アニメ雑記


ここではアニメ関連で日々思ったことを適当に雑記しています。
レビュー内と多少被る内容もあると思います。


勇者シリーズ、ウルトラシリーズの人間ドラマ
ドラえもん最終回について
レイラ、ロゼッタはステージに選ばれたものではなかった?
OVA(映画)に望むこと
最近のカレイドスターについて


2005年 6月9日 勇者シリーズ、ウルトラシリーズの人間ドラマ

このHPを立ち上げて早くも一年近く。
最近では勇者シリーズを中心に作品を評価してきました。
さて、勇者シリーズの作品の魅力の一つに、少年とロボットの織り成すドラマが あると思います。
その中でふと思ったことがありました。
シリーズの中で私的な評価が高い作品は比較的ロボットの ドラマ部分が多いものなんです。
逆にドラマが少々少ないがためにガオガイガーやマイトガインは 評価が他のに比べて低い原因でもあるようです。
では一つ一つ作品を検証してみます。
まずエクスカイザーではコウタを中心にしており、周囲の人々や ゲストのキャラを含めてのドラマが中心となるために人間ドラマが主流。
その中でコウタがエクスカイザーと異文化交流したりするところにこれまでにない 人間とロボットのドラマが生まれました。
これがシリーズの基本となるわけですが、あまりその要素は出てくることが 少なかったです。
特に惜しかったのがカイザーズの面々にドラマがさほど見れなかったこと。
まあカイザーズは正体を隠しているのでそのために生まれるドラマ部分も あったものの、人との絡みはほぼ皆無に近かったので勿体無かった気がします。
そしてダ・ガーン辺りより少年がロボットに命令をする系統が増えるわけなのですが、 そのためにさらに偏りが出てきてしまったなという感じです。
少年が地球を守るウエイトを多く占めれば占めるほど、少年にクローズアップされる。
そしてその成長が描かれる。
そのためにドラマがどうしても少年に集中し、命令を受けるロボットたちはどうしても 命令を受けるだけの存在になり没個性になりかねません。
ダ・ガーンたちにしろ、勇者特急対にしろ敵との会話という会話もなく、 主役以外は印象に残ることが少なかったです。
当初はまだ敵に対する口上があったものの、それも途中からなくなってしまいました。
その全てが駄目な方向に収束してしまったのがマイトガインだったのではないでしょうか。
ロボットは戦うためだけの存在になってしまったのもそうなのですが、舞人が完全に出来た 人になってしまっている。
悪党と戦っても大抵は負けない、相手が同じ人間なのも大きいとは思いますが。
精神的にも悪を倒すために負けないと一貫しており、成長という成長もない。
バックボーンである両親の過去ですら大して触れられない。
ロボットはおろか、人間ドラマもない。
事件が起きて舞人が調査してロボットが出てきたら倒す。
それだけになってしまう・・・と思いきやそうでもないです。
マイトガインを見た感想としてドラマが希薄だったとはあまり思わないんです。
というのもジョーやウォルフガング、エグゼブなどとの織り成すドラマは悪くなかったです。
さらにウォルフガング単体でもドラマがあったので、それなりにドラマがあった。
パープルに追いやられたホイコウロウとチンジャもなかなかにドラマもありました。
しかしこれでは大きな問題があります。
この作品の主人公はあくまで舞人、舞人が中心となり悪を退治していく作品のはずです。
悪役はその引き立て役(こう言い切ってしまうのは悲しい気もしますが)の存在。
その悪役のほうがドラマ部分が充実していているのは宜しくない。
それに悪役の出番も多くはないので、やはりドラマが多かったとは思えない。
舞人とはジョーを除く悪役(ジョーはライバルという位置づけだけど)と、戦い以外 での絡みが少なかったのは残念でした。
そのドラマ自体の出来は悪くなかったんですけどね。
ジェイデッカーは人間ドラマとロボットのドラマが両立しており、 特にロボットに焦点が多かったのは特筆できます。
人よりもロボットの方に焦点が置かれることも多かったので 多少ロボットの方に偏りはあったものの、それでもドラマ部分は充実していました。
が、ちょっと物足りなさを感じたりもします。
その理由としては思いのほか勇太とBPの絡みがさほどなかったこと。
ロボットが登場したての頃は勇太との絡みは多かったものの、 それ以降はロボット自身が独立したドラマを展開していたので両立した ドラマがあまりなかった感があります。
このシリーズのドラマの魅力といえば、人々とロボットの 価値観や概念の差によって起こるドラマ。
そのおかしさが一番の楽しみだったんですねこれが。
まあこの作品の場合はそれとはまた別の良いドラマが見れたので これはこれで良かったということに違いはないんですがね。
ただロボットのパートが多い分、多少勇太の存在が奇薄だった回も 少なくなかった結果ともなってしまった気もしますけどね。
ゴルドランもやはり人間ドラマが中心で、ロボットのドラマは少なかったです。
でも脇のロボットたちも個性や、何より他では見られないほどの生真面目さ 等の面白みがあったのでさほどそういった点も気にならなかったと言えば そうなのですが。
続くダグオンでは当然ロボットの存在は奇薄だったので人間ドラマが中心と なるわけですが、意外にそうでもなかったです。
主人公たちの成長もないのでやはり戦闘が中心となり、 今まではロボットに頼っていた戦闘部分を人が担当することとなるので、 事件が起きたらすぐさま調査が可能になります。
それだけでもストーリーが成立してしまうので、戦闘が中心となる ストーリーもしばしば。
勿論ドラマ部分が少なかったわけではないのですが、戦闘部分が多かった イメージも大きい作品です。
題材の割に人間のドラマはなかった感があったりしました。
そしてガオガイガーですが、この文の冒頭にて個人的にはドラマ部分が 少ないと評価しました。
これまでにないほど膨大な設定や、 描くべき描写が多いために人やロボットのドラマを描くのは難しいと思います。
しかしガオガイガーはこの点を戦闘においての個性の出し方や、 何気ない描写で見せています。
これは簡単なようで意外と難しく、そして成功すれば非常にストーリー展開も スムーズになるために成功すればとても大きな効果と成果を挙げれます。
それが完全に引き出されていたかは人の思うところでもあると思いますが。
とはいえ今作は戦闘部分、組織における中での必要な描写が多いので ドラマが奇薄になりがちだった気はしてしまいます。
私的には護にもう少しクローズアップをしてほしかったと思いました。
人々を守る力であってもその力の存在が友達に知られたとき自分は・・・
こういうドラマ性こそヒーロー物ならではの描くべきストーリーだった気がします。
なので個人的にこの辺りの描写が少なかったのは残念でした。
こういったドラマはかつてのシリーズでもなかった要素なので、 できればもっと掘り下げてほしかったです。
そして最後にファイバードですが、個人的にはシリーズで一番このドラマが 好きだったのがこれです。
言うまでもなく火鳥勇太郎とケンタたち地球の人々との交流が 面白く、 火鳥は人の姿を模しているのでその分人間ドラマ、そして交流が秀でて自然に 描かれる。
当然脇を固めるガードチーム、エースバロンのドラマもそれなりに用意 されていたので個人的に この作品がシリーズで一番好きな理由はこれによるところもあります。

続いてウルトラシリーズですが、いわゆる第一期は怪獣の誕生の過程が 明確に描かれていました。
が人として、ウルトラマンとしてのハヤタのドラマがさほど描かれなかったかもしれません。
セブンでは宇宙人であるダンの葛藤が描かれたものの、意外と 個性というものが描かれていたかという点では意外にも微妙です。
第二期では人間ドラマや、日常までもが描かれたために個性が 描かれていたものの、逆にその分怪獣の誕生が唐突だったりしたこともしばしば。
勇者シリーズにしろウルトラシリーズにしろ、 この辺は見ている人が何を求めているのかが肝になるわけなので、 どうしても同じシリーズでも意見やファン層が別れてしまうのは仕方ない気もします。
しかしいくら同じシリーズを続けていく中で大きく評価される要素があったとはいえ、 それを延々と続けていけばいいものとも思えません。
シリーズものというのは作品を作るうえで自由度のなさは確かに存在しますが、 それを感じさせないほどの作品作りとて不可能ではないでしょう。
新たな機軸で見事に名作と成しえさせた仮面ライダークウガやウルトラマンティガ などの例にあるように、例えシリーズから見ればどのような形であれ 良い作品は良いのではないでしょうか。
むしろ、シリーズ作品を評価する際に過去のシリーズの魅力なども大事かも しれませんが、それだけで作品を評価するのは勿体無い気がします。
シリーズ作品であっても、その作品の魅力はその魅力に違いはないはずですから。
あれ、終わりのほうはちょっと話がずれたな。


2005年 3月20日 ドラえもん最終回について

超国民的アニメとして長年親しまれ続けてきたドラえもん。
そのドラえもんの声優が変更とり、新声優の発表などで最近ドラえもんの 話題は事欠くことありません。
そんな中先日ドラえもんのスペシャル番組が放映。
その中でドラえもんに休日をという作品が放映されました。
この話はとりあえずの大山のぶ代さん他旧(というには早計ですかね) 声優陣の方々が演じる最後のドラえもんということで放映されました。
しかし、しかしです。
この話はその最後を飾るには、いえ一つの作品としてあまりにダメで見ていて 思わず「ドラえもんはもうダメだ」と思わずにはいられませんでした。
もっともこの話自体は僕自身が自分で見ようと思って見たのではなく、友人よりの あまりに酷かったという報告を聞き、試しに見たのが始まりでした。
その結果確かに酷いものだったので、書かずにはいられなくなり急遽 特集してみました。
では何がどうダメだったのか話を追いながら紹介していきます。
まずドラえもんに休日をという話ですが、これはすでに数年前に放送されたものの リメイクということでした。
この話自体がどういう話なのか僕自身は知らないので、とりあえず友人より聞いた話や ネットで調べた情報を元にドラえもんに休日をのオリジナルの回がどのようなものだったのかを調べました。

1.オリジナルの回の内容
まず事の発端はドラえもんがのび太がいるためにいつも気が休まることが ないと言ったことがきっかけでした。
それを聞いたのび太は今度の休み(日曜日ですかね)は ドラえもんには一切助けを借りないからと約束します。
それを聞いたドラえもんはミーちゃんとデートをすることになりました、 がそれでもどうにも不安なドラえもんはいつでも自分を呼ぶことの出来る 道具をのび太に渡しました。
そんなものいらないと言うのび太ではありましたが、とりあえず受け取り 今日は絶対このブザーを押さないと決心。
ジャイアンやスネオにも宣言してしまいます。
ここでのび太の虚栄心が伺えて、少々どうかと思うのですが・・・
それを聞いた二人はそんなこと出来るはずがないと感じのび太 を監視します。
しかし予想に反しのび太は様々な困難を自力で乗り越え、業を煮やした二人は自ら 策略を用いてのび太に様々な仕掛けをします。
それらをも回避したのび太だったものの、ここで運悪く悪ガキに絡まれピンチに陥ります。
二人は今度こそスイッチを押すだろうと思っていたものの、のび太は自らそのスイッチを 踏みつけて破壊。
その勇気と意志の固さに心を揺れ動かされた二人はのび太のために力を貸し、のび太はその場も 切り抜けることに成功。
遂にのび太は約束を守ることに成功したのです。
帰ってきたドラえもんは本当に何もなかったのかとのび太に問うものの、 のび太は何もなかったと答え、怪我をした絆創膏を手の平で隠すのでした。

ストーリーの流れはこんなものです。
この話自体も、ドラえもんに頼る気がないのにそのことをあんな二人に伝えたり スイッチを持ち歩いたりしずかちゃんに頼まれて思わずドラえもんを頼ろうとしてしまったりと 突っ込みどころは満載です。
とはいえ漫画版ドラえもん6巻のラストを飾った物語のように、のび太の勇気と 根性、そしてあの二人がのび太に共感するというストーリーとしては悪くない出来のようでした。
ではそれらを踏まえてこの度放送されたリメイク版を検証してみます。

2.リメイク版の内容
さて問題のリメイク版ですが、まず愚痴を言ったドラえもんのためにのび太は例によって 休日にしてあげると約束します。
この辺の流れはほぼオリジナルと同様で、全てのトラブル(この時点では悪がき とは遭遇しません)を解決した のび太は家にたどり着き、自信をつけます。
しかしそこへのび太の母が登場し、拍子にスイッチを押してしまいます。
そこでドラえもんが駆けつけますが、くだらないことで呼ばれたと思ったドラえもん は腹を立て、さらにミーちゃんも帰ってしまったことで ドラえもんの怒りは爆発。
ドラえもんは未来に帰ってしまいます。
弁明を唱えても聞く耳を持たないドラえもんに、のび太はそれでも 仕方ないとし変わらない生活を送っていました。
しかしその後例の悪がきどもに絡まれ、そこへジャイアン&スネオが手助けに入ります。
ところがこれで話は解決せず、その悪がきの兄が出てきてまた状況は一転。
のび太はまた窮地に陥ります。
そんな時未来のドラえもんは頑なに過去へ行くことを拒んでいましたが、 ドラミはネズミ型ロボットを使ってドラえもんをのび太たちの元へ誘導します。
逃げに逃げていたドラえもんは、拍子で悪がきどもを吹き飛ばし、二人は仲直り。
こんな感じです。
かなり簡単に流れを追いましたが、これで少しでも話が伝わるかちょっと 不安ですがまあこんなもんです。

3.何がいけないのか
では何がいけなかったのかを検証します。
まずドラえもんがミーちゃんに振られてしまう理由ですが、これはさほど のび太に非はありません。
オリジナルではドラえもんは一切コールがなかったのでずっとミーちゃんとデートしていました。
しかしこのリメイク版ではのび太のことが気になって 仕方ないドラえもんが度々デートを中断していたのです。
最後の最後での緊急コールが止めとなったのは事実ですが、ミーちゃんの 堪忍袋の尾が切れてしまった原因はドラえもん自身が 作っていたと思います。
止めを刺した最後のコールのことを考えるとのび太にも非があるとは思いますが、 それでもミーちゃんに振られた原因を作ったのはドラえもんだったと言えるでしょう。
のび太はドラえもんが度々自分の様子を伺いに来ていたことなど知らないので、 とりあえず自分に非があると認めながらも弁明していましたがドラえもんは 聞く耳を持っていませんでした。
あまりに理不尽な怒りに僕自身のび太が可哀想でした。
これで未来に帰ったドラえもんの姿には怒りすら覚えました。
というより過保護すぎるドラえもんの姿には少々行き過ぎな気がしました。
のび太の努力を無にしたのはドラえもんだったとも言えます。

次に問題なのは、のび太がスイッチを押してしまったこととその原因です。
のび太がスイッチを押してしまったのは家に帰ってきたとき、母が後ろから現れて なぜか体勢を崩してしまい(別に何ら倒れる必要はなかったはずです)、 なぜか握っていた左の手の平が開かれそこからスイッチが手の平に現れ、 なぜか右の人差し指がスイッチを押す形になり、結局スイッチを押してしまったのです。
これは言葉ではなかなか表現できませが、あまりに不自然であまりに意味が不明 だったので意図が全然掴ません。
考えようによっては突然現れた母親に驚いてドジなのび太が倒れてその拍子に押してしまったとも 考えれないこともないですが、やはり不自然すぎてこればかりは やはり理解できません。
ここで押してしまったことの是非を問うつもりはありませんが、 押させるならもっとその原因と経緯を明確にするべきだったと思います。
あとやっぱりのび太の努力を完全に無にしたことだけは納得いきません。

そして最後で最悪の問題点。
のび太とドラえもんが仲直りする場面ですが、これまたあまりに唐突であまりに適当でした。
兄の姿を見かねたドラミはネズミ型ロボットを使いドラえもんを過去の時代へ誘導、 逃げ惑うドラえもんは無意識なままに悪がきを追い払い、そのまま二人はちょっと 拗ねながらも仲直りするというものでした。
ここで問題なのはほとんど無理やり二人を仲直りさせる状態にしてしまったことです。
結局何一つ二人は再会するまで自分で互いを許しあう描写はなくこともなく、 無理やり感が多すぎだったんです。
まあ元々仲の良い二人なのできっかけさえあれば仲直りすることは出来たとは思いますが、 話の展開が乱暴すぎだった気がします。
そして問題はこれだけではありません。
二人が仲直りする際にかけた最初の言葉は、のび太の「ドラえもんごめんね、ブザー壊しちゃって」 というさらに検討外れもいいところのセリフでした。
のび太が馬鹿だからと言われればそれまでかもしれませんが、それにしてもこのセリフは おかしいことくらい気付きそうなものですが・・・
しかし今回の話は一体なにがしたかったんでしょうか。
のび太とドラえもんにケンカをさせて仲直りさせるという話で感動を誘いたかったのかも しれませんが、こんなのでは感動のしようがありません。
これが大山さんの演じられるドラえもんの最後の物語なのかと思うと悲しくなってしまいます。

さらに細かく指摘すると、いわゆる海外アニメっぽい動きと描写というのでしょうか、 人間が不自然な形に変形したり、ありえない動きをするなど違和感を 覚えずにはいられない描写。
猫でありながら浜辺ドラえもんと戯れ(猫なのに)二足歩行する猫のミーちゃん。
スネオの兄の車でのび太が乗ってしまったトラックを追いかけたのにいきなり 工事中で通れなかったりと(だったら先に走っていったはずのトラックはいずこへ?) 悪がきどもがのび太の持っていたスイッチをゲームかと思い(アレをどう見たらゲームに 見えるのか) 無理やり奪わせようとするという 無理な展開、等など細かい指摘は多かったものの、これらが気にならないほど 脚本に問題がありました。
とりあえず大山さんのドラえもんは最後ということで見させてもらった今回ですが、 この話の出来ではドラえもんもそう長くはないなと感じさせられました。
近年のドラえもんを見ることはほとんどなかったのですが、一つの決算といえる 今回の出来がこんなものでは近年の出来を推して見るのは難しくありません。
声優が変更されてまで続けられるドラえもんですが、果たしていつまで続くのでしょうか?
声優の変更に伴い下手に続けず終了させるべきなのではないかという声が 上がっていますが、僕もそう考えずにはいられません。
一番僕が恐れていることはもしドラえもんが打ち切られた時に それが声優に責任を擦り付けられないかということです。
長寿番組を神格化させる日本の風潮ではドラえもんが終了にあたると 内容には目を向けず、イメージに合わなかった声優さんを責めることに なるのではないかと思わざるをえません。
もしそうなると第一線で活躍されている関さんとかかずさんが可哀想です。
変なレッテル貼られそうですからね。
おかしなことになる前にドラえもんは思い出と共に永眠させるのが一番なのではないでしょうか。



2005年1月15日 レイラ、ロゼッタはステージに選ばれたものではなかった?

ステージの精であるフールが見えるということはその人間はステージに選ばれた プレイヤーであるということです。
とはいえ僕は最近この定義に少々疑問を抱いています。
TVシリーズの最後でフールが見え始めたロゼッタですが、 なぜロゼッタにフールが見えるのか。
それがどうにも納得できないのです。
現在OVAやドラマCDで展開されている物語では、 ロゼッタが中心となっています。
ですがどの物語でもどうにも甘えが見られ、 ロゼッタがステージに選ばれた人物ということに 納得できません。
ではなぜロゼッタにフールが見えるのかなのか?
ここで僕は一つの仮定を立ててみました。
フールは見えるものではなく、フールが必要に応じて見える人物を 決めていた。
フールは元々そらを真のスタートするべく行動していた。
そしてロゼッタは、いえレイラですら、全てはそらを絶対のプレイヤーに昇華するための存在でしか なかったのではないでしょうか?

まずなぜフールがそこまでそらに拘ったのか、そこまでしたのかを考えてみます。
そらは初めて本番のステージに入る時からすでにフールが見えていました。
これは凄いことなのではないかと思います。
きっとこの時点でフールはそらが滅多に現れない逸材だと感じたのではないかと思うのです。
僕がなぜそう思うか、それはそらの根底には最初からステージの観客を楽しませたいという想いが あったからなんだと思うんです。
レイラはどちらかというとお父さんに喜んでほしかったからという気持ちが強かったように見受けられます。
他のプレイヤーもきっと自分のことを考えてばかりいた。
その中でフールはそらに今までになかった可能性を見たのではなかったのでしょうか?
(注)この考察ではステージに選ばれた人物というのは、この定義が前提となっています。
これが納得できない人はこれ以降の考察は絶対に納得できないと思います。
ご了承ください。


さてここからは(これまでもですけどね・・・)妄想爆発です。

では次にそらの実力を確かなものにするために、レイラをパートナーとして 選ばせて幻の大技を演じさせます。
そしてその後もレイラに役回りを、大きな壁として今一度そらに立ちはだかる ように仕向けました。
そして全てを乗り越えてそらの実力は完成されます。
でもこれだけでは足りません。
そらにとって決定的に欠けているもの、それは他人に対する厳しさです。
それはOVAでもドラマCDでも変わっていません。
これではそらがいくら完成されたプレイヤーでも、カレイドステージの レベルの純度は保つのが難しいです。
いくらトップの能力が高くても、それに依存していてはいけません。
後世の者達にもその能力を伝えることが出来る、それこそが真の スターなのではないでしょうか?
でも他人に対する厳しさの足りないそらにそれが期待できるでしょうか?
それは出来ないと思います。
これではレイラの言っていた挑戦者達に全力でぶつかることも危ういです。
そう、そらはまだ真のスターになってはいないのです。
そしてそんなそらの甘さを排除するために最後の試練に用意された存在、それがロゼッタなのではないでしょうか?
フールが見えている以上ロゼッタは少なからず慢心し(現時点ではこういう描写 はないですけどね)、いつか必ずそらと同じ ステージに立てると思っているでしょう。
それはかなり甘いです。
これだけでそらはロゼッタに対して怒りを見せてもいいと思います。
そらとて物語が始まった時からすごい努力をしたからこそここまで成長したんですからね。
しかしロゼッタは良くも悪くもそらに一つの敬愛、姉妹愛に近いような愛情を注いでいます。
そらもそのことは重々知っています。
それだけにそらがロゼッタを突き放すということはロゼッタにとって、そして そらにとってもあまりに過酷なことです。
フールがロゼッタを選んだ理由はそこにあります。
そらにとって突き放すことが辛ければ辛い相手ほどこのことは効果があるのです。
しかしそれができればそらは他人に対する厳しさを得ることでしょう。
(注2)別に僕はそらにレイラのようなとっつきにくい
人になってほしいわけではありません。
そらはいつまでもそららしくいてほしいです。
ただステージの上では、特に重要な時には心を鬼にできるような人になってほしい。
それだけです。
何にしても今のそらは甘いと思います。
もしそうなればロゼッタはフールも見えなくなり、Wパンチでもう立ち直れないかもしれません。
しかしそれも彼女が今後成長を期待できるかどうかということを考えれば 一つの試練になると思います。
そらに好意を寄せるロゼッタ、そらが真のスターになることは彼女も望むことでしょう。
しかしそれは彼女にとってとても辛いことが待っている瞬間なのかもしれません。


最後に

ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。
当然ですがここで書いたことは全て僕が妄想に妄想を重ねて作った駄文でございます。
こんなことは 絶対にありません。
きっとロゼッタは今後成長し、誰もが認めるスターになることでしょう。
しかし我ながらえらくフォローですね・・・
だってねえ、やっぱりどうにも今のロゼッタには納得できないものですから・・・


2005年 1月15日 OVA(映画)に望むこと

アニメではTVシリーズが好評だとこぞってOVAや劇場版などが作成されます。
ここでは僕がOVAに望むことをちょっと語っていきたいと思います。
僕がこれまで見たことのあるOVAは、ダグオン、ガオガイガー、 ガンダムW、そしてカレイドスターとこのくらいです。
あと特撮でもウルトラセブンや平成ウルトラ、戦隊のVSシリーズなどが定番ですね。
ただ僕はOVAを見ているとなぜかいつも思うことがあります。
それはTVシリーズの時とやっていることがほとんど変わっていない。
ということなんですね。
勿論それは見た作品がそうであったということなんですが、OVAはそういう作品が多いんですかね?
どうにも二番煎じというの感じがするんですね。
大抵OVAだとTVシリーズ終了後の数年後が描かれているというパターンが多いと思います。
まあTVシリーズが受けたので続編を作るわけで、そのTVシリーズと違う ことをやるといってもファンは食いついてくれるのか。
OVAは本当に売れないとどうしようもないので、当初受けたその路線を敢えて 外すということはかなり危険なことなのかもしれませんね。
最近このことを特に強く感じたのはカレイドスターなんです。
これも展開的にはほとんどTVシリーズと変わってません。
あとガオガイガーFINAL、これもダメでしたね。
というかTVでダメだった点をさらに強くしてしまったという感じです。
敵はスケールが大きいだけで行動や理念がイマイチよく分からない、結局感情だけで 勝利している。
序盤はかなり変則的で(GGG追放とか)それなりに楽しめたんですが、 上記した後半の出来は見てて退屈でしたね。
では良いと感じたOVAですが、それがよりによって酷評を受けている ダグオンなんですよね。
このダグオンでは戦いはさほど展開されず、炎を中心に仲間たちがケンタを 救うために奮闘しています。
長くもなく短くもなく各キャラの見せ場も多く、特にライの見せ場は多かったと思います。
この辺はまたレビューしてみたいですね。
さてOVAですが、やはり個人的にはTVのものとは変則的なものが 見てみたいですね。




最近のカレイドスターについて

OVAも終了し、ラジオ放送も30回以上となり今なおドラマCDがリリースされ ているこの作品。
見た当時は周りが見えなくなるほどハマった作品ですが、今ではちょっとという 感じですね。
その理由としてOVAもドラマCDも展開が本編と変わっていない。
本編が非常に綺麗に終った作品だけに、正直似たような展開は蛇足な気がするんですよね。
どうせやるならショウとは別の一時や、各キャラのステージへ入るまでの経緯 なども知りたいですね。
特にそらがアメリカ行きの決意、両親との確執なども見てみたいですね。
カレイドスターでの親子の絆のエピソードには僕なりの定評があるので、 ぜひ見てみたいんですがね。


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