水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第四章/八編


七、八、九、重


 正月の御来光登山は中止となった。兼ねてから、韓国岳へ計画していたのであるが、週間天気予報では『曇り/雨』マークが記載されていた。と、突然、女房の弟が、大阪から車でやってくる事になった。それじゃ!と言うことで、久住高原にでも行ってみようか・・となったのである。会社は十二月三十一日〜一月四日まで、五連休が用意された。年末の大掃除は、例年のごとく私一人で完了した。気が付けば、この家を建てて以来、年末大掃除とレンジ周りの掃除は、いつでも私がやっていて、女房の協力は得られない。暮れも押し迫る十二月二十一日、近所の奥さんが網戸を洗っている所に、車で通りがかったのだが、つい、
「そんなに大掃除に精出しているのを見てしまうと、焦ってしまうがぁー。あんまり頑張らんでょー。」
と、私が言ってしまった。その奥さん、助手席に乗っている女房へ、
「子供が多いから大変ねー。」
と、言ったが、女房曰く、
「イヤー、大掃除大変なんは、ウチのだんなだけやしぃー。」
と、平然と言ってのけた。自分が大掃除はしていないという、済まない気持ちで言ったのか?はたまた、大掃除はだんなの仕事で、自分は関係ない!と思っているのか・・・・。まぁ、それにしても、家事は女の仕事と決められている訳でもないし、諸外国では、男も女房の手伝いを進んでしているらしいが、それにしても妙な習慣がわが家に出来てもチト困りそうだ。これは他言出来ないわが家の秘密であるが、私もこの六年間、毎年年末にはとりあえず、
「今年の大掃除はどうしようか?」
と、女房に相談はしているのであるが、
「今年はせんでもいいが!」
と、自信をもって毎年答える女房である。これも他言出来ないわが家の秘密中の秘密であるが、年末に限らず、リビングに洗濯物が山積みになることがよくある。一日五十時間ほど、洗濯に時間を費やしている女房であるが、洗って干すまでを洗濯と理解しているみたいで、いまや、誰も使用しなくなったリビングのベビーベットの中には、家族六人分の洗濯物が満載である。何度か注意もしてみたが、洗濯物をたたまない自分を大棚に上げ、挙げ句、注意した私が叱られてしまうのである。それもこれも四人の子育てに追われるママちゃんなのだから、どうしろって言うんだ!エーッ、どうしろって!
 そんな私の純情・忠実窮まり無い絶対服従の大掃除で、暮れの三十一日を迎え、大阪より弟+彼女も到着し、いつにない賑やかな年越しであった。キャンプを考えていたのだが、最近では、結構高額な料金を請求するキャンプ場が多い。とくに大観光地『阿蘇・久住』なので、思い切って冷暖房バストイレ寝具キッチン食器完備バンガローを予約する事にした。それも暮れの三十一日であるが、電話をしてみるものである。世間の風『不景気』がそうするのか、土壇場の予約は効果絶大である。通称『ドタキャン』(土壇場キャンセル)組のおこぼれが簡単に拾えたのである。元旦は、『ヒゴタイ公園キャンプ場』の豪華バンガロー、二日は長者原の国民宿舎『コスモス荘』・・・ゲットだぜ!である。
 年始の挨拶を済ませると、午後から久住めがけて出発した。延岡を過ぎ、高千穂経由で阿蘇の高森へとむかった。高森からは視界数メートルのガスで、いつもなら『根子岳』の素晴らしい景色を見ながらのドライブだが、暖冬で雪面でない真っ白の世界をひた走り、縦断道路から『瀬の本』手前で右折し、自宅から四時間で『ヒゴタイ公園』へ到着。阿蘇とは違う女性的な『久住高原』であるが、目指すバンガローは、丘の窪地の林に、流れる小川をはさんで、二十棟ほどが、ほどよい間隔で建っている。受付を済ませ、シーツ六人分と鍵を受け取り、はしゃぐ子供と共に入室。
 部屋は十畳ほどのリビングキッチンと四畳半の畳間があり、その上に四畳半のロフトがあった。流しには食器・調理器具・冷蔵庫・炊飯器がセットされ、テレビ・ストーブ・コタツ・ユニットバスが設備されていた。きれいに清掃され、大人四人・子供四人が泊まるには十分で、料金一万五千円も、そう高くはない。管理の人に聞いてみると、やはりそのロケーションの良さと、手ごろな料金と、普段アウトドアとは無縁の人達も、家庭の延長のごとく手軽に利用できるので申し込みが殺到しているらしい。そのため、二ヶ月前でないと予約は出来ないシステムになっていた。とにかく、わが家のキャンプは、シンプルイズベストなので、今回子供達は、わが家にないコタツと、そのコタツに潜り込んで見られる地域外のテレビ放送に興奮していた。持参した食材を切り・むしり・引きちぎり、超スペシャルメニュー『単なるスキヤキ』が完成した。ビール片手に、すきやきをつまみ、正月番組など傍観しながら、全員言葉少なに夜は更けていったのだ。
 翌日は晴天である。素晴らしい景色を堪能しつつ、九重連山の登山口の一つ『牧ノ戸峠』を下ると『長者原』に着く。ここも登山口として有名であるが、もうここまで来ると、登りたくて気持ちが高揚してしまった。何度も通った道であるが、登山を始めてから、景色は視点が完全に変わっている事に気付いた。少々興奮気味の我が夫婦、絶対登るぞ!と固く契り合ったのだ。なぜ『久住』と『九重』とがあるのか今まで疑問にも思わなかったが、『久住山』は在っても『九重山』は無い。これはどうも『えびの高原』と同じで、『霧島山』と称するのと同様に、連山の総称のようだ。今夜泊まる長者原の『コスモス荘』は、ドデンと横たわる『九重山』の『三俣山』『星生山』などを正面に、赤松林の中にあった。
 とりあえず、この近辺ははじめての大阪組がいるので、ひとまずこの雄大な景色と別れ、お決まりの観光コース『湯布院』へと車を走らせた。とりあえずここも来たぞ!的な態度で、名が売れたから関係ないけどこんな店も作っちゃえ!的みやげ物屋の立ち並ぶ通りを歩き、観光ガイド本片手に、なんで湯布院でパン屋とかクレープ屋とかに行列まで作ってんだよ!と思いながら、エエーィ!もうこうなったら湯布院だけど関係ないや!的投げやりな態度で、木工品ショップなど入ってみたりした。昼飯は、湯布院だぞ!観光地だぞ!名産も多いんだぞ!とまでメニューには書かれてなかったが、たかが昼の定食に一人二千五百円も投資した。阿蘇牛のタタキが、くやしいけど、美味しかった。観光地と言えば、意味不明に怪しいものがあり、二十代の頃は、シャレで面白がったりもしたが、なんで自動車博物館なんだか、なんで美術館なんだか、なんでテディーベアー・ショップなんだか、なんで昔懐かしいオモチャ屋なんだか判らない。それにしても歩いている間、この町を見おろしていた『由布岳』の麓に『湯布院』なのか判らない。ここは単独峰で連山でもないし、まっいいか・・・。私が理解出来ない以上に、正月から登山でもするかの様な出で立ちで、この町を歩いている私達の方が判らない存在なのかも知れない。
「湯布院の感想は・・・?」
と、聞く私に、
「湯布院ですかー、まっ湯布院も来た・・・と言うことでいいでしょう、次回は気にせず他が見られる!ってなところですか・・・!」
と、弟は、九州男児の私を気遣った答えをした。女房とは十歳離れた弟であるが、十年前、一緒に北海道旅行をし、姉である女房と私と長女と裸(当たり前であるが)で風呂に入った頃より、ずいぶん大人になったなぁ!少しは事のなんたるかが判る歳になったものだと思った。
 長者原の国民宿舎『コスモス荘』に戻り、チェックインを済ませ。割り当ての部屋に腰を降ろした。そういえば予約の電話で、
「一室でいい。」
と、いう私の意見を聞こうともせず、
「料金は同じですから、二室にしておきますね。」
と、受付のオッチャンが言ったのだ。料金にしても大人・一人一万二千円、子供八千八百円、幼児四千円と言い、口には出さないが『国民宿舎にしては高いなァ。』と瞬間思った私に、
「うちは、とにかく料理に自信がありますから。」
と、自負されたのだった。部屋に行ってみると、二室無理矢理当てがった理由が判った。実際、入り口の扉は二つある。部屋も二室ある。二室あるにはあるのだが、間の壁が外れるのである。外れるから外してしまうのが、仲の良いもの同士!ってな所だ。一ルーム二十畳の広間に姿を変えた部屋は、広くて気持ちいい、窓からはドデンと九重が夕日を浴びて見える。申し分ないが、出入りの際、どっちを開けてどっちに鍵したか迷ってしまった。二室だから当然テレビが二台あり、子供達が
「両方見れるがぁー。」
と、子供喜び親やかましい!である。とりあえず温泉に直行し、冷えた身体を熱めの湯で温めた。サラリとした湯で、汗がにじむほどの温度が気持ち良い。熱を出してしまった次男は、布団に寝かされ、私・長男コンビと入れ替わりに、女房・長女・次女コンビが温泉へ襲撃をかけた。
 全員ほてった顔で、指定時間には食堂に集合した。席に着いてみると、受付人の豪語した通り、素晴らしい食事である。何が素晴らしいかと言うと、材料良し、調理良し、盛り付け良し、味良し・・・極めつけに残さず全部食べられる量と味である。
「旨い!旨い!」
の連発でビールをあおりながら、
「あれっ!いつもうるさくて落ち着かない4人子連れの食事なのに、どうして今日は落ちつけるんだろう?」
と、思ってしまった。なんと、静かに食べているではないか!わが子が『お利口さん』になったのではなく、子供に準備されたメニューが、子供を食卓に釘付けにしているのである。そんじょそこらの菓子やオモチャでごまかした『お子様ランチ』ではなく、手の混んだ考えられたメニューが並べて在り、飾ってあり、ちゃんと年齢に合わせて小学生と幼稚園児では内容が違えてある。この宿の思いやりと気配りが十分に感じられた。そして、子供達もすべて残さず平らげていた。これでもか!どうだ!と、食べきれない圧倒的なボリュームでふん反り返る旅館やホテルの食事は、無意味である。それを豪華だ贅沢だと受け入れる事も変だと思った。そんなほんのりした優しさと、九重の圧倒的な景色とが私達を包み込み、なんだかとても良い気分で時間を過ごせた。
 ここは、登山基地としての宿泊客も多く、前日声をかけた、下山したばかりのおじさんも誉めていた。そのおじさん、この長者原から二時間ほど歩いた『坊ガツル』近くの『法華院温泉』に二泊して山登りを楽しんで来たそうだ。『法華院温泉』は歩いてしか行けない温泉山小屋だそうで、ここに宿泊すると、九重の山々にアプローチが良いそうである。ヌアーンとなく眺めるだけの景色が一転して、挑戦する景色へと変わってきた。団子状にしか見えなかった九重の山々が、いくつものピークを連ね、霧氷を被り、尾根や谷が目に止まるようになってきた。地図と見合わせ、方位を確かめ、一つ一つ山の名前を確認していくと、楽しみが将来に渡って倍増してきた。
 翌朝、朝風呂・朝食を済ませ、一度は行ってみたいと思っていた『大観望』で、阿蘇の絶景を眺めた。阿蘇山と根子岳が連なり、観音様が横たわっているように見えるそうだが、それより遠く霞む祖母・傾連山が見えた事も重ねて嬉しかったし、足で究めた山頂の景色の方が絶対的に感動指数は高いだろうな、とも思った。帰路、菊池渓谷のそばを通り、あの華麗な『山鹿灯篭』で有名な山鹿市で昼食を取ると、菊池インターチェンジを目指した。私達家族は南下し、弟達は大阪へ向け北上し、インターのチケットを受け取るとそれぞれ左右に別れ、久住旅行のピリオドに近づいた。


 
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