水流渓人エッセイ集「父さんに教えて」
 

第一章/一編


旅の始まりは貯金箱


  大阪の会社を辞め、故郷の宮崎に戻る決心をした時、その旅の計画は決まった。当時1才2ヶ月だった長女を従え、愛車ハイラックス(故郷に戻るとすぐにラン ドクルーザーに買い替えてしまったが・・)で北海道、しかも旭岳周辺を25日かけての旅行である。しかも、そのほとんどをキャンピングというスタイル で・・。北海道は、私も女房も大学時代ほとんど一周しているので、場所の選定は、すぐに決まった。勿論、私と女房が知り合う以前の事なので、私は車で学生 時代の彼女と二人で、十日をかけて超特急で一周をし、女房は学生時代の女友達と、周遊券利用・ユースホステル泊という懐かしいスタイルの旅だった。お互い 旅の連れが女性という点では同じで、行った先もほとんど同じであった。きっと、我夫婦、知り合う前から気の合う者同志だったのだ。この時代の事を詳しく書 くと、ボロが出て来るか分からないので、結局、夫婦というものは相性の良さが一番で、我が妻は素晴らしき女性なのだ!と言う結論にして段落を変える事にす る。
 
 会社に退職願を出してからが大忙しだった。旅行の準備以前にしなければならない事が山のようにあった。引っ越し・引越先の住宅の確保・現住マンションの 売却・仕事の引継等・・・。そして、ようやく旅行の段取りが始まった。資金。これには私が貯めに貯めた五百円玉貯金箱。それは驚いた!目一杯で五十万貯ま ると書いてあったが、たまのパチンコで入れた五千円・一万円札まで飛び出し、七十万近く貯まっていたのである。私は有頂天になったが、女房曰く、
「これだけあるなら銀行にでも置いておげば利子ついたのに・・。」
郵便局に持って行き、札束に変えた時、私は人間まで変わってしまった。もう、これはいろんな物を買うぞ!と、眉を吊り上げ鼻息を荒くしてみせたが、子供を 抱いた女房の冷ややかな目に、いつもの貞淑なダンナ様に戻ってしまった。しかし、釧路湿原=釧路川=ツーリングカヌーのメッカに行くのだ!と思うと、いつ の間にやらアウトドアショップの扉を開き、二人用・一人用のファルトボート(折りたたみカヌー)二艇・パドル三本・ライフジャケット二つ・を購入し、さら に自分で、大人用ライフジャケット二つ・子供用一つ・子供用ドライスーツを作り上げてしまった。安全確認の為、子供に何度も着用させては風呂に浮かべた が、しばらくすると子供は、ライフジャケットを見るだけで泣くようになった。そんなこんなで、楽しい旅の準備を進めながら、私と女房と長女の心は、もう北 海道に行っていた。いや、私と女房の心だけ、北海道にいっていた。いや、ひょつとすると私の心だけ北海道を突き抜けカムチャッカ半島ぐらいまで行ってい た。ようだ。 
 
 まだ売れないマンションを残し、不動産屋さんに北海道で立ち寄る連絡先を告げ、車のキャリアにファルトボートを二艇積み、深夜大阪を後にした。後は、ひ たすら中央自動車道を北上し、東北自動車道も北上し、一泊目は縁起を担いで、福島県・会津若松近くのキャンプ場で体を休めた。(会津若松は大学時代の彼女 の出身地)翌日、更に北上を続け、青森港からフェリーで函館に渡った。深夜到着した函館は、やっぱり夜景!とばかり函館山に直行し、覚えたての一眼レフカ メラで撮影をし、以前に写真を撮っていない分、撮りまくった。雨上がり後の夜景は、素晴らしく透明で感動した。そこから一気に長万部のキャンプ場へ、たど りついた頃には空が薄明るくなっていた。今度は素晴らしい朝焼けに感動し、またまたカメラを取り出して、シャッターを押したが、二十四枚しか撮れないはず のフィルムが三十八枚目をカウントしていた。開けてびっくり!フィルムが入ってない!我夫婦、長万部のキャンプ場にて老後の旅行は、まず、函館の夜景撮影 からスタートする事を約束し、上目使いの私は、女房にバカにされつつシュラフに頭まで潜り込んだ。
 長万部キャンプ場での目覚めは昼を回り、とぼとぼ車に乗り、長万部市内へ銭湯を探しに行った。三日ぶりの風呂は大変気持ちのいいもので、北海道まで来 て、温泉宿やホテルの風呂でない、町の銭湯で垢を流す事が嬉しかった。テントに戻った私は、うまいビールをぐいぐい飲み、またうたた寝をし、調子に乗って またまた車に乗り込み買い物に出かけた。酔いにまかせて、黄色信号を通り過ぎ、パトカーにつかまってしまった。優しい警察官のおじさんが、
「信号無視。」
と、おっしゃられ、会話を交わす内に、
「臭いので風船をふくらませなさい。」
と、つけ加えられた。子供でもないのに、暖房の効きすぎたパトカーの車内で、私は3個も風船をふくらませ、得意げに優しい警察官のおじさんに手渡した。首をかしげ私の顔をのぞき込み、
「確かに臭いのだが。」
と、おっしゃられ測定器の使用説明書までご覧になられた。ますます得意げになった私は、
「今日、風呂も入ったのですが。」
と、言いながら、四個め風船を勝手に取り、ふくらませようとすると、優しいはずの警察官のおじさんが、急に眉を吊り上げ、
「測定値に満たない。」
と、言いながら、私の手から風船を取り上げ、
「もういい。」
と、おっしゃるので、外に出ようとしたが、パトカーは内側から開かないのでもう一度振り返ると、またまたまた大変優しい警察官のおじさんに豹変していた。それはまるで、大魔神の様に・・。そして、言った。
「確か、信号は青ではなかったよね。」
と、ニコニコ尋ねられた。
「赤でもなかったけど・・。」
と、言う私にいろいろな旅の質問をしながら、ピンクの用紙に必要事項を書き込みながら、私の人差し指を握りしめ、黒インクをつけながら、用紙に指を押さえつけると、ますますニコニコマークの警察官おじさんは、その一枚を丁重に手渡し、
「よかった、よかった。」
と、言いながら愛嬌を振りまいて、地平線の彼方に消えて行かれた。 
 
 その後、観光ルートを通りながら、テントを張ったりたたんだり、食事を作ったり片づけたりを繰り返しながら、旭岳を中心とした景色に心を洗いながら、サ ロマ湖畔のキャンプ地にたどり着いたのは、大阪を出発して十日目の事だった。長女一才は、コンロやコッヘル等を入れていたコンテナボックスの中にお湯を溜 め入浴させ、私は、夕日の沈みかけたサロマ湖に浸かった。翌日から知床・野付半島を周り、開陽台キャンプ場に着いた。夏場しか開設しないという私営のこの キャンプ場は、程良く蝦夷松を残し、キャンパー同志がゆったりと間隔をおいて、テント・タープを設営していた。まず、ログハウスの管理棟へ入りオーナーと 話をした。ここは私営なのでキャンパーは自分で選別している。との事だった。『他に迷惑をかけるような人』『キャンピングの良さが分かっていない人・初心 者』『宴会・花火・大合唱』など大嫌いなのだと説明し、なかなか使用料など受け取ろうとしない。始めは、なんだか嫌な人だと思っていたが、突然外を指さ し、
「あのグリーンのテントの東京から来ている人から二十m程離して設営して」
と、言い使用料を受け取った。手早くテントの設営を済ませ、途中、港に寄って購入してきた蟹を料理しようと水場に行った時、あのオーナーが、
「私は、あなたたちの車と荷物の収納状態を見た時、キャンプに慣れていて、キャリアのカヌーがファルトボートだったから入場を許可した。」
のだと言い、施設の説明を親切丁寧にされた。そりょそうだ!十日以上もキャンプ道具を出したり入れたりしている。少しでも設営・片付けに時間を取ると、寝 る時間・出発時間に影響するし、第一面倒くさい。大がかりな道具は、勿論所有していないし、私も女房も食事に凝る方ではないし、一才の長女が、これまた不 安定なのだ。しかし、キャリアに積んだ、カヌーは、まだ一度も乗っていない事だけは沈黙を通した。暗くなり小雨が降り出して、小気味良い雨音がタープを打 ち始めた。ほろ酔い加減の私は、ランタンの明かりで蝦夷松の林を見上げていると、
「こんばんは。」
と、オーナーがやって来た。それから北海道の渓流魚:オショロコマやイトウの釣りの話、釧路川のカヌーツーリングの話、このキャンプ場開設の苦労話など話 してくれた。寝る前には、管理棟横にある木の香りが漂うシャワールームで汗を流し、深い眠りについた。朝、テントから顔を出すと、木立の中に霧がたち込め 幻想的な北海道平野が目の前に広がっていた。こんな気持ちのいいキャンブ場は、全国にここしかない!と感じた。飾り気がなく、自然に溶け込み、自分のスタ イルで、自分のペースで、静かに時間を楽しむ事が出来た。結局、もう一泊する事に決め、周辺を見て回った。テントに戻ると、途中降った雨の時にオーナーが 洗濯物をテントにしまってくれていた。翌朝、このキャンプ場を出発する時オーナーに挨拶に行き、全員で記念撮影をした。オーナーは長女一才の手を握り、
「十八才になったらバイクツーリングでここに来るんだョ。それもオフロードバイクでないとダメだよ。」
と、言った。別れを告げ、出口付近を通る時、オフロードバイクの横に1人用テントを張り、休んでいる数人のツーリング中の若者がいた。中に女性のライダー もいた。長女十八才の時、私は四十九才、『よし!まだいける!』頭の中に娘と一緒にツーリングしている私の姿があった。でも、現実はきっと娘は私を連れて 行ってはくれない!と思うと悲しくなった。

 いよいよ釧路湿原だ!屈斜路湖より流れ出し、湿原を蛇行する釧路川は、ツーリングカヌーのメッカだと雑誌で読んだ。途中、弟子屈の町を通りシラルトロ 湖・塘路湖を抜け釧路市で海とつながる。夢にまで見た北海道のメインイベントなのだ。まず、釧路市内で市場に直行し、カニ・鮭・鱈子など道産物をたらふく 買い込み、塘路湖畔のキャンプ場をベースにし、まずテント設営・食事の準備をした。天気は良かったが、とにかく強風なのである。タープの端を地面に打ち込 み風を避けながら、豪華ディナーが完成した。その味の素晴らしかった事は、いまでも生唾が出そうな程である。カニは塩ゆでしただけ、鮭は鉄板でバター焼 き、鱈子はそのまま食べただけだが、いくら金を出しても大阪では食べれない、産地の味に感動した。腹も膨らみ、酔いも程良くまわり、ランタンの明かりで ファルトボートを組み立てた。テントをたたく風の音と、ポールをねじ曲げる風のゆりかごの中で、心地よく眠った。
  朝日が湖面に輝き、食事より何より、まず初めてのカヌーに乗り込みパドルを振り回した。風は少し残っていたが、思ったより安定感のあるファルトボート に、何の恐怖心もなく対岸まで漕ぎきった。対岸は風裏で、湖面にはビッシリと水草が生え、幻想的な景観にしばし酔っていた。対岸でカヌーを降り、岸辺を歩 くと、人間の足跡はまったくなく、狐・鹿・熊の足跡だけが無数についていた。何という贅沢なのか、満足感はピークを飛び越え全身に震えが走る程だった。ひ とまずキャンプ場にもどり、シュラフから出てきた女房と長女に朝食を準備した。今度は、三人で二人艇のファルトボートに乗り込み対岸へ向かった。一人用よ りはるかに安定感があり、水の上を漂いながら長女はスヤスヤ眠ってしまった。自然の中に入ると、大人よりずっと適応力があるのだ!と感じた。生まれて一 年、私達・大人よりずっと自然に近い生物なのだ!と、たくましささえ感じた。私と女房と子供の世界を、これからの人生の中でどう過ごしていくのかが大切 だ!と思った。
  大自然の中で、自分の存在がちっぽけな事に気付くより、そんな中にいるちっぽけな自分の存在が、たまらなく嬉しく、そんな中に家族でいられる事が、もっともっと嬉しかった。
  その後、夢のような数日を過ごし、大学時代を送った青森県・十和田市に立ち寄り、透明感のある十和田湖でも、観光船に邪魔扱いされながらもカヌーを浮 かべて、ひとしきり遊んだ。帰路の途中では、松島の安宿に泊まり、今回同行した女房の十才下、大学生の弟も交え、全員で入浴を楽しんだ。その時、姉である 女房:三十一才、弟二十一才、私三十二才、長女一才、異様とも言える入浴光景は、女房とその弟が一番強く感じたに違いない。余談ではあるが、売りに出して いた我マンションは、この北海道旅行中、途中泊まったホテルへ、頼んでいた大阪の不動産やさんから電話が入り、無事買い手が見つかったと朗報が入った。こ れで、とうとう私の大阪人生は終局に向かい、これから始まる郷里での新しい人生が動き始める事となった。


 
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