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引きこもりニート列伝その3 鴨長明・兼好法師  NF


 引きこもりニート列伝その3 鴨長明(1155?〜1216)・兼好法師(1283?〜1352?)
 
 今回は、日本の隠者文学における代表とされる二人を取り上げます。

鴨長明
 鴨長明は、平安末期・鎌倉時代の歌人・文人で法名は蓮胤です。賀茂神社の神官の子に生まれ、中原有安から琵琶を、俊恵法師から和歌を学び、若年よりこの二つにおいて才能を発揮しました。1181年(養和元年)には「鴨長明集」を自選し、勅撰和歌集にも「千載和歌集」に1首・「新古今和歌集」に10首選ばれています。こうした実績から後鳥羽院に評価され和歌所寄人になるなど宮廷歌人としても活躍しましたが、父の死後に同族の鴨祐兼に神官としての職務怠慢を指弾され家職である河合社禰宜の跡目争いに敗れたことをきっかけに、後鳥羽院の慰留も振り切って大原に出家遁世しました。

 後に洛南日野に構えた庵は、広さ四畳半(方丈)で高さ七尺に満ちませんでした。定住を想定しておらず、留金で簡単に組み立てられるいわば仮設住宅だったようです。草庵にしつらえられた住具も簡素なもので、東に出した庇の下で薪をたき、南に竹の簀子を敷いて縁側とし、西に仏花を供える棚を置き、北の隅には障子を隔てて仏画を飾り、その前に経典を置く。寝床は東側に敷かれ、机に向かう時は脇息に肘をかけて円座に座る。つり棚には、和歌の本や往生要集の写本を入れた箱を置き、その横に琴と琵琶を立てかけています。最低限の品々の中で、文机や硯箱といったの文具と三具足などの仏具は隠者としての必需品でした。

 その庵で書かれた「方丈記」は「枕草子」「徒然草」と並び日本三大随筆のひとつとされています。その中には、妻子や世間に遠慮する事も規範にとらわれる事もなく、戦乱・飢饉・自然災害といった外界の大事件にも構わず、読書・琵琶演奏・読経を気が向いたままに行い気が乗らないときには止める自由奔放な(見様によっては自堕落ともいえる)生活が描かれています。しかし、そうした草庵での閑寂な生活への執着も仏道への障害ではないかと思い悩みますが、それに関しては明らかな結論は出せず念仏を唱えかけては途中で止めてしまう。隠遁後の生活は彼にとって捨てられないものだったと思われますが、覚悟が不徹底とも言えるかもしれません。出家・隠遁後にも往生を追求する個人の姿をあつめた説話集「発心集」や歌論書「無名抄」を著したり、また鎌倉に赴き将軍・源実朝に拝謁したりもしている様で、社会活動を行わなくなった訳ではないようです。

 「方丈記」では野の草や山の木の実で命を繋いでいると書かれていますが、実際問題としてそうした生活で一定の社会活動が出来るだけの体力を保つ事が出来たのか疑問に思います。一説では、草庵は日野薬師(日野法界寺)境内に建てられていることから衣食などを法界寺の世話になっている可能性が指摘されており、個人的にもその方が納得がいくように思います。歌人として評価され、出家後もそれを通じた交際はあったようですから、援助がないとも思えませんし。そうだとすると、比較的物質的にも心配の要らない気楽な生活を営んでいたのかもしれません。ともあれ、年齢的な点からは定義には当てはまりませんが、鴨長明の場合は後半生はニートに近い状態といってよいと思います。
 

兼好法師
 一方、兼好法師は鎌倉時代末期〜南北朝期の歌人で、「徒然草」の著者としても知られています。本名は卜部兼好で吉田兼好は後代の呼び名です。1313年(正和2)にはすでに出家し、法名は本名を音読し「けんこう」としました。出家前には堀河家に仕えており六位蔵人として朝廷にも出仕した。20歳代の初めから歌道の第一人者であった二条為世の門下にはいり、頓阿らと共に二条家四天王のひとりといわれました。作品は「続千載集」「続後拾遺集」「風雅集」などの勅撰集に計18首がおさめられているほか、私撰集の「続現葉集」にも入集しています。

 隠遁生活においては、生活苦に陥った際に友人であった頓阿に歌で米と銭を無心し、同じく歌で断られたことがあります。吉田山・双ヶ岡と京の郊外に庵を結び、都市世界と密着した場所で生活し晩年は足利幕府の執事であった高師直に近づいたようで、師直の恋文を代作して失敗する「太平記」の話は有名です。

 兼好法師の場合、生活の糧を得るために有力者の用を足しており、ニートというよりはフリーターの方が近いと言えます。厳密にはこのシリーズに入れるのは不適当だったようですね。


まとめ
 今回取り上げた二人は、朝廷が没落しつつある時代の下級貴族として生まれ、若い頃より歌人として名が通っている点で共通しています。現代の感覚で言えば、下り坂の企業に務めしかもたいした出世も見込めない立場と言え、歌人として人並み優れた感性を持つ彼らにとっては、懸命に努めてもうだつが上がらない身の上なのが分かりきっていてやってられなかったのではないでしょうか。特に鴨長明の場合は本来就ける筈であった役職さえ難癖を付けられて道を絶たれた訳で、真面目にやっているのが馬鹿馬鹿しくなったのでないかと想像されます。
 懸命に頑張っても報われない社会、そうした状況下では意欲も殺がれてしまう、そうした要因からニートやフリーターの道を選ぶ人もいるのだろうなあと思ったりします。…ちょっと強引に社会論っぽくまとめてみました。


 この二人の隠遁生活における収入源について補足。

 長明は、鎌倉に行き実朝と会見した際にどこかの小さな土地を与えられたのでないかと推測されています。将軍と面会してから閑居生活に入っている事から、この時期に生活が安定する目途が立ったと考えられているようです。

 兼好法師に関しては、もう少し明らかになっています。出家前に堀川家の家司をしていた縁で堀川家から援助を受けていたほか、尊氏や高師直らに近づき歌の師匠として授業料をとっていたと言われます。また、武蔵国金沢に招かれているのも歌の師匠としてでしょう。
 それに加え、山科の小野に一町歩の田地を購入し名主職となっている事が分かっています。要は不在地主だった訳ですね。付け加えると、兼好はこの地を元亨二年(1322)に売却し現金収入を得ています。

 要は、この二人が隠居生活なんてしていられたのは不在地主として収入があったからなんですね。隠遁生活は多くの人の憧れであるようですが、中々現実は厳しいです。

参考文献
方丈記・無名抄 付・無名草子 増補版 郷衡著 有朋堂
新訂 徒然草 吉田兼好著 西尾実・安良岡康作校注 岩波文庫
日本史の快楽 中世に遊び現代を眺める 上横手雅敬 角川ソフィア文庫
日本古典文学大系太平記 二 岩波書店
住まいの文化 住文化研究会 学芸出版社
エンカルタ百科事典 マイクロソフト
http://www.asahi-net.or.jp/~zx5n-ysmt/iso251.htm
隠者の文学 石田吉貞著 塙新書
下剋上の社会 阿部猛 東京堂出版


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