水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第三章/三編


大人のオモチャ「ミニ4駆」


 長女7才2ヶ月と次女4才8ヶ月を連れて、河口に釣りに行った時の事である。川岸に落ちているテグスを拾い、枯れ枝に結んで、釣りのスタイルを開始した。針の替わりにジュース缶のプルリングを結び、
「おとうさん、釣れないよー。」
と、駆け寄ってきた。
「そうか、餌が無いからだよ!」
と言いながら、針を結んであげようとする私に、
「針は危ないから、餌だけつけて。」
と長女。ゴカイをちぎってテグスに結んであげると、2人は嬉しそうに、護岸よう壁を降りていった。引き潮でテトラポットがむきだしになり、その隙間にエサを沈めては歓声を上げている。なんと驚いた事に、川エビとカニが釣れているのである。そんな光景を眺めながら、楽しみとは何かを考えさせられた。
 何かをするには道具・金・時間が必要で、それなりの成果がないと楽しみと言えないのだろうか?贅沢をすることが、自分の満足度をアップさせる手段となっていないだろうか?より多くの体験を親が用意してあげる事が、子育てなのだろうか?なにもかもが、大人の世界の美化された教育論のような気がしてならないのだ。現に、庭のホースで、服のまま水をかけると、歓声を上げて喜ぶし、虹が出来る事だって体験できた。嫌がる風呂に、服を着たまま入らせると、まんまる笑顔の次女になり、先に入っていた長女と長男まで、服を着直して歓声を上げ、服のままでは水中で動きにくい事を覚えたのだ。親の理想だけが、より特異的な、より珍しい体験のみにエスカレートし、子供の世界を造形し、強要しているのではないだろうか?より日常的な子供とのふれあいをショートカットし、大人の理想の造形の世界へと、誘導しているのではないだろうか?
 そんな空洞化を経験させられた子供達が、親に連れられアウトドアに駆り出されている光景が多すぎるようだ。そんな自然の中に連れ出された子供の楽しみは、家と同じようにマンガ本であり、ゲーム機であったりする。親によって準備された衣服は、ドロにまみれる事や、そのまま水に入る事を禁止され、親子のふれあいが大切とばかり、木の枝をへし折りそんじょそこらでハンゴウ大焚火周囲迷惑無関係エンジン発電機花火バンバンを繰り返すのである。気が付けば車のエンジンをかけたまま、冷房をきかせて、車載テレビでアニメを見ているのである。この様な楽しみは、大人世界の理想追求にすぎないし、そんな親に育てられる子供にとっては、家でゲームしている方が楽しいようである。
 結論を出すのには、人それぞれの価値観の相違もあるだろうが、昭和一桁の世代に育てられた私自身、今より本質的なものを教わったように認識している。現世代、子育てをする親達が、空洞化した子育てをする限り、現代社会で問題になる経済優先社会体質は消えず、薬害エイズ問題や地球環境問題などの顛末は起こり続けるのであろう。いわんや、空洞化した子供達が、親の立場になった時の事をや!である。
 私の理想である、子供のスタンスで遊ぶには、現代社会・教育環境とすれ違いが多くなってしまうのではなかろうかと、不安になってしまう。子供を取り巻く今の環境下では、周囲の保護者と異種の流れとなり、いくらわが子であっても本流に従うべく親の流れに逆行するのであろう。現代の子供を取り巻く環境の象徴は、バーチャルリアリティー(仮想現実)であり、非現実のアニメやテレビゲームの世界が浸透し、仮想の世界で自分の感性を作り上げていくようである。カブト虫が、夜にクヌギの木で樹液を吸い、外側の堅い羽の内側にある薄い羽をひろげて飛び回る事など、
「ああそうか!」
の世界で、それじゃ昼はどこにいるのか?とか、クヌギの樹液には、他にどんな虫があつまるのだろう?などの興味は湧いてこず、昆虫の飼育セットがホームセンターに売っているから
「カブトも買ってくれ!」
と言うだけである。逆に、カブト虫から転じて、カブトの角から超マグナムレーザー光線が放たれ、超合金のボディーに覆われ、仲間のクワガタやカマキリやカミキリムシと合体し、昆撃戦隊アニマルロボに変身する仮想空間を、あたかも現実の如く思いを膨らませていくのである。バーチャルリアリティーに溢れた今の子育て環境を、肯定的な態度や放任的な態度でいるなら、未来において恐ろしいものがある。そういう意味でも、現代の子供環境を理解するなら、自分の経験や知識だけで判断・教育しては、いつまで経っても本当の子供の世界は見えて来ず、同じスタンスで遊んだとしても素晴らしい子供の世界に、触れることは出来ないのではないかと思うのだ。アニメやCGによるゲームが形成するバーチャルの世界は、判断力のない柔軟な子供の思考の中に、なんのためらいもなく浸透し、その生涯に多分の影響力を与えるはずである。
 わが家にパソコンが届き4カ月になるが、ウィンドウズ95の世界を探り、数種のアプリケーションを、説明書など見たこともない長女が、いとも簡単に手探りで使うのである。パソコン教室の入門編とは遥かに進歩した作業を、まったくの疑いもなく作業してしまい、私が2年近くかかった分野は、この数カ月で驚くように進歩し、週に1時間ほどしか触れない長女が、数回の使用で操作してしまうのである。素晴らしい事、便利な事と言って良いのだろうか?、これこそ知識・経験の空洞化ではないのであろうか?理解する事なく、いとも簡単に操作出来る、恐ろしい現代になっているのだ。大人と違い、長女に限らず、同年代の子供であれば誰でも、この空洞化されたバーチャルの世界に、簡単に飲み込まれ、パソコンの操作を肯定的に評価される、リアリティーの世界の人間に位置づけられるのだ。もっともっと物の本質を経験・勉強するべき柔軟な感性のこの時期に、本質の見えない、大人の考えだけの社会に無理矢理子供を巻き込み、大人にとって、より都合のいい・経済効果のある環境のみを優先させていくのである。素晴らしい子供の世界に触れたいし、子供のスタンスで遊びたい私自身を問い正し、反省の念を込めて、手探りばかりの子育てであるが、私の子供に生まれて後悔が少ないようにするために、永遠に問いかけていくつもりである。
 次男5ヶ月が泣き出すと、すかさずベビーベットへ走りなだめる次女4才8ヶ月である。優しさと激しさを合わせ持ち、自分の感情に忠実で気前よく、思いやるに、世渡りが下手で晩婚のはずであり、私だったらきっと求婚するであろう次女なのである。2年前から“次女への求婚話”を書いているのであるが、冷静に次女的性格を考えてみると、思わぬ結論に至ったのだ。まさに次女的性格の人間=女房だったのである。生まれ変われるならばの次女求婚話ではあるが、なんだかチョト損したような気にもなった残暑お見舞いの頃であった。 『ママのオッパイは、誰のもの』論争が起きている。現在、家庭内でママを『お母さん』と長女・次女は呼び、『おかあちゃん』と長男は呼び、次男は泣き声で呼び、いつのまにか私だけがママと呼んでいるが、ママのオッパイの所有権は次男にある!と、子供達は主張するのだ。重ねて、所有権は次男でも使用貸借権が子供達に登記してあり、私が触れたりすることは不法占拠にあたり、子供達のパンチ攻撃の刑に値すると言うのだ。私としては社会人らしく、次男は母乳からミルクに変わったのだし、所有権はママにあるが、結婚式で長期賃貸借契約を取り交わしてあり、結納金は無かったので、抵当権の設定登記はしていないものの、5年以内に主婦業が上手くならないのであれば『実家に帰すぞ!』との女房親父の買い戻し特約は設定登記されている。だから『私には当然ママのオッパイ権はあるのだ!『と主張しても、子供達はなかなか納得してはくれない。現在ホットな家庭内『オッパイ論争』の行方に、拍車がかかっているが、夜9時の
「子供達は早く寝なさい!」
とのママちゃんの号令が、最近では、
「子供が寝ればオッパイはあなたのものょ!」
と聞こえてしまうのだ。
 長男2才10ヶ月、庭のテーブルによじ登り、ピョンと飛び降りることが出来るようになった。ねえちゃん達とは違いカーレンジャーやミニ4駆で遊ぶのが好きだ。そして、このミニ4駆、近所の男の子達・全国の子供達が興じているが、テレビアニメで放送し、模型メーカーがプラモデルとして売り出しているみたいである。小学校では、このオモチャを巡って、子供の金銭感覚や、貸し借り行為が、父兄懇談会でも話題になるほどである。こうなると、どうしても首をつっこみ本質を理解したくなるのが私の性分(すぐ、格好つけてしまうが)で、そのメカニズムを探求してみたくなった。
 ミニ4駆の本体自体500円程度である。電池2本で走るのだが、祭りや商店街イベントなので“ミニ4駆大会”と称してコースを提供するのである。コース設定に合わせ、自分のミニ4駆に、各種パーツで改造を加え、出来る限り早く走らせる事を競うのである。所詮、子供のオモチャだ!と、オモチャ屋さんで500円のミニ4駆を購入し、出来る限り早く走るための改造パーツを1台分すべて買い込んだ私は驚いた。1万円を越してしまったのだ!びっくりしたので内訳を明記しておく、本体490円・フロント滑車ベース650円・サイド滑車ベース650円・リア滑車ベース650円・ベアリング付き滑車2個入り500円×6=3000円・高速コーナリングタイヤ650円・タイヤ軸350円・軸受けベヤリング500円・高速ギア250円・ハイパワーモーター1400円・充電地セット2980円・・・・・・・。実に、巧妙に人間の欲望をエスカレートさせていくように仕組まれているのだ。私の場合、まとめて購入したので高額になったのであるが、小遣いを巧妙に吸い上げ、友達より、より速くしたい欲望を引き起こさせ、本体より高いパーツが限りなく用意されている世界であるのだ。もっと悔しいのは、高速パーツを取り付ければつけるほど、本体が耐えきれず買い替えを余儀なくされたり、テレビアニメの主人公が、次々にニューモデルマシンを登場させ購買を促し、それに合うパーツも追加購入するシステムになっている。そして、大人の私が考えて作り上げる以上に、近所の子供達は、より高速のミニ4駆を改造させてしまうのだ。のめり込む子供達が悪いのでなく、それを買い与える親がバカなのだ!と思いつつ、この3晩をかけてベニア板を細工し、20mのミニ4駆コースを作っている私なのである。「1番ハマってしまってるのはあんただ!」
と言われ、ムッとした私は興奮して女房に言ったのだ。
「近所の子供達に負けているんだゾ!俺のミニ4駆が1番速くないと気がすまんのじゃ!」・・・・・。
鼻息荒く言う私の子供達は、誰一人速く走らせたいとか、新しいのが欲しいとか、改造してくれ!とか言わない。
「だけど、速くないとおもしろくないもん。」
と言う私の口元が、長女がわがままを言う口元に、そっくりである事を私は知っているし、今夜、子供達のミニ4駆を、女房に内緒で買ってきたパーツで改造しているのだが、明日の朝、子供達が改造された自分のミニ4駆を見て
「おとうさん、ありがとう!うれしい!」
と、大喜びする事は、絶対的に無いと思いつつも、手が止まらない大バカハメラレおじさんなのだ。


 
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