水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第六章/一編


屋久島ラプソディー


 体重が、少し減った。下山の時、膝の痛みがなくなってきた。調子に乗り、韓国岳を往復2時間で歩いた。そのごほうびに、新しいトレッキングシューズを購入した。
 今年の盆休みは、漠然と『屋久島』にでも、と考えていた。一応、交通手段となるフェリーと、宿泊できるキャンプ場の予約を入れておいた。具体的に、何をするのかまで考えていなかったが、海と山と川、しかも本物の自然が期待出来たからだ。
 子供達が、夏休みを迎える頃、仕事の合間に本屋で、旅行本やレジャーガイドを眺めてみた。夜に自宅では、所属する山岳会の過去の報告書を調べてみたりした。だんだん気分が盛り上がり、スケジュールを立て始めた頃、大阪の義弟も参加する事となった。とたん『登山』の2文字が、私の頭中に渦巻き始めたのである。
『世界自然遺産』だもんなぁ。
『洋上アルプス』だもんなぁ。
『九州最高峰/宮之浦岳』だもんなぁ。
しかし、どの登山ガイドを見てもロングコースであり、『家族登山』には不安があった。
「まっ、今回は、海や川で泳いだりで、のんびりしようか。」
「屋久島は、雨が多い所だから、山登りはやめとくわ。」
「キャンプぐらいでいいかぁ。」
「とりあえず天候次第だなぁ。」
などと言っていたが、盆休みが近づくにつれて、家族の・・・いや、私の気分は、いつものように最高に盛り上がってしまった。ガイドに掲載された写真、インターネットで調べた屋久島の情報、すべて経験せずにはいられなくなってしまった。
 年間降水量8000ミリとも10000ミリとも言われる屋久島で、『宮之浦岳』は、その勇姿を見せてくれるだろうか。山頂を踏ませてくれるだろうか。
 『世界自然遺産』に指定された、屋久島の『太古の森』は、いったい何を語りかけてくれるのだろうか。感じさせてくれるのだろうか。
 屋久島の写真を、穴が開くほどにのぞき込んでいる私に、
「私と子供は、登れへんから、あんたらだけでも登ったら。」
と、女房が言ってくれた。あんたらと言うのは、私と女房の弟の事である。そうなれば、真剣にコースの設定を含めて計画を立てる事にした。
 女房・子供待機なので、まず、安全な宿泊施設の確保である。テント泊のつもりだったが、国内最多降水量の地である。夏である。海岸近くの海水である。しかも、金は無い。ならば、最近流行の『キャビン』を狙わなくてはならない。冷暖房・バストイレ・冷蔵庫・流し台完備。総勢7人でも、1万5000円。しかし、屋久島内のキャビンは、『屋久島青少年旅行村』に10棟だけである。そうなると、いつもの作戦、『ドタキャンおこぼれ拾い作戦』を決行せねばならない。夏休み、しかも盆休み。どの宿泊施設も、超満員であるが、『キャンセル状況確認』を1週間前から実施する。この作戦は、正月・ゴールデンウィーク・盆に、絶大な効果をあげている。結果、今回も出発3日前に、13・14日を確保し、チェックイン当日に、15日を確保できた。
 そして、天候を見計らい、淀川登山口より、日帰りで山頂を目指す計画を確定した。
 屋久島行きフェリーは、この盆休みで混雑し、所定の座席から溢れ、通路や甲板にまで、乗客がひしめいていた。車を積み込んだ私は、歩いて先に乗船していた女房・子供達と合流した。最上階の展望サロンに陣取り、女房は、隣に座った岐阜からバイクツーリング中の青年と喋っていた。相当に弾んだ会話に、子供達は怒っていた。
「お父さん。お母さんは、あのお兄ちゃんと嬉しそうにペチャクチャ喋ってばかりで、子供達の事忘れちょっとやが。」
と、ムッとした顔の次女が言いに来た。
「いいっちゃが、嬉しそうな顔したお母さんの方がいいじゃろ。怒った顔より。」
「ほら、楽しそうやわ。」
穏やかな錦江湾を、滑るように走る船内で、3泊4日の家族旅行がスタートした。
 甲板に出ると、心地よい風と、紺碧の海面が広がり、『開門岳』が右に見え始めた。海から一気にせり上がり、形の良い『薩摩富士』である。
「屋久島ってどんな島?」
長女が聞いた。
「父さんも行った事無いけど、海と山と川と、自然がいっぱいの所じゃないかな。」
「ふうん。じゃけん、私は山登りはせんよ。」
「うん。今回は、子供はキャンプ場で遊んでいていいよ。そばに磯や河口があるから、たくさん水遊びしたらいいが。」
「よかった。」
子供達と、私の休みと重なる休日は、登山であることが嫌なのだと言う。

 翌朝、3時に目が覚めた。南の方の空に、雷の光が遠く光っているが、おびただしい星が輝いていた。天気予報の前ずれを予感し、今朝、登山を決意した。弟を起こし、女房に声をかけてキャンプ場を後にした。安房で左折し、屋久杉ランド前を通過すると、紀元杉が白んだ空に妖怪の様に見えた。『淀川登山口』で夜が明けた。森の濃さが違っていた。淀川小屋横を流れる『淀川』、水墨画の日本庭園を思わせる泥炭湿原の『小花之江河』『花之江河』、『投石平』。晴れ渡った空は、フルスケールの『宮之浦岳』を見せてくれた。高木がなくなり、ヤクザサの中を通る登山道を歩きながら、『宮之浦岳』が次第に近づいて来た。人は、感動し過ぎると、ため息も、歓喜の声も、身震いも起きないものだと思った。
 快晴で迎えた山頂で、昼食をとり始めた頃、雲に覆われた。海から上昇した水蒸気は、目の前で雲になっていた。永田岳は、もう雲に覆われ、その姿を見せてくれない。途中、淀川小屋ですれ違った人が、
「昨日、宮之浦岳の山頂だったんですけど、雨と風とガスがひどくて、それに寒くて5分と立っていられませんでした。残念でした。」
と言ったのを思い出した。そして、今日も、それ以降、その姿を雲で包むのだろうか。そういう意味では、私は好運だったのだろうが、最近の感覚としては、雨であれ、晴れであれ、山頂にたどり着けなくても、それはそれで受け入れる事が出来るようになった。あくまでも過程であり、下山から思いを馳せる次への山行へのステップでしかない。次回は、絶対的に家族全員の計画を実施しようと思いながら、来た道を戻った。
 翌日、全員で『屋久杉ランド』を歩いた。歩きながら、屋久島の大雨を体験できた。生きた水の流れる渓谷と、太古からの息吹を感じる事のできる森は、まさに、私達の存在を小さく見せた。私は、自然の中で、その存在が、小さければ小さく感じられるほど、心地良い。自然に、溶け込み、抱かれると心地良い。
 長女10才2ヶ月、次女7才8ヶ月、長男5才10ヶ月、次男3才5ヶ月の夏休みに、皆を犠牲にして、父さん一人だけ楽しんだみたいで申し訳ない。


 
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