水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第七章/三編


本音ット


 ホームページを開設した。開設したのに理由は無かった。なんとなく、パソコンはこれからの道具だなと、意識はしている。たぶん欲だと思うが、パソコンもってるんだからインターネットだな、通信だな、ホームページだなと、次々に進んでいった。転がりだしたスゴロクのサイコロである。元来、多少は熱くなる性格、サイコロ転がせば、出目が気になる。いわゆるアクセス数である。自己満足に作ったページなので、公開したら、それが満足でいいじゃないか、と思うのだが、多くの人に見てもらいたくなる。見てもらう為には、見てもらう為の努力をしなくてはならない。・・・・・と、ネットの深みにはまっていくのだ。

 以前、ニフティのフォーラムへ投稿していたことがあった。ある時、届いたメールに愕然となった。私は、ありのままの自分で投稿し、メールの送受信をしている。しかし、その人のメールは違っていた。「あなたの書いている事は、読んでいて楽しいです。でもネット上の人格は別ですものね。」と記されていた。それまで、その人へ対し、自分そのままで返信していた。聞かれれば、調べたり、自分の考えも正直書いたつもりだった。そして、そのメールを最期に、返信はなくなった。私は、しばらくの間、通信を止めた。
 どうして、自分が自分のままではいけないのか、人格を作り上げている方が生きて行きやすいからなのか、そして、いったい自分はどの人格なのかを考えてみた。考えても、答えの出るものでもないが、一つの改善策がひらめいた。それは、「開き直り」と「正直」である。批判も意見と思えば、ありがたく受け入れ、常に、ありのままの人格でやっていこうと決めた。

 「今度、息子が結婚することになったっちゃわぁ、仲人はあんたに決めちょったかいね。」
と、勝手な決定で、我が夫婦が、初の仲人をすることになった。いつも世話になっている、山もアウトドアも大先輩の、私の師匠の息子である。彼も幼い頃から、よく知っている。彼の要望でもあるし、断る理由も見あたらないので引き受けた。一通りの儀式を済ませ、ついに当日がやってきた。
 ここら宮崎、田舎の結婚式は、そりゃぁそりゃぁ大勢集まる。そりゃぁそりゃぁ呑む。呑むと言ったら、呑む。喋る。歌う。踊る。そして、呑む。延々と、4〜5時間はざらである。イジイジと小出しに料理を出したり、係りしか酒注ぎ禁止だったり、最期までどこぞの誰か判らなかったりはしない。会場、総知り合い友達状態・堅い契り状態で終宴を迎える。
 新郎新婦の後ろに座り、神前の結婚式を終えると、いよいよ披露宴である。まず、会場入り口で、新郎新婦と、ご両親とともに屏風の前に並ぶ。並んだはいいが、トイレに行きたくなってしまった。招待客が次々と会場入りするのを出迎えるわけだが、仲人の片割れはトイレへ直行である。あわてて、洋式トイレに座って驚いた。アチャー、燕尾服、しっぽのある服を着用していた。所用を済ます以前に気づいて良かったが、これから、煙幕とともに入場が控えているのである。拭きながら、済ませながら、急ぎながら、焦りながら、飛び出した時には、全員会場へ案内が終了していた。かくして、ドライアイスの煙幕とともに、先頭にスポットを浴びた私は、参勤交代の足裁きで、ハゲ頭を輝かせながら高砂の席へと進んだ。その時、便所で塗れた燕尾服のしっぽを、気がついたスルドイ人はいるまい!
 司会者が、慣れた口調で、場を和やかにしようとするが、一方、仲人の緊張は高まるばかりで、一応、食事と焼酎は、仲人の話と交換条件にお預け状態が保たれている。ふと、気がつくと、胸ポケットに忍ばせた下書き原稿が、見あたらない。焦る気持ちと関係なく、挨拶はやってきた。マイクの前に立つと、「これは原稿には書かなかったなぁ・・。」と思い当たる事まで、口から音となり、マイクを通してスピーカーから音声となり、延々と喋ってしまった。
 ビール・焼酎「注ぐわ注がれるわ・・」大会開始。席から離れ入り乱れて宴は進行していくのである。仲人として、入場と挨拶で、ハゲ頭をさらし首にしたのだから、いつまでも高砂の席でボーッとしている訳にもいかない。知り合いの所へ、ご両親の所へ、「注ぐわ注がれるわ・・」行動を開始したのだが、友人達に、「今日ぐらい指定席で構えておけ!」と追い返され、「注がれわ注がれるわ・・」の受け身大会突入となった。それにしても、高砂席の仲人というものは、大勢のカメラの被写体となる。挨拶に来てパチリ、ケーキカットでパチリ、記念にパチリ、お色直してパチリ、パチリ・・・・と、新郎新婦横で、エビフライ定食のキャベツの様に、その姿をさらけ出す。誰ものカメラに、スポットライトやフラッシュに燦然と光り輝くハゲ頭が写ったのだ。
 披露宴も幕を閉じようとする頃、そのメインイベントはやって来る。どこでも実施される「花束贈呈」「親への感謝文」コーナーである。式場がお膳立てしたプログラムの一環だが、自分の時もそうだったように、誰の結婚式に列席しても、主催者の思惑通り、感涙してしまう。この時も、鼻をすすりあげて目頭を押さえてしまった。でも、仲人をして、本当に良かったと思った瞬間でもある。なんの偽りもなく、ありのままの自分をさらけ出し、列席された人達と本音で焼酎を酌み交わし、そして、泣ける。
 田舎の披露宴の世界のように、ネットで関わる世界もそうであればと思う。そんなありのままの水流渓人で、信号による人間関係を展開したいと思う。自分が自分のままでさえいれば、関わる人達も本音でつきあってくれると信じるのだ。


 
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