水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第一章/五編


父さんが書いてくれたんだョ


 「おとうさんが書いてくれたんだよ!」
大声でまわりの友達に、私と一緒に作った工作を見せてまわる長女三才。はじめて味わう、我が子への照れであった。日曜日、父親参観日、幼稚園・・頬がピクつき、目尻が下がり、教室の後ろから黒板を眺めている時、視野が変わった事に気付いた。自分が幼い頃、参観日は、自分の親の姿を目で追うのである。親の姿を見つけた時の安堵感は、今でも思い出すと鮮明に蘇って来るのである。
 親とは、何かを考える時、愛情だとか包容力だとかよく言われるが、私にとっての親、特に父親は、今から思えば防護壁であった。何をしてくれると言う事はなかったが、ただその存在が防護壁であった。その防護壁が崩壊した二十四才の時、歩いていく方向や判断と言うものは、自分でやらねばならない。と、初めて気付いた。
 子育てにおいて、たくさんの夢があった。一緒にキャンプにいったり、カヌーに乗ったり、自然の中で遊ぶわが子を眺めながらビールを飲んだり、テントの中から星を眺めたり、そんな私の夢を実現出来る時が来たのである。しかし、わが子は、『テントは嫌い!』『キャンプなんか行かない!動物園の方がいい!』『カヌーじゃなくて、水遊びがいい!』と、親の期待を裏切っていくのである。
夢を語る時、わが子にその夢を一つずつ現実に変えられていく時、子育ての困難を感じてしまう。そんな時期の嬉しい一言であった。
「おとうさんが書いてくれたんだよ!」
             
 春のある日、家族で知人の山へ竹の子掘りに行った。
「どこに竹の子があるの?」
長女三才は、しつこく私に聞いた。急な斜面の竹林である。女房と次女一才を下に残し、一生懸命登った。竹林の中は少し歩き易くなっていて、ウサギや鹿の糞を見つけ、長女は喜んだ。
「ねえ、竹の子どこにあるの?」
私は、長女と顔を地面スレスレにして、竹の枯れ葉を見渡した。しばらく黙って見ていると、
「アレッ!」
長女は叫んだ。それからはもう、ここ掘れワンワンの世界である。持てる程に掘った後、女房と次女の待つ所へ下り、素晴らしい景色を眺めながら昼食をとった。興奮冷めやらぬ長女三才は、ひとしきりその模様を女房に語り、おにぎりが一個も喉を通らなかった。

  五月・子供の日、以前からの計画があった。子供の日に近くを流れる『一つ瀬川』を、長女と二人で川下りするのである。久しぶりにファルトボート(折りたたみカヌー)を引っ張り出した。数日前からの雨で、少し濁り増水していたが、上流に行くにしたがい、いつもは石がゴロゴロ飛び出している瀬も、水に浸かっていた。
「よし!ここから下る。」
カヌーを組み立て、身支度を整え、スタートした。いきなりの瀬からのスタートだったので、私の方が多少焦ってしまったが、
「ヒェー!イケイケ!。」
長女の元気な声に、私も無邪気に喜んでしまった。途中、釣りをするオジサンに
「コンニチハ!。」
と、大声で声をかけ、流れの弱い所では、
「あっち!こっち!。」
と指示をされ、二つ程ある簡単な瀬を通り過ぎ、女房と次女の待つ河原に到着した。いつもは、なにげなく通り過ぎているこの川の堤防であり、見慣れた景色であるが、カヌーの上から見た景色は、新鮮であった。鯉の釣れそうなポイント、こんなところにもカワセミが、長女の笑顔、いろんな発見があった。長女三才は『竹の子掘り』に続いて、また新しい視点からの経験が出来た。

 六月、わが家恒例の『ホタル散策』をするのだが、長女の場合、物心付いてから、毎年ホタルを見たり、手に置いて
「熱い!熱い!。」
と、言ったりしているので、都会っ子に比べて、ホタルに関して贅沢な無感動子供なのだ。
 そして、長女4才時代を迎えた。


 
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