水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第四章/十五編


ヘリコプター空中戦


 まったく自転車に興味のなかった次女六才・小学一年生、突然、
「補助輪を外してくれ!」
と、言い出した。長女は五才で乗り始めた。次女に至っては、友達が補助輪なしで乗っている中、平然とゴロゴロ音を立てて乗っていた。それが、補助輪を外してもらった彼女は、姉からのお下がり自転車を、平然と乗りこなしたのである。まるで、いままでイメージトレーニングを積んで来たかの如く、いとも簡単にスイスイと走った。そういえば、『縄跳び』がそうだった。前日まで、一回しか跳べない彼女が、翌日には三十回、翌翌日には五十回、翌々翌日には百回の『跳べましたメダル』を首から下げて帰宅してきた事があった。なんだか、実にマイペースな彼女の、不思議事件であった。
 その二日後、もっとおかしな事態が起きた。誰より最強マイペースで、頑固な長男四才が、
「お父さん、僕もゴロゴロ外してョ。」
と、おっしゃったのである。ゴロゴロとは、補助輪の事である。タイヤ半径十五センチほどししかない、まるでオモチャ自転車のかわいいゴロゴロを取り外してやると、これまたいとも簡単に乗りこなし、わが家の最年少記録となった。
 久しぶりの家族登山が実現した。平日休みとなった私の勤務も、五月の連休は、四日間の連続休暇があるからだ。今年の正月、九重連山の麓『長者原』の国民宿舎に泊まって以来、登山ガイド本を買い込み、想いを巡らせていた『久住山』を家族で登るのである。今回は、甑岳・白鳥山・天包山に続き、次男二才を私が背負い子に乗せ、家族全員での山頂を目指すのである。場所の設定といい、コースといい、十分満足のいく登山になる計画である。ましてや、山の会の仲間も、他三人参加で、まったくもって心強い。
 当日を迎える数日前から、まずママちゃんが風邪で発熱した。続いて私まで発熱してしまった。三日前にママちゃんの熱はさがったが、私の体温は三十七度を維持したまま当日を迎えた。登山前夜九時に、荷物満載の車は、竹田経由で登山口となる『牧ノ戸峠』を目指した。風邪薬の影響と、久住町を過ぎてからの濃霧で、頭の中までボーッとしてしまい、なんとか駐車場まで車を運ぶことが出来た。天気予報では、明日から好天になる予想である。ホテッた体をシュラフに巻き付け、とんでもなく狭い車内で、家族六人が睡眠をとった。
 翌朝、寝たような寝てないようなボケた頭のまま、用足しに外へ出ると、連休の登山口は、すでに満車状態である。この牧ノ戸峠は、千三百b付近にあり、眼下に雲海が広がり『由布岳』がポッカリ浮かんでいた。空もしだいに明るさを増してきていた。簡単な朝食を済ませると、身支度を整えた。今回、私が背負い子で次男を担ぎ、フレームに非常食と無線機とヘッドランプの入った袋を縛り付け、女房のリュックに、家族全員の食料・水が詰め込まれた。
歩き始めて、長女の後ろ姿を見ていると、本当に力強い。次女も痩せた体で、ヒョコヒョコ軽い足どりだ。長男はいつものように、寡黙でヒタヒタ歩く。最初に、ママちゃんがバテてしまった。すぐれぬ体調と、荷の重さからだろう。仲間が、荷物を振り分けてくれ、少し先行きが明るくなる。沓掛山の山頂にたどりつくと、観光遊歩道から一変して、登山道らしくなり、九重連山の山並が圧倒たる風貌で迫ってきた。今回、大人四人、子供四人なので、我家族としては有り難く、精神的に楽な山行となった。わが家流『家族登山』としては、子供を叱りながら、宥めながら、誉めながら、通常の二倍の時間をかけて登るのだが、他の仲間に多少甘えての登山となり、子供達の楽しさは倍増したはずであり、これもまた良し、である。連休で混み合う登山道は、少し興ざめもするが、他に子供もたくさん登っており、長女の文句は少しも聞かずに済んだ。
 ガイド本で見た、『西千里』『久住避難小屋』『硫黄山』『久住分かれ』そして、『久住山』。すべて、自分達の足で確かめる事が出来た。きっと、子供達にとって、頭の片隅に残る記憶になったに違いないと、確信する。どうして、歩くのか。どうして、家族全員でなのか。どうして、叱られて遊ばねばならないのか。今は理解できない感覚を、きっといつの日にか思い出してくれるはずである。私だけの満足やエゴだけの様なジレンマにも陥るが、準備する時、歩く時、そして、思い出を語る時、時間と回数を重ねる都度、子供達の会話にも成長が感じられる。下山時、西千里の幅広い登山道を、次女と歩いていると、娘さんが二十歳ほどの親子連れに追いついた。楽しそうに話しながら歩く、娘と母、少し大きめのリュックを背負い、力強く寡黙に歩く父。しばらく眺めながら、『長女八才、次女六才、長男四才、次男二才、いつまで私と遊んでくれるだろう?』と、考えてしまった。落とす視線の先に、ヒョウキン者の次女が、しゃがみこんで『イワカガミ』をながめていた。可憐に咲く、この花より、私の中では可憐で愛らしい娘二人である。登りつめた久住の山より、力強く私を乗り越えてしまうであろう息子二人である。そんな時を迎えるための、今の家族登山のはずなのだ。

 下山後、予約を入れていた『泉水キャンプ場』へと向かい、仲間達と別れた。とどこおりなく整備された、場内のミニバンガローを予約しておいた。わが家の犬小屋は二畳ある。このミニバンガローは、三畳である。この狭さは子供達の歓迎されるサイズであり、隠れ家・住処の要素が強い。私も好きだ。支度を整え、場内にもある露天風呂に入った。食事は、いつもの温めるだけメニュー。八時には全員が眠りに落ちた。
 翌朝、素晴らしい天気である。こうなると阿蘇・久住も交通渋滞を招く事は承知しているので、『筋湯温泉』を通り、『瀬の本』を経て、『阿蘇有料道路』で『大船山』の裾野あたりを散策することにした。まず、目に飛び込んできたのが、『ヘリコプター遊覧飛行』のノボリの文字である。『赤川登山口』を過ぎた辺り、「あるある!あるではないか!」どうでもいいような子供達の意見は無視し、独断偏見親父権限で『ヘリコプター遊覧飛行』は決定したのである。値段?そんなもん言ってられるか!とにかく遊覧飛行なのである。鹿児島交通の経営するヘリポートの前で、親父三十九才、
「財布をお母さんから、むしり取って来なさい!」
と、長女に命じた。大人一人五千五百円、子供一人四千五百円、次男無料、しめて、二万四千五百円。お願い値引き四千円。支払い二万五百円で、家族貸し切り『ヘリコプター遊覧飛行』は実現したのだ。定員が五人なので、たまたま貸し切りになったのであるが、昨日登った『久住山』を含む『九重連山』を、しかも『ヘリコプター遊覧飛行』で空から見られるのである。大興奮のパパちゃんを含め、どうでもいいや的子供軍団と、少々お疲れ気味のママちゃんは、待ち合いベンチに腰をおろした。周辺の草むらに『春リンドウ』が咲き乱れ、空は抜けるような青空。支払いも済ませた満足パパちゃんが、子供達の顔を眺めながら余韻に浸っていると、と、突然係員が聞いた。
「パイロットの隣の前席には、誰が座りますか?」
「ハイハイ。私わたし。」
と、ママちゃんが元気良く手を上げた。ナヌッ、元気なかったのでないかなと察する私の前で、
「こういう時は、手を上げたモン勝ちや!」
と、大阪は西成区の力強い口調でのたもうではないか!なんと言っても、ヘリコプターは、前席である。ガラス張りになった正面と足元は、スリル満点、視界バツグン、エーッ!なんで後席と料金同じなのォー、なのである。
「ヒエーッ!ィギャーッ!見て見て!ウグワァーッ!ほらほら!フゥァーッ!すごぉーい!」
の、三十八才の黄色い声を聞きながら、十分程の『ヘリコプター遊覧飛行』は、着陸を迎えた。それにしても、素晴らしい眺めであった。千七百b級の九重連山の中を、高度千八百b程で飛行するのである。昨日歩いた登山道、山頂で手を振る人達、硫黄山、坊がツル、法華院温泉、・・・・。堪能できた。車に乗り込み、子供達に
「どうだった?」
と、尋ねると、すかさず、
「お母さんのギャーッ!って言う声、うるせかったがねー。」
と、感想を述べた。ママちゃん、一人で二万五百円分楽しんだようである。

 後、『沢水キャンプ場』や『岳麓寺方面から大船山登山口』や『七里田温泉』を見て、途中で貰ったパンフレットに掲載されていた『パル・クラブ牧場』の肥後牛食べ放題、大人一人千九百八十円へ行ってみた。『パル・クラブ牧場』は、久住町の農業高校出身者達が起こした牧場で、自分達でみごとなログハウスを数棟建て、素晴らしい公園にされていた。旨い肉とビールで昼食をとり、酔い冷ましに芝生で遊んだ。観光スポット『星降る館』で休憩をした時、正面に『九重連山』が見えた。多くの観光客と眺めている風景だが、昨日登ったという視点で眺めている私達家族は、やはり違うと感じた。『花公園』は、別に行かなくても、昨日、久住への登山道で見た、天然の『シャクナゲ』や『イワカガミ』や『春リンドウ』の方が、数段素晴らしいに決まっている。自分の足で見てきた花なのだ。『泉水キャンプ場』で、連泊する。

 翌朝、数日前、私が登った『阿蘇・高岳』の登山口、『仙酔峡』へ行くために、キャンプ場を撤収した。渋滞は覚悟の上だし、観光客での混雑も覚悟の上だが、前回の『ミヤマキリシマ』一部咲きが、満開なら『高岳』『鷲ヶ峰』『中岳』は、どの様に見えるのか確認したかったのである。ただの観光ではなく、登った山があるからこそ、見たい衝動にかられた行動であり、ママちゃんにも見せて上げたかったのだ。仙酔峡は、『ツツジ祭り』の真っ最中で、尾根から谷にかけて、岩肌が真っ赤に染まっていた。祭りの名の通り、出店が列をなし、思わず子供達が歓喜立った。出店で昼の弁当を購入し、子供達は大好物の『かき氷』を買ってもらい、ミヤマキリシマに囲まれ、高岳へ続く大尾根を眺めながら食べた。ここから、帰路『高森』を目指し、『高千穂』方面へと向かう。以降、計画がなかったので、フラフラ鱒釣り場へ寄り、新装された『高千穂温泉』で夕食・入浴を済ませ、帰宅十一時半となったのである。
 眠る前、女房と次回の家族登山へ、思いを馳せた。一九九八年のゴールデンウィークであった。


 
Copyright(C) 水流渓人 All Rights Reserved

戻る