水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第二章/十一編


悪習「七・五・三」


 「七・五・三」・・・、日本には悪い習慣がある。実に納得出来ない行事で、子供の健康・成長を願うのに高価な着物や洋服を着せ、神社に御参りし、千歳飴を高額で購入し、写真屋さんで写真を撮ってもらい、あわよくば親まで着飾り、御馳走なんぞを、不慣れな手つきでおめしあがりになったりするのである。長女にとっては、これが最後のチャンスなのである。三才の時は次女の出産騒ぎで中止。五才の時は長男の出産騒ぎで中止なのであった。
 とうとう女房の実家の母が、
「写真ぐらい撮りなさい。お金は私が出してあげる。」
と、言ってくれた。その言葉を聞いたトタン、すぐ調子に乗ってしまう私は、「七・五・三」恒例行事決行を宣言したのだ。七=長女・五=次女・三=長男。まずは貸衣装屋に殴り込みをかけ、長女は兼ねてから御希望の白のロングドレス、次女はブルーで胸元に花のついたショートドレス、長男は白い蝶ネクタイ・ベストのついた黒の嚥尾服をレンタルした。
 次に殴り込みをかけたのは、知り合いの兄さんのフォトスタジオである。全員で数枚撮ってもらい、子供はそれぞれ撮ってもらった。
 最後の殴り込みは神社である。1人3,000円×3=9,000円、割引2,000円つまり7,000円を祝儀袋に詰め込み、太鼓ドンドン20発・シャカシャカと御払い6振り・祝詞をあげ・子供の住所氏名年齢を読み上げると、千歳飴授与の儀式で厳かなる7,000円の祭りは終了する。薄ら寒いふところを押さえながら、「今夜は、御漬物とご飯でアッサリと食べようか。」
などと、負け惜しみにも似た呟きを、親はするのである。和やかなるは、ドレスの裾を気遣いながらニタニタ歩く長女の姿であり、平素なるは、マイペースでドレスの裾を地面に擦りながら、神社の落ち葉を拾い歩く次女であり、荘厳なるは、燕尾服の裾を引きずりながら、色こそ黒のモーニングであるが、茶色であるならゴキブリの様な長男の姿であった。何はともあれ、3人の子供達の将来において、親の甲斐性で「七・五・三」の行事はしたのだ!とばかりに、記念写真は残るのである。 
 帰宅途中の車の中で、助手席の女房を見て驚いた。そこには着実に成長を続け、6ヶ月になる第4子の存在があったのだ。
「僕はどうなる?」
「僕の七・五・三はどうしてくれる?」
とでも、言っている様な、妊婦のまんまるお腹が座っていたのである。4月になると、長女・次女・長男・次男の最強子供軍団が誕生する。
「もう1回だけ七・五・三をしないといけないね!」
と、カラ元気よく女房に言い、やはり柄でもない事は出来るだけやめた方がいいと、チラッと脳裏をかすめたが、喜ぶ子供達の笑顔には勝てない!と、いっぱしの親の如く思った複雑心境行事であった。
 そして、年末なのだ。12月の初めから全員風邪を引いてしまい、私と子供達は薬でなんとか持ちこたえたのであるが、妊婦女房は薬が飲めずに真っ向から風邪との戦いに挑む事となった。ひどい症状のままであったが、いつもいつも、私の我がままに付き合ってくれる女房には頭が下がる。下がりついでに大晦日には私の計画があった。幼稚園恒例のクリスマスお遊戯会は、長女年長組・演奏は鉄琴・ダンスは舞台中央・劇は天使役であり、次女年少組・演奏は鈴・ダンスは魔女ルックであり、バカ親らしく、ビデオを回して写真を取り倒しクリスマスお遊戯会は終了した。続いて仲間同士のクリスマスパーティーを催した。イブの夜は本来のクリスマスとして家族で過ごし御用納めを向かえ、いよいよ大晦日がやって来た。
 かねてからの私の計画は、子供達に雪の中で遊ばせてやりたくて、南阿蘇国民休暇村を一泊予約していたのである。通常ならどこのホテル・旅館も正月料金を掲げているのだが、公共の宿は正月でも安いのだ。おせち料理を今年は中止させ、温泉に浸かり、宿の準備した年越しそばで新年を向かえるのだ。
 家を出発し、高速道路で阿蘇を目指した。女房の体を気遣って高速道路を選んだのであるが、3時間半で阿蘇の外輪山に到着、前日の寒波のおかげで待望の雪が所々積もっていた。はしゃぐ子供の声で、車中は大騒ぎである。高森の駐車場に車を止めると、早速子供達が奇声をあげ、雪の残った所に走った。雪玉を投げたり、雪だるまを作ったり、ソリで滑ったり、鼻水をたらしながら遊んでいた。遊び足りないと騒ぐ子供達を車に押し込み、宿へ向かう。翌日は、宿の用意した雑煮を食べ、猿回しを見学して帰路高速を走った。車を走らせながら、去年1年間を思い出した。
 1月に母がこの世を去り、今年3月に第4子と出会う。この別れと出会いの人生劇に、複雑な心境になったが、家族に勇気づけられ、家族の大切さを再認識した1年であり、本当に忘れられない年であった。それ以上に、これからの家族の夢や希望に思いを膨らませ、自分達の考えを家族の一人一人が理解して、自分達の考えで、自分達の足で生きていく決意も確認出来た一年でもあった。            
 先日、母が息をひきとった病院の横を通過した。
「この病院でオバアチャンが死んだがね。」
と、言う親戚のおばちゃんの言葉に、長女6才が言った。
「オバアチャンは死んじょらんと、まだこの病院に居るとよ!」
と、言い、
「そう考えた方がいいとよ、その方が寂しくないもんね。」
と、つけ加えた。言葉に詰まり、前方が霞んで見えた私は、その日、兼ねてからオバアチャンが楽しみにしていたランドセルを長女に買ってあげた。
最近、たまに自分の気持ちのやり場を無くし、わがままに文句を言って見たりする長女である。
「私は、お父さんのロボットだね。」
「なんでも、お父さんの言う通りだもんね。」
「ダメダメダメダメ、なぁーんでもダメダメダメダメ。」
「私の事はいつでも後回しだもんね。」
お利口さんで手のかからない長女で、いろんな遊びを見つけては絶えず何かをしている。そんな長女が、最近泣きながら私に訴えた言葉である。本人の意志を尊重しながら自由に育てる・ダメと言わない・子供達には平等に愛情をかけるのが私の信条のはすなのに・・・・、と私を不安にさせてくれた。


 
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