水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第五章/六編


移り気


 4年前に購入した、女房の愛車『クラウン・ステーションワゴンほほえみ2号』が、車検を迎え、満10年となった。子供4人の我が家族には、7人定員と、車内の広さが大変役に立った。最近では、キーが回らず、エンジンがかけられなくなり、ホームセンターの駐車場に、3日も外泊した。走行中も、微妙にではあるが、勝手に加速したり減速したりする。運転席側のガラス窓は、スイッチで上下するのだが、したりしなかったりもする。バッテリーも頻繁に上がってしまう。・・・・・等々、人間の欲望の為に、欠点ばかりが目立つようになってきた。
「そろそろ買い替えようか。」
と、言った私は、何かと理由をこじつけ、買い替え宣言をしてしまった。
「いままで維持費が高かったから、今度は軽自動車にしようや。」
と、言うことで、しかたなく女房も了承したのである。
 買い物とは、楽しみである反面、自己の価値を隠すかの如き心境に悩まされてしまう。経済的優越感を、人間は本来の欲として持っているようである。
 近くで耳について煩わしい話の代表選手が、ブランド物である。いくら価値を見いだそうにも、良くて十分の一ほどしかない物が、ブランド品のマークを着飾る事で、10倍の価格を主張するのである。ネームバリューは、購入する人達に、優越感と安心感を与え、『何を持っている。何を着ている。』的会話に陶酔し、欲を発展させていくのである。この手の話は、耳にするだけでうんざりしてしまう上に、滑稽に見えて仕方がない。どれだけ高価な衣服を身につけようと、どれだけ高価な貴金属で飾りたてようと、物だけが浮き立ち、それを身につける本人の貧困さの方が見えてしまうのである。逆の心理から言えば、自分の魅力の無さを、物の影に隠してしまう事で、安心感を得ているのであろうか。『身だしなみ』とか、『清潔感』としての装飾を通り越し、人間性の出て来ない装飾は愚劣だと思う。
「私は、○○○○のブランド品を持っている。」「これは、○○○○って言うブランド品なのよ。」「これは、○○○○って言って、○○○○円もするんですよ。」等々、聞いていると嘔吐下痢症に見舞われる。加えて、自分で言わなければ理解して貰えない、悲しい『あなた』の印象しか残らない。もう一つ加えて、そんな話しを聞かされる相手の返事が、ほとんど
「へぇー。」
だけなのを気付いていない。しかし、この対人嘔吐下痢症属にグループ化される人種は、一切の批判や中傷を、すべて、自分への羨望と名誉として受け入れる強固な精神力の持ち主でもあるのだ。
 っと、その様なことではなく、我が家の『車買い替え計画』であるが、11月上旬から改正になる軽自動車の発表を待ち、車種選定の段階を迎えた。各社から、色々な車種が発表され、カタログも用意された。だが、定員4名が困難を究めてきた。現在、子供は3人で2人の算定になるので、6人家族でも、私の『ランドクルーザー』に乗車出来るのであるが、軽自動車だと、確実に一人乗れないのである。それが気になり始めると、話が前に進まなくなった。女房の車が軽自動車だと、どこか家族で出かける場合、私の車でないと行けなくなる。さらに、女房の主張として、ランドクルーザーのシフトギアは苦手なので、運転を極力控えている姿勢なのだ。私の睡魔で、やむなく運転した事があるが、緩い登り坂の信号で、後続車を通行止めにし、青信号を一度やり過ごした強者でもある。オートマ志向の女房の為、登山の帰りに立ち寄る『うどん屋』で、『ジョッキ生』の注文が出来なくなるのだ。これは、重大問題である。家長である私が、瀕死の危機に追いつめられた。
「よーし、こうなりゃ、とりあえず女房の車は、普通車であるべきなのが、我が家の正しいスタイルだ。」
と、改革宣言をした。
 予算が、軽自動車なので、当然、中古車と言う事になるのであるが、思考放浪状態の私に、新聞のチラシが目に入った。『ホンダ』社から、なんとなくダート道も走れそうな普通車が発売になったのである。加えて、価格が軽自動車並であるのだ。早速、カタログ請求へと行動を移した私は、またまた頭脳の毛細血管に、血栓が出来るかの様な症状を感じた。
「うっ、5人乗りが2台かぁ。そうなると誰か迎えに行くときは、2台でいかなくてはいけないではないなぁ。」
と、決断が優柔不断ないつもの『自己モード』に切り替わってしまった。結局、どうしても7〜8人定員の車にしか思考が向かなくなってしまった。
「それだったら、前のステーションワゴンは七人乗りだし、整備して車検を受ける方が、ずっと経済的やわ。」
と、言いたげな女房の顔を見て見ない振りをし、宣言の撤回をするほどの勇気もないただのハゲ親父は、子供がダダをこねるかの様に、
「買うって言ったら、絶対買うもんね。それでないと、いやーだあー。」
と、周囲に写る我が態度を無視したまま、ただひたすら、買えば夢が広がり、今後の我が家族のアウトドア活動に、どれだけの有益性をもたらすのか、こじつけの理由を、ひたすら見つけ、理屈にもならない理屈を、雄弁な演説家の如くのたまい続けたのだ。こんなハゲ親父の、うすら寂しい態度と、わがまま言い出したら『世界一』の性格を尊重し、このまま放っておいたら、いつまで続くかわからない状態に終止符を打つために、長女・次女は
「それだったら、お父さん、私達の銀行のお金を使ってもいいよ。」
と、けなげな提案をしてくれ、29、000円をゲットし、
「家の貯金で足りない分は、なんとか、大阪の実家に借りられるようにたのんでみるわ。」
と、しかたなく女房もつけ加えた。
 早速、車探しが開始された。知り合いの中古車屋が、近日中に開催される中古車オークションで、前夜、運び込まれる車を下見し、翌日、入札するという段取りだ。当夜、懐中電灯片手に、コソ泥スタイルの2人組は、300台以上が並ぶ駐車場で、ワクワクドキドキの物色行動をした。中でも、注目したのは、三菱社の『デリカ・スペースギア』である。7人定員で本格的四輪駆動車であり、3年乗りの割に、車体・内装ともにグットであった。きっと、私の予算を、100万円以上オーバーするであろう価格になるはずだ、と、彼は言った。次に目を引いたのは、強烈に私の嫌いなスタイリングなのだが、走行距離の少なさと、内装の極上ぶりがいい。8人乗りの5ナンバーである。ジワジワ転がせば、登山口まで大丈夫だと自分に言い聞かせ、予算内で押さえてもらえば、これをお願いします宣言をした。私の愛車、ランドクルーザーはあるのだし、格好よりも経済性・機能性なのだと、女房に同意を求めた。
「別に、私は何でもかめへんねんで。」
そして、翌日、オークションを終えた彼は、私の自宅の駐車場に、なんと、あの『デリカ・スペースギア』を乗り付けたのである。
「エッ、なんで。なんで。エッ、エッ・・・・。」
ブラックとシルバーのツートンカラーの車は、その存在感を十分に主張し、彼の言葉が、私達夫婦の耳に入ってきた。
「やっぱ、あんたは、四駆やわ。その方がいいじゃろ。」
と、言うのである。そりゃ良いに決まっている。決まっているのは判るが、いったいどういう事なのか、理解に苦しんだ。結局、私の決めていた車は、予想以上にセリ値がつり上がり、そこまで深追いするほどの価値がないと、彼は判断したそうだ。後続でセリの順番を待つ『デリカ』を出している業者は、知り合いだったので、急きょセリ出場を止めさせ、そのまま乗って来たのだと言う。そこで、
「これ、どうや?」
と、聞くのだが、どうもこうも良いに決まっているが、問題は手出しの金なのだ。と、言いつつも、言葉に出さないが私も女房も、そこで殆ど決意は決まっており、子供達は、念願の座席いっぱい車に、大ハシャギしていた。
 おもむろに、彼は、営業マンと姿を変え、私達へ提案事項をのべたのである。下取りに、女房のクラウン・ステーションワゴンに加え、私のランドクルーザーも引き取り、予算をもう50万円上げてくれないか、と言うのである。当然、四駆が2台もいらないのは判るが、一台の車では平日がやり過ごせない状況もある。通勤が、徒歩または、自転車の状況も、考えてみれば健康的だが、勝手は悪い。しかし、あくまでも自分勝手な我夫婦は、この車は決めたが、金額と状況を決定はしていなかった。さらに、営業マンの顔つきは険しくなり、それに加えて、軽自動車をもう一台オマケすると言ってくれた。
「悪いね、それだったらなんとかもう50万円頑張ってみるわ。」
との、家庭経済状況を知らない私は、承諾の言葉を彼に言った。そして、オマケの軽自動車が、オートマ車限定車種不問の条件を言い渡した。数日後、車検満タン・オートマ・クーラー・新品タイヤの車が届いた。なんだか理想的なスタイルに、深夜、車をいじりながら、女房とニンマリした秋の夜長であった。
 そして、この購買行動を通して、・・・などと、『まとめ』みたいな『文の締めくくり』みたいな『完結』みたいな事を書きはじめると、たかが自分の欲深さで、贅沢しただけの事を、格好つけて美化してしまうようで、実際とはかけ離れている。元来、車が車としての機能を果たせば、何でもいいのであろうが、そうは出来ない欲とこだわりがある。
 ついに、今夜、デリカの回転対座シートを利用して、自作の折りたたみテーブルが完成した。エヘヘヘヘ。
「ママ、後、支払いは考えてくれよ。でも、これで、登山口での前泊が楽になるねッ。」


 
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