水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第二章/十編


幼稚園お休み


 久しぶりに、高校時代の同級生と家族キャンプに行く事になった。高校時代、何度かキャンプに行った事のある3人であるが、未だにキャンプに行っているのは私ぐらいのもので、他の2人はまったくの素人化していた。特に仲の良かった3人組で、一人は母校の教師となり嫁さんと3人の子持ち、もう一人は建設会社のあととりで嫁さんと2人の子持ちである。当時とは相当違う、かなり進化した形相で集合が決定したのである。それはそれは、いつもの仲間とは違って準備段階から大変であった。人数分のシュラフの調達に始まり、誰が行けるの行けないの、子供が風邪引いたの引かないの、雨が降ったらどうするの、夜は寒いの寒くないの、何を着て行くの行かないの、場所はどうするの・・・・の押し問答があり、我が家のテント3張りも登場となり、突然の嫁さん里帰りもあり、泊まらず夜帰るかも知れない嫁さん子供組も含め、お父さま方3名・お母さま方2名・子供8名の総勢13名の出発式となった。
 心配した事はウソのように、元気にはしゃぐ子供の声の中、大スキヤキ・焼酎パーティーは催され、雨も降り、10月半ばと言うのに大量の薮蚊の襲撃に会い、翌朝のカンカン照りは30度を越し、昼食の大鍋カレーも平らげてしまった。途中で帰るかも知れない母親子供組も、帰り道の記憶状況が悪く、テント泊になってしまい、我が妊娠女房はクタクタに疲れた様子だった。
 このキャンプ中、次女3歳10ヶ月がおもしろかった。だんだんと本領発揮の次女であるが、皆が遊んでいる所からスーッと抜けると、ドングリを集め始め、草や種やを中心とした植物に関するフィールドワークを単独で2日間延々としていた。食事の時だけテーブルに着くと、早々に
「ごちそうさま!」
と、言い、フィールドワークを開始するのである。薄暗くなった林の中を、ただただ下を見つめながら歩いているのである。そうかと思うと、突然に『日向ひょっとこ踊り』を始めてみたり、入ってはいけないと注意している川で、ずぶ濡れになってみたりするのである。この天真爛漫さに、私が生まれ変わるならきっと求婚するであろう次女なのである。
 人間的に見て、独りで時間を過ごせるのは、大変素晴らしい事だと思う。元来、一人っ子の環境で育った私は、独りになると自分が考える以上の頑張りが出来たし、人恋しく思う反面、急に独りになりたい衝動にかられたりもするのだ。3人兄弟の真ん中の次女的感情は、私に理解しにくい面もあるが、いずれにせよ、おおざっぱで、気性が激しく、男まさりで、物に対する執着心が薄いこの性格が、私には魅力的で仕方ないのである。
 この次女のドングリ・フィールドワークを見ていたら、小学生の頃熱中していた蝶採集を思い出した。小学校4年生の夏休み、私は宿題に蝶の標本を提出した。どうしても一頭だけ、図鑑に出でいない蝶がいたのである。学校のグランドで捕まえたその蝶(正確に言うと、一緒に蝶捕りに行った近所のヒロシ君の魚捕り網に入り、私がもらって標本にした。)は、タテハモドキと言う夏型のタテハ科の蝶で、当時、南限が鹿児島の大隅半島までしか確認されていない種であった。この快挙に新聞社やテレビ局が、小学校の理科室に押し寄せ、翌日の新聞には大きな蝶の写真と、小さな私の顔写真が掲載されたのである。
 今から思えば、遠い南方の島の蝶が、台風で飛ばされこの地にやって来たのであるが、調査してみると、この蝶の幼虫が食べるイワダレソウがクランド周辺には自生していたのである。このタテハモドキには、輪郭が丸みを帯びた夏型と、輪郭の尖った秋型があり、私の新聞騒動以降、いたるところで確認出来た。
 この騒動がきっかけで、私より私の父親の方が発憤したのである。家具屋へ行き、畳1枚ほどの標本箱や、蝶の標本を固定するテンシ板を30個ほど特注してきたのである。暇を作っては、私に捕蝶網と三角缶を持たせ車のトランクに乗せては山道を走るのである。いつも蝶の専門書を開いては研究に余念がなかった。修学旅行のバスの中で、ガイドさんに知っている蝶の名前を紹介してくれと言われ、延々10分、蝶の名前だけを語った事があった。
 蝶に没頭した時期も、悲しいかな中学で受験する事になった私は、その後、蝶の事を断念してしまい、今でも心のどこかに自分のつまらなさを隠し持つ事となった。その後、いろんな事に興味を持ち、没頭の時代があったが、現在までそれを続けている事がないのが自分のつまらない所でもあり、いい経験にもなっているのである。時代・世代・立場・状態により変遷してきた没頭事項であるが、振り返って見ると次女的性格の私であったら、きっと、もっと違ったおかしな経験が出来たに違いない。そんな、次女の時代が我が家の中で始まろうとしている。

 先日、幼稚園に登園拒否を試みた次女である。理由は、
「幼稚園では、先生の言う通りにしないといけないので嫌だ!」
と、言うのである。実に、彼女らしい考えなのだ。どうも、幼稚園では彼女らしく振る舞えないらしい。登園拒否当日、女房に
「病気でもないのに、幼稚園に行きたくないのなら、自分で先生に言いなさい。」
と叱られた次女は、シブシブ幼稚園にいったのであるが、仕事から帰宅した私は幼稚園からの連絡帳を読んで、またまた次女が好きになった。
 幼稚園に着いた次女は、教室に入らず、ゲタ箱の所で立ちすくんでいたらしい。
「どうしたの?」
と、尋ねる先生に、
「先生、私は今日は帰ります。」
と、答えたらしい。面食らった先生は、
「もうお母さんも帰ったから、教室に入りなさい。」
と、言いながら、どうして幼稚園に来ないといけないか次女に話したらしい。月並みな回答しかしてあげられなくて申し訳ないと書いてあった。しかし、私が察するに次女は決して納得してはいないと思うのだ。どうして登園しなければいけないかでなく、まったくもって次女の申告通り
「今日は帰ります。」
なのである。
「帰ります。」
が、彼女の意志であり、登園の理由は大人社会の決まり事なのである。きっと納得していないだろうと思った私は、
「どうして帰るって言ったの?」
と、次女に質問してみた。その回答は、実に明快で私はその通りだとうなずいてしまった。
「だって、私は毎日幼稚園に行ってるワ!私は今日は休みって自分で決めたんだもん!」
実に、そうなのである。彼女の世界には、妥協がないのである。機嫌の悪い時に、笑え!と言っても無理なのである。まったくもって大人から見れば、羨ましい限りの子供の世界を遂行している。
 秋の終わり、高千穂河原へ行った。落ち葉拾いとハイキングを兼ねてであるが、道中は、車酔いの子供達と、確実に膨らんで行く腹を所有する女房とで、だんだんに我が家のアウトドア活動は、その範囲が狭まっている事を実感できた。林間を嬉しそうに落ち葉を拾ってはしゃぐ子供に見とれていると、足元で次女が言った。
「お父さん、葉っぱさんの赤ちゃんがそこにいるから踏んじゃダメだょ。」
見ると、私のかかとの付近に、3センチ程のミヤマキリシマの苗が生えていた。


 
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