水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第一章/六編


「遊ばんかいね。」


 幼稚園から戻って来た娘の手首に歯形がついていた。小さな歯形がくっきりと、痛々しげについていた。親心としては『誰がしたんだ!うちの娘に。』と言いたいが、まずは状況を把握せねばと、
「どうしたの?。」
と、尋ねてみた。
「○○○君が噛みついた。」「どうして噛んだんだろうね?。」
「痛くてギャーと泣いた。」
こう言われると、もう親心はメロメロになってくる『理由はともあれ、なんてガキだ。』親の威厳と言うか、余裕と言うか、抱きしめて可愛そうにと頬ずりしたい気持ちを抑えつつ、
「女の子に噛んだりする子はいけないね。」
と、言うと、
「私、○○○君好きだもん。」何という寛大な心というのか、お人好しというのかわが子にしては立派な人格だ!と関心した。
 焼酎をぐいと喉に通し、無邪気にリビングを走りまわる娘を眺めながら、この子が二才の時、親の不注意で顎をランタンで火傷させてしまった事を思い出していた。いつも火を触ると怒鳴っていた親の膝の上で泣きもせず眠っていたのである。きっとランタンをいじっていて顎をふれたのだろう。痛かったはずである。そろそろシュラフに入れようと抱き直した時、顎が茶色になり水膨れが破れていた。ショックだった。私も女房も何度も謝りながら夜間病院へ車をとばした。何も応急処置をしなかったから雑菌が入らなかった事と、薬の進歩のおかげで今はまったく跡形すらなくなったが、眠れぬ夜と深い反省をした。
ふと気が付くと走り回っていた娘が、私の隣に来て小声で何かいった。そこで心を鬼にしてもう一度聞いてみた
「○○○君は、なにもしないのに噛んだんだね?。」「わたしが遊ばんかいね!って言った。」
本当に小声で私の耳元でささやいた。言葉の暴力であった。その頃の年はきっと女の子の方が言葉が達者で、言い返せない○○○君は噛みついたのだろう。「明日、幼稚園に行ったら自分の方から先にごめんと言いなさい。」
と、親らしく言っておいた。翌日の連絡帳に先生を仲裁に立てて仲直りしたと書いてあった。

  幼稚園へ通いだして断片的に話をする娘だが、先日言った事をようやく理解出来た。『おとうさん、出逢えるといいね。』と言った娘の話が七月七日・七夕の日だった事を。


 
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