水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第二章/二編


都合前線停滞中!


 人には都合というものがある。都合とは、自分の都合の事であり、他人の都合の事ではない。当たり前の事だが、この都合の原理がうまく働かず、タイミングがズレてしまうと、迷惑となってしまう。しかし、自分の都合を人に知らせる事も、他人の都合を知る事も、かなり困難な事である。『私は、・・・・・と言う都合だ!』と書いて、家の前にでも貼り出しておけば話は別だが、そういう訳にもいかない。都合を理解するには、いろいろな手段と方法があるが、やはり相手の顔色であろう。そして、態度・言葉使いなどで判断する。ある時期、他人の都合を考え過ぎて、アホらしくなってしまい、他人の都合をあまり気にせずにしていた。自分の都合だけで振る舞うのであるから、それはそれは何かにつけ都合がいいのである。気の向く時だけ、つき合ってみたり、押しかけてみたり、誘ってみたり・・・。そういう時期をしばらく過ごしてみると、結構自分に合う友人だけになった。最後には、尋ねて来たり誘ってくれる人もいなくなった。それを、悲しいとか寂しいとかでなく、自分にとって、とても都合が良くなった。自分のやりたい事に没頭出来るし、自分のペースで生きていけるのである。そんな良さもある、都会の9年間であった。宮崎に戻り5年が過ぎようとしているが、なんだか、田舎だから人とのつき合いを大事にしないといけない様な気持ちになっていたが、それは大変な誤解をしていたのである。人との関わりは大切であるが、他人のペースで生きて行く必要はないのである。他人の目や噂を気にして生きていく必要は、まるでないのである。相当に乱暴な意見かも知れないが、本当の自分を持ち、自分のペースで、自分の足で、そして、その私を一番理解してくれる家族と共にいろいろな経験を積んで行きたいと考えさせられてしまった。
 長女6才、自分の都合の塊である。楽しい・悲しい・くやしい・恥ずかしい・眠いなどの表現が、実にダイレクトである。これだけ、素直に自分の都合だけを主張されてしまうと、偉大にさえ思えてしまうのである。そして、興味あるものへの集中力たるや、横から呼んでも、たとえコップにお茶を注ごうとしてテーブルへこぼしていても、オカズにかけているソースを自分の洋服へこぼしていても、テレビから目を離さず何も聞こえないのである。腹が立つので、ひっぱたいてみても、茶碗から箸でご飯を口に運んでいても、数病後に目はテレビから離れないのである。あまりにも、感情の表現が凄いので、親として、
「少しは、我慢しなさい!。」
と、叱ってはみるが、私自身、
「なんで我慢させないといけないのか?。」
「我慢がいったい何の為になるのか?。」
「我慢させる事が本当に正しいのか?。」
「ひょっとして、長女が今、我慢しなくても、誰にも迷惑はかからないじゃないか!。」
「ただ、頭ごなしに我慢を押しつけ、長女は少しも納得していないのでは?。」
と、考え込んでしまった。
 都合に対する解決策は、ずるい経験上、体得しているが、それは『理解』という言葉で美化され、人間の人間としての成熟度を示すバロメーターにされている。素晴らしい本を読み感動したり、素晴らしい言葉に深い感銘を受けたりするが、そんなレベルで自分の子供達と、つき合っていいものなのか疑問を感じてしまう。折角、自分の都合だけをダイレクトに表現している子供に対して、どこかの育児書の評論家の先生のごとく、『子供の立場になって、よく理解する事です。』などと、机の上での事だけではないか!と、チャンチャラおかしくなってしまうのだ。ふと気がつくと、子供は理解出来ず納得出来ず、叱られるから自分の都合はダイレクトに表現してはいけない!と、我慢を覚えてしまうのではないかと考えさせられた。長女6才、朝5時に目を覚まし『ネコふんじゃった』を弾いてみたり、突然、
「川に行きたい。」
と、叫んでみたり、
「今から花火をして。」
と、外が明るい夕方の5時に言いだしたり、
「妹ばかりしてあげて、私は生まれて来なければ良かった。」
と、泣き叫んでみたり、訳もなく妹や弟をいじめてみたり・・・・・、彼女のすべてが、私の『都合』のスタイルを再認識させてくれた。  
 先日、幼稚園の納涼祭りが催された。長女:年長組、次女:年少組なので、必然的に盆踊りにかり出される始末である。
「父兄の皆さんは、自分の子供の所へ行ってくださあーい。」
と、いつもよりトーンの高い先生の号令で、私は次女の側 へ行ってみた。なんと、次女は涙ぐんでいるのである。訳を聞いても、何も話してくれないのである。ここでいつもの訓練が役にたった。次女が不機嫌な時や泣いている時には、いつも私は、鼻の先を指で押し、
「ここを押すと、笑いだすぞー。」
と、言うのである。一筋縄ではいかない性格の次女であるが、家ではいつもこの方法で笑い出すのである。この時も、日頃の訓練の成果があり、鼻の一押しで笑い顔になってくれた。別段理由はないが、次女の取扱い説明書の項目につけ加えておく必要はあるみたいだ。当然、真剣になって盆踊りを踊ってしまった私は、ふと気がつくと、振り上げた両手の指先に多少の恥ずかしさを感じてしまった。そして、盆踊りの最中、長男1才はウンチを漏らしたらしく、女房が抱えて走り回り、独りにされた長女が文句顔で踊っていた。


 
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