水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第四章/五編


クリスマス釣り


 海釣り。中学・高校時、親父とよく行ったものである。私は釣り場で、子供達の考えを聞きたくて色々な質問をしたり、疑問に答えたりしてあげる時間が好きである。しかし、私の親父はあまり喋らなかった。ただ、私と肩を並べて釣りをするだけで、たまの会話はまったくもって『釣り』の事だけであった。退屈ではなかったし、親父と時間を共有している『釣り』がたまらなく好きだった。毎日でも釣りに通うほどの熱中だったにもかかわらず、そんな『釣り』を親父は、私の大学卒業・就職の頃からまったく止めてしまったのだ。理由は未だに判らない。そして、翌々年、他界したのである。それから私は、高校卒業以来、釣りに行っていなかったが、親父の残した車と、釣り道具を従え、紀州の磯へ通うようになった。
 磯で握る竿を、手元から穂先へながめていくと、穂先の遠い向こうに空が見えた。あの頃、そうやってながめた後の隣には、確実に親父がいたはずだ。握りの太い部分から、だんだん細くなる穂先は、まるで人間の人生の様にも感じられる。その延長に見える空が、人生の到達点にも感じられる。紀州の磯で、かつて親父と行った釣りの情景を思い出すとき、必ずと言って、人間の一生の儚さを感じてしまったものである。
 あの頃、親父が生き様や夢や考えを語らず、黙々と釣りをしていたのは、語るには未熟な私だったのか、或いは、私の人生は私のものであり親父のものではなく、すべての決断と選択は自分自身でしなくてはいけない、と教えていたのかは判らない。今となっては、人生を五十一年で終えた親父の一生は、あまりにも短かかった。もっと長生きして、腹を割って語ったり、自分の弱さを、私に見せていれば、私も、もっと弱く生きていけるはずなのにと、思うのだ。今の私は、決断するとき後悔はしないが、もっと弱く生きていければ、誰かに相談もできる人間であったかも知れない。これからも、ほとんどの圧力に平然と耐え、失敗に後悔せず、強く生きていく事だけが、私の人生なのだろうか。親の暖かさを三十五年で断ち切ってくれた両親、私はもっと甘えた人間でありたかった。一人っ子で兄弟もなく、わずか十二才から両親の元を離れ、中学・高校・大学・就職と暮らした私は、強く生きていかなければ潰れてしまいそうだったし、離れていても、戻れば確実に存在する両親が支えだったはずなのだ。
 現在に至り、自己判断が出来なかったり、いい年して親の助けばかりに頼っている人間を見る度、「いいかげんにしろ!なにやってんだ!」的感情を抱いてしまうのは、本当は羨望の感情の置換かも知れない。
 紀州で釣りをする頃の仲間が、私に言った。
「竿の穂先からのびるラインの先に針がある。その先には何があると思う?果てしない夢か?・・・・イヤ違う!欲だよ、欲。」
その通りだと思った。『欲』無しには何も語れないと思う。生きていきたいと言う欲。何か欲しい。他人から良く思われたい。自分の子供には素晴らしい経験をさせたい。・・・・・・・・・・・欲。突然、釣りをしなくなった親父は、竿の延長にある欲を捨てたのか?生きる欲を捨てたのか?癌の果てに私から親の愛情を消し、死んでいったお袋は、家族の中で、孫達に囲まれ賑やかに暮らしていきたいという欲を捨てたのか?消滅した両親は、少ない思い出と沢山の強さを私に残してくれた。
 久しぶりに、私一人で海釣りに出かけてみた。ここ数年、釣りは渓流でのルアーフィッシングが殆どだったが、なんだか海釣りで一人沈黙の時間を過ごしてみたい衝動にかられたのだ。紀州での代表的な釣法に『紀州釣り』がある。米ぬかに砂とサナギ粉と押し麦を混ぜたダンゴの中に、さし餌のオキアミをつつんで投げ込むのである。宮崎でこの紀州釣りをする人をめったに見かけないが、なんだか懐かしい気持ちでダンコを握ってみた。釣りのスタイルとして、私自身投げ込んで穂先で魚信を捕らえるより、ウキで釣る方が好きである。海面に揺れるウキを見ていると、何も考えず頭の中がカラッポの状態になれ、周囲の景色が妙に新鮮に見える。その日、頭カラッポ視点ウキだけ状態を十二時間続け、自宅に戻った私は、暖かい言葉などないが、ただ女房や子供達がいる食事風景に、感動するほどの嬉しさと暖かさを感じた。

 今年5回目の登山を計画した。女房・長女八才四ヶ月・次女五才十ヶ月が、同行する事になり、山の会の例会登山も兼ね、多少ハードな『大崩山』への挑戦を決定した。ハシゴやロープが岩に配備された急登の連続や、下が断崖でワイヤーの張った巨岩のトラバースはスリル度を増し、登山としての満足度を上げてくれた。仲間達が岩登りをしている『小積』の岩峰の頂上で、周囲の山々の景色と、眼下に見える紅葉の谷が高度感を満喫させてくれた。だだ、二十名ほどになった登山パーティーの連帯感は非常に悪く、下山ルートを間違え、あわや捜索?という場面もあり、足の骨折者が発生している別パーティーの救助活動もあり、楽しいだけで頭にイメージしていた家族登山に対して、色々な事を、再認識させてくれる意味深いものにもなった。起きた事故の顛末や、原因も反省材料として、今後の家族登山に対し、得るものが多かった。それよりなにより、その後数日は、女房と反省をふまえての会話に熱が入り、日頃から会話の多い夫婦が、もっともっと会話の多い理想的夫婦になったのである。
 時期、それは確実に正確にやってくる。紅葉を追いかけて山を登ってばかりいたが、年の瀬が近づいていたのである。年末ともなれは、長女マラソン大会であり、次女・長男は幼稚園のクリスマスお遊戯会である。そして、そのお遊戯会のメインイベントと言えば、卒園を控えた年長組による劇である。その劇に、である。年長組・次女が、女の子の憧れの的である『マリア様』役を仰せつかって来たのである。
 我が子の通う幼稚園は、私自身も卒園した『カトリック幼稚園』である。メインイベントのプログラム最後の劇は、私が幼稚園時代からずっと同じ『聖劇』で、クリスマスにちなんで、キリスト誕生を演じるのである。男の子なら『ヨゼフ様』、女の子なら『マリア様』が、当然主役である。私も憧れたが無理だったし、長女もセリフ一つの天使役だった。それが、次女が獲得したのである。先生の役募集の声に挙手で自己主張をし、三人ジャンケンで、しかも『最初はグー、ジャンケンポン』の合図とともにパーを出し、実力で勝ち取ったのだ。素晴らしいではないか!仕事中に電話をかけ、朗報を告げる次女の声を、涙なくして聞けるはずがあるまい。そうだ、誰から見ても私は『親バカNo.一』なのだ。地方レベルでない、全国親バカ連合会員番号三十八番に登録される大親バカなのだ。自慢したっていいではないか!誰に私の得意げに喋る口をふさぐことが出来るものか!しばらく、このニヤニヤは続くが、それは大目に見てあげて欲しいのだ。誰に聞かれなくとも
「イヤー、今度のクリスマスお遊戯会は、ウチの次女が主役になりましてねー。イヤー、マーなんと言いますか、他は前座みたいなもの。言い替えれば、ウチの子の為にお遊戯会が催されるようなものですワー。皆、こぞって来ておくれヤッシャー。」
と、目尻を下げ、鼻をすすり、半分開きかけた口元からヨダレをこぼし、ハゲた頭に疎らに貼りついた前髪だか横髪だか判らぬスダレ髪を振り乱しながら、自慢しても、私に石を投げてはならぬ。だってウチの子、主役だもん。素直に喜べばいいのだ。そして、今日も私は、この自慢話を誰かに言いたくて、相手探しに東奔西走するのだ。しかし、今日の昼食の時間
「あんた、誰かれなしに言って歩かんでよ。」
と、私の心境を知ってか知らずか、女房に忠告された。
「そんなもん、子供でもあるまいし、いちいち言うもんか!」
と、ギクッとしながらも冷静に答えたが、心の中の僕ちゃんは『だって、僕の子供は、マリア様だもん』と、繰り返しエコーのかかった声でフェードアウトするどころか、その響きは自衛隊のブルーインパルスよりも、ドでかい轟音となって私を包み込んで行くのだ。
「ムフムフ、ビテオカメラと高級一眼レフカメラと当日の衣装と、どないすんべ。」
「そおそお、会場入り口で、ご来場のお客様方にご挨拶しなくっちゃ。」
「フィナーレで娘に送る大輪の花束も用意しなくっちゃ。」
「親戚一同に案内状を送らなくっちゃ。」
「打ち上げパーティの会場手配もしなくっちゃ。」
この、『くっちゃ的心境』を女房に言うか言わざるべきか悩んでいるウチに、スダレ前髪が一本ハラリと抜け落ちるのを感じてしまう立冬かな・・・。


 
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