水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第三章/六編


哀愁食堂のサンタクロース


 独身の頃、勤務する会社の前に『お好み焼き』の店があった。夕食のほとんどをここで済ませていたのだが、給料払い可能であるし、メニユー関係無しに注文に応じでくれる便利な店であった。いつも知り合いの誰かが座っていて、歓迎会・送別会も、はたまた仕事上の激論も、将来や希望の語らいもあった。結局、転勤とともに行かなくなったのであるが、思い出してみると一度も『お好み焼き』を注文した事がなかった。
 続いて、神戸が勤務地になったのだか、4年間居たにもかかわらず、そんな哀愁漂う場所は出来なかった。比較的、良く行った店に『揚げ物定食屋』があったが、そこは怪しいだけで哀愁はなかった。何が怪しいのかと言うと、まず場所が怪しい。神戸・三宮センター街の地下街の中にあり、漬物屋と魚屋と青果店と肉屋のたたずまいの中で、ずり落ちると絶対的骨折だろうな!と言うほど座の高い椅子が並べられ、白いのれんを、背中にマントの如く乗せながら、見知らぬ者同士が肩すれあって食すのである。次に、親父の作る料理が怪しい。メニューは、天プラ定食・えびフライ定食・ミックスフライ定食のみであるが、どの揚げ物も硬直した如くまっすぐなのである。元来、エビやイカは揚げると曲がるはずだが、まっすぐなのである。目の前で揚げているので、竹ぐしを通した形跡はなく、ただひたすら怪しいのである。そして、これでもか!と言うほど熱い。揚げたてのオカズは最初のかぶりつきで、溢れ出た油によって必ず口の中を火傷し、添えられたキャベツの千切りは、歯が凍るほど冷たくしてあるので、余計にオカズの熱さを演出するのである。増してや、付属されているミソ汁は、おばさんが、こんにゃろ!とばかり、ご丁寧にも小鍋で一人分づつ沸騰させるのである。カウンターになっていて、8人も座れば満席の店内で、背中ののれん一枚越しに、人の往来を感じながら、注文した後は、親父の怪しいまっすぐ揚げ物と、揚げ上がりと同時に絶妙のタイミングで沸騰するミソ汁の一部始終を鑑賞するのである。食べた後は、600円を支払うと、口の中の火傷と感覚の無くなった舌を気使いながら、昼休憩の終了である。しかし、あの震災で未だ残存しているのか確かめていない。
 結局、宮崎に戻っても、今の生活において哀愁漂うなじみの店というものは、完全に消滅している。ただ、女房子供のいるダイニングが、行きつけの場と化しているのであるが、あの『お好み焼き屋』の哀愁を感じることが出来た独身は、何かしら人の温かみに飢えていたのであろう。女房子供の存在が、欠けていた隙間を埋めている現在、私自身にとっての哀愁は、別の方向になってしまっているのだろう。結婚などの意識すらなく、子供の声などやかましくしか聞こえなかった独身の頃の感覚は、現在思い出しにくくなってしまっているが、事実としてそんな時代を経たからこそ温かみを感じる家庭があるのだと思う。
 『お好み焼き屋』の哀愁の思い出は、今の私に何かを警告しているメッセージの様だ。充実した家庭は、今の自分に哀愁の念を忘れさせているようだ。そんな忘れかけたいた感覚を、忘れてはいけない。年を重ねる度に、薄れていく感覚や感情や経験を、忘れてはいけない!と、自分の中の何かが警告しているのである。子供の訴えを、大人感覚で良い方向だけに導く事が、果たして本当にいいことなのか?と言う疑問を持つべきである。大人の経験を元に、知識とルールを強要し、失敗しない良い子を作り上げ、大人にとって『都合が良い子』を作り出しているだけではないのだろうか?いろんな失敗を繰り返し、子供それぞれの個性で1つ1つの新しい経験を蓄積していくことが、本来の姿ではないのだろうか!今を生きる現代、感じ方はそれぞれであっても、家族全員で同じ経験をする事が、大事なような気がしてならないのだ。
 またクリスマスの季節である。我が子達はサンタクロースの存在を信じて疑わない。こうなると、待望のクリスマス行事のメインイベントである、サンタプレゼント大作戦の演出を、いかに遂行しようかと11月下旬から私の頭は一杯になるのだ。会話の端々に子供達の欲しがっている物を、チラと聞き出してみたりするのであるが、それが今年は『欲しい物聞き取り作戦』に手こずっている。次女が、『内緒!』と言って話してくれないのである。
「サンタに、もうお願いした。お父さんに言う必要がない!」
「秘密なのにしゃべると、願い事が叶わない!」
と言うのが理由らしい。
 しかし、それにしても夢のあるクリスマスである。長男は、現在没頭しているパズルとウルトラマングッズでいいようだ。長女は、どうしてもファミコンが欲しいようだが、買って貰えないと信じているらしく、
「買ってくれ!」
とは言わない。バカ親である私の負けなのか、ある日、何かに誘導されるが如く、オモチャ屋に入り込んで買ってしまった。こうなると、残すは当日の演出であるが、わが家でサンタクロースは、枕元の靴下にプレゼントを入れるのではなく、クリスマスツリーの下に置いていく事になっている。セッセセッセと、次女得意の折り紙工作で、例年にない飾り付けが施されているのだ。
 激化するクリスマスムードの中、小学1年の長女の友達は、サンタはいないと言っているが、私の家には必ず来るのだ!と、声高らかに宣言しているし、次女5才にしても幼稚園のお友達の意見など、まったく無視してサンタを奉っているのである。そして、クリスマスの1週間前に、次女の誕生日を迎え、ささやかなプレゼントとケーキを準備して祝ってあげた。ハッピバースデーツーユー、ハッピバースデーツーユー・・・の歌声とともに子供達の顔が浮かび上がり、笑顔一杯の次女が頬に息を吸い込んだ時である、横から何を勘違いしたのか長男3才がフーッと炎を消してしまった。恐ろしい事態発生!右頬から首筋にかけてのヒッカキ攻撃3回、大泣き始めてさらにパンチ5発、捨てゼリフに、
「絶対許さん!!」
泣き止んだ長男に理由を尋ねてみると、どうも10月に自分のバースデーケーキ・ローソク消しを思いだし勘違いしたらしい。なんとか、機嫌を取りなして短くなったローソクを消すことが出来た次女5才のスタートであった。
 玄関を開け、
「た・だ・い・まぁ。」
の声とともに靴とスボンを間違えてぬいだ長男3才、ようやくハイハイを始めた次男9ヶ月が、気に入らないみたいである。自分のオモチャを触られると、大声でわめきちらし、取り返す。おかげで、最近は床にオモチャが散乱することが無く、テーブルの上に山ほど積み上げられている。また、自分の機嫌が悪いと、次男のハイハイが気に入らない様子で、
「動いたらいかーん!」
と、手で押さえつけている。もっと機嫌が悪いと、
「声を出したらいかーん!」
と、口をふさぐ事すらある。たまに叱ってみると、私の姿が見えなくなった隙に、次男方面へオモチャを投げたり、足で踏んでみたり、指をねじ上げてみたり、頬を引っかいてみたり・・・次女から受けた攻撃を、そのまま次男へ実行している様だ。かと言って、抱いたりベタベタされるのは、嫌がるのである。先日の幼稚園面接も、彼らしく振る舞ってきたらしい。
「はぁーい!この上を歩いてくださぁーい!」
との、幼稚園先生の声に、平均台の前に立った長男一言、
「しない!」
それで、面接すべてを拒絶してきた様だ。
「この形、何の形かなぁ?」
諸々の質問も中止させ、得意の、
「この色は何色かなぁ?」
だけ、カーレンジャーになりきり、イングリツシユでお答えになったそうである。傾向として、長女より次女はマイペースだし、次女より長男はもっとマイペースの様で、ひょっとしたら次男は?と考えると、なんだか恐るべき性格かも知れない。
 個性のあるファミリーを演出するキャラクターが、恐るべき性格の本領発揮をするのは、それほど時間は必要ないようである。その個性がぶつかり合い、親である私と女房に、やすらいだ印象を残してくれるに違いない。サンタクロースが物質的な存在から、精神的な認識へ変化しつつ成長していくであろう子供達が、きっといつの日か我が家のダイニングを、哀愁をもって思い出してくれれば最高である。


 
Copyright(C) 水流渓人 All Rights Reserved

戻る