水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第五章/二編


夏休みダーッ!


 右第六肋骨骨折。記念すべき九度目の骨折である。そこで、記録魔の私は、その骨折史を綴らねばならない。

第1回『左手首骨折』
 1972年(中学2年)クラス対抗ソフトボール大会にて、キャッチャーをして、ランナーとクロスプレーとなる。
第2回『肋骨骨折』
 1973年(中学2年)サッカークラブ・キーパー、ゴール前にて捕球に飛び込んだ私に、蹴り一発いただく。
第3回『椎間板損傷』
 1973年(中学2年)サッカークラブ・キーパー、コーナーキック。ジャンプ一番の補給体勢に、飛び込んできた相手から押され、ゴールポストに背中を強打。全治8ヶ月・入院・留年。
第4回『左手首骨折』
 1975年(高校1年)アイススケートにて転倒。
第5回『肋骨骨折』
 1979年(大学2年)アメフトクラブ練習時、こぼれたボールをリカバリィの為、飛びつく。楕円ボールのバウンドが変化し、縦向きにささる。
第6回『肋骨骨折』
 1991年 渓流釣り時、転倒。
第7回『肋骨骨折』
 1991年第6回の骨折より3週間後、渓流釣りにて高巻きの途中、力の入れすぎヒビを完全な骨折に仕上げる。
第8回『左足首剥離骨折』
 1996年長女の幼稚園・お別れ運動会にて、駆け出しの一歩をひねる。
第9回『肋骨骨折』
 1998年渓流釣り時、滝横を登る際に浮き石とともに落下。
 9回目ともなれば、同情の余地はない。「ドンくさい。」「バカ。」「つまらん。」「何をしやったとね。静かにしちょらんからやが。」「周りに迷惑かけるが。」「そそっかしい。」「鍛え方が足りない。」「あーあ。」「そぉ。」「へー。」と、罵倒される声しか聞けない。女房には、打ち身だから大丈夫だと宣言し、病院でのレントゲンも、骨に黒い筋が写ってはいたものの、先生から「二ヶ月は無理してはイケナイ。」との忠告があったとは言っていない。ひたすら、世間の、ののしりに耐え、完治の頃には「忍耐・精神鍛錬」が私を大きな人物に変えているはずである。
「で、病院の先生は、どない言うとったん?」
との女房の質問には、
「えっ、あっ、無理せん程度に、山登りと渓流釣りには行った方がいいっていう診断やったが。それに、カヌーやったら北川ぐらいにしておきなさい。だって・・・。」
と、振り向けないので、体ごと女房へ体勢を変え、寝ころべないので、立ったまま答えた。
 結局、翌週の尾鈴登山は、登らず、登山口近くの沢で子供達を水遊びさせ、仲間達の下山をサポートする事になった。
 ついに夏休みが始まった。夏休みと言えば『通知表』である。長女3年生、次女一年生、終業式を終えて、気分は完全に『夏休みモード』に切り替わっている。帰宅した私の所に、まず長女が通知表を持ってきた。三年生は、一・二・三の三段階評価である。各教科ごとに小項目があり、◎○△が記入されている。三年になって、ダラダラ・イヤイヤ・ズル勉強気味、口答えも多く、気に入らないとスネる事が多く、テストも百点が少なくなっているので、期待はしていなかった。しかし、彼女は学校では違っていたようだ。 続いて、私の催促で、次女が通知表を持ってきた。1年生、1学期は、『出来る・もう少し』欄に○がついているだけである。字の書き方・覚え方が、長女より遅い彼女である。いくら注意をしても、書き順を覚えてくれない。完全なるミラー文字も直っていない。結果、彼女の通知表は、「文字の・・・・」が『もう少し』に○がついていただけで、他すべて『出来る』に○がついて、予想外におりこうさん評価であった。 夏祭りを終え、女房と四人の子供達は、大阪の実家へと飛び立ち、私一人の10日間が始まった。
 飛行機に乗る初日、私は仕事の為、親戚が女房・子供達を空港に送ってくれた。当然、昼食は出前弁当となる。そして、今夜は一人である。何をしようかワクワクするが、子供達のいない家に何日我慢できるか、その私自信の心境にも興味ある。里帰りは11日間である。いつもは出来ない『読書』と『文章書き』が課題であったが、子供の姿がない室内は、散らかって見えてしまった。物は、触れる人や、必要とする人がいて、始めて存在感が生じて来るものであって、私には必要のないオモチャや洗濯物は、邪魔でしかたない。従って、山のような洗濯物の整理と、私単独の11日間に必要のない子供の物の片付けを始めた。洗濯物は、本当に厄介なものである。四人の子供の服は、似ているし、お下がりの服があったりで、しかも、小さくてたたみにくく、積み上げると倒れてしまう。当然、いったいどの引き出しなのかも分からない。おまけに、私の衣類のみならず、女房の衣類。挙げ句には、女房の下着まで片付ける羽目となった。スゴ過ぎる洗濯物の中には、いつも探し回った、私の仕事用のソックスが七足、真冬物の衣類まで混入されていた。仕上げに、アイロンがけまでして、二晩を費やした。
 次に、手を付けてしまったのは台所である。この家に住んで以来、レンジ・換気扇周りは、私だけが掃除をしているが、また掃除してしまい、一晩を使ってしまった。ようやく、すっきりとしたリビングを見渡すと、なんだか寂しい気分になってしまい、酒屋でビールを1ケース買って、酔いつぶれた夜が一晩。 翌日は、近所の友人宅が夕食に誘ってくれ、豪勢なご馳走と腹一杯のビールで、仕上げに『うな重』を食べ終わったところで、日付が変わった。
 その翌日は、親戚に呼ばれて夕食をご馳走になり、そのまた翌日は、友人宅で夕食。それにしても有り難いものである。『女房・子供里帰り効果』は絶大で、11日分の夕食の内、7日間を親戚や友人にご馳走になり、おかげで二キロも肥ってしまい、出来なかった『読書』は、今後の課題となった。その間にあった休日の一日が、買い物でつぶれてしまい、耐えがたい時間であった。


 
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