水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第三章/五編


超蘊蓄空間


 私の朝はトイレから始まる。寝室を出、玄関に立ち寄り、裸足で玄関の扉を開けると新聞を拾い、トイレに直行するのだ。絶対的私的空間、暖房便座の心地よさは、この冬には捨てがたいものがある。広告を眺め、一通り新聞を見ると所用もとどこおり無く済み終え、リビングに入ると暖かい朝食と、朝日に輝くママの笑顔、そして元気な4人の子供達の声が、私を出迎えてくれる。ってな事はなかなかないが、まったくもってこの絶対的男の空間が、最近脅かされているのである。まず、ダメになったのはトイレの鍵である。どこかの頭脳明晰博士号取得現代住宅事情精通研究一筋人間が開発したのか知らないが、
「トイレの中で何かあったら大変です!イザと言うときには外からでも簡単に開きますョ!」
のドアノブになっている。ドーレ新聞でも!と構え、便座にお尻を下ろしたとたん、長女が右手人差し指の爪で、鍵をいとも簡単にカチャと開け、
「アー、おしっこ漏れそう!」
と、入ってくる。パンツを膝まで下げたまま、乱れ薄毛をたらし、読みかけの新聞を両手に持ち
「先にしなさい。」
と長女に譲る。そして、新聞の3面を見出す頃、ひとすじのウンチが
「快便!カイベン!かいべん!」
と言いながら、洋式便器の水溜まりに入水し、一息のため息と快感が背筋を走り、
「今日もいい一日になりそうだ!」
と、男冥利につきる空間に酔ってみる。と、とたん無意味な鍵の配備されたトイレのドアが、けたたましく開き、内股をスリスリしながら次女が
「漏れる!漏れる!」
と、まるで私が便所に居る事がイケナイみたいに、怒った態度で飛び込んで来るのである。膝まで下がったパンツと、遥かな旅を終え、直腸まで下がって来た私のウンチ第2段は、無理な肛門の逆圧攻撃にあい、あえなく情けない姿で次女に便座を明け渡すのである。嵐の去った如く、一家の主の風貌は何処にも感じられず、冷えた自分のお尻に申し訳ないと呟いてみても、もうウンチ第2段は戦闘意欲を失い暗黒の世界で頑固たる態度を固持しているのである。
「まぁ、そんな堅いこと言わずにおねがいしまっさぁ!」
と謝り、便座にて孤独男の世界を再々度決めてみるのである。新聞も一通り目を通し、最後の『天声人語』を読みはじめ、ウンチ第2段も無事機嫌を取り直し、降下作業を終えた頃、
「もうちょっと待ってくれ!最後の肛門収縮で取り残されてしまったよー!」
と第2段残留組が下腹部をつつくのだ。私はこの残留ウンチに、
「よし待っていろ!新聞は終わったが、そこの棚には読みかけの単行本がある!この単行本のひとときをお前に与えてやる!」
と、絶対的態度で、誇らしげな笑みを浮かべ、先発のウンチを股の間から覗き見たりするのである。尻も拭かぬまま、ずり下げパンツも膝に停滞したままで、棚の単行本を手に取り開いた頃、トイレでオシッコを覚えたばかりの長男が、
「チッチ出る!」
とご入場なさるのである。トイレでのオシッコより、トイレの鍵開けだけは早くから学習なさったのか、下に踏み台まで準備してある。あわれ残留ウンチは、パンツを下げオチンチンの先をつまんだ長男に先を越され戦意喪失となるのである。その内、長女・次女には、
「お父さんは、前の公園のトイレにでもいったらー!」
などと言われるのだろうか?断固言いたい、私の愛すべき独立快楽読書空間のトイレの鍵は、昔からある真中製針金ネジの引っかけ鍵で内から閉めたら絶対開かないゾ!的鍵を推奨するのだ!もし私が、鍵をかけたままトイレで倒れたとしても、ソッとしておいてくれ!と、宣言しておくのだ。今後、家を新築される方々に言っておきたい!たとえ、建築屋さんや建築資材メーカーが、
「これは便利だ!今時これをつけないと時代遅れでっせ!」
なとどほざいたとしても、譲れないものは譲るべきでなく、余裕があれば、主人専用冷暖房付書籍棚完備防音効果抜群のトイレを作るべきである。もっと贅沢を言わせて貰えば、皮貼り暖房便座が付き、フローラルの香りのする洗浄液で洗い流し、白魚のような女性の手が便座の下からペーパーで拭きとってくれて、
「あーら今日のウンチは、色といい香りといい最高ヨ!きっといい事があるんじゃないかなァ!うっふん!」
とでも言ってくれるトイレを作るべきなのである。まさに男の城、男はここで人生を考えて行くのである。
「あー、もう一個トイレがホチーイ!」
パパちゃんなのである。
 最近、長女の質問の一つに、
「おとうさん、私ん家は貧乏?お金持ち?」
というものがある。どうしてそんな事を聞きだしたのか判らないのだが、私や女房が金欠話をしていたのがいけなかったのか、何か不自由を感じているのか、多少不安になってきた。彼女が、いったいどんなレベルで、貧乏や金持ちを認識しているのか理解出来ないのだが、以前は、
「私の貯金箱は重いから、私が一番お金持ちやがね!」
ぐらいしか言っていなかったのである。夕食の時、長女がまた
「家は貧乏やと?」
と聞いた。私も答えに困り、
「貧乏かも知れない。でも、貧乏で幸せなのと、お金持ちでも幸せでないのと、どっちがいい?」
と聞いてみた。彼女は考えること無しに、すかさず、
「貧乏でも幸せな方がいい!」
と、大声で答えた。私は嬉しくなってしまった。長女の素早い力強い答えに、
「そうだね。おとうさんも、家が貧乏だとしてもママや4人の子供達がいて、それだけで幸せだよ!」
と、歯の浮くような事をいってしまった。それから、数日後の夕食時の事である。私と女房が、他の人が羨ましい、お金があるからこそ出来る事だ!と、いう様な話をしていた。すると、横でテレビを見ていたはずの長女が、怒った赤い顔をして私に言ったのである。
「貧乏でも幸せなんだからいいじゃないか。」・・・
それは、先日答えた時より、もっと力強く。別にわが家が、幸せでないと言ったのではないが、彼女の耳にはそう聞こえたのであろう。少し反省させられ、また嬉しい一言でもあった。腹の底から押し上がり、鼻と目頭をツーンとさせられる感情の中で、私は
「そうだね。」
としか答えられなかった。
 幼稚園・お遊戯会シーズンがやってきた。次女年中組の出番であるが、今回は長女のマラソン大会と重なり、私+長女・女房+次女の取り合わせとなってしまった。幼稚園先生方の目が血走り、髪振り乱れ、声のトーンが絶頂を迎える頃、お遊戯会の幕が切って落とされた。前日の予行総練習をチラと見たが、当たり前と言ってしまえば、まったく当然なる感情に不審を抱いた。同じクラスの子供達が踊る中、どうして自分の子供だけ目に入り、どうして一番かわいく思えるのだろう。そりゃ当たり前なのだが、修学前の子供とは云え、私の見えない世界で成長していく我が子に、動揺と喜びを感じる瞬間のようだ。しかし、
「自分の子供だけが一番かわいく見える!」
この感覚は、すべての親がそうなのだろうか?と、疑問を感じたのである。見渡せば、世の中にはイロイロタイプが存在し、自分の子供は一応棚に上げ、よその子をよく誉め、誉めに誉めて最終的には、相手に自分子供を誉めさせる様に仕向けるタイプや、よその子供の事はどうでもいいが、我が子ワールドの中にドップリ浸かり、胸の前で両手を合わせ、誉め言葉などかけてもらおうものなら、待ってましたとばかり瞳ウルウルの世界を演出してみるタイプ、はたまた『基準はわが子』を決め込み、自分の子供に比べて周囲の子供の善し悪しを喋り、あっちに行っては、
「あんたの子供はいいねえ!」
と羨み、
「うちの子は○×△だ!」と蔑むタイプなどなどである。周囲に不快感さえ感じさせる、ご父兄様ご来賓様方々であるが、その構造を集約してみると、やはり『我が子が一番かわいい行動』になるようである。そんなこんなのバカ親ぶりは私自身かも知れないが、そのバカ親度にも強中弱の段階が存在し、その判定は主観的には判定しにくいようだ。この手の話をつらつらとしていると面白い。自分の意志、家族の意志、子供の育て方など、しっかりした態度で自分の足を地に着けて歩いていない人間ほど、世間体が気になって仕方ないので、自分を隠しごまかし、話す内容と言えばその場にいない人の噂話なのである。ここは宮崎・西都、人口3万6千人の小さな町、飛び交う話の内容のその9割を噂話で過ごして行く悲しい町、そんな地なのだが、しっかり足を地に着けていれば自然が多く楽しい仲間も多い町でもある。結局何処へ行っても足を地に着けて生きて行かねばならぬのじゃ・・・!!と、これまた男の世界の御糞部屋で、しばし考えてみたのじゃ・・・!! 


 
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