水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第四章/二編


貫徹・田舎者


 渓流で遊んだ。水の落ち込みは泡で白くなり、足を浸しただけで全身の汗がスーッと引いていく。唇を震わせながら、それでも長女・次女コンビは元気にはしゃいでいた。誰もいない沢には、私達家族だけなのが嬉しい。次男も女房に支えられながら、お尻まで水に入っている。雲の隙間から照りつける光線が、水に反射してまぶしい。上流を眺めると、流れを覆うように緑が深い。しかし、ここからは見えないが数百メートル先には、大きな砂防堰堤がある。下流に行っても、すぐ流れは砂防堰堤に堆積した石に飲み込まれ、建設機械がおいてある。
 今、家族で遊んでいるここからは見えないが、こんな山の中でも、日常と変わらないような気がしてしまう。だいたい、ここは山深い『尾八重部落』であり、数カ月前に仲間達と山開きを実施した、『地蔵嶽登山口』付近の沢である。
 尾八重部落の入り口には、近年、廃校を周囲の景観とまったくアンバランスなペンキで塗りつぶし、味のある木目の風合いや、キツツキが作った穴までふさいでしまった。川の脇はどこかの建設現場から運ばれてきた砂利で埋め尽くされ、川底はコンクリートで塗り固められている。ペンキ塗り上げの廃校をキャンプ場と名付け、素晴らしい淵をコンクリートで固め、自然河川プールとしている。沿道に車が溢れ、家族連れで一杯である。善し悪しは私の判断する事でないが、河原にブルーシートの占領地確保が施され、空き缶をまき散らし、焼き肉の煙モクモクである。眺めてみるとコンクリートにはブルーシートがよく似合って見え、なんとも自然の中で奇妙な不自然さがバランスを演出している。
 なんとなく尾八重まで車を走らせてしまった。考えて見れば、五年前に、気に入ってよく出かけた西米良・竹原は、澄み切った流れの中で時間を忘れて遊べた。長女はゴムボートに紐を結び、何時間も紐をたぐっては瀬を流れて遊び、私は金ツキで魚を突いた。翌年、建設機械が、砕いた砂利を敷き詰めてしまった。私達は、以後一度も行ってない。その翌年、ようやく見つけて遊んだ川は、次の年には、決まって建設機械の登場で失望させられている。いろんな都合が渦巻くのであろうが、私が善し悪しを決定するべき事ではないのも判る。気に入らない私が、新天地を求めてさまよえばいいだけの事である。
 しかし、そんな所に『素晴らしい・きれい・いい所』と感動しながら、群がる人達が多くなってきたことがもっと悲しい。まるでその行動は、破壊され造形されたものを肯定する事であるからだ。私は十分に田舎者である。誇り高気き『田舎者』、羨望の『田舎者』を共にめざしてはもらえないかな?とだけ、言いたい心境なのだ。
 長男三才が、近頃反抗期のようである。気に入らないことがあると、泣きわめく。わめき方が、男である。長女・次女にはなかった、男のわめき声である。とにかく、デカイ声でけたたましくやかましい。そして、『かゆい、かゆい』と最後にまたわめくのである。しかし、いくらわめいても、そのままに、平然と夕食が進行して行くところも、我が家のしきたりである。もちろん、長女・次女も、何もない顔でテレビを眺めながら食事をしている。さらにわめく。辛抱できなく手を出すのが私である。何もない顔で女房・長女・次女は食事を進める中、あまりのわめき声に耐えられなくなるのである。手を出すと言っても、なだめすかすのでなく、一撃の手が出るのである。私に殴られた長男は、火に油を注ぐが如く、さらに特大わめき声に転じ、寝室へかけ込むのである。そして、数分間の静けさがリビングへ戻ってくる。気が付けば、長男わめき声の中でテレビを見ていた長女・次女は、ボリュームを最大限にしており、箸を握ったまま固まっている。いくら、わめいても、近所からの苦情が来たこともない。そのために、私は財を投げ打ち、敷地約一万坪の中に、五百坪の自宅を建設し、リビングは広すぎてリモコンの電波が届かず、玄関で呼出チャイムが鳴っても、私が玄関に到着する頃に、客は留守かと帰ってしまうほどであり、隣からの回覧板は自動車で回ってくる。ナンチャッテ(死語?)そんなホラ話はどうでもいいが、一人っ子育ちの私には、想像し堅い状況である。思い出せば、私自身幼い頃、理由もなくムズガリ『かゆい、かゆい』と言っていた時期が記憶に残っている。背中をさすってくれたバアチャンの、カサカサした手の感触も覚えている。
 仲間達と、『北川カヌーツーリング』を計画した。めずらしく、当日集合・当日解散である。泊まりではない単日行動なので、次男を親戚預けにして、初の家族川下りが実現した。カナディアンカヌーを縛り付けた車で、集合場所のコンビニを目指した。考えてみると、女房と一緒に乗るのは北海道・釧路川以来であり、重ねて長女・次女・長男を積み込んでの川下りは始めてである。コースとなる『北川』、正確には、北川の支流『小川』は、水の透明度から言えば、川辺川を上回るのではないかと思われるほどきれいである。激しい瀬もなく、のんびり家族ツーリングには最高の川である。いつものカヤック組も、カナディアンでの家族参加になり、カナディアン四艇・カヤック三艇、合計十九人参加の、ワイワイガヤガヤツーリングとなった。
 スタートすると、別世界である。道路からはとうてい見ることのできない景色に、女房は始終感動していた。長女は、仲間の艇を渡り歩き、その殆どを、カヌーの後部の紐につかまり、川を流れていた。ライフジャケットに身を包み、瀬も流れていた。時間が経つに連れて、女房まで流れに浮かび瀬を流れた。ここだけの秘密であるが、女房の川流れは、天然着たままトイレの要素が強い。女房は日焼け防止の為、パンツ+ショートパンツ+ロングパンツ+長袖ポリシャツ+帽子+バンダナ+ヘルメット+ライフジャケットの出で立ちで、肌露出度五%の完全防備スタイル。そのスタイルのまま、水中しょんべんをするのであるから想像したくない程、浸透が悪いことだろう。瀬を流れながら、或いはカヌーを漕ぎながら、或いは水中からカヌーによじ登りながら、黄色い歓声を上げ、四時間のツーリングはゴールを迎えた。
 川底まで透けて見える淵や瀬に、鮎やハヤの魚体がきらめき、自然に包み込まれると不思議に勇気が湧いてきた。ありったけの自然を満喫しながら、子供と女房と仲間とともに、素敵な時間を過ごすことが出来た。まだ三メートルしか泳げない長女が、自然の中でたくましく見えた。痩せゴロの次女は、カヌーの前座でパドルを振り回し、最後にはしっかり漕げるようになり、瀬が来るたび、
「お父さんは漕がんで!一人でいい。」
と、言い出した。恐がりの長男まで、しっかり掴んでいたカヌーのふちを、握りを緩め、次第に川に手を入れ体を乗り出し始めた・・・・。


 
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