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引きこもりニート列伝その11 ヒトラー  NF


引きこもりニート列伝その11 ヒトラー(1889〜1945)

 今回は、全世界に戦乱を巻き起こした上にユダヤ民族浄化を目論み、現在に至るまで悪の権化とされている独裁者・ヒトラーを扱います。

略歴
 ドイツの政治家で、第三帝国の総統。在任1934〜45年。
 オーストリアに生まれ、画家を志したが美術学校に不合格。第1次世界大戦ではドイツ陸軍に志願。上等兵止まりだったが勇敢な戦いぶりで鉄十字勲章を受けている。戦後はミュンヘンで軍に留まった。
 1919年にドイツ労働者党に入党し、その後は軍を辞めて政治活動に従事。巧みな演説で党への支持を集め、党内での立場を短期間で強めた。21年には党内での独裁権を確立。この頃、党は国家社会主義ドイツ労働者等(ナチ)と改称している。党の私兵・突撃隊(SA)を用いての政権奪取を目論み、1923年にミュンヘンで有力者を軟禁し(ミュンヘン一揆)新ドイツ政府の首班を宣したが、軍部の支持を得られず鎮圧された。投獄され獄中で「わが闘争」を口述。
 一揆の失敗から合法的手段に方針を切り替え党を再建、1929年の世界恐慌後には国家再建・経済復興を公約しドイツ人の優秀性を鼓吹して議席を大幅に増加させる。1933年首相に任命されると、国会議事堂放火事件を契機に共産党を弾圧し、全権委任法により立法権を手中に収めナチ党一党独裁体制を樹立し1934年には大統領職を兼任して総統と称し独裁体制を確立した。
 公共事業による経済回復や、国土拡大と言う外交上成果により国民の熱狂的支持を獲得。ラインラント進駐・オーストリア併合・ズデーテン地方・チェコ保護国化に続きポーランドのドイツ人居住地域の併合を狙いソ連と不可侵条約を締結した上で1939年9月にポーランドに侵入した。
 ポーランド軍は短期間のうちに敗退、これを受けてイギリス・フランスがドイツに宣戦布告し第二次世界大戦が勃発。ドイツ軍はポーランドに続きデンマーク・ノルウェー、更にオランダ・ベルギーを経てフランスへ進入しパリを占領。イギリスを空軍で攻撃するが英国屈服に至らず。1941年6月にはソ連侵攻、当初は破竹の進撃を収めるも泥沼化、スターリングラードでの敗北を契機に劣勢。更に1941年12月に同盟国日本がアメリカに宣戦したためアメリカをも敵とすることになり追い込まれる事になる。
 ヒトラーは、ユダヤ人絶滅を目論み、強制収容所に収容、更に絶滅収容所で多数のユダヤ人が殺害されたとされる。1945年4月30日、連合軍が本土に侵入しベルリンで市街戦が行われる最中に自殺。


 ヒトラーは、学生時代には聡明さを指摘されながらも数学など根気良い勉強を必要とする科目は苦手としていたそうです。癇癪が強くまたひどいはにかみ屋のため女性と付き合うこともなかったと言います。一般学校に進学して就職するのを拒み、中途退学して美術学校受験を志向。そのくせすぐにはウィーンには行かず、地元で洒落た格好をしてカフェに入り浸り美術館を回る生活を続けていたそうです。本人は後に「最も幸福な時代」と回想していますが、そりゃ働きも勉強もせず、金の心配もしないで好きな事をしてブラブラしていれば幸せでしょうよ。
 ウィーンの美術学校を受験し二度にわたり不合格となっていますが、一回目は一次試験を突破している事や不合格になった人の中には後に画家として名を挙げた例もあることから、必ずしも才能がなかったわけではないようです。この時期、画家や建築家のアトリエに紹介され出入りしていましたが、長続きしませんでした。他にも社会問題など様々なものに興味を持っては飽きるといった事を繰り返し、ワーグナーのオペラに熱中ししばしば通い詰めていたと言います。また、宝くじを買って、当たった金で家を買うと決めてその設計をするという皮算用ぶりを見せ、あげくに外れて激昂する有様。父親の遺産を受け継いでおり、経済的には特に困窮していた訳ではないようですが、本人にとっては進路の見えない不本意な日々が続いたようです。
 彼は基本的に働かず働いても長続きせず、特に肉体労働を強く嫌っていたと言います。この当時、失業者宿泊所に寝泊りし自分の描いた絵を売って金の足しにしていましたが、失業者宿泊所にいたのは住所を公開せずオーストリアの兵役から逃れるためであり両親の遺産が残っていたため生活に困っていたと言う訳ではないようです。その後はドイツのミュンヘンに移住し特に就職するでもなく独学で色々読書にいそしんだようですが、この移住も兵役逃れが目的であったといわれています。
 しかし第一次大戦の際には自ら志願兵となり前線でも勇敢であったといわれますから、兵役忌避は単なる臆病のためではなさそうです。これは「ドイツ民族主義者であったため(多民族国家である)オーストリアの兵役を拒否した」という本人の弁をとりあえず一応は信じる事にしましょう。
 大戦後にしばらくは軍に残り新兵などに政治教育を担い、この際に演説の才能を指摘されました。この才能で頭角を現すのは政党に参加してからの事です。政治活動に熱中したのは、自らの演説で人々に注目を浴びる事を望んだのが切っ掛けとも言われています。

 彼が世に出たのは自らの志向・才能を最終的に一致させ、これにより多数の人々に訴えかけ認められることに成功したためと言えます。しかし、彼は、長い不遇の日々の中で深く歪んでしまったと思われます。民族自尊主義・特定民族への反感それ自体は、決して褒められた事ではないにしろ珍しい事ではありません。しかし、それが選民的なレベルまで増長し特定民族などを「生きるに値しない」として抹消させようと意図するまでになると話は別で、どれ程好意的に見たとしても許容の範囲を超えています。「悪の権化」扱いもむべなるかなと言わざるを得ません。また、不遇時代に催眠術や占いなどの迷信的なものに強く興味を持ったと言われ、壮年期はある程度自制して現実的に動いていましたが、晩年には戦況悪化や病気進行もあってか我の強い非合理な面が強く出て戦災を拡大させる結果となりました。
 彼の少年時代の家庭環境はごく一般的な中流〜上流のそれであったそうですし、青少年時代のヒトラーは何処にでもいる芸術家気取りのはねっ返りに過ぎません。やはり歪みの原因は不遇時代に求めるのが最も妥当でしょう。生計を立てること自体には困らなくとも、才能を認められず発揮できない日々は「誰も俺の事なんか分かっちゃいねえんだ!俺は天才だ!」「この天才の俺が何故…」とばかりに自尊心を傷つけられていたのは想像に難くありません。またそんな日々での独学は彼の思想を独善的なものにし、挫折に伴うルサンチマンも手伝って、これが彼を固陋な民族主義・反ユダヤ主義に導き傾斜させたと言われています。そんな彼が世に認められた時、「この俺に凡人どもが媚びるのだぁ!」「媚びろ!媚びろ!俺は天才だ!」といった感じで歪んだ思想と共に暴走する事になったのかもしれません。

まとめ
 ヒトラーは繊細な感性・優秀な才能を秘めていたがそれを伸ばす根気に欠けており、その結果として挫折しニート化。その時期に深い精神の歪みを生じたと思われます。

おわりに
 ヒトラーはいわゆる「芸術家気質」。それだけに不遇な時代はその繊細な精神に深い傷を与え、それが全世界規模で大きな災厄をもたらしました。ニートとなるような人物は、社会不適応であると同時に常人より繊細で尖鋭な感性・知性を持っている可能性を秘めており、不遇な環境による歪みはそれだけに大きくなると思われます。ましてや、社会的迫害が彼らに与えられた場合には最悪どのような事態を生みうるか…。試練は人を成長させるとは限らないようです。何とも考えさせられますね。

参考文献
アドルフ・ヒトラー 村瀬興雄著 中公新書
独裁者ヒトラーの錬金術 ヴルフ・シュワルツヴェラー著 佐々木秀訳 西村書店
劇画ヒットラー 水木しげる ちくま文庫
アドルフ・ヒトラー ルイス・スナイダー 永井淳史訳 角川文庫
ヒトラー(上)(下) J.
フェスト著 赤羽龍夫・関楠生・永井清彦・佐瀬昌盛訳 河出書房新社
ヒトラー権力への道 G.プリダム著 垂水節子訳 時事通信社
ヒトラーとは何か S.ハフナー著 赤羽龍夫訳 草思社
人物現代史1 ヒトラー 炎の独裁者 大森実 講談社
ヒトラーの震え毛沢東の摺り足 小長谷正明 中公新書
わが闘争 上・下 完訳 アドルフ・ヒトラー著 平野一郎・将積茂訳 角川文庫
世界の歴史23第二次世界大戦 上山春平・三宅正樹 河出書房新社
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