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引きこもりニート列伝その22 良寛  NF


引きこもりニート列伝その22 良寛(1758〜1831)

 子供を愛し天衣無縫な歌人として知られた良寛を扱ってみます。

略歴
 江戸中・後期の歌人・漢詩人・禅僧・書家。越後出雲崎生まれ。幼名は山本栄蔵。1775年に剃髪し、11年間、備中国の国仙和尚のもとで修行した。各地を行脚したのち越後にかえり、19世紀初頭より国上寺に近い五合庵に定住した。子供たちとしたしくあそんだという逸話がのこされ、「霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日もくらしつ」などの歌をよんでいる。晩年、三島郡島崎にうつり、愛弟子貞心尼にみとられて没した。「蓮の露」「良寛禅師歌集」などの歌集が編集されている。「万葉集」の影響をうけた歌が多い。


 良寛は出雲崎の名主層で石井神社の神主の家に生まれました。幼少期より学問に励み当然の如く家業を継ぐべく育てられた訳ですが、彼が育った頃には家運は下り坂にありました。加えて彼自身、名主としての力量がなく「名主の昼行灯息子」などと嘲弄される有様でした。中でも漁民と代官の争いの調停に失敗したのが致命的であったようです。
 元来彼は幼少時より俗世間との関わりを苦手とし読書に耽っていたと言いますし、性格的にも余りに愚直であったと言います。海千山千の人々を御していく事が求められる名主としては不適格であったと言えそうです。同世代の親戚・兄弟に出家した者が多かったようですし家系的に俗世間から逃れることを望む傾向があったとも考えられます。対人能力に問題を抱え、家系的に浮世離れした傾向があったという言い方もできそうですね。現代だったら引きこもりまっしぐらの可能性大です。
 そんな彼は18歳で出家し禅の修行に励み、各地を行脚することになります。様々な曲折を経て、「心身脱落」すなわち自他共への執着を捨て去った境地に達したと言われています。
 郷里に帰ってからも寺院の住職になる訳でなく、五合庵で隠遁生活に入ります。五合庵での生活は八畳一間に鍋・鉢のみの生活で、托鉢により食物を手に入れていたと言います。…結局引きこもりと言えなくもないわけですが。ともあれ、その中で生まれた自然を見つめその人生経験から世の中を見つめた歌は、彼の人柄共々、現在に至るまで人々を魅了しています。

おわりに
 一般世間で適合するには余りに愚直・余りに純粋であった良寛。一旦は社会不適合者としてダメ人間のレッテルすら貼られた彼でしたが、それを執着心の放擲という境地にまで昇華させ、住職と言う形で俗世間に入る訳でなく飽くまで一出家として世を見据え人生をも見据えた生涯を送りました。彼の生き様は日本における隠者の一つの理想形と言えるかもしれません。

参考文献
良寛 唐木順三 筑摩書房
東洋文庫556 良寛歌集 吉野秀雄校註 平凡社
良寛和尚の人と歌 吉野秀雄 弥生書房刊
良寛への道 良寛会編 文化書房博文社
エンカルタ百科辞典 マイクロソフト


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