水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第三章


あとがき


 父親とは、子供にとってどの様な存在なのだろうか?家族という関わりの中で、何かをするとき主人公でなければならないと考えていたが、そんなプライドはつまらないと感じる事が多くなってきた。見つめ合う家族という枠の中から、自然な形で子供達は、親である私が経験もしたことのない様な素晴らしい世界へ歩き出すのである。そんなとき、主人公としての親の立場を固持する必要はまったくないと感じる。多くの人達との関わりの中で、一つの個性としての自分の子供の存在を認めてあげなくてはならないし、その環境に感謝の気持ちを持つべきであると教えられた。
 何かをする時、家族一緒の方が感動が大きい。満足感が違う。それは、私が用意してあげた感動でもなんでもなく、子供達それぞれの個性から溢れ出たものである。そんな感動は、私にとって何物にも替えられない「宝物」である。そんな宝物の1つ1つを思い出しながら、私1人の楽しみである渓流釣りをするのが嬉しい。山深い渓流を13人で歩く時、爽快感と穏やかな気持ちが私を包み込んでくれる。澄み切った水の流れ、苔むした岩肌、木々の緑・・・、すべてに感謝の気持ちをもって触れることができる。 第3号を書き終えてみると、次号に向けてこれから起こりうる感動に対して、大きな楽しみを期待してしまう。たくさんの方々から感想やコメントをいただき、それも感謝の念で一杯である。思えば、亡き母が私に小学校の6年間、日記を書くことを強制した。それに何の意味も見いだせなかったが、以降、時折無意識に日記を付けたりしていた。今となれば、そんな母の教えがとても役に立っている事に気づいた。泣きながら書き綴った当時の日記であったが、母の遺品を整理している時、大事に保管されていた私の日記を見つけた。順序よく並べられたノートを見た時、叱られながら綴った日記の意味が理解できた。親にとって子供が感じた事や感動した事は、そっくりそのまま「宝物」であると言うことである。
1997年6月1日


 
Copyright(C) 水流渓人 All Rights Reserved

戻る