水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第三章/一編


カブカブクワクワ虫


 6時30分起床、
「トイレ!トイレ!」
「お腹すいた!お腹すいた!」
朝のテレビ番組の星座占いで、喜怒哀楽。新聞の天気予報・テレビ番組欄を見て、7時20分に
「いってきまーす。」。
・・・・長女7才。
7時30分起床、
「うーん。」
「今日は幼稚園には行かん。」
「着替えなぁーい。」
「お父さんは、あっち行け。」
だいたい、不機嫌起床。朝食でも一荒れし、ポンキッキのテレビとともにニコニコマーク。8時30分私の車で登園し、幼稚園皆勤賞。・・・・次女4才7ヶ月。

 8時起床、眠い目をこすりながら、無言のままテーブルの所へ行きウルトラマンかカーレンジャーの人形を握りしめる。ポンキッキを見始めると、
「ピーナッツバターのパン。」
朝食メニューを指示する。・・・・長男2才9ヶ月。
 その間、寝室かリビングのベッドの上で、だいたい泣いたまま放置されている。・・・・次男3ヶ月。

 我が家の朝の風景である。平凡で、幸せな生活と言えばそうなのかも知れないが、なんとなく流されているようで、ふと焦って来る時があるのだ。不安定な生活を望むわけではないが、なにもかもに満たされているのが、不安心をかきたてられる。このような心境は、男特有なものかもしれない。自分を不安定な場所に置いて、それを克服してみたくなる。冒険と言う言葉がふさわしいかわからないが、いろんな意味での冒険がある。自然を相手に冒険を試みる事、現状の生活を捨て新しい生活へと冒険する事、自己財源拡大のため、多額の借金へ冒険する事、・・・・。スタイルは違っていても、冒険には変わりない。
 大手流通業に勤務する頃、社会人としての人間の価値は、出世であり、どれだけの数字を残せるかが、すべてだと考えていた。会社方針と言う大義名分の元、多くの人を犠牲にして、自分の地位を築いていった。その地位を自分だけの努力だと思っていた。入社以来5年が過ぎ、10人程の部下が出来た頃、ハッと気付いた。
「私の会社での地位はいったい何なんだ!」
「自分の力だけで勝ち取ったものでもなんでもないじゃないか!」
「私の為に犠牲になった人達のおかげで、今の地位があるんじゃないか!」
と、つくづく考え直してしまった。その事を気付かせてくれたのは、その10人の部下達であった。殆どが新入社員の部下で、戦力にならないと不安ばかりを抱いていた私であったが、その部下達は全面的に私を信頼し、ついて来るのだ。これ程までに、上司を信頼してついて行く事が私にはなかった。私の方針を忠実に実行し、公私共に私について来るのである。
「私は、こいつらの為に何かをせねばならない。」
「裏切るような事は決してしてはならない。」
と、考える様になったのだ。大きな人生の転機だったのかも知れないが、部下を育てて行く課程で、信頼関係は何より重要だと教えられた。部下を育てれば育てるだけ、私の部署は伸びて行くのであった。私の予想を遥かに越えた所に成績は到達し、私の地位を押し上げていくのである。自分の地位のみ気にして、自分のみのし上がろうとした態度より、数倍の速度で部下達が押し上げて行ってくれるのである。そんな頃、今の女房と結婚して、家庭を持ちたいと考える様になった時期でもあった。安定してくる収入、長女の誕生、暖かい家庭の中で自分が流されているような気がしてきた。企業人としてでなく、自分のために自分の家庭のために、自分の足が地についた生き方をしたくなった。退職を決意し、故郷へ戻る冒険を試みたのだ。
 あの決意から6年が過ぎようとしている現在、幸せな朝の風景は、あの時とは違った焦りを感じる様になってきた。それが冒険なのか、まったく判明できないが、おそらく忙しすぎる毎日がそうさせているのかも知れない。

 西都の夏祭りの季節になった。小学校1年の長女は、近所の子供会での子供みこしに参加した。子供の頃から祭り好きだった私であるが、思っていたより長女の祭り参加に、積極応援体勢が出来なかった。出来なかったと言うより、する気になれなかった。きっと、子供時代の参加する祭りから、現在の見るだけの祭りに変化してきているのが原因であり、商店街の町起こしと称するが、どう見ても小金稼ぎにしか見えない風情がどうも嫌になってきたからだろうか。祭り同様、アウトドアに対する関わりも同じで、生活の中に自然があった子供時代、遊びの中心は必ず自然の中であった。それからしばらくアウトドアとは縁遠い生活を送っていた時期、情報や流行や造形のプレイスポットの中に飲み込まれていた。そして、再び自然の濃いこの町で子育てを始め、出来る限り子供と遊ぶフィールドは川であったり、森や林のある山であったり、海であったりしたいと考えた。自然の中へ連れ出す事が多いからなのか、長女・次女は、
「遊園地・動物園・プール・ショッピングセンター。」
等の催促が多いので、ひと頃悩んでもみたが、それでいい事に気付いた。生まれてずっとキャンプや川遊びや魚釣り等、自然に触れさせているのだから、以外の事に興味持つのも当然のことである。この長女・次女、自然の中に連れ出せば、親の手を煩わせることなくいろんな事を見つけ、考えて遊ぶことが出来るように成長しているのである。祭りの感覚みたいに、アウトドアでもがっかりさせられたり、昔みたいに遊べない環境も増えてはいるが、祭りの様に作られたものでない環境にも触れることが出来るので、一生懸命にもなれるのかも知れない。
 先日、
「お父さん、クワガタとカブト虫とって!」
と、長女が言い出した。子供の頃、夏の間、誰もが持っていた宝物だった。最近では、宮崎の様な地でも売ってるらしいが、よく考えてみるとどうやって捕まえてくるのか、教える親や友達がいないらしい。私の小学校時代も、たくさんのクワガタやカブト虫を所有する、山間部の友達はヒーローだった。長く熱心な交渉の末、虫のいる場所を教わったものである。そして、虫取りヒーローの親父と言うのが、超虫取り名人であったりしたのだ。気分低迷の続く私は、一転奮起した。
「よーし、虫取りにいくぞ!」
とりあえず、カブト虫4匹とクワガタ6匹を子供達の虫カゴに納めてやった。数日後、我が子達が
「アンマンおじちゃーん。」
と慕う、私の遊びの師匠であり、遊びクラブの大御所であり、全国カッパ連合・宮崎支部仲間でもある。会員番号カッパ1号に登録される、阿万氏が、
「虫取りにいくぞー。」
と、我が子達を誘ってくれた。この阿万氏こそ、驚くべき超虫取り名人であったのだ。1時間もすると、子供の虫カゴはカブト・クワガタの超満員御礼状態、この店貸し切りまた今度来てね状態となった。現代風に言うなら捕りすぎては可愛そうかも知れないが、田舎っ子の特権であるクワガタ・カブトの所有は、思いきり真剣に捕ればいいのだ。自分の子供の頃、カゴいっぱいの昆虫採集も、バケツ一杯の魚釣りも許されていたのだ・・・。そんな経験を積んで来たからこそ、私も私の仲間も愛着を持って自然と触れ合えるようになってきたのだ・・・。


 
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