水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第六章/四編


雷様参上


 9月23日午前6時45分、自宅に雷が落ちた。明け方から、雷の音がしていたが、次第に音が遠のきかけていた矢先である。ピカッと光った瞬間、寝ていた窓の外が、真っ赤になったような気がした。しばらくすると、家中にコゲ臭い匂いが漂ってきた。
「近くに落雷したかな?」
程度の気持ちで、リビングへ行ってみると、
「びっくりしたね。」
と、女房と子供達が言ったが、別段、変わりない行動をしていた。この時点で、私は、近くに落雷したんだろうと思っていたが、リビングに転がっていた、見慣れぬ何かの部品の所在をたどると、事の重大さを確認していくこととなった。「おい、アマチュア無線機の安定化電源が、爆発しているぞ。」
「ゲーッ、無線機のパネルが吹っ飛んでるわ。」
「テレビアンテナの取り出し口が、火を吹いたみたいで真っ黒コゲやわ。」
「おかあさん、電気ついてるか確認して。」
「おかあさん、外の無線アンテナが無くなってるわ。」
「電柱の電話回線のターミナルボックスが爆発して、うちの庭に部品が散乱してるわ。」
「家の壁に、穴が7箇所開いてるぞ。」
「ゲーッ、電柱に穴・・・・。ブロック塀に穴・・・・。地面が掘れているが。基礎にも穴が・・・。」
「ここに落雷したっちゃが。」
そうこうしている間に、近所の人達が集まって来た。寝室から見えた赤い光は、グラスファイバーで出来ていた、無線アンテナが燃えた光の様だった。近所の人達が、
「凄い音やったね。大丈夫やった。」
と、震えながら言った。家の周囲を見回して見ると、破壊された家の壁の残害や、破裂した無線アンテナの屑や、壁で火を吹いた電話のターミナルボックスやらを確認する事となった。
 当日は、長男の通う幼稚園の運動会であった。台風接近で、雨雲の垂れ込めた空は、いかにも雷の落ちそうな感じである。前日の電話連絡網で、市民体育館に会場を移し、運動会決行との連絡が入っていた。とにかく、女房と子供達を送り出して、私は家中の確認をした。エアコン2台、ビデオデッキ2台、レーザーディスク、ステレオアンプ、テレビアンテナ、無線機、無線機安定化電源、無線アンテナ、パソコン、プリンター、スキャナー、電話機、電話回線、分電盤、灯油ボイラーが故障していることが判った。
 とりあえず、復旧の為、知り合いの建築屋・電気屋・水道屋さんにに修理を以来し、前夜頑張って作った運動会の折り詰め弁当を握り、体育館へ向かった。 落雷のニュースは、田舎特有の「人間情報伝達リレー」「情報の共有化」「市民総知人化」「会場心配顔人間台集合」がなされ、会場の至るところで、
「大変でしたねぇ。大丈夫でしたかぁ。」
「ええ、なんとか。」
的会話をしながら、女房達の待つ場所まで、なかなか行き着かなかった。まあ、家族全員がこうやって、運動会の弁当をつつき、競技に参加しているのだから大丈夫なのは間違いない。一家6人が、数万ボルトの雷に感電しながら、我慢して会場に立っているほど超人でもない。失礼な奴になると、身体の心配などおかまいなしに、
「ちゃんと保険に入っているんやろ。」
と、聞いたりもする。
「そのくらいの被害やったら、2・3百万円ぐらい貰えるはずやわ。」
などと、勝手な査定を始める、ニセ保険鑑定人も出てくる。はたまた、
「良かったね。電化製品が全部新品になるやないか。」
と、羨む奴までいる。
 皆さんのお気遣いに、本当に有り難いことだと思いつつ、気疲れしてしまった。自宅に家族が全員戻り、落ち着いて、再度見回して見ると、無事で良かったとしみじみ思った。家や電化製品は、修理出来るが、人間は、そうもいかない。それから、電気屋やら建築屋やら水道屋やらで賑わい、修理やら見積やら保険会社の手続きやら、落ち着かない日々が1ヶ月以上も続いた。
 次男3才、左手足の運動機能は十分ではない。数カ月置きに、通院を続けているが、別段良くなってきている様子もない。しかし、通院は、悪くなっていないかの確認なので、続けて行くつもりである。
 いつも私は、彼の左の手足を『お父さんの手』『お父さんの足』と呼んでいる。意識的に使わせたいからそうしているのだが、食事中も時折、
「ほら、お父さんの手は、茶碗を持たんといかんよ。」
と、注意したりしている。しかし、たまに、彼の手付きを見ていて、何とかしてあげたい気持ちと、悔しさと、悲しさと、いらだちとからなのか、
「お前は、左が動きにくいのだから、使うようにしないといけないよ。」
と、言ってしまった。聞いていた女房が、私のことを激しく叱った。
「この子は、自分で悪いと思っていないし、不自由ともまだ感じていないし、周囲の子供達と同じだと思っているのに、親が、『お前は不自由なんだ』と、頭ごなしに言う必要はないんじゃないか。」
と、言った。靴も靴下もズボンも自分で履ける。歩ける。走れる。食事も出来る。山も3つ自力で登った。笑える。文句も言える。姉兄達相手にケンカも出来る。歌も歌える。私にキスもする。同じ年の子供に比べても3倍は喋る。何が、不自由なのだと、自分に言い聞かせた。
 食事をしないでふざけてばかりいたので、彼を強く叱った。しばらくすると、子供用のハサミを握り、私の所に泣きながらやって来た。涙で潤んだ目で、私を見上げ、そのハサミを、自分の左手にぶつけ始めた。
「どうした。」
と、尋ねる私に、
「お父さんは、僕を怒ったわ。じゃかい、僕は『お父さんの手』を切りよっとよぉ。」
私は、脳天から雷をくらった。頭と心の中は、ボロボロになり、気丈な親の顔をしていられなかった。3才でも相手に立ち向かう息子がいた。


 
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