水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第二章/十四編


草陰の寂光蛍


 幼虫から成虫になったばかりのホタルは、弱い光をかすかに放ちながら、草陰に止まっていた。いつもは、5月下旬のホタル散策なのだが、少し早めに家族全員で出かけてみた。ホタルを見て、どうしても網で捕まえ、学校や幼稚園に持っていきたい!と、子供達は主張する。短い命だからそのままにしておけ!と、親の私はなだめる。そんな私も子供の頃、ホタルを一生懸命網で捕まえ、部屋に放して喜んだ。なんだか、捕まえてはいけないと言った自分と、それを聞いて納得した子供達が急に哀れになった来た。そんな時代なのかな?と悲しくなってきた。最近、私の書いた文章をパソコン通信のあるコーナーに紹介しているのだが、それを読んだ東京の女性から電子メールが届いた。『私は山口県出身で、実家の庭先にはホタルが飛んできます。いまだホタルを見たことのない宮崎出身の男性と、来週結婚式を挙げます。』・・と。
 次男1ヶ月、恐怖の24時間体勢を女房に強要している。腹が減れば泣き、おむつが汚れると泣き、日中に睡眠をとり、深夜にモゾモゾうごめく。赤ちゃんだからと、理由付けするならそれまでだが、6才・4才・2才に続く4人目の人格であるところが、少し違う彼の立場である。必殺技は、姉兄のドタバタ攻撃にも動じず、スヤスヤ睡眠なさるところであり、乳のみながらうんちを小刻みにおたれになり、我々を翻弄させるところである。親がしてあげねば、何もできない立場を最大限に利用し、姉兄をさておき自分を優先させるのだ。当たり前と言えば当たり前なのだが、それはあくまでも大人の世界の話なのである。
 姉兄の立場から見れば、悔しくてたまらない様子である。自分達はいつも後回し、そして、親の愛情はすべて赤ちゃんへ注がれている様に見えるらしい。
「あなた達もこうやって大きくなってきたのよ。」
と言う言葉は、決して受け入れようとはしないのだ。理解はしているみたいだが、感情の外側にベルリンの壁を張り巡らし、やり場のない感情を時々爆発させる。4人の子供を所有してみると、常に誰かが爆発行為をしており、いつもいつも壮絶な家族模様なのである。しかし、ふと気付いた事がある。誰かが爆発行為を演じている時、他の子供も同時にそうである事は少ない。だから、救われているのではなく、だから、大変なのである。長女の話に耳を傾け、次女の弟へ対する暴力行為を叱りつつ、泣き出す長男をなだめ、次男の乳請求を女房に告げる。やもすると、同時に喜怒哀楽行為を完遂しなければならないのである。そして、この喜怒哀楽行為が、適材適所に実施されないと、大惨事を招く結果となる。
 それに、もっと大変な状態は、女房の機嫌が悪いときで、喜怒哀楽・機嫌取り行為を同時にせねばならぬ・・・・・ぬっ。なにはともあれ、ママちゃんの忙しさは掃除・洗濯・食事にいたり、産後の体調もすぐれず、かわいそうなのであるが、それぞれに子供達を思いやるとき、叱る時、母である愛情深いまなざしで接する女房を見ると、計り知れない幸福を感ずるのである。

 長男2才6ヶ月、ウルトラマンとカーレンジャーの熱烈なファンである。100円菓子のおまけをいつも持ち歩き。実に愛らしい表情で笑う。ピーナッツクリームを塗ったパンが大好物であり、次男を弟だと理解している。彼の得意とする遊びは、知り合いが、子供のお下がりとしてくれた、ウルトラマンのVTRテープを、見るのは見るのであるが、見ながら他の18本のテープを、テーブルの上で、積木がわりに積み上げるのである。積み上がったテープの横に、所有のキャラクター人形を並べ、満足を得ている。しかし、所有人形の中に何個か立ちにくいものがあり、立ちのわるいウルトマン人形に憤慨し、時折、壮絶な号音とともに、彼の傑作を破壊している。何度となく床に崩れ落ちるVTRテープを見ていると、物を大事にする心を教えて叱る前に、彼の悔しい気持ちを優先させてしまうのである。彼の天敵、次女4才。殴る蹴るの行為に悔し涙を流しているが、大の仲良しでもあり、この後何年そんな立場が続くのか、いい思い出となる事は間違いない。私としても、長男・次男の男組結成の折りには、男ならではの体験ができる事を楽しみにしている。

 次女4才4ヶ月、彼女の作り出す工作や絵に私は一目おいている。絵においては、彼女の描くお父さんの絵が素晴らしく、目汁・鼻汁・耳汁・ションベンまでが事細かく描写され、完全なるミラー文字まで書く。自己流の折り紙で、最終的には言われてみると確かにそうだ!と言う物を作り出したり、独創的な発想の達人でもある。いいか悪いかは個人の価値観であるが、私は喜怒哀楽の激しい次女の理解者を自負したい。集団で遊び始めると、いつのまにか一人で他の遊びをする。一人遊びが目につくので、しばらく彼女の行動を観察した事がある。一つの遊びから発展していく想像力が、他の子供より独創的過ぎて自分の遊びに没頭していくみたいであり、それを、いいか悪いかは別として、そんな彼女の個性を、どう伸ばしていくか・・・。それから、もう一つの特技である採取行動も、面白い。キャンプへ行けば袋を下げ、一日中林の中で何かを拾っている。近所の公園では、男の子達が遊んだオモチャの鉄砲玉を、隅から隅まで歩き、何十個も集める。ダンゴ虫やカゲロウや青カエルの時期には、何十匹も集めてくる。袋の中でうごめく何十匹ものダンゴ虫は、絶句と感動に値するのである。

 そして、長女6才。ランドセルが元気良く、いってきます!と言うようである。関西料理に慣らされた彼女には、どうも宮崎の学校給食が合わないようだが、そんなことはさておき、毎朝一番に起きて親を起こしてくれる。おかげで、早起き一家になった。日毎にたくましくなっていく彼女を見ていると、私までウキウキしてくる程である。知らない同士のクラスの中で、じっくりと様子をうかがっていた彼女が、だんだんと仲良くなってきた子の名前を口にするようになったり、友達の家に遊びに行くようになった。いろいろな『初めて体験』に、どんな反応で、どんな対応をし、どんな成長をしていくのか興味深いのだが、果たしてそんな彼女の世界に、どれくらい私がかかわれるのか楽しみである。

 前後左右子供に挟まれ、子育ての四面楚歌状態は、やもすると放任・愛情不足・粗雑になりがちであるが、私の子供に生まれた意義がなくてはならないとプレッシャーすら感じる。一人っ子で育った私には、兄弟姉妹の感覚すら理解しがたく、すぐ子供を観察してしまい、なんらかの定義をつけてしまう。しかし、最近気付いたのだが、子供達の兄弟姉妹感覚は、他人よりライバル意識が強く、激しい衝突を繰り返す。他人であれば、好き嫌いで片づけられるかもしれないが、どうも兄弟姉妹は好きでも嫌いでもなく、仲良くなく仲悪くなく、面倒味が悪くなく良くなく、一緒に遊ばなく遊ぶようだ。まか不思議なこの関係に、どうしても定義をつけるならば、血縁という抽象しかないのかも知れない。

 天気のいい休日、長女次女を海に連れていった。砂浜まで車を乗り入れてみると、私の言葉など聞かない内に、二人が海に走った。波が恐いと最近まで言っていた長女は、まだ冷たい5月の海に浸かってはしゃいだ。まだ海に入ってはイケナイ!と言う私の言葉に、姉妹揃って反発抗議をしてくる。ほのぼのと嬉しい気持ちに包まれながら、ダメダと言う私の言葉を無視して水浸し・砂まみれになって大声をあげた。海の景色しか見えない私の目は、きっと大人の親の目なのだろう!長女・次女のバケツの中にはたくさんの貝殻や流木、そして砂堀りで見つけたコダマ貝が入っていた。ハッとした私のお尻を打ち寄せた波が濡らした。そうなのである。子供の頃、一日中砂山を作っても飽きなかったのだ・・・・。


 
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