水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第七章/一編


琴平さぬきうどんバトル


 家族で山登りを始め、いよいよテント泊の縦走に出かけた。四国「剣山〜次郎笈〜丸石山〜奥祖谷かずら橋」である。自宅を出て、大分県佐賀関から、フェリーで愛媛県三崎へ渡る。5月に行った「石鎚登山」と同じルートなので、グッと近く感じるが、今回、徳島まで足を延ばさねばならない。大阪から合流の弟と、吉野川の「大歩危・小歩危」付近で待ち合わせた。
 祖谷かずら橋付近は、盆休みの行楽と、狭い渓谷沿いの道路の影響で、結構渋滞していた。気を抜いていたら、警備員の指示に従ってしまい、観光の車の流れに乗ってしまった。それからが大変である。目的地ではないカズラ橋の横を通り抜けると、行楽シーズンバージョンである。何がって?、細い道・混雑・離合不能・一方通行がキーワードの、道路状況となっていた。元の道へ戻るには、峠を越え5q先へ行かなくてはならないのである。ブツブツ言いながら、来た道へ乗り、またまた祖谷カズラ橋方面へさしかかる。すると、前方を塞ぎ、当然ここを見に来たんだろお前達!な態度の警備員が、昼間なのに赤色懐中電灯を、さっきと同様に振っていた。とうとう、普段はめったに切れない私の糸が、プッと切れてしまった。10年は大阪にいたんだぞ!言葉の、文句親父になってしまった。
 右に行けと手を振る警備員に車を横付けし、窓を開け、睨みつけると、
「おっさん、あんたなぁ、なんで右に行かすんじゃ!」
「はあッ?」
「ここに来たから言うて、曲がるとは限らんやろ?」
「・・・・」
「おっさんなぁ、いい加減にしとかなあかんでぇ。」
「・・・・」
「こぉらああああ〜〜。」
「・・・・」
隣に座っていた女房が、
「どうした、久しぶりに怒ったりして、おかげで目が覚めたわ。」
と、私を見た。その日は、山中にテント泊の計画である。見之越からリフトといえども、4歳からいる4人の子供達も同行である。早着して、翌日に備えたかった。なんだか、無責任に状況を考えない警備員のいいかげんな態度と、軽くそれに従った自分が情けなかった。しかし、地図さえ確認してれば、あそこで曲がるはずもなかった。運転している私が、地図を見ながら運転するわけにも行かず、究極的には、助手席で大口を開け寝ていた、地図係りの女房に腹が立っていたのかも知れない。
 ゴールとなる奥祖谷かずら橋に、弟の車をデポし、見之越へ到着した。荷物を確認し、着替えを済ませ、リフトに乗った。私は、背中に20s近いリュックと、前に次男4歳を抱いた。後に子供達が続く。西島野営場は、リフト駅の近くにあった。左から、「剣山」、「次郎笈」、「丸石山」、と続き、正面に「三嶺」がある。至福の景観が楽しめるテントサイトである。荷物の軽減と、天場の早い設営のために、その日は、途中で買ったコンビニ弁当とビール。明日からレトルト・ドライフーズである。次第に怪しくなる雲行きに、早めに眠る。シュラフは夏用が3枚、8月とは言え、夜は寒く、カッパを着込んでようやく眠れた。
 翌朝の景色は、忘れられないものとなった。広がる雲海の中から朝日が顔を出し、手の届きそうなところで、雲が剣山を越して流れる。まるで、途方もなくでかい龍が、山々を駆けめぐるように、滑るように、四国の山々を撫でていた。ガスストーブの燃える音と、ぬくもりで朝食を済ませ、出発準備をする。数日前から、腰の痛みを訴えていた女房も、ここから戻るか迷っていたが、山の心地よさに抱かれると、歩く決心をした。女房と子供達は、広く整備された登山遊歩道を剣神社まで歩き、私と弟は行場経由に道を外れ、後の合流を予定した。行場へ向かったのは、稀少植物「キレンゲショウマ」に出会う為である。谷下を向いて行儀良く咲いた黄色い花は、清楚な雰囲気である。高度を下げての行場から、今度は剣神社まで一気に急登となった。
 先着していた、女房と子供達が歓声を上げた。しばらく遊べたので嬉しそうである。一緒に剣山の山頂を踏むと、次郎笈への稜線がが、美しくカーブを描いているのが見えた。しばらく下り、振り返ると、抜けるような青空に剣山が見える。やはり、来て良かったと思う瞬間である。しかし、子供達全員が嬉しいわけではないのだ。長女11歳の態度は、「どうしてお父さんの趣味に、子供を無理につきあわせるのだ!」と言う態度である。楽しそうにしている、次女8歳と長男6歳、手を引かれ何度も転んで歩く次男4歳。次郎笈鞍部で、バランスの乱れそうになった長女の態度を、いつものように一喝した。大粒の涙を流しながらも、少しすっきりした態度の長女が、女房より私よりしっかりした足取りに戻った。もう、子供達のリーダーシップをとれるほどに成長しているのは判っていた。
 ほとんどの登山者が、次郎笈で引き返していた。ここから、丸石山までは、べっとりと胸の高さまで生えたクマ笹の海を泳がなくてはならなかった。晴れて視界があるから丸石山へ向かっていた。ガスが出れば、道に迷うのは確実なほどの、笹の海である。当然子供はスッポリ埋まる。だけど楽しくて仕方ない様子。息も切れそうな頃、丸石山の山頂へたどり着いた。空腹を満たすと、ロングな下山コースをたどり、奥祖谷かずら橋のゴールを目指した。女房と私はうんざりとしてしまった。膝の堅い私達にとっては、地獄の下山である。腰痛の女房、20sのリュックを背負った私。 
 観光客のにぎわう「奥祖谷かずら橋」へ、家族で到着。子供達は、貫禄のゴールで、観光客に声をかけられていた。予定到着時間を2時間もオーバーした上、大阪弟は、車のキーを見之越に駐車した車の中へ置いたままにしていた。近くの商店の兄ちゃんに白タクを以来し、またまた時間のロス。結局、予約していた「まんのう公園」のバンガローへは、チェックイン時間を過ぎた時間だったが、国営の管理事務の方々の暖かい親切な態度がありがたかった。やはり、遅い到着や子連れ、登山後の宿泊は何もかもそろったバンガローがありがたい。
 この登山で、何かを感じてくれたか判らないが、子供達は、親の感覚以上に日々成長している。私の理想であった、おもちゃでなく自然の中で遊べる子供達になって欲しいとの考えも、子供達は実践してくれている。手ぶらでも、自然の中に遊びを見つける。親がかまってあげる事なく一日中遊べる。もちろん、マンガも、キャラクターも、テレビゲームも好きだ。パソコンだって、メチャクチャにしてくれるほど、興味を持っていじったりする。私は、そんな子供達に囲まれて嬉しくて仕方ない。

 翌日、おなじみの「琴平さん」の階段を、タッタカ登り、両脇の土産物屋に瞳をランランと輝かせた。昼食、やっぱり「讃岐うどん」である。そこら辺はぬかりのないママちゃん、下調べはバッチリ。「ウンンッ。」とうなずく味である。琴平電車、通称「琴電」に飛び乗り、「栗林公園」をのぞき、「まっ、こんな所まったく興味ありません!」ってな態度の子供達、茶店でラムネを飲んだ。
 昔は、ラムネは瓶を石で割って、中のビー玉を取り出したものである。今は、ちゃんと、ネジ式に、飲み口が外せるようになっている。嬉しそうにポケットへビー玉を詰め込んで、復路も琴電で琴平へ戻り、まんのう公園のバンガローへもどった。翌日は、帰路となるが、フェリーの時間まで・・・まんのう公園の施設で遊んだ。
 しかし、「ウンンッ。」とうなずく味であった讃岐うどん、まだ納得はしていなかった。とにかく、旅行者が行く店ではだめである。地元の人達で賑わう店に行きたかった。パンフレットで、わいわい騒ぐ店でなく、地元の人、しかも地元ナンバー営業ドライバー昼食ご用達店がいいのである。・・・かくして、自分で付け汁と薬味をチョイスし、麺だけ窓口で受け取る店にたどりついた。ああー、讃岐の人はいいなぁ。めっちゃ旨い。これだけ旨いうどんを食べてしまうと、土産物の「讃岐うどん」は購入しても、思い出が印象悪くなる。
 剣山と讃岐うどん、どちらかと言えば・・・


 
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