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引きこもりニート列伝その34 契沖  NF


引きこもりニート列伝その34 契沖(1640〜1701)

 今回は、僧侶でありながら国学の祖とされる契沖です。

略歴:
 歌人・国学者。没落した武家の家柄に生まれ、早くから出家して高野山で修行した。その後に曼陀羅院の住職となるが退き、古典を始め様々な学問を修める。その後に妙法寺住職となるがその期間に重病であった友人・下河辺長流に代わり「万葉集」研究書「万葉代匠記」を著す。その後も古典研究や万葉仮名研究で事績を残した。歌人としても「漫吟集」などがある。彼の学問は後に古典から日本独自の道を探る国学として結実していく。

 契沖の実家・下川氏は加藤清正に仕えていましたが、加藤家が改易され没落し苦しい経済状態にありました。その中で契沖は11歳で出家して妙法寺に入り13歳で高野山に上って修行。23歳で若くして師匠の勧めもあり曼陀羅院住職となります。僧侶としてはここまでかなり順調といえます。
 ところが、数年で契沖はこの寺から逃げ出すように姿をくらましてしまいます。どうやら学問を好む質であった契沖にとって、寺務や檀家との交際は相当に辛いものであったようで鬱屈した心境を現す和歌をこの時期に数多く残しています。この時期に下河辺長流と知り合い歌の遣り取りなどをするのが心の慰めとはなっていたようですが、それでも積もり積もったストレスが爆発してしまったのでしょう。どうやら契沖は仕事の上で対人関係を作るのは苦手としていたようです。地元に迷惑をかけ師匠の顔を潰す事になるのにもかかわらずの行動ですから、元来は真面目な性格であったらしい事を考慮すると相当嫌だったのでしょうねえ。

 その後は、長谷寺や室生寺などを巡っていたそうですが知人・義剛による「録契沖遺事」によれば室生山で石に身を投じて自殺しようとも図った事もあるようです。よほど思い悩んでいたのでしょうね。しかしそれで死ぬ事もならず高野山に再び入り修行を行いますがここでも俗世間に馴染んだ寺の姿が鼻についたようです。そうした中で真言宗への信仰があつい辻森吉行と知り合い、彼に誘われる形で久井村にある彼の家に養われる事となります。彼の家は多くの蔵書があり、契沖はこの時期に仏典はもちろんのこと古典・歴史・漢籍などに触れ豊富で多様な知識を身につけたのです。更に祖父以来の縁で親しくなった伏屋家に世話になる事になり、そこでも様々な蔵書に触れています。これが後々に物を言う事になります。古典に興味を持ち始めるのが35歳前後だったようで、37歳の時に万葉仮名に興味を持って最初の著作「正字類音集覧」を著したとされています。雌伏して実力をつけていた時期と言えば聞こえはいいですが、見方を変えれば他人の世話になって引きこもり生活を送り「自分を見つめて」いたとも言えますね。

 40歳になると再び師匠から少年時代をすごした妙法寺の住職になるよう勧められ、以前に失敗した経緯もあって一旦は辞退するものの結局は引き受ける事となります。どうやら老いた母親を養う必要が背景にあったようで、生活に追われて嫌々ながらの社会復帰ですね。年齢も考えると、現代なら間違いなくダメ人間扱いだと思います。さてこの時期に親友の下河辺長流は「大日本史」編纂に力を入れていた水戸藩主・徳川光圀の依頼で万葉集注釈に取り掛かっていましたが、重病となり代わって契沖が此れに従事することになります。契沖は突然降ってきた大任に十分応えてみせ、「万葉代匠記」として成果を結実させました。何でも、彼の仏教・漢学・和歌の知識が総動員され文献学的・実証的な画期的大作なんだそうです。引きこもり時代の蓄積がこのような形で役に立つわけですから、人生は分からないものです。

 さて、母が亡くなるともう世間と関わるのは嫌だとばかりに再び隠居生活に入ります。そして古今集注釈「古今余材抄」や伊勢物語研究書「勢語臆断」、「百人一首改観抄」、記紀歌謡注釈「厚顔抄」、源氏物語注釈書「源注拾遺」や枕詞をまとめた「詞草正探鈔」、歌枕(歌によく詠まれる名所)研究「勝地吐懐篇」といった数多くの著作をこの時期にまとめています。静かな環境で好きな学問に思い切り打ち込みはかどった事が容易に想像できます。さて、この時期の生活ですが弟子から援助を受けたり、万葉集の講義をして礼金をもらったりしていました。そして一番大きかったのが水戸藩からの援助で、歌の詞書(歌の前に書かれる前文)で「中納言殿(NF注:光圀)にみうちの人に附て衣食料をこふ」とか「彼国の紙・海苔などたまはりて」とあったり遺言書にも「水戸様より毎年被下候飯料」と記されています。結局は他人の世話になる生活だったわけですね。まあ、この時期に関しては老年に伴う引退と見るべきでしょうし学者として水戸藩から雇われているのに準じて考える事も出来ますから、ニートとするのは必ずしも適切ではないでしょうが。

 それにしても、就職に失敗し自殺まで考えた社会不適合者で引きこもりニートによって幕を開けられた学問だったんですね、国学は。国学者に篤胤やら曙覧やら不適合者が多いのは類は友を呼ぶというべきなんでしょうな。

参考文献
人物叢書契沖 久松潜一 吉川弘文館
排蘆小船・石上私淑言 本居宣長著 子安宣邦校注 岩波文庫
うひ山ふみ・鈴屋答問録 本居宣長著 村岡典嗣校訂 岩波文庫
エンカルタ百科事典 マイクロソフト


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