水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第四章/十三編


されど、我が人生


 長女八才・次女六才、
「お父さんとお母さんが離婚するときは、どうしようかな?」
と、よく言う。私と女房が言い争いをすると、必ずこの話題が出てくる。嬉しそうな顔で、子供達が相談を始める。ほとんどの結論は、
「お母さんについて行く。」
である。小銭を貯めた貯金箱と、お年玉を貯金した通帳さえあれば、すべて大丈夫だと信じている。なにか『離婚』という言葉に、秘めた魅力と好奇心があるらしく、その想像の世界に『お父さん』と言う存在は、同居出来ない。
 次女の卒園式前日、女房が熱を出した。私は休みだったので、前夜から、登山と釣りの準備をしていたが、寝込んだ女房の代わりに『主婦業』を強いられてしまった。長女に朝食を準備し、学校へ送り出し、続いて次女・長男・次男へ朝食をさせ、次女・長男の幼稚園制服を着させ、次男のオムツを替えながら着替えをした。判らないと言ったら判らないのである。下着?靴下?・・・・いったいどの引き出しが誰ので、どの服が誰のなのだ!お下がりの衣類は、まったく誰のなのか判らない。着替えが済めば、次女・長男にカバンをかけさせ、次男を抱き、車に乗り込み、いざ幼稚園へ送り届け。家に戻ると、次男のウンチオムツを替え、食器洗い。気が付くと、幼稚園組は昼帰りなので、またもや次男を車に積み込み、お迎え。次女・長男を連れ帰ると、制服から着替え、エーイ!着られるものは誰のでもいい!ってな案配で着替えを終了すると、昼食である。
 インスタントラーメンを鍋にぶちまけ、コーンの缶詰を混ぜ、次女・長男・次男とともに蹴散らしながら食べた。気が付くと、寝込んだ女房の食事の事など考えてもおらず、釜をあさってすべてのご飯を平らげてしまっていた。またまた食器を洗い、米を研ぎ、炊飯器のスイッチをぶちこんだ。どこか連れていかねば、家で騒ぎ回る子供達を、またまた車に詰め込み、女房に少しでも早く治って貰わにゃ大変だ!と思いつつ、釣り道具を従え河口へ走った。
 途中、コンビニで子供達のエサを買い、釣具店で釣りエサを買い、しめて八百円。砂遊びを始める子供達、釣り道具と子供のエサと座るイスを抱え込んで、支度を終えた頃、次男が水際へ走り寄るのを追いかけ捕まえ、お菓子のパッケージを開けてやり、ジュースの蓋をこじ開け、合間に針にゴカイをぶらさげ、投げ込んでは次男を捕まえる。途中、竿の穂先がビンビンうなずく、巻き上げるとエバが釣れていたので針から外し、またまたゴカイを刺しては投げ込む。同じ動作を十回繰り返し、五匹釣れたエバを放してやると、十分飽きがきた。次女と長男のケンカを仲裁し、次男を捕まえる。五時が過ぎれば、道具と子供を撤収し、ひたすら自宅へ車を走らせる。
 戻れば、ムッとした長女が、リビングでテレビにかじりつき、女房はまったく熱が下がっておらず、長女に宿題を命じ、車で寝てしまった長男・次男を運び込む。昼に洗った食器を棚に戻し、今夜の献立を思案して冷蔵庫を覗き込み、献立は頂き物『薩摩の黒豚』のしょうが焼きとレタスの引き裂きサラダと決定する。ひたすらリビングでオモチャを散らす子達へ片付けを命じ、食事開始を宣言すると、熱の女房も交えて全員が食卓へ集まった。食事が終了すると、次男のオムツがウンチで汚れ、入浴準備と食器洗いを開始した。四人の子供達と入浴を終える頃には、女房の偉大さと、私の男の性に敬意を表してしまった。そして、次女卒園式前日は過ぎ、晴れて次女待望の母親出席が叶った。・・・・ふうっ。
 卒園証書と、年間皆勤賞状と、記念品を携えて来た次女は、別に何があったもなかったとも知れない態度で、リビングで絵を書いていた。
「どうだった?」
と、聞く私に、
「あかね先生はね、卒園式の練習の時も、終業式の時も、今日の卒園式の時も泣きよったっちゃが。」
と、答えた。
「おまえは悲しくなかった?」
と、聞く私に、
「うんにゃ!」
とだけ答え、あかね先生が、園児達の歌の中で、聞くと悲しくなると教えてくれた、歌を歌ってくれた。その歌を聞いた時、私は、あかね先生の心境より増して、深い感動を覚えた。次女が生まれ今日までが、走馬燈の如く脳裏を駆け巡り、その過程を過ごしてきた家族の中で聞いた彼女の歌が、素晴らしく感動的に思えたのだ。
 あかね先生は、次女達を最後に退職されるそうだ。四年前の長女・年中組時代も、お世話になった事がある。当時は、私の母の闘病と死別とも重なり、長女を通して幼稚園の記憶が、鮮明である。不安定な環境になってしまったこの時期、長女まで情緒不安定になっていた。そんな家庭環境と長女の情緒から、先生の印象までが、今回と違っていた。今回、次女の卒園式と退職を迎えられた『あかね先生』は、次女の良き理解者であった。真の理解者であったかどうか、私と女房が、次女の親として評価できるのである。客観的にどうこうは、まったく問題でなく、次女は彼女の持つ感性と個性を押さえつけられる事なく、のびのびと育てていただいたからである。いくら親がそうしたくても教育の場が逆行していれば、次女が次女らしく卒園を迎える事が出来なかったはずである。あかね先生の退職、それもまた彼女の人生だからと、エールを送る。


 
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