水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第三章/十三編


わかってます


 またもや、カヌー・ワイルドウォーターの県民体育大会の季節がやってきた。とりあえず出場の覚悟はしていたが、前回同様、練習無しのぶっつけ本番になってしまった。前年度は、カヌー艇界の軍艦、ファルトボート(折りたたみカヌー)の2人艇を使用し、どんな瀬波でも”へっちゃらだい!”体勢で出場した。沈さえ無ければ記録が残ると、9分03秒ものタイムで、23人中18位であった。本年度は、艇選びに悩んでしまった。前年より満足度を増すためには、良いタイムを出すか、難しい艇にするしかない。沈すると、成績が残らないし、結局、ファルトボートの1人艇に決めた。この艇は、3年前の球磨川で、激沈川水満腹大会の苦い思い出がある。だいたいバランスの悪い下手くそパドラーの私であるので、出場に意義あり傾向なのであるが、とりあえず腹は決まった。 大会当日、早めに会場に着いた私は、瀬波を見て少しホッとしていた。内心、『去年よりおとなしい波だ。』と、考えていたのだが、大会役員の説明で
「毎秒50トンの放水をしてもらってますので、あと50センチほど水位が増えますから・・・。」
「ナヌッ!」
 前半のベテラン組の競技を見ながら、来なけりゃ良かった的心境と、ガンバルベー的心境が入り乱れ、去年の胸ドキ状態よりは、多少ましだと自分に言い聞かせていた。順番が近づく頃には、後着組の女房・子供応援団も勢ぞろいしてしまった。ゼッケン37番の私は、最初の瀬に右から突っ込んでいった。ベテラン組も何艇か沈していた場所だか、上下に揺られながらもバランスのいい我が艇は、どうにか通過でき、続くギャラリーの待ち受ける瀬に突入していった。
 いつも思うが、カヌーでの視点は水際なので、瀬の手前からは瀬の状況は見えず、下見の感だけでコース選定をしなくてはならない。ベテランの話によると、一番瀬波のたつ所よりそのすぐ脇がベストだと聞いていた。イメージ通りにコースを捕らえることができたが、ポリ製のカヌーに比べ、私のファルトボートは、安定がいい変わりに重く回転性が悪いのである。右と思ってもなかなか右に行かず、ギャラリーに混じる女房・子供組に、なんの愛想もできないまま、必死の形相の私は通過していった。そして、最後の瀬である。下見の時は気にかけてもいなかったが、ダム放水で、かなりエグレた瀬に形態を変化させていた。見ると、先行の選手は瀬波に飲み込まれ、レスキューに向かった艇も底を見せていた。波たつコースの脇を狙ったが、思いとは逆にパワーのなくなった腕力は、パワーみなぎる流れに押され、中央突破コースに流され、私のパドルさばきとは関係なく、艇が勝手に瀬をやり過ごしてくれた。
 結果、22人中12位と、私にしては大満足で、自画自賛・満員御礼・支離滅裂・焼肉定食みたいに四字熟語的な感動であった。ゴールした私を、女房・子供すら誉めることなく、女房は日焼けを逃れるべくゴールする選手達を眺め、子供達は思い思いに川に浸かったり虫を捕まえたり、
「いったい、頑張ったパパの立場はどうなるの?」
と言っても、
「さあさあ、早く自分のカヌー片付けて、着替えでもして、昼食でも食べましょう!」
的な態度であった。

 入梅の頃、小学2年生の長女が言った。
「私は、お父さんとお母さんに叱られている方がいいとよ!」
いままで夜の8時までには宿題・勉強を終わらせていた彼女が、最近ダラダラ勉強を始め、この1週間ぐらい11時頃までかかっている。はじめは、決められた事はキチンと終わらせないといけない事だと教えるために、終わるまでは寝かせなかった。そのうち、私も見かねて、
「お父さんと約束だ。明日こそ時間内に終わらせようね。」
と言ったのだが、何の変哲もなく11時頃までかかっている、ついに私は怒った。徹底的に激怒した。勉強が長引くことでなく、私との約束を破ったことについてである。最後に私は、
「父さんも母さんも、怒りたくないんだ。自分の子供は可愛くて仕方がない。できれば毎日、良く頑張ったなあと誉めさせてくれないか。」
と言った。シュンとしてしまう所か、泣き腫らした怒り目と、紅潮した顔で彼女は、
「私は、お父さんやお母さんから誉められたくないもん。家で叱られている方が、学校やよそでチャンと出来て誉められるもん。」
と叫んだ。なんだか私は、とてもやるせない気持ちになってしまった。7才の長女が、親である私から叱られる事の意味を理解しているなんて、なんだか悲しかった。なんだか叱っても、まったく聞く耳持たない態度の子供であるが、私の知らない間に精神的に成長しているのかと思いを馳せると、親である事の意味と現実を、目の前に突きつけられ、”さあ、アンタは親だ!どうやって自分の産んだ子供達を育てるつもりだ!”とでも問われているようであった。そして、子供を育てる上で、いくら大人言葉で大人社会の常識や習慣を説明してみても、それは単なる親である自分の自己満足にしかならない様だ。いつも子供の気持ちを考えてはいるつもりだが、子供達は、親だけでなく、周囲の友達や学校の先生などのの影響を受けながら成長している事を、痛切に感じさせられた。子供のスタンスで接する子育てを理想にしてきたが、判断力が少なからずついてきた長女とは、一人の個性としてぶつかり合いながら、付き合って行かなくてはならない時期に到達したようだ。
 次女5才、幼稚園年長組、3日続けてパンツにウンチをした。ついに女房が怒った。毎日、オシッコパンチはき変え攻撃は5枚程度をキープしている。庭の虫に熱中すると、チビッてもその場を動かない。川に行けば何時間でも水面を見ている。森へ行けば何時間も虫探しをしている。家の中では寝るまでハサミとセロハンテープを放さず、家中の廃材や紙で何かを作っている。そんな彼女が女房からウンチの事で叱られ、瞳に一杯の涙を溜めジッとこらえていた。そして翌日、幼稚園に送る車の中で、彼女が内緒話をしてくれた。それは、彼女の母である私の女房が、幼稚園の年長組の頃までオモラシをしていた事だった。
「でも、私はパンチ濡れるけど、オモラシはしないもん。お母さんは恥ずかしいから誰にも言わんといてって言ってたから、お父さん誰にも言っちゃダメだよ。」
と、ヒヒッと嬉しそうな顔で教えてくれた。何となく、昨晩の彼女の涙が頬を伝わず、瞳の中でグッと堪える事が出来た訳が判ったような気がした。

 長男3才、幼稚園・年少組。人づきあいがとても慎重である。人みしりが激しいのかと考えてもいたが、どうもそうではなく、彼の性格がかなり頑固で人に心許すのに慎重の様である。初対面の人とは絶対話さない。遊んでいた相手でも、意地悪されたり、自分で
「遊ばない!」
と宣言すると、もう絶対的に付き合わない様だ。
「幼稚園は楽しいか?」
と聞くと、確実に
「楽しくない!」
と返事する。
「幼稚園で友達できたか?」
と聞くと、確実に
「ダイ君だけ!」
と幼なじみの名前しか言わない。しかし、そんな楽しくない幼稚園のはずなのに、絶対的に、
「行く!」
という姿勢も頑固である。そして、未だ朝の体操はしていないようで、女房が見たらしいが、並んではいるものの、一人地べたにしゃがみ込み、何やら砂をいじっているそうである。人づきあいの慎重な彼が、先生に心許すようになるには、まず周囲の友人関係を克服する必要がありそうである。しかし、運動会やお遊戯会で周囲に同調することなく、ボー然と立ち尽くす彼の姿も見てみたいものであり、そのとき、きっと私は、頑ななまでの彼の頑固な態度に、我を忘れ涙するはずである。

 次男1才、
「オツムテンコテン」
「クチャイクチャイ」
「ハァーイ」
「ドォーモー」
とするようになった。
「イチャイ、イチャイ」
「ブーア、ブーア」
「パパパパパパパパァー」
「ウォーッ」
としゃべるようになった。月に2回、理学療法士のリハビリを受けている。まだ左手足に障害が出るかどうかはっきりとはしていないが、彼の成長を通して、これだけ子育てを意識させられてしまったことはないのだ。ちょっとした動作や変化を、気にかけて子育てをしてみると、これほどまでに生育の速度の遅さを感じることはないし、他3人の姉兄は、次男の成長から比べると、何もしていない間に育ってくれたように思えて反省させられることが多い。甘やかすつもりはないが、なんとなく私の意識の中に”守らねば”という潜在し、他の姉兄に比べると、抱いている回数が多いようにもあり、姉兄の、何等屈託のない次男への接し方・鍛え方を見ていると、構えてしまう自分に違和感を感じてしまう。
 片意地張って生きてきたと思い込んでいた自分の生き方は、世間に対して何の抵抗力も無く、意味も無いと感じたのだ。私は、色々な人達に支えられ、我が子ですら、自分一人の支えでは生きていけない事を感じさせられている。子育ては、すべてが自問自答の世界で、理想が現実に変えられてしまう時、何とも言えない焦りを感じてしまう。しかし、その自問自答や焦りを、穏やかな気持ちへと変えてくれるのも、4人の子供達と同じ時を過ごすからでもある。おぼろげながらでも、人との関わりや、物事に対してや、状態に対して、感謝の念を持ち始めることが出来るようになって来たのは、すべて家族と言う素晴らしいフィールドの中で教えられたものである。


 
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