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引きこもりニート列伝その15 蘇秦・張儀  NF


引きこもりニート列伝その15 蘇秦(?〜前317)・張儀(?〜前310) 
今回は、中国戦国時代において諸国が強国秦といかに接するべきか外交戦略を説いた縦横家の二人を取り上げます。

蘇秦
 中国、戦国時代の政治家で、縦横家のひとり。字は季子。
 東周の都・洛陽に生まれ張儀と共に斉の鬼谷先生に師事し雄弁術を学ぶ。諸国を周遊し東周や秦・恵文王に説客として売り込むが受け入れられなかった。
 その後、東方の国々に最強国・秦の脅威を説き、燕・趙・韓・魏・斉・楚に受け入れられ六国の連合(合従)を成立させることに成功。六国同盟により秦に対抗する体制の下で、蘇秦はその指導者として六国の宰相を兼任した。蘇秦がこの連合を約した書を秦におくると、秦の軍隊は15年もの間、函谷関から東方に出兵することができなかったといわれる。
 蘇秦は合従を成立させた功績によって趙の粛侯から武安君に封じられたが、合従は秦により張儀の策が採用され破られる。蘇秦は趙から燕を経て斉に亡命するが、そこで刺客に殺された。

張儀
 中国、戦国時代の政治家で、縦横家のひとり。
 魏に生まれ、蘇秦と共に鬼谷先生に師事。楚国に遊説に出かけた際、楚の宰相の璧(大玉)を盗んだ罪を着せられ鞭打ちにあった。張儀の妻は遊説をやめるよう張儀に進言したが、張儀は舌さえあれば大丈夫と嘯き遊説を続けたのは知られる。
 東方六国の合従が成立した際、蘇秦が恐れたのは秦が六国諸侯を攻撃して合従が破れる事だった。そこで、張儀を秦に赴かせ恩義を張儀に与えて、彼の力で秦に攻撃を止めさせるよう説かせた。
 しかしその後張儀は、秦の恵文王に重用され秦のために活躍。張儀は東方の国々を秦と個別に同盟させる「連衡」を提唱し、実現させるため、魏・楚・韓・斉・趙・燕の六国を遊説して合従を破綻させ合従を成立させた。恵文王が死去すると次の武王は張儀を嫌っていたため、身の危険を感じた張儀は魏に逃れて魏の宰相となったが、その年に死去。

 蘇秦・張儀は正業に就かず若い頃は貧しい生活を余儀なくされていたそうです。蘇秦の場合は実家に帰っても親類にも相手にされない体たらく。張儀に至っては泥棒呼ばわりされ冤罪で刑を受ける有様です。まあ一応各国で求職活動をしている訳なので厳密にはニートとはいえないのかもしれませんが、それにしても貧しい家庭にとっては穀潰し以外の何者でもなかったでしょう。
 しかし両者とも自分の弁舌の才への自身は揺るぎなく、相手の求めるものを見抜いてそれに付け入って成功を収めました。群雄割拠の時代で、各国とも人材募集中という売り手市場であったのも大きな幸運だったと言えます。
 蘇秦・張儀自体は実在を疑問視する説もあったりしますが、当時の説客は多くは彼らと同様であったと思われます。戦国四公子の食客達も似たり寄ったりの存在だったようです。
 普段はブラブラしていても、舌先三寸で世界を動かす。乱世とはいえ、才能に自信があるニートにとってはある意味生きやすい時代だったのかもしれませんね。

おわりに
 この時代には、数多くの説客が活躍します。一瞬の輝きで終わったり失敗して非業の最期を遂げたりするものも多いですが、その存在は歴史に煌きを与えていると言えるでしょう。

参考文献
史記列伝(一) 小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳 岩波文庫
裏切り者の中国史 井波律子 講談社選書メチエ
エンカルタ百科事典 マイクロソフト


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