つ くしの研究3  HOME  春日八郎とお富さんの研究


山崎 正
つくし店主、小林薫氏の実父、山崎正はペンネーム。

「お富さん」「前橋音頭」(「だんべえ踊り」の原歌)はだれが書いたか知っていますか?
1954年に発表されて大ブームを巻き起こした「お富みさん」。その作詞をした人は、高崎出身、前橋に住んでいた。その山崎正は、「前橋だんべえ踊り」の もととなる「前橋音頭」を作詞していた。彼の残した数少ない資料を展示しています。古いレコードの音色でお富さんなどを聴いてください。山崎正・歌謡曲の 世界2006年1月21日〜2月28日まで前橋文学館に て開催します、ぜひ一度行ってみましょう。
昭和の一時代をリードした前橋が輩出した文化人として評価は高いです。


前橋文学館 正面に「山崎正歌謡曲の世界」展の掲示板(司修氏 制作)



前橋文学館 展示スペースにて小林薫さん、この日は日曜日でした、訪れた私たちに展示物の説明をして下さいました。


粋な黒塀 見越しの松に
仇(あだ)な姿の洗い髪
死んだはずだよお富さん


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歌謡曲「お富さん」は、昭和29年8月キングレコードから新譜として発売されるや、またたくまに全国津々浦々をかけめぐり、戦後の流行歌としては空前の大 ヒットをとばした。当時の売り上げ枚数は、80万枚とも100万枚ともいわれた。美空ひばりの「リンゴ追分」(昭和27年発売)が70万枚を記録したと言 われているが、それを上回るものであった。作詞は前橋在住の山崎正、作曲は渡久地政信で、歌手は春日八郎であった。春日八郎はこの歌で一躍スターダムにの し上がったのである。ちなみに、この年のNHK紅白歌合戦に春日八郎は、宮城まり子や雪村いずみ等とともに初出場をはたしている。この「お富さん」ブーム は単に歌謡界だけにとどまることなく、映画「お富さん」として大映が制作した。天野信監督、主演は勝新太郎、小町瑠美子であった。これが起爆剤となって3 年後には松竹が「お富と切られ与三郎」を映画化した。酒井辰雄監督、高田浩吉、嵯峨美智子主演であった。映画の影響で「富子」「富江」などの女性名は「お 富さん」の愛称で呼ばれ、明るく和やかなやりとりがあったのもこのころの世相であった。
ところで「お富さん」を書いた山崎正にとっては、まさに苦節14年におよぶレコード界へのデビューでもあった。山崎正は戦後いち早く、高崎で幌馬車詩人社 を結成し、雑誌「幌馬車」を発行した。同人には牧房雄、三木虹星、萩原水郷子、根岸一男、橋田友治、水城俊、それに京都在住の関沢新一などがいた。街には 並木路子の「リンゴの歌」が流れ、配給ルートにのらない食料が闇市に氾濫し庶民はインフレにあえいでいた。それでも山崎たち「幌馬車」のメンバーは「真の 意味の戦後の作品はまだあらわれていない、清純な心で切実に大衆の胸をうつものを世に送りたい」そういう希望に燃えていた。
戦後の歌謡史をひもといてみると、庶民の歴史が分厚く広がっている。長い拘留生活の中から生まれた「異国の丘」(昭和23年)、暗いガード下で男の袖をひ いては春を売る女の悲しみを歌った「星の流れに」などは戦後初期の代表的なものであった。これに対して戦後を象徴するもうひとつの側面は、昭和25年に起 こった朝鮮戦争を境にして、爆発的に流行した服部良一のブギのリズムである。「東京ブギウギ」「ジャングルブギウギ」にみられるようにアメリカナイズされ たメロディーがとしを中心に全国に流れた。さらに「金へん景気」がもたらした産業界の特需景気を反映して「トンコ節」(昭和26年)「ゲイシャワルツ」 (昭和27年)といった頽廃ムードのお座敷ソングが盛んに歌われた。やがて各地に民間放送局が誕生し、昭和28年には、NHKとNTVがテレビ放送を開始 した。歌謡曲の世界も好むと好まざるとにかかわらずラジオ・テレビ時代を迎え、新しい創造力が待望されるようになった。「お富さん」の大流行は世の中がよ うやく安定の兆しをみせはじめたころで、その波にうまく乗ったとも考えられるのである。この詞はいうまでもなく、歌舞伎の名作「世話情浮名横節」(よわな さけ、うきなのよこぐし)からの発想で、通称「切られ与三」の世話物を下敷きにしたものである。歌謡曲にはかつてない歌舞伎の導入がより新鮮味を加え、沖 縄出身の作曲家渡久地政信の独特なテンポのリズムが庶民の心に快くひびいたのであった。
(前橋市立図書館長野口武久)
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以上、平成元年(1989年)4月9日上毛新聞の記事をそのまま転記しました。

この記事を書いた前橋市立図書館長野口さんはもちろん、「つくし」の常連であり、私もよく話をさせていただきました。野口さんは通常18時頃から来て、早 い時間に帰っていきました。またお会いできると嬉しいです。