水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第三章/八編


嘘つき悶々次郎


「あんたは嘘つきだ!」
と、女房がよく言う。自分でもそうなのかなと、思い当たる所も多い。自分の考えがあるにも関わらず、まず相手に意見を求めたりするのだが、相手の意見を聞いておきながら、結局、はじめから考えていた自分の意見を押し通そうとする。相手が女房だから、余計にその傾向があるのだろうが、ずいぶんそれを『やさしさ』と、勘違いしていた節がある。人と話す際や何かを決める際、自分の考えに相手を近づけるにしても、自分の考えを押し通すにしても、まず相手の意見を聞くことが『やさしさ』なのかなと考えていた。日本人気質なのか、それを控え目とかやわらしさとか言うのであろうと考えていた。『イエス』『ノー』をはっきり言うと、なんとなく周囲とギコチなくなる様な気すらして、相手の腹の内を探るように会話を運んでしまうのだ。
 ここは宮崎、そして私の町を囲む1000m近い山々に雪が降った。視界の広がる午後、仕事中の車中から、白くなった山が見えた。田舎独特の、田園風景の中、思いを巡らすと決まって、郷里の地へ戻った自分の意志を確かめたくなる。子供が誕生したのを機に、大阪から戻ったのだが、子育ての地に郷里を選んだ私の意志には、どことなく疑問も多いようである。アウトドアをライフスタイルにするのも、どことなく格好をつけているだけで意志の本質ではないようだ。都会から脱出するために、たまたま私には戻れる田舎があっただけの様な気もする。親父もお袋も亡くなり、孤独っ子の私は、宮崎の地に執着する理由はないのである。4人の子供達に囲まれ、常に何かに興味を持ち、目標を決め実行する。心のどこかにポッカリ空いた穴を、満たそう満たそうとする自分の本能が働いているのだろうか、歩き続けなければ、不安が襲ってくるようだ。いったい何が自分の意志の本質なのか、未だ判らない自分に気付く。雲が流れ、雪に覆われた山が霞始める頃、エンジンをスタートさせ現実に戻った。そうなんだ、子供達や女房と都会では、味わえないような経験を重ね、自然に親しみ、もっともっと家族が家族である悔いのない一生を送るための、単なる通過点でここにいるのだろうな!と、結論を自分に言い聞かせるもう一人のお利口さんの自分が、また私を支配して、日常を積み重ねる。結局、本質的な自分をだます『うそつき』の自分が私なのだ。

 流行物には飛びつく方の単純馬鹿家族が、インフルエンザを先取りする事となった。長女に始まり次女・次男・長男の順番であるが、40度近い熱が4〜5日続く。4人の病人を抱え込み、どうか親だけは風邪引いてはならぬ!みたいなムードが女房と私の間に流れ、いらだつ気分を抑え込んでいた。長女は、
「頭が割れる。」
「体が痛い。」
「薬を飲むと口が臭くなる。」
「ビデオをつけてくれ。」
「眠れない。」
「座薬はいやだ。」
・ ・・・と、のた打ちまわり、長男は、元気なく飯も食べずに眠り続け、次男はギャーギャー泣きわめいた。次女だけは熱に強いのか、紅潮させたままの顔で、マイペースに遊んでいた。そして、この超個性派次女が、高熱のまま眠りについた深夜0時、突然起き上がり
「今、そこを『クチビルの大きな蟻』が歩いた。」
と言い出した。きっと熱の為に、変な夢を見たのだろうと考えたのだが、それが恐くて眠れないみたいである。しかたなく、女房が布団の周囲を丹念に調べ、叩きつぶす演技までしたのである。
「ほら、お母さんがやっつけたからもう安心だよ。寝なさい。」
と言う女房に、今度は、叩きつぶされたその『クチビルの大きな蟻』を見せろ!と言いだした。
「外に捨てた。」
と、言うが、
「見せろ!」
の一点張りで、最後には、
「おかあさん、本当はそんな蟻はいなかったんじゃない?嘘ついたんじゃない?」
と疑う始末である。《あんたの夢の生物を、私に見せろと言われてもなぁー》とも考えるが、これでまた一つ、親が子供に嘘ついた事になってしまった。翌朝、次女は熱より好奇心には勝てず、家の周りを「叩きつぶされたクチビルの大きな蟻」を求めて捜索していたらしい。
 個性のぶつかる家庭内は、いつものように怒鳴る訳にも行かず、親のボルテージを静かに上げて行くのだが、
「病気の時ぐらい仕方ない。たまには甘えさせてあげようか。」
などと、親のゆとりというか、幅というか、抱擁力というか・・・、そんなものを振りかざしてみたりしても、子供の甘えには、親以上の迫力があり、エスカレートがあって、それはそれは、忍耐・試練・努力という言葉とは、かけ離れた、無感情・なすがまま、そして、時には怒りの態度でないとダメみたいであった。頼むから、同時病人状態はやめてくれー!と言っても、理解を拒む子供的立場に、仕事に出かければ私は解放されるが、女房だけは逃げるに逃げれぬ立場である。しかし、それは前奏の部分に過ぎなかった。ついに、女房まで高熱の洗礼を受ける羽目になってしまった。もうこれ以上の記述は、地獄絵図を文章化するよりも困難である・・・・・・・。
 反省の為に、これだけは綴っておかなくてはいけない。高熱で倒れ込んだ女房と、風邪の抜け切れぬ子供4人を残して、朝5時、私は車のエンジンをスタートさせた。山登りに出かけたのであるが、『山の会』の恒例行事である『春の山開き』の為の整備登山であった。登り始めると、その壮快感に自分の世界に浸り、下山後には仲間の好意で『猪肉』『鱒』『山菜』と『焼酎』をご馳走になり、夜の帰宅となったが、当然の如く『開けゴマ』と言うぐらいでは、玄関の扉は開かなかった。子供4人を寝かしつけた女房の顔は、高熱と疲労とリビングの間接照明で、この世で一番美しい『山ん婆』みたいで、まともに見れなかった。私はすまない気持ち一杯で、日中帽子で隠されたハゲ頭を薄ら寂しく垂れて、早朝自分で作った弁当の残りを食べた。
 無言で家事助手と化したハゲ親父に、
「話があったら話してみいや、耳だけは貸たげるから。」
と言ってくれたのは、深夜であった。私は、今日の出来事を、1から誇らしげに楽しそうに話し、それを女房は
「フウーン。」
と、カタカナ返事して聞いてくれた。
「お許しが出たのジャ!女房は寛大なのジャ!ひとまず一件落着なのジャ!」
と、思いこんだハゲ親父は、使い込んだスダレの様に、目隠しにもならない前髪の間から、女房の目を見て背筋が凍てついた。その夜、一人隔離された寝室の布団の中で、妙に震えが治まらなかった。
 ある夜届いた『電子メール』に、私は唸り声を高らかに上げた。その遠吠えは、3里4里向こうの人里まで届いたかは未確認だが、
「男の人にとって、どんな奥さんがいいのでしょうか?」
「時折主張があわずにぶつかってしまいます。」
「素晴らしい水流渓人さんなら・・・。」
ムムッ、こやつなんて事聞くのだ!と思いつつも考え込んでしまった。どんな奥さんがいいのかと、考えてみても、大体の場合、自分にとって、こんな奥さんが都合がいい!的意見ばかりで、後は、理想の嫁さん定義みたいなものがほとんどである。 
 我が夫婦の場合、根底に
゛あんたはあんたで、私でない。゛゛私は私で、あんたでない。゛
と言う考えがあるので、無理に相手の感情や感覚まで支配する気はサラサラないのである。ただ、何年も同じ釜の飯を食えば、なんとなく考えまで最近は似てきたな!と思うくらいで、あえて強制する事はないと思っている。結局、
「相手の事を受け入れ、相手を認めるところから始まるのではないですか?」
と、返信メールを送ったが、意見の衝突や口論は、あればあるほど相手の考えや気持ちが判っていい思う。その場をやり過ごし、相手への不満が蓄積してしまう事の方がいけないと思う。いけないと言うより、楽しくないし前進がない。同じ様な場面になるたび、衝突なしに自分の気持ちをねじ伏せるのは、その場の雰囲気の取り繕いにしかならず、楽しいことがある時に、心底楽しめないと思うのだ。模範回答しか返信出来ずに残念だったが、まったくもって不思議なのは、私の書く文章が『良い夫』を印象づけてしまう事だ。そばで子供が泣いていようが、オムツが濡れていようが動かないし、4人の子供の風呂も女房だし、だいたい私の趣味で、家族全員でキャンプに行っても、大変なのはすべて女房である。『だんなさんがあれだけ遊べるのは、奥さんが出来た人だからですね。』と、するどい意見を言う人もたまにはいるが、その方が正しいのではないかと思う。
 かくして、結論めいた締めくくりをするなら、私自身が子供に最も近くて、自分のやりたいことばかり主張・実行を繰り返す『超我ママ嘘ツキスーパーハゲ親父』なのだ。他人の本音を聞いたり、洞察したり、触れたりするのは非常に面倒だが、少なからず人間は、自分をすべてさらけ出すのを嫌い、ある程度、自分の中の、理想の自分を演出しがちだと思う。少なからず私自身も、相手に見透かされたり、真の本音や、弱さをさらけ出す気はない。強いて言うなら、ありのままの自分で過ごせる相手、それは唯一女房だと思う。


 
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