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群馬県甘楽郡甘楽町の城館索引へ戻る 麻場城の全景麻場城のバナー麻場城の空堀
1歴史・伝承   2残存遺構   3訪城記録・記念撮影   4アルバム  5交通案内   6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2008/12/13のブログ 仁井屋城 本村城
所在地
 群馬県甘楽郡甘楽町白倉
歴史、人物、伝承

小幡氏一族白倉氏の本拠
 小幡氏一族である白倉氏の本拠のひとつであり、その構造からはより防御的な役割を担っていたものとも推定されるが、その歴史的経緯の詳細については必ずしも明確であるとは言い難いものがある。「上州古城塁記」によれば、白倉小幡氏は上州八家(小幡、白倉、安中、倉賀野、桐生、由良、山上、沼田)のひとつで管領上杉氏の四家老(長尾、大石、小幡、白倉)のひとりでもあったともいうが、この点についても定かとはいえないものがある。(「甘楽町史」より)
 永禄3年(1560)長尾景虎による越山の際には、「関東幕注文」に下野足利衆の長尾同心として小幡道左の名が記されており、この道左は白倉氏との関連が推定されている。
 また、永禄6(1563)年正月、武田信玄は3万5千の軍勢を率い西上野へと侵攻し、多勢を以て一郷山城、多比良城(新堀城)を攻略した。その勢いを以て吉井(⇒旧吉井城か)、河内(⇒河内城か)、上野(⇒上野城とも)白倉(⇒白倉城か)、塩川(⇒塩川城か)、天引(⇒天引城か)、馬庭(⇒馬庭城か)、本郷(⇒本郷城か)、小幡(⇒国峰城か)など9か所の小城を攻略すべく軍議を諮った...とされている。
 然しこれは、あくまでも滅亡した長野氏の視点に立って近世初期に編纂されたといわれる「箕輪軍記」に記されている経緯そのものでありる。この点についてはその後の箕輪城の落城時期などに史実との食い違いの見られることも指摘されており、黒田基樹氏によれば、武田信玄による一連の西上野進攻は永禄4年に始まり、永禄9年9月に至り箕輪城の長野氏を滅亡させた経緯について明らかにされている。
 なお、永禄10年(1567)生島足島神社への起請文では甲斐武田氏への忠節を誓っており、永禄4年(1561)の武田氏の西上州進出以降まもなく武田氏に帰属したものと考えられている。天正18年(1590)の小田原攻めに際しては、大軍を前にして衆寡敵せず半ば自焼自落の運命を辿ったものと推定される。
 遺構の現状については城址公園として整備されているため、後世の耕地化等に伴い地形改変等がすすんでいる別城一郭とされる仁井屋城と比べると基本的に探訪の時期を選ばないという点で有難いものがある。

確認可能な遺構
 土塁(復元含む)、空堀、小口、腰郭ほか
文化財指定
 1989年8月24日町指定史跡
訪城年月日
 2008年12月13日
訪城の記録 記念撮影

( 2011/05/21 )
 季節を選ばず
 城址公園としてほぼ完璧な整備が為されております。このため日頃より親しみのある藪潜り等とは全く無縁のまま、誠に快適な見学させていただくことができました。
 数年後にはこうした城址公園に標的を変えていくことも考慮せねば...と探訪当時には考えておりましたが、早くも現実のものとなってきたことを思い知らされる昨今であります。
 一定の部分については復元整備などにより蘇った城郭遺構のようですが、目前に深さ10mを超えるような空堀跡、麓から見上げる切岸の勾配・高さには瞠目するものがあります。 南北に伸びる丘陵先端部を効果的に活用した当時の人々の研ぎ澄まされた合理性と英知の深さに敬服し、平成の初め頃に設置された諸設備の経年変化さえも夕日に照らされ趣深い印象に変貌を遂げてしまいます。
  別名を白倉城(仁井屋城を含む呼称)あるいは浅羽城などとも呼称するようです。

白倉城の主郭部 ⇒ 画像クリックで拡大します
白倉城の主郭部
( 2008/12/13 撮影 )
訪城アルバム
主郭南側の空堀跡 ⇒ 画像クリックで拡大します
主郭北西部付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 主郭南側の空堀跡
 画像左側が主郭部分で、右側が2の郭部分の切岸に相当します。最深部分では10m近い規模を示していました。
凸2 主郭北東部の空堀跡
 外郭部の帯郭が2mほど低く普請されていることから、小口を擁する主郭南側の空堀と比べると、ひと回り小規模な印象を感じます。

現地解説板 ⇒ 画像クリックで拡大します
麻場城全景 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 現地解説板
 城跡北東部に設置されている文化財標柱と縄張図付の現地解説板。
凸4 麻場城全景
 西側約500m地点に所在する(仮称)本村城の台地から眺望した舌状台地先端部に占地する麻場城の景観です。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史
「甘楽町史」(1979/甘楽町)
「箕輪城と長野氏」(近藤義雄 著/2011/戎光祥出版)
「群馬県文化財情報システム」
「甘楽町公式HP」

■史料
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ⇒ 上州古城塁記、上毛古城塁址一覧を所収
「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店) ⇒ 上野志、上州古城塁記
 上野志 「白倉古城、小幡騎下白倉左衛門これを守る。永禄年中永井豊前守・安中左近と一所に上州先方。」と記す。
 上州古城塁記 「白倉 甘楽郡にあり、白倉氏は上州八家の内にして、山内上杉宿老四人(長尾、大石、小幡、白倉)の内、然れども記伝に名字詳ならず。天文15年、笛吹峠(碓井峠)合戦に、白倉五左衛門、甲州の大将板垣信形を射て、馬より落せしかども、味方続かず討洩しぬ。後、甲州に属す。天正の頃、白倉掃部助という。後、小田原に籠城して家断絶す。」と記す。
「箕輪軍記」(1976/関東史料研究会)
 ⇒近世初期に記されたと考えられている軍記物で、武田氏の西上州進攻、長野氏の滅亡、箕輪城の落城の経緯等について記されている。


・2011/05/21 HPアップ
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