から山を登ってみた。

傘をさし、陽射しを避けながら息をきらせて登っていく。

20分も登って見晴台のようなところまで行き、振り返る。

蛾蛾としたまさに”死者の谷”のような感じだ。

そこに王墓が点在する。

ガイドのアハマッドさんが立っている姿はアラビアのロレンスのよ
うだ。

尾根道をゆらゆらと荷を乗せたロバが歩いていく。

ツタンカーメンが即位したのは紀元前1347年だというが、そんな
昔に返ったような気がしたのは白昼夢だったろうか。
ガイドのアハマッドさん
それにしても熱い。

あまり時間はないが、チケットには他のファラオの墓にも入場出来
るとあるので、近くの王墓に2つ入ってみる。

どちらも壁画が素晴らしい。暑さも忘れ、じっと見入ってしまう。
日本では卑弥呼の時代さえもはっきりしないが、それよりさらに
2000年近く前に、こんな文明が砂漠の中に開化していた。

エジプトの途方もないスケールの大きさに息を飲む思いだ。

日陰の休憩所に入って少し休む。ガイドさんがツアー客のビデオ
を預かって持っていたら、警備の人が鋭い目で近づいてきて怒鳴
りだした。

どうやらビデオは持ち込みもダメらしい。
貴族の墓近くの風景
「王家の谷」からバスで移動して、貴族の墓に向かう。

ファラオに仕えた軍人や書記などの墓がいくつか公開されている。

途中に集会所のようなイスラムの礼拝所があった。ちょうど午後2
時で、一斉に祈りの声が流れ始めた。

アハマッドさんに「のぞいても失礼になりませんか?」と聞いたうえ
で祈りの場を見学しようとした時だった。

少年が駆け足でやって来て大きな声で叫び始めた。
どうやら、土足で入るなと言っているらしかった。

そんな気はなかったが、あまりの剣幕にびっくりして止めた。

この辺はちょっと貧しい地区だ。

こどもたちが自分で作った粗末な人形を手に持って「1ドル」と寄っ
てくる。ちょっと胸が痛み、10年前のアンコール・ワットのこどもた
ちを思い出した。
水を冷やすかめ
民家の近くにかめが置いてある。

かめに水を入れて置いておくと水が冷たくなるという。すくって手に
かけてくれたが、生ぬるかった。

砂漠の中では貴重な生きる糧なのだろう。

ホテルに戻って一息入れ、プールサイドを通って、ナイル川のテラ
スに出た。夕方だったがプールサイドには金髪のご婦人たちが大
胆な格好でデッキチェアに寝そべってまどろんでいる。

向こう岸の王家の谷の山々が暮れなずみ、ナイル川に浮かんだ
ファルーカが美しいシルエットになっていた。



BACK   NEXT