水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第一章/四編


ヨイショとムラショ!


 この夏、長女三才二ヶ月、次女八ヶ月である。私達の住む所から、熊本へ山越えする途中に、児湯郡:西米良村:村所と云う地がある。多くの林道が走り、澄んだ渓流にはヤマメがいて、山に囲まれ、いわゆる大自然がそのまま残る、素晴らしきフィールドなのだ。近年過疎化が進んでいるが、都会の自然とは違う、あくまでも本当の自然の残る所である。雑木山が少なく杉山が多いのは、かつての山景気に沸いた時代、国の奨励により寝る時間も惜しんで植林したと云われる。
 しかし、そんじょそこらより、まだまだ生の自然がそこらじゅうにある。自宅からは、車で一時間程度、アマチュア無線の電波も届く範囲である。そんな村所のはずれに、古家が借りられる事になった。すぐ下には、勿論ヤマメの釣れる渓流が流れ、もっと嬉しい事に、その上流にはニジマス・ヤマメの養魚場があるのだ。きっと、大水の後はおこぼれ頂戴の可能性も強いのである。雑木で建てられたその古家は八畳の和室が二間続き、柱・天井が真っ黒である。
 掃除から始め、電灯の設置、風呂釜の設置、浴室のペンキ塗り、周囲の草刈まで、時間をかけてみると、一ヶ月分の日曜日を費やした。南向きの小高い山の斜面に建つこの家は、数本の梅の古木や数十本のユズの木があり、隣家が見えない。だいたいの整備が終わったある日、皆で泊まってみた。渓流の音しか聞こえない状態の中、透き通った星空を女房と見上げ、人との関わりのない世界では、うそのように気持ちが純粋になるが、便利さや人間との競争心なしには、生きて行けなくなっている私達の悲しさを確認した。日中、水遊びではしゃぐ子供を見たり、夕方や早朝に川へ入り釣りをしたり、星を見ながら外で食事をしたり、外にある風呂までみんな裸で行ったり、外にあるトイレに行く時、一人で行けなかったり、梅をちぎったり、何もかも新鮮で楽しい夏を過ごした。
 そんな中でも、一生忘れられないのは、秋にユズを車一杯収穫し、谷川の水で沸かしたお風呂にそのユズを入れすぎて、体中がヒリヒリ痛かった事。川を釣り上がって行く途中の古い橋の上に、女房と子供が私を待っていて、後ろの山・橋・川の流れとの調和が素晴らしく、その中に私の愛するすべてがある様に思えた事。一時間位の間に、型のいいヤマメを二十五匹も釣り上げた事。そして、この地で開催される花火大会は、狭い河川敷から打ち上げられ、山間に轟音がこだまし、打ち上げられる花火の数や内容や金額に関係なく、迫力では日本一だ!と思った事。

 そして冬、我家が完成した。南東の日当たりのいい部屋をお袋にして、庭に三畳程の家庭菜園と五十坪程の芝生スペースと三十坪ほどの駐車場を作った。建てるまでは色々考えもしたが、出来上がって見ると今度は、庭に置くテーブルやイス、植える野菜の事で頭が一杯になった。生活をし始めると、予定とは大きく食い違いがある事がわかった。リビングは子供が遊び易いように広くしたが、オモチャをぶちまけ片付けの方が大変になった。家に段差を無くし生活しやすいようにしたが、結局子供の乗り物も乗りやすいようで、家の中を乗り回し、床がキズだらけである。リビング前の南側にテラスを作り、日向ぼっこや雨の日にも出られるようにしたが、このテラスの高さが子供のままごとに、ちょうどよい高さで、泥遊びの場になった。泥遊びといえば、家庭菜園もさんざんたる結果であった。しかし、大声を出しても周囲を気にしなくていい、走り回っても叱られない、叱る時も思い切って叱れる・・・田舎で暮らす良さの方が大きいと私と女房は思った。
 春、長女三才は、不安などまったく感じない様子で、期待のみを大きく膨らませ、私の卒園した幼稚園に入園した。


 
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