水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第五章/十三編


ないよ


 前回、ミスコースした『高千穂峰』は、わが家?いや、私の家族登山に、重圧となってのしかかった。
 近頃、子供達にとっては、人気の悪い『登山』なので、場所の選定に頭を痛めている。が、である。
「今月は、ママちゃんの行きたい山はある?」
「ママちゃん、決めていいよ。」
と、言ってある。が、である。
「よぉーし、また学校休んで山に行くぞ。」
「そんげ、嫌がんなよ。下山したらアイスクリーム食べたり、帰りに温泉行ったり出来っかい楽しいじゃろ。途中の花や草や木も、虫や動物も面白いわぁ。頂上は、景色もいいし、気持ちがいいっちゃが。」
「じゃけん、てげ疲るっかい嫌じぁ。」
の状況が続いている。が、である。
「この前、頂上まで、よう行かんかったわぁ。みんな悔しくねえや?」
「ぜんぜん。お父さんが、道を間違ゆっかいいかんとやわぁ。」
「何言よっとか!途中で投げ出すみたいで、お父さんは、気が済まんが!『高千穂峰』に、もう1回行くぞ!」
「ほーら、お母さんに、行く所決めていいとか、子供達も楽しいところとか言って、もう、自分で決めちょっとやわ。お父さんは、いつもそうやわぁ。」
と、非難を受けながらも、再挑戦を決行した。

「これでも登んの?」
女房の言う『これ』の状況は、明かであった。見上げた山頂は、5合目付近から、スッポリと黒い雨雲に覆われていた。自宅を出発したときは、梅雨間の晴れ間を楽しめそうであったが、やはり、梅雨最中である。登山口で、もう雨は降り始め、私以外、気の乗らない顔で歩き始めた。
 『霧島山』のコースに、代表的な『霧島縦走』がある。長男が3才の頃、次男を預けて登った。『韓国岳』を経て、『獅子戸岳』〜『新燃岳』〜『中岳』と、四座を登り『高千穂河原』へゴールする。4座の割に、標高差と距離は短い。『高千穂峰』も『高千穂河原』から登れば、1時間半である。しかし、今、挑戦している『霧島東神社』〜『高千穂峰』は、標高差も距離も、4座を歩く『霧島縦走』より、長くて辛い。背負ったり歩かせたりの次男3才を筆頭に、5才長男、7才次女、10才長女には、少しきつい計画かも知れない。
 結局、9合目まで6時間、ひたすらの急登を終え、低木に変わり、視界が広がり始めた。花の散った『ミヤマキリシマ』や『ドウダンツツジ』に混じり、『ヨウラクツツジ』の花が楽しめた。子供達は、登山道のいたるところに実った『ナガバモミジイチゴ』の実を、食べながら歩いた。山頂直下のなだらかな稜線にさしかかったとき、下から雲が湧き上がり、雨が横殴りに吹き付け出した。うずくまるしかない。
「私は、引き返す。」
女房が言った。
「引き返せば、4時間かかるぞ。山頂を越して、高千穂河原へ下山すれば、2時間で済む。そこからタクシーで、戻った方がいいんじゃないか。」
と、私は言った。しゃがみ込んで、風と雨に耐えている4人の子供を見ながら、それでも、山頂へ行きたかった。しかも、風をさえぎるもののない山頂へだ。女房は、完全に怒っていた。断固たる態度と本能で、子供達の安全を守ろうとしていた。遊びに、冒険と危険は隣り合わせである。しかし、自然の中で、自分がどれほどに小さな存在なのかも知っている。逆らえば、その代償は大きく、身を任せてしまえば、心地良い。自然から、あまりにも多くの事を学んでいる。
「ちょっと待て。」
「・・・・・・。」
風がおさまるのを、しばらく待ってみようとした。風を背中に受けながら、立ちションベンをした。風に押され、ミヤマキリシマの中へ踏み込んでしまった。自分のションベンを、顔に浴びてしまった。そして、決断することになる。
「どんげすっとぉ。」
長女が私に聞いた。
「タクシー代は持ってきたか。」
私は女房に聞いた。
「ないよ。」
女房は、給料前の状態を、悪天候の中で、簡単に三文字で言ってのけた。
「わかった。再々挑戦と言う事で、戻ろう。」
「みんな、ここまで6時間。よくがんばった。」
たかが遊び。たかが登山だが、挑戦よりリタイアの方が、勇気と決断を要する。
 抜け殻みたいになった私は、後ろを振り返った。背中に乗った次男、長女、次女、長男と女房。皆、風と雨に打たれ、鮮やかなレインウェアに身を包み、クシャクシャになった顔が見えた。横殴りの雨、5メートル先も見えないガスの中で、汗と雨を、毛先から落としていた。格好良いと思った。
「お父さん。そんなに急ぐと、後ろが離れてしまうがぁ。」
と、長女が叫んだ。
「ちゃんと、お父さんから離れないように歩きなさい。」
と、女房が激を飛ばした。岩影で昼食をとり、下山に3時間半をかけた。再々挑戦へ課題を残した。 
 帰路、立ち寄った『うどん屋』で、注文した数がいつもより少ない。女房が、山中で言った様に、財布の中身に合わせた注文だった。
 長女を叱った。勉強の時間がかかりすぎるからだ。ただ、時間がかかり過ぎる事が、叱られた原因でなく、ダラダラしているからだ。それに対して、数日前、なんとかならないか彼女と話し合った。そして、時間をくぎってダラダラしないと約束をした。夜は、出来る限り早く勉強を片付けて、私と遊んでくれと、頼んでおいた。しかし、ダラダラの態度を改めず、その約束を守らなかった事で叱った。
 私は、叱るときは、思いきり叱る。怒鳴る。殴る。言えば判る的しつけは、私には出来ない。そこまでしなくてもと、時折考え直したりもするが、親子と言う立場でなく、個々の人間としてぶつかるから真剣になってしまうのだ。しかし、今回は少し長女の態度が違っていた。私の言葉に、うつむきながら涙を落とし、歯を食いしばっていたが、顔を上げ
「お父さん。抱きついてもいい?」
と、胸に飛び込んできた。ドラマ仕立ての田舎芝居みたいだが、グッとこみ上げてしまった。変な親父気分で、潤んだ目とニヤけた顔で長女を抱きしめたが、視線の向こうに、プッと笑いかけた女房の顔が見え、照れくさいハゲ親父であった。
 ハゲ親父と言えば、長男が、幼稚園で作った『父の日のプレゼント』に、『お父さんの、ハゲとアブラの匂いが大好きです。』と書いてあった。先生の代筆であったが、いつも言っているので、彼の言葉だと確信できた。
 数日後、彼を幼稚園へ送る車の中で、
「お父さんは、大好きか?」
と、いつものように聞いてみた。
「大嫌い。僕は、お母さんが大好き。」
と、いつものように答えた。
「お父さんが死んで、お母さんが新しいお父さんと結婚したら、どんなお父さんがいい。」
と、突然の質問をしてみた。
「決まっちょっがぁ。ハゲとアブラの匂いがするお父さんがいい。」
と、考える事無く即答した。その言葉にも、グッとこみあげてしまったが、果たして、この『ハゲ・アブラ』は、私の事なのか定かではない。


 
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