水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第四章/十編


消えた苺大福


 次男一才十ヶ月、覚え始めの言葉を駆使し、何を言いたいのか周囲に判るようになってきた。今、最も得意技としているのは、『おふざけ』である。
「パパー、マンマ、アーンチェー。」(訳:お父様、食べ物です。お口を開けて下さい。)と、言いながら、私の口の近くまで持ってくると、すかさず自分の口に入れ、笑うのである。また、
「メェーヨォー。」(訳:お父様、その様な事をなされてはダメですよ。)
と、言いながら、私に泣けとせがむのである。また、
「パァーパァー、ブブーッ、ママガー、マンマー、メーチャ、メータ。」(訳:お父様、先ほどお母様と車に乗って、買い物に出かけたのですが、お店でお菓子を買って欲しいと訴えたのにもかかわらず、お母様は、私にダメだと言って叱られたのです。)
と、泣きながら私に訴えたりする。朝は、目を覚ますと一人でベットから降りてリビングへ入り、
「ハヨー!ハヨー!」(訳:皆様、おはようございます。本日のお目覚めはいかかでした。)と、愛想を振りまいている。長女・次女・長男からのお下がり衣類は、当然風格のほころびが発生しているが、量的にはかなりの衣類持ちである。四人の子供が着れば、やはり他へのお下がりは無理な状況である。我が女房は、知り合いからの譲り受けの衣類でも、子供達への着用を命ずる。子供達も、それを不服な態度ではなく、特に次女は、姉のお下がりが大好きである。新しい服は、その殆どを女房の実家が送ってくれている。当然、この田舎より品数も豊富で、価格も格段に安いそうである。子供ブランドのバーゲン品でも、ここらでは、翌年の新製品として、平気な顔して売りさばいている店が多すぎるのが気に入らない。そういう意味では、都会と地方の格差は歴然と出ていて、田舎が豊かとは言いがたい部分であり、なんとなく、情報の狭間に地方差を感じてしまう瞬間でもある。
 私の母方の実家は、昔からの商売人の家庭であった。田舎の衣類・雑貨・履き物・着物・化粧品などを売る店をしていた。大阪へ、じいさんやおじさんなどが仕入れに行っていたが、私が大阪に就職し、その頃の聞き覚えのある仕入れ先など行ったときに驚いた。別に、行けば誰でも購入できるのである。田舎での商売は、ただ大阪の店で、大阪の人達が誰でも買える価格で購入してきた品物に、利益を乗せて売る商売であった。それで良かった時代なのであろうが、悲しいと言えば悲しい。しかし、農産物や魚介類に関しては、その逆転現象である。現在、都会のスーパーに並ぶ生鮮食料品を見ても、田舎者の私の目には決して買いたい様には見えない。

 長男四才、私の喋る『天狗の声』に恐れを成している。天狗の声で話す私には、天狗が乗り移り、普段のお父さんで無くなると信じている。その親父天狗は、お利口さんと猿が苦手だと決まっている。どうしてそうなのか、私も理解出来ないが、成りゆきでそうなっている。私の発する天狗の声は、彼にとって相当恐ろしいらしく、効果抜群の成果がある。恐がりのくせに、寝る時は暗い寝室にひとりで行って、勝手に寝られる、わが家でただ一人の子供でもある。しかし、どうしても甘えたくて、我慢が出来なくて、自分の感情を押さえきれない時もある。まだ、四才の幼児なのだ。その時、彼は『猿』に変身する。そうすると親父天狗は、それ以上攻撃出来なくなっているルールなのだ。彼は、その『猿』を『シャル・モンキー』と名付け、天狗親父を攻撃し、喜びに溢れた勇者へと転じていく。その頃には、もうなんでグズッていたのかさえ忘れ、いつもの良い子に戻っている。それにしても、兄弟姉妹はおかしなものである。必要以上に恐がらせてしまうと、上の姉二人が、『なんて親だ!』と、言わんばかりの攻撃を、私に浴びせるのである。
 最近の菓子には夢がない。私達が子供の頃の菓子には、オマケのオモチャがちょこんと付属されていた。今は、箱の九十五%をオモチャが占領し、食べもしないような菓子がついている。そして、それはシリーズ化され、次々に幼い欲望を増幅させるようになっている。子供達に言わせれば、コンビニは、この手の菓子の宝庫らしく、親にとっては悲しい時代である。悲しいが、長男は違う。その精度のない、いい加減なオモチャをこよなく大事にするのである。しばらくは、独りオモチャ相手に、彼独自の創造を発展させ、動きにしても噛み合わせにしても、彼なりの最高精度を期待し遊ぶのである。曲がる所は正確に曲がり、接合部分は寸分の狂いもなく接合でき、緩みもなく、平面はより平面になっていることを要求する。だから、彼が選んで購入する時点で、組み立てのオマケ・オモチャは、それなりなのだと了解させておかねばならない。噛み合うものが噛み合わず、曲がる物が曲がらなければ、彼の怒りの態度は最高調に達し、親父天狗でないと静めることが出来ない。

 次女六才、跳べるようになったなわとびが楽しくてしょうがない。そして、跳び始める前に、必ず
「数えてくれ!」
と、言う。毎夜毎夜続く勘定に、今では無意識の内に『一,二,三,・・・』と頭の底でカウントしてしまう。突然、勉強中の長女が部屋から飛び出してきた。次女に向かって
「なわとびをヤメテ!音を聞いただけで数えてしまうから、勉強が出来んがー!」
と、言っていた。私に対しては、
「私が数えて!と言わなくても、跳んでいて止まったらすぐ何回って言ってくれ!」
と、命令するのである。その態度たるや、まさに女房と同じであるが、余りにもうるさい勘定請求に
「そんなに数えたいのなら、自分で数えながら跳べ!」
と、私は言った。しばらくは『一,二,三,・・・』と、声にしながら跳んでいたが、そのうち怒り顔で私の所へやってきた。どうも、自分で数えると、なわとびに集中出来ないそうだ。最後に
「私が跳べんくなったら、お父さんのせいやかいね。自分の子供が、なわとび跳べんでもいいとね!」
と、捨てゼリフを言った。そこも、また女房同様仕様である。誰も勘定してくれる相手がいなかった時、たまたま、居合わせた長男へ勘定命令が指示されたそうだ。このなわとび勘定奉行の次女の命令である。それを長男に断れるはずもなく、一から数え始めると十六を飛ばして二十までしか勘定の出来ない長男は、勘定奉行の『お怒り』に触れ、『市中引き回しの上、獄門張り付け百叩きの刑』となったのであった。物にぶつかったり、つまずいたり、自分に都合が悪い事が起きた場合、いろんな理由から最後は、
「父さんのせいだ!」
と、結論づける所も、完全な女房同様仕様であるが、『自分のせいで周囲に迷惑がかかる』的論法の叱り方に対しては、涙する様にもなった。

 長女八才、だんだんと自我が強くなり、頭ごなしには言う事を聞かなくなってきた。家族の中にあっては、ここ一年風邪もひいて無く、元気一杯である。私に叱られた後に書く、彼女の日記は、ほとんど、親である私に対する憎悪がツラツラと書かれている。たとえ、その日どんな楽しい事が起こっても、日記を書く前に叱られると、彼女の日記のタイトルは『チョーむかつく』になる。最近、彼女と風呂に入る機会が多い。いつまで一緒に入ってくれるか不安だが、結構、裸での付き合いは、彼女の本音が聞けたりして楽しみが多い。時には、妹や弟達の真似をして、甘えながら膝に抱け、とせがんだりする。膝に抱けばいつの間にか、肩まで湯に浸かれないほどに成長した彼女を抱きながら、子を持てた喜びとともに1日の疲れを癒せる。成長とともに、彼女の抱く悩みも増えてきているみたいで、自分なりの対応と親のアドバイスを取り入れ、毎日を過ごしている。『仲間外れ』とか『我がまま』とか『規則破り』とか、学校生活を通し級友や友達関係を通して、『正義』や『勇気』とは何なのか、どう実践するのか、出来るのか、『見て見ぬふり』や『関係ない』や『ずるさ』に対して自分はどうなのか、わずか八才でもそれなりに葛藤する彼女がいる。
 いよいよ母の四回忌となった。阪神大震災の五日後が命日なので、テレビ報道が大震災後の様子を放映する頃、縁のある親戚は、母の命日を思い出すそうだ。命日の二日前に、墓参りをした親戚が、甘いものが好きだった母の為に、『苺大福』をお供えしたそうだ。それが、二日後の命日に、女房・子供が、花を供えに行ったとき跡形もなく消失していたそうだ。私は、疑いもなく『絶対、お袋が食べたのだ!』と確信した。


 
Copyright(C) 水流渓人 All Rights Reserved

戻る