プロフィール

  基本情報                               

       氏名  斎藤 司 

   生年月日 1978(昭和53)年7月20日                                       

      所属 龍谷大学法学部

    学位 博士(法学)・九州大学

     仕事 刑事法の研究と教育(特に刑事訴訟法)

    趣味 バスケットボールやサッカー。特にスペインのサッカークラブであるFCバルセ  ロナのファン。NBAも大好き。野球は阪神、ソフトバンク・ホークスのファン。運動歴は、小学校時代は柔道、中学校時代はサッカー、高校時代は柔道(初段)とバスケ、大学時代と大学院時代はバスケ。愛媛大学勤務時代は、社会人チーム・西高倶楽部に在籍。

  

  ――学歴・職歴――

 1991年3月 海南町立海南小学校卒業

 1994年3月 海南町立海南中学校卒業

 1997年3月 徳島県立富岡西校高等学校卒業

 1997年4月 九州大学法学部入学

 2001年3月 九州大学法学部卒業

 2001年4月 九州大学大学院法学府民刑事法学専攻修士課程入学

 2003年3月 九州大学大学院法学府民刑事法学専攻修士課程修了

 2003年4月 九州大学大学院法学府民刑事法学専攻博士後期課程入学

 2006年3月 九州大学大学院法学府民刑事法学専攻博士後期課程単位取得退学

 2016年3月 博士(法学)・九州大学

  ――職歴――

 ●常勤

 2006年4月~2009年3月 国立大学法人愛媛大学法文学部総合政策学科講師

 2009年4月~ 龍谷大学法学部准教授

 2014年3月~2015年3月 ゲオルグ・アウグスト大学ゲッティンゲン客員研究員・Gunnar Duttge教授( 医事刑法研究所

 2016年4月~ 龍谷大学法学部教授

 ○講義

 2006年度 愛媛大学 「刑事訴訟法」、「比較刑事手続論」、「新入生セミナー」、「日本国憲法」、「課題演習Ⅰ」

 2007年度 愛媛大学 「刑事訴訟法」、「比較刑事手続論」、「新入生セミナー」、「日本国憲法」、「法律学概論」、「外国書購読」、「課題演習Ⅰ」

 2008年度 愛媛大学 「刑事訴訟法」、「比較刑事手続論」、「新入生セミナー」、「日本国憲法」、「法律学概論」、「刑事裁判入門」、「刑法各論Ⅱ」 

 2009年度 龍谷大学 法学部:「刑事訴訟法Ⅰ」、「法と裁判」、「刑事法入門」、「演習Ⅰ」、「演習Ⅱ」、「基礎演習Ⅰ」、「基礎演習Ⅱ」

                法科大学院:「法務研修」

 2010年度 龍谷大学 法学部:「刑事訴訟法Ⅰ」、「刑事法入門」、「演習Ⅰ」、「演習Ⅱ」、「基礎演習Ⅰ」、「基礎演習Ⅱ」

                法科大学院:「法務研修」

 2011年度 龍谷大学 法学部:「刑事訴訟法Ⅰ」、「刑事法入門」、「演習Ⅰ」、「演習Ⅱ」

                大学院:「刑事訴訟法研究Ⅳ」

                法科大学院:「刑事法総合演習」、「法務研修」

 2012年度 龍谷大学 法学部:「基礎演習Ⅰ」、「刑事訴訟法Ⅰ」、「刑事法入門」、「演習Ⅰ」、「演習Ⅱ」

                大学院:「刑事訴訟法研究Ⅰ」、「修論指導」

                法科大学院:「法務研修」

 2013年度 龍谷大学 法学部:「基礎演習Ⅰ」、「基礎演習Ⅱ」、「刑事訴訟法Ⅰ」、「刑事法入門」、「演習Ⅰ」、「演習Ⅱ」

                大学院:「刑事訴訟法研究Ⅱ」

                法科大学院:「刑事訴訟法演習」、「法務研修」

 2014年度 在外研究のため、担当講義なし

 2015年度 龍谷大学 法学部:「基礎演習Ⅰ」、「基礎演習Ⅱ」、「法と裁判」、「刑事訴訟法Ⅰ」、「刑事法入門」、「演習Ⅰ」

                大学院:「刑事訴訟法研究Ⅱ」

 2016年度 龍谷大学 法学部:「基礎演習Ⅰ」、「基礎演習Ⅱ」、「法と裁判」、「刑事訴訟法Ⅰ」、「刑事法入門」、「演習Ⅰ」、「演習Ⅱ」

                大学院:「刑事訴訟法研究Ⅳ」

●非常勤 

 2008年4月~2009年3月 龍谷大学法学部非常勤講師「刑事訴訟法Ⅰ」「演習Ⅰ」

 2008年8月1日~9月30日 放送大学愛媛学習センター非常勤講師(面接授業(集中)「刑事裁判と裁判員制度」(8月16~17日))

 2009年4月~9月 立命館大学法学部非常勤講師「刑事訴訟法」

 2010年4月~9月 立命館大学法学部非常勤講師「刑事訴訟法」

 2011年4月~9月 立命館大学法学部非常勤講師「刑事訴訟法」

 2011年9月~3月 立命館大学法学部非常勤講師「法政特殊講義(刑事証拠法)」 

●委員など

 2007年4月~2009年3月 愛媛大学医学部付属病院臨床薬理センター・臨床研究倫理審査委員会(IRB)委員 

 2012年4月~         日本弁護士連合会刑事法制委員会・助言者

 2013年4月~         刑法読書会・幹事

●受賞

 2015年12月21日 特定非営利活動法人刑事司法および少年司法に関する教育・学術研究推進センター 第2回守屋研究奨励賞

 

   これまでの人生

 1978年に徳島県の南端、海部郡海南町(現海陽町)に生まれる。自然に囲まれながら勉強とは全く無縁の生活を送る。実家は、山、川、海に囲まれていたので遊ぶ場所には事欠かなかった。小学校は柔道教室に入り、中学校ではサッカー部に入部。サッカー部では、3年の時にレギュラーをとる。チームは郡大会(1得点1アシスト)を突破し県大会に進出したが、その年の優勝校に一回戦で当たり、0-10と大敗した。その間に、NBAはマイケル・ジョーダンを中心に大人気。私もバスケットに魅了されていく。ちなみに当時好きなチームは、キャブス。マーク・プライスがお気に入りだった。その後、ロケッツファンに移行する。

 中学校での成績はまあまあだったので、実家を離れて少し遠い高校に進むことを決意する。部活紹介の時に、あまりに先輩が怖く、半ば強制的に柔道部に入部。しかし、バスケットを捨て切れず、仲間を集めてストリートバスケットを始める。みんなでお金を出し合って、ゴールを買って、高校の敷地内に置いて・・・。最終的には、そのバスケシーンが卒業写真に載っていた。高校でも勉強とほぼ無縁の生活であった。一年のときは、学年に二つある進学クラスに入ることができずショックを受ける。しかし、クラス自体は楽しく、遊びまくる。同年後半に行われた三者面談で、私の京大に入りたいと素直な希望を「夢は大きい方がいいね」と一蹴した担任の顔が今でも忘れられない。二年生からは進学クラスに入る。しかし、生活自体は全く変わることなく進む。三年時の夏休み前の三者面談時に担任から「このままでは瀬戸内海も渡れないぞ(=県外の大学に行くことができないと当時は理解していた)」と言われ、「これはまずい」と思い、夏休み「は」勉強に勤しむ。その結果・・・

 運良く九州大学に入学。そこで、バスケットサークルに入る。ここで出会った友人は今でも宝物。法学部に入学と同時に法学に挫折した私(まあ、なんと難しく、つまらないのだ法律は!!と実感して、とぼとぼと家路についたのを覚えている。)は、酒とバスケとバイトに明け暮れることになる。しかし、なんとか単位は取れて学年は順調に進む。なので、勉学という側面からは空っぽ、必要単位は3年生終了時でほぼ取得という意味のない学生時代であった。要領だけはいいのだろう。

 高校時代から犯罪という異常現象や犯罪者の心理に興味があったので、ゼミは刑事訴訟法ゼミ(大出良知ゼミ)に入る。法学に挫折した私には、法律に真正面から取り組むのではなく、裁判傍聴や事件の調査といった「法の動態」に取り組むこのゼミは非常に勉強になった。日本の刑事訴訟法・刑事訴訟制度の問題点についても、どう解決するすべきか、なんとなく考えるようになる。このあたりから、法学部の講義なども楽しくなってきたように思う。

 3年生の夏休み明け、大学に行くとスーツ姿が目立つ。「あ、そうか。いよいよ就職活動か・・・。でもどうしよう・・・」と完全に時代の流れから取り残された状態(当時、第一次「就職氷河期」のど真ん中)。天の邪鬼的性格を持つ私は、人と違う道を歩こう!、自分には私企業は向かない!と考え、公務員になろうと決心。3年生後半から勉強を開始。生協で問題集を数冊買って、図書館に駆け込む。その当時、一緒に勉強していた友人が大学院の試験を受けるというので、それにつられ自分も大学院試験を受けるという主体性のない決断を行う。その結果は合格(面接で、民法関連の成績の悪さを指摘されて、落ちたかもとドキドキしたが)。公務員試験は落ちた(まあ、当然の結果)ので、翌年の公務員試験に向けて大学院に進学することにする。

 大学院に入学。ところが、同期の友人(彼も現在大学の教員である)の影響もあり大学院の講義を多く受けすぎて、公務員試験どころではなくなる。むしろ、講義での報告準備や修士論文の準備を楽しんでいる自分に気づく。そこで、指導教官である大出先生に研究者になりたい旨を伝える(「なりたいのならなれば」と快く許可していただいた。)。あとは刑事法研究者へまっしぐら。同期と徹夜で議論することもざらではなく、完全に世捨て人のような生活を送るようになる。ただ、読めないドイツ語文献を相手に苦戦苦闘。院生時代は、自分のあほさに嫌気がさし、全く研究者に向いていないと思うこともしばしば、よく夜中のキャンパスをさまよった・・・。修士論文は締切日の昼まで書いて提出。同じ愚行を博士課程単位取得退学論文の時も繰り返す。

 博士課程3年生の時に、愛媛大学の公募人事にアプライ。運よく採用していただき、四国へ再上陸。社会人チームにし高倶楽部に入り、バスケも再開。仕事の関係でほとんど試合には出られず、2試合出場にとどまる。初戦は、5ファウルで退場。第2戦は、13得点。

 その後、2009年に龍谷大学へ移る。憧れの関西、憧れの京都。教育・研究両面において、さらに忙しさが増し、何とか仕事を続ける。

 2014年3月、龍谷大学の在外研究員として、ドイツ・ゲッティンゲン大学の客員研究員に。ドイツ語に苦戦しながら、ドイツを楽しんでいる。

 

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