アクセス解析
カウンター


本居宣長『直霊』  翻訳:NF


はじめに
 「直霊(なおびのみたま)」は、宣長のライフワークである「古事記伝」の序文という性格を持ちます。後に注が付いて「直毘霊」と呼ばれるようになります。明和四年(1767)から八年(1771)ごろまでに成立したとされ、「古事記」の研究に当たってみた感触として宣長が考える日本古来の有り様、「道」とはどのようなものかについて述べたものです。宣長の「道」への考え方を端的に表した入門書とされています。これ以上は上手くここでは説明できないので、以下の現代語訳を読んで大意を掴んでみてください。それでも分からない、訳が信頼できない、という方は原文に当たっていただけるようお願いいたします。なお、現代から見れば不適切な用語や考え方も見られると思いますが、資料という観点から、あえてそのままに訳してあります。不快な思いをされるかもしれませんが、御了承下さい。

「直霊」
 皇大御国(すめらみくに、日本の美称)は、申し上げるのも恐れ多い、神の御始祖である天照大御神がお生まれになっている大御国であり、
【我が国が万国と比べて優れている理由は、まずこの点で際立っている。国という国すべてに、大御神の大御徳(おかげ)をこうむらない国があろうか。】、
大御神が、手に天の世界の璽を捧げ持ち、
【御代々に御璽として伝わってきた三種の神器はこれである。】
「万年千年にもわたる長い年月において、我が子孫が治めるであろう国である。」と、口ぞえなさるそのままに、
【天津日嗣(天の太陽神の子孫)高御座が、天地の限り不変である事は、早くもこの時点で定まったのである。】
空の雲がはるか遠くに横たわっている限り、谷蟆(たにぐく、ひきがえるの古称)の泣き声が響き渡る限りまで、皇御孫命(天照大御神の御子孫)の大御食国(御統治なされる国)と定まって、天下には荒々しく振舞う神もなく、命に従わない人もなく、
【何万の代を経たとしても、誰が大君に背き申上げるであろうか、ああ恐れ多い事である。御代々の間に、たまたま命に従わない悪人もあったのであるが、神代の故事そのままに、大御稜威(天皇の威信)を輝かせて、たちまちのうちに打ち滅ぼしなさるものであるぞ。】
幾千幾万の御世代の御子孫の御世に至るまで、天皇命(すめらみこと)は大御神の御子孫としていらっしゃって、
【御代々の天皇は、そのまま天照大御神の御子でもいらっしゃる。そのため天津神の御子とも、日の御子とも申し上げるのであるぞ。】
天つ神(天界出身の神)の御心をその大御心として、
【何事も、天皇が自身の御心で小賢しく独断で物事をなさらず、ただ神代の故事そのままになさり統治なさりながら、疑わしくお思いになる事がある際には、御占いをして神の御心を問うた上で物事をなさる。】
神代の昔も今も変わりなく、
【ただ天つ日嗣だけがそうでいらっしゃるのではない。臣下の臣・連や八十もの伴たちに到るまで、氏姓を重視なさり、子孫のずっと続いたその家々の職業を受け継がせており、祖先神たちと同様である。彼らはただ一代が続いているかのように、神代そのままに御使え申上げていた。】
神でありながら国を安んじて平穏に御統治なさる大御国であるので、
【日本書紀の難波長柄朝廷(孝徳天皇)の御巻に、「惟神(かむながら)とは神の道に従いなさって自然と神の道が存在する事を言う」とある事を良く考える事だ。神の道に従うというのは、天下の大御政は、ただ神代に宗であったままになさって、少しも小賢しい独断を加えなさる事がないことを言う。
 さてそのように神代そのままに大らかに統治なされば、自然と神の道が働いて、他に何も要求すべき事がない状態を、自然と神の道が存在すると言うのであった。現御神(あきつみかみ、現人神すなわち天皇)と大八洲国(日本)を統治なさると申し上げるのも、その御代々の天皇の御政治がそのまま神の御政治であるという意味である。万葉集の歌などに神随(かむながら)云々とあるのも同じ意味であるぞ。そうすれば神国と韓人が申したのもなるほどもっともである。】
大昔の大御世には、「道」という言葉をわざわざ口に出すことも全くなかった。
【古語に「あしはらの水穂の国(日本の美称)は神随言挙(かむながらことあげ)せぬ(神の道に従ってそれをわざわざ言葉には出さない)国」といっている。】
 それは、ただ物事に自然に従って信仰する「道」があったのみである。
【「美知(みち)」とは、古事記に「味御路(うましみち)」と書いているように、「山路」「野路」などの「路(ち)」に、「御(み)」という言葉を添えたもので、ただどこかへ行く道である。これ以外には上代に「道」と言う事は他になかった。】
 物事の道理があってしかるべき方法や、様々な教えについて、「何の道」「これの道」と言葉に出して言う事は他国の方法である。
【他国は天照大御神の御国ではないため、定まった主がなく、禍をなす神が得意になって荒々しく振舞うため、人心が悪く習慣も乱れており、国の支配権を取ったならば、賎しい人物もたちまち君主となるので、上の人は下の人に地位を奪われまいと警戒し、下の人は上の人の隙を窺って地位を奪おうと企んで、互いに敵視しながら、昔から国が平和に治まりにくい事であった。その中で勢力があり知恵が深く人を上手く従え、人の国を奪い取って、また人に自分の地位を奪われないように工夫を上手く凝らして、しばらく国を統治し、後世の模範となった人を、中国では聖人と言う様である。例えば、乱世では戦いに慣れるため、自然と名将が多く現れるように、国の風俗が悪くて、統治しにくいのを無理に統治しようとするため、世代ごとにその方法を色々と思い巡らして学ぶために、賢人達も現れたのであった。 しかしながら聖人というのは神のように優れて、自然と恐れ多い徳があるものと思うのは間違いである。さてその聖人たちが作り構成して、決めておいた事を道というのである。そのため中国で道というものも、その真髄を追求すれば、ただ人の国を奪おうとするため、そして人に自分の国を奪われないようにする用心との二つに過ぎないのである。そもそも人の国を奪い取ろうと企む事については、色々と心を砕き、我が身を苦しめながら、善い事の限りを尽くして、あらゆる人々を従えたため、聖人は本当に善人であるように聞えるし、また聖人が作っておいた道の様子も、美しく全ての事に不足なく、素晴らしくは見えるけれど、まず自分自身がその道にそむいて、主君を滅ぼし国を奪ったものであるので、全て偽りで、実際には善人ではなく、たいそう悪人であった。
 元来そのような穢れた心で作って、人を欺く道であるからであろうか、後世の人もただうわべは道を尊び従っているように振舞っているけれど、実際には一人も守り従う人はいないので、道が国の助けとなることもなく、道の名目だけが残り、万代を経てもついに実行される事はなく、聖人の道はただ無駄に人を非難する各世代ごとの儒者たちの口ずさみとなったのである。
 そうであるのに儒者がただ六経などという書物ばかりを捉え、中国は道が正しく行われている国であると主張するのは大変な間違いである。このように道というものを作り出して世を正すのは、元来道が正しくないためであるのを、逆に立派な事だと思って口に出すのはおろかな事だ。それも後世の人がこの道のままに振舞っていればこそ取り入れることもあるのだが、そのような人はどの時代にも一人も見られないことは、史書を見ても大変はっきりとしているものであるものを。
 さてその道というのはどのようなものかといえば、仁義礼譲孝悌忠信などといった言葉が多く煩わしい名目を色々と作って、人を厳しく強化しようとするものである。そのようなものであるから、後世の法律を先王の道に背いたといって、儒者は非難するけれど、先王の道もすなわち昔の法律であるだろうに。また易などというものを作り、たいそう深遠であるような事を言い立てて、天地の理屈を極めつくしたと思ったりするのだ。これも例のごとく人を従えて統治するための偽りごとであるぞ。そもそも天地の理屈というのは、全て神のしわざであり、全くもって推測できないものであるから、どうしてそれを極めつくしてよく理解する事があるだろうか。
 そうではあるが、いわゆる聖人は世間の人より優れて知恵が深いと聞いているが、そうした人たちが心を砕いて考えたものなので、彼らより劣った人の知恵で、実際に道を達成したのやらできなかったのやら、試して知る必要があるのに、漫然と信じていると見えて、聖人の言った言葉を、何事もそのまま理屈の極みと考えたままでいることがたいそう愚かである。
 さてその聖人たちの行いを真似て、後世の人まで全ての事を自分の知恵で推量するのが、中国の習慣である。大御国で学問をしようとする人は、これをよく理解しておいて、決して他人の言葉に惑わされてはならない。全て中国は何事にも非常に詳細に注意を払い、とにかく理屈を捏ねて決めつけているので、一般に人の心が小賢しくなって悪くなり、なまじっか物事を細かく凝っていながら、却って国は治まりにくくばかりなっていくのであろう。したがって聖人の道は、国を統治するために作って、逆に国を乱すもととなるものであるぞ。全て何事も大らかにして事足りているのは、そのようであるのがよいのだ。そのため大御国の昔は、そういった言葉が煩わしい教えも何もなかったけれど、下の人は乱れることなく、天下は穏やかに治まって、天津日嗣はいよいよ長く伝わってきたのである。
 だからあの乱れた国の名分に倣って言えば、これこそこの上なく優れた大道であり、実際には道があるために道という言葉がなく、道という言葉はないけれど道はあったのであった。道を大げさに言葉にするのと、そうでないのとの区分を思うべきである。わざわざ言葉にしないのは、他国のように大げさに言葉にする必要がないのを言うのだ。例えば才能も何もかも優れた人は決して自分のことを言い立てないが、中途半端な劣った人が少しのことも大げさに言葉にして騒ぎ立てるように、中国は道が乏しいため、かえって道理めいたことばかり言い合うのである。
 儒者はこれを知らず、御国を道がないと軽んじる事よ。儒者が知らないのは中国ばかりを尊ぶ心のためもっともであるが、我が国の知識人ですらこれを理解せず、あの道という言葉のある中国を全てにおいてうらやみながら、無理に我が国にも道があるといって、ありもしない事を言いながら論争するのは、例えば猿達が人を見て、毛がないと嘲笑するのに対し、人が恥じて自分にも毛はあるのだと言って、わずかなものを無理に探し出して見せ言い争うようなものだ。毛がないのが尊いことを知らない愚か者のすることではないか。】
 しかしながら時代がやや下って、書物と言うものが中国から渡来して参り、それを読んで学ぶ事が始まって後に、その書物の国の方法を真似して、段々といろいろな事に混じって用いられる御世になって、大御国の古来よりの大御てぶり(御方法)を区別して、神道と名付けられたのである。それは、例の外国の「道」らと区別が付かないため「神」と呼び、また他国の呼び名を借用して、これについても「道」というのである。
【神の道という理由は、以下に詳細に説明する。】
 そのようにして御世御世を重ねるにつれて、ますます中国の方法を思慕し学ぶ事が次第に盛んになり、遂には天皇の御統治なさる大御政も、専ら中国風になり切って、
【難波の長柄宮(孝徳天皇)や近江の大津宮(天智天皇)の頃になって、天下の御制度も全て中国風となった。その後は昔ながらの御作法はただ神事のみで用いなされた。そのため後の時代にも神事のみは、御国の作法がわずかに残っているのである。】
庶民の心までも中国風に変わっていった
【天皇尊の大御心を重視せず、各々が小賢しい独断を重視するのは、中国風が移ったのである。】
禍津日神の所業は、本当に悲しむべきことであった。
【全ての悪事はみなこの神のしわざである。すべてこの世にありとあらゆる事は、季節のゆき変わり、雨が降り風が吹く類、また国の上や人の上にある、良い事悪い事すべては、みなことごとく神の仕業であると知ることだ。さて神には善い神もあり悪い神もあって、神の仕業もそれに従っているので、そもそも世間の常識で決めつけてはならない。極めて推測しにくいものであるぞ。
 しかしながら世間の人は、賢人も愚人も一般に、他国の道についての言葉にばかり惑わされているので、このことを知らない。大御国について学問をする人は、古典を見て必ず知るはずのことであるが、そうした人でさえ理解していないのはどういうことであるか。そもそも吉凶全ての事を、乱れた国では、仏教では因縁として、中国の道徳では天命といって、天のしわざとしている。
 しかしながらこの天命というのは、あの国で昔に君主を滅ぼし国を奪った聖人が、自分の罪を逃れるために言い出した言い訳である。実際には天地は心があるものではないので、天命があるはずもない。 もし本当に天に心があって聖人に国を与えるというのなら、秦の始皇帝のように荒々しい人に与えて、人民を苦しめたのはどういうことか。始皇帝は天が与えたのではないため、長くは国を保たなかったとも言い逃れるだろうが、そもそも暫しの間であってもそのような悪人に国を与えなければならない道理があるであろうか。
 本当に天命があるのであれば、周の時代の末期にも必ずまた聖人は出るであろうに、そうでなかったのはどういうことか。もし周公や孔子によって既に道は備わっていたため、その後は聖人を出さなかったというならばそれもまた理解できない。その訳は、あの孔丘が出た後、その道が広く世に行われて、国がよく治まったならばそう言ってもよかろう。しかしその後はますます道は廃れ果てて無駄な言葉となり、国もますます乱れたのに、今は満ち足りているといって、聖人を出さず国の禍を顧みないのは、どのような天の誤った心がけであろうかというべきである。
 また国を治める君主の上に天命があるなら、臣下である全ての人の上にも、善悪の霊験を見せて、善人は長く栄え、悪人は速やかに禍を受けるのが道理であるのに、そうではなく善人にも禍があり悪人にも良いことがある類が、昔も今も多いのはどういうことか。もし本当に天の仕業であるならば、そのような間違った事があるであろうか。
 さて後世になると、だんだんと人の心が小賢しくなったため、国を奪って天命だというのを承諾しないため、うわべは位を譲らせて奪い取ることもあるのを、悪い事というようだが、例の昔の聖人たちも実際はこれと同様であるものを。後世の君主が天命というのは信じないのに、昔の人が天命というのは本当と考えるのはどうした惑いであろう。昔は天命があり後世にはないというのはおかしいでないか。ある人が、舜は堯の国を奪い禹もまた舜の国を奪ったと言ったのも、もっともなことである。後世の王莽や曹操のような人々も、うわべは禅譲で国を継いだけれど、実際には簒奪した事から考えれば、舜や禹もそうであったろうのに、上代は純朴であり、禅譲したといっているのを本当と考えて、国中の人がみな欺かれたのであろう。あの王莽や曹操の時代になると、世間の人は小賢しくなり欺かれなかったため、悪事が明らかになったのであろう。彼らも上代であれば、聖人と仰がれたであろうものを。】
(※NF注:王莽は前漢から禅譲させて新朝を建国。曹操は後漢から政権を引き継ぐ魏の実質的建国者であるが、実際に禅譲を受けたのは子の曹丕であることは周知のとおりである。)
 そのようにして安泰で平穏にやってきた御国の乱脈な事が出てきて、異国に少々似た事も後世には混じったのである。
【すばらしい大御国の道を持ちながら、他国の小賢しい所業をよいこととお思いになり、実行なさってから、青々とした草のような人民の素直で清かった心も行動も、いつの間にか悪くなって行き、後世にはますます他国の厳格な道徳でなければ統治できないようなものになったのである。 さて後世の様子を見て、聖人の道でなければ国は治まらないものだと、世間の人が思うのは、そのように国が治まらなくなったのは、元来聖人の道の罪である事を理解しないものである。太古の大御代にはそうした道がなくてもよく治まっていたことを思うべきである。】
 しかしながら、天照大御神が、高天原におわしましまして、大御光がいささかも曇りなさることなく、この世を御照らしましまして、天津御璽もまた、他へさまよう事もなく御子孫に伝わりましまして、力添えなさるそのままに、天下は、御孫命である皇室が御統治なさって、
【他国は元来より固定した君主がなく、強い者が王となるので、その王も行いの良し悪しによって、国を失いもするし得たりもするのは、昔からの慣わしである。さて国を取り損なった者を賊と言う様なので、いわゆる聖人も賊が成功したものであって、どうして尊い事があろうか。
 言葉にするのも恐れ多い我が天皇は、そうした国々の王達と同様ではいらっしゃらない。これが御国を生み出された神祖が、御自ら授けなさった皇統であって、天地の始めから大御食国(御統治なされる国)と貞又添加であり、大御神の詔勅にも、天皇が悪くていらっしゃったら、統治してはならないとは仰っていないので、天皇が善くとも悪くとも外から位を窺いもうしあげる事はできない。天地が寄り添っている限り、月日が照らしなさる限りは、幾万代を経ても天皇の御国である。そうであるからこそ昔の言葉にも、当代の天皇を神と申し上げて、つまり神でいらっしゃるので、善悪についての論議を放棄して、ひたすらに畏敬し御使えもうしあげるのが、大御国の道であった。
 しかしながら近い御世になるとこの道に背き、恐れ多くも天皇尊を悩ませ申し上げる悪人、北条義時・泰時や足利尊氏などの連中は、ああ恐れ多い事に日大御紙の大命も無に帰せしめ申し上げた逆賊である。全て北条・足利の類は、例えば鼠が蔵に入って居つき、米などを自分のものであるかのように食い散らかすかのように、天皇の御食国の租税を横から掠め取り申し上げて、栄えている連中である。
 そもそもこの世を御照らしなさる天津日を必ず尊び申し上げなければならないことを知ってはいても、天皇を必ず尊び申し上げなければならない事は知らない連中も世間にいるのは、漢籍ばかりを尊んでいるので、漢籍の説く所に惑わされて、御国の道を悟る事ができず、今世の中を照らしている天津日がすなわち天照大御神である事を信じず、今の天皇尊がすなわち天照大御神の御子孫であらせられることを忘れたためである。】
天津日嗣の高御座(たかみくら)(皇位)は、
【皇御統(皇室の血統)を日嗣と申し上げるのは、日神の御心を我が御心として、その御業を継承なされているためである。ただ身分が高いためだけではない。日神の御位であるため「高」と申し上げるのである。日には高照(たかひかる)または高日日高(たかひひだか)などとも申し上げる古い表現があることを想起すべきである。さて日神の御位を次々に受け継ぎ伝えなさって、その御位にあらせられる天皇命でいらっしゃるので、日神に等しくていらっしゃることは疑いない。したがって天津日の御慈悲を思い申し上げるならば、天皇命を畏敬し尊び申し上げよ。】
天地と共に、常盤(巨岩)のようにとこしえに変動する事がないのが、この国の「道」の霊妙で奇跡的に、異国の幾万の道よりも優れて、正しく高く貴いという証拠である。
【中国は、道という言葉はあるけれど、道そのものはないため、元来乱れているが、世代につれてますます乱脈となって、ついには外部の国の人に国そのものをことごとく奪われてしまった。その外部の人は中国が夷狄と呼んで賤しめ、人であるとも思っていなかった者であるが、勢威が強く国を奪い取ったので、仕方なく天子として仰いでいるのは、大変に浅ましい国の有り様ではないか。このような状態でも儒者は中国をなおよい国であると思うのであろうか。
 王だけでなく、大体において貴賎が定まらない国であるのを、周代までは封建制とか言って、貴賎の区別があったかに見えたが、それも王の血統が変わればその下も共に変わったので、実際には区別がない。秦以降はいよいよこの道はたたず、賎しい者の娘も君主の寵愛によって、たちまちに后の位にのぼり、天子の娘も血統の知れない賎しい男に娶わせて、恥とも思わない。また昨日まで山賊であった者も、今日にはにわかに国政をとる大臣に成り上がる類は、全て貴賎の身分が定まらず、禽獣の有様に等しいものである。】
 さてそれではこの「道」は、どのような「道」であるかと尋ねるなら、天地の間に自然にできた「道」ではない。
【ここをよく理解し、中国の老子・荘子の思想と同じに考えてはならない】
 人が作った「道」でもない。この「道」は、恐れ多い事に高御産巣日神の御霊によりて、
【世の中のあらゆる物は、ことごとくこの大神の御霊から出ている。】
神々の祖・伊邪那岐(イザナギ)大神・伊邪那美(イザナミ)大神が御始めになり、
【世の中のあらゆるものは、この大神から始まった。】
天照大御神が受け継ぎなさり、お守りになって、伝えなさる道である。こうした理由のため、「神の道」と申し上げるのであるぞ。
【神道と申し上げる名称は、日本書紀の石村池辺宮(用命天皇)の御巻で初めて見られた。しかしそれはただ神を祭祀なさる事を指していっているのである。さて難波長柄宮(孝徳天皇)の御巻で、「惟神(かむながら)とは神の道に従いなさって自然と神の道が存在する事を言う」とある。これぞまさしく御国の道を広く神の道といった始めであった。この理由は上で引用して言ったようなことであるので、その道といっても特別に修行があるわけではない。つまりただ神を祭祀なさる事をいうのであるが、論じていけば一つ大事な事に到る。
 しかし漢籍で「聖人神道を設く」という言葉があるのを引いて、我が国でも同様に名付けたと考えるのは誤りである。その理由は、まず神といって指すものは我が国と中国とでは最初から異なるためである。あの国ではいわゆる天地陰陽の霊を神というようであるので、神というものは元来空虚な理屈である。したがって実在するかしないかの疑問さえあってはっきりしない。大御国の神はそれとはまったく別であり、今の現実に天下を統治なさる天皇命の皇祖を神と申し上げて、その神が始めなさった事を伝えなさっているため神の道を申すのである。その上、あの国とは神という字の意味も異なっているから尚更である。】
 さて、その「道」の意味するところは、この古事記を始め、様々な古書をよく味わってみれば、今も大変よく分かるのであるが、世間の物知り顔な人々の心は、みな禍津日神に交わり凝り固まって、ただ中国の文書にばかり心を惑わされ、思うこと全て、言う事全ては、皆仏教と儒教の言う事ばかりで、本との「道」の心を理解していないのである。
【昔は道という言葉がなかったために、古典に全く道らしきことを意味するものもそうした言葉も見られない。そのため舎人親王を始めとして各時代の知識人は道の意味を理解できず、ただあの道徳ぶったことばかり説いた漢籍を見慣れて、その説ばかりが心の底に染み付いて、それが天地での自然とそうなる理屈であると思ったため、その説に縋るとは思っていないが自然とそれに捉われて、その説にばかり流れていくのであろう。
 したがって他国の聖人の道を政治の助けとしようと思うのも、ただそれに惑わされている他国の誤った心がけであり、心がそれに奪われている事を理解できないものである。大体において中国の学説は、元来あの聖人が自分の知恵で推量して作ったものであるから、いわゆる陰陽乾坤五行などの理屈も、少し聞く限りでは奥が深そうであるが、距離を置いてよく考えればなんと言う事もなく底の浅いものである。大御国の言葉は神代から伝えてきたそのままであって、人の小賢しい知恵を交えていないので、見かけは底が浅いと聞えるが、実際には欠けるものもなく奥の深い意味があるのであるが、ただ漢籍の言葉の美しさに惑わされて、これに気付いていないのが何とも悲しい事だ。
 くれぐれも漢籍の悪癖を心から洗い流して、上代の清らかな心に立ち返り、古典を善く見れば、神の道の意味は自然と明らかになるはずのものである。この悪癖が打ち消せない間は、たとえ百年千年分の力を込めて学問をしたとしても、ただ何の得るものもない無駄なことであろう。ただし古典は全て漢文に写して書き伝えたものであるので、中国のことも一通りは知らずにはおられないものである。したがってただ文字を知るためには漢籍も程々に学ぶべきである。】
【陰陽というものも中国において聖人が作り出した虚構であり、実際にはそのような理屈は存在しない。これは別に詳しく論じる。五行の説などはまして言うに足りない。】
 そのため、そうした世の知識人は、自らの身に受け継いで行うべきである、神道の教えであるなどと言って、様々な物を書いているのも、全て他国の道の教えを羨んで近年に作り出した私的な物である。
【秘伝といって、人を選んで秘密に伝授するのも、何事であるかと思えば、理由もないことを無理に教えとして説いているものが多い。そもそも教えであるならば、世に広く伝えてこそ意味があるものを、秘密にするとは何事であるか。これは元来、仏教である密教に倣って作り出したものであるぞ。一般に神の道に秘伝というのは、全て愚かな世間の人を欺く作り事であると知るべきである。またそれぞれの心の中に神はいらっしゃるものだと教えるのは仏典の真如仏性や儒教経典の明徳天理という事をうらやんだ真似事である。】
 ああおそれおおいことに天皇が天下を統治なさる「道」を下の中の下として、自分自身の私的なものとしていることよ。
【下の者はただ上の御意志に従うより他はないものを。たとえ神道の修行が別にあるとしても、それを教え学び修行するのは、上に従わない私的なものではないか。】
 人はみな産巣日神の御霊によって生まれたそのままに、身にあってしかるべき限りの行いは、自然と知ってしっかりとするものであるから、
【世の中で生きている全てのもの、鳥や虫に到るまで、自分の身の程に、必ずあってしかるべき限りの行いは、産巣日神の御霊により、自然とよく理解して行うものである中でも、人は優れたものとして生まれたので、また優れた程度にしたがって、知ることが出来る限りは知り、することができる限りはするものであるのに、なぜそれ以上をなお強いることがあろうか。教えによらなければするべきことを知らずできないものであるならば、人は鳥や虫に劣っているというのであろうか。いわゆる仁義礼譲孝悌忠信の類は、全て人が必ずすべきものであるので、あってしかるべき限りは教えを受けなくとも自然とよく知ってする事であるのに、聖人の道は、元来治めにくい国を無理に治めようとして作ったものであるので、人が必ずそうであってしかるべき限度も過ぎて、それ以上に厳しく教えたてようとする作り事なので、真実の道には合致しない。そのため口では人は道と言っていながら、実際にそれを行う人は世間にめったにいないのである。そのようなものを天の理屈のままである道と思うのは大変な間違いである。またその道に背いた心を人の欲望というのも理解できない。そもそも人の欲望というのは、どこからどのようにしてできたのであるかと問えば答えられまい。もしそれも然るべき自然にある理屈であるというならば、人の欲望もまた天の理屈であるものを、嫌うのは天の理屈を嫌うという事ではないか。また百代を経ても同じ姓の人と結婚する事を許さないというのも、あの国としても上代からそうであった訳ではない。周の私的な制度である。そもそもこのように厳しく定めた理由は、国の慣習が悪く、親子兄弟の間でも乱れた事が常に多くて、その区別もなく治まりにくいためであるので、そうした制度があるのは却って国の恥である。一般に何事も法が厳しいのは、罪を犯す者が多いためと知るべきだ。さてその定めは定めとして立てられていても、本当の道ではない。人情に適わないため、従う人は大層まれである。後世は言うまでもなく、早くも周代においてさえ、諸侯と言われる人にも、これを破る者が多かったので、まして下々については知れていよう。姉妹とでさえ婚姻した例もあるということだ。
 したがって自然とこの制度を守るものは、ただ頑なな儒者だけと見える。しかしながら儒者たちが我が御国を賤しめようと、昔はきょうだいが婚姻していたことを言い出して、鳥獣の行いであると非難するのを、我が国の知識人たちも、これを不快で御国の良くない事と思って、はっきりした理由もないのに、みなあの聖人の小賢しい知恵を、当然そうあるべき理屈だと思い慣れた過ちである。御国の昔は、ただ母を同じくするきょうだいの婚姻だけを嫌い、腹違いのきょうだいは婚姻なさっていた事は、天皇を始めとし申し上げて、大体は世の常であり、今の京に都が置かれてからのように腹違いの婚姻も忌むようなことはなかった。ただし貴賎の区別はしっかりしており、自然と乱れる事もなかった。これこそ神祖の始めなさった正しい真実の道である。しかしながら後世にはきょうだいの婚姻を、不快に思って、腹違いをも全て嫌う事となったのは、漢学が盛んになって時代を経て、御国心が消え果たために、自然とあの漢意に陥ったもので、元来の真心ではない。】
太古の大御代には、下々まで、ただ天皇の大御心を心として、
【天皇の思し召す御心のままにお仕え申し上げて、自身の私心は全くなかった。】
ひたすらに大命を謹んで承り申し上げて、大いなる立派である神の御蔭に人目につかないようにして、誰も彼も祖神を奉り祭祀しつつ、
【天皇が大御皇祖神を祭祀なさるのと同様に、臣連など数多くの臣下たちや天下の人民に到るまで、それぞれ祖神を祭祀することは日常のことで、また天皇が、朝廷のため天下のために、様々な天つ神・国つ神をも祭祀なさるように、下々の人も事に触れては、福を求めて善神に祈り、禍を逃れようと悪神をも宥め祭祀した。また偶々身に罪状があれば祓い清める類は、全て人情であって、必ずあってしかるべきことである。
 そうであるのに、心さえ真実の道にかなっているならなどと言うのは、仏教や儒教の考え方で、たいそう神の道には背いている。他国では神を祀るにも、ただ理屈を先にして、色々ないらぬ議論がある。淫祀などといって戒めることもあるのは、全て偽りである。
 一般に神は、いわゆる仏などとは異なり、善神もあれば悪神もあって、その所業もそれによるものであるから、悪人も栄え善人も禍があるのは世の常である。したがって神は理屈に合う合わないで推測できるものではない。ただその怒りを畏怖し、ひたすらに祭祀するべきものである。
 そうであるので、祭祀するについてもその心がけがあり、いかにも神がお喜びになるような事をして祭祀するのが昔の道である。それはまず全てを清め、可能な限り美味い物をたくさん奉り、ある者は琴を弾きある者は笛を吹き、歌ったり舞ったりなど、面白いことをして祀る。これは全て神代の故事であり、神がお喜びになることである。そうであるのをただ心が至る至らないとばかり言うのは漢意である。また神を祭祀するには何よりもまず火を主にして清めるべき事が、神代についての書の黄泉の件に見える。それは神事ばかりではなく、大体において日常でも慎まなければならず、決してみだりにしてはならないのは火の穢れである。もし火が穢れた時は、あの黄泉の穢れからなる禍津日神が勢いづいて暴れるため、世の中に様々な禍がおこるものである。そのため民を従え世を治めるには、まず天下の火を清めて、天つ神・国つ神の御機嫌をとり申し上げるべきである。
 しかしながら今の時代には、神事の際や神のいらっしゃる場所でこそ、辛うじてこの禁忌はなされているが、一般の世間では大体においてそうした事や禁忌について思い及ばないのは、火の穢れなどというのはたいそう愚かなことだと、小賢しい漢意が広がったためである。さて神の御書を解釈する世間の知識人たちでさえ、つまらない漢意の理屈をうるさいほど申していながら、主とすべき火の事について、みななおざりにしているのはどういうことか。】
分相応にあるべきである限りの事をして、穏やかに楽しく世を過ごす他はなかったのであるから、
【僧であるほかに何の教えをまとうか。そもそも幼児にものを教え、また職人達のもの作りやその他様々な技術を教えることは昔もあったであろう。そう言って行けばあの仏教・儒教などのような教えも、これらと同じ心であるように見えるが、別物である。】
今またその「道」と言って、他に教えを受けて、実行するべきことはあるであろうか、そんなものはありはしない。
【「それならば神の道は中国の老子・荘子の思想に等しいのでないか」とある人が疑うのに答えると、あの老子・荘子の一派は、儒者の小賢しいのを嫌って、自然であることを尊んだので、自ずから御国の思想に似た点は多い。しかしながら、彼らも神の御国でない悪しき国に生まれ付いて、ただ代々の聖人の道ばかり聞き慣れたものであるから、自然であるというのも、やはり聖人の道の中での自然であるのだ。全ては神の御心から出て、その仕業であることを知らなければ、大御国の道にはやはり及ばないであろう。】
 もし強いて求めるというならば、穢れた他国の書物に被れた心を祓い清めて、清々しい御国心をもって、古典を良く学びなさい。
 そうすれば、改めて受け入れ行うべき道がないことは、自然とわかるであろう。
 それを知ることが即ち「神の道」を受け入れ実行することである。
 そうであるのでこのようにまで論争するのも、「道」の本意ではないけれども、禍津日神の御所業を見ていながら黙っていることはできず、神直毘神大直毘神の御霊を賜って、この過ちを正そうと思ったのである。
【上述の件は、どれも宣長が自分の独断で言うのではない。一つ一つに古典に証拠があるのであるから、よく古典を見る人は疑わないであろう。】
 美しい平安宮で天下を統治なさっている、橿原宮で天下を統治なさっていた天皇よ。百十九代目の継嗣にあたられる天皇が、天下を統治なさり始める年の、十月九日、伊勢国飯高郡の御民である平宣長が、恐れながら恐れながらも記し申し上げた。

おわりに
 宣長は、「古事記」研究に入って感じた日本古来の「道」とはどのようなものであるかをここで書き記しています。全ては神々の御心であり、「漢心」を含む誤った悪いことも禍津日神(悪神)の仕業であるが、天照大神から伝わる我が国固有の正しい「道」に従うべきだと述べています。「古事記」の記すところを素直に読み取りつつ、ともすれば排他的ですらある日本第一主義と我が国固有の有り様があるという国家意識を引き出しているのです。これは天照大神からその子孫たる皇室に受け継がれたもので、皇室が絶えず続いている事がその「道」の絶えず存在する証である、そう唱えています。これは統一国家としての日本の根底にある思想を読み取った宣長国学の基本を表した作品と言えます。それまでは研究者の生きた時代の価値観で解釈されていた「古事記」が、作られた時代での価値観で読まれようとし始めていた。そうした意味で画期的な作品と言えるでしょう。
 しかしこうした排他的ですらある日本第一主義を無批判に肯定する事は、現代の視点からは素直には受け入れられないと思います。考えてみれば、宣長は没落した名門商家に生まれ、養子に出されるも商人向けでないと帰されるなど不遇な経歴を持っています。当時の社会における価値観に疑問を持ったとしても不思議ではありません。それでも宣長は、日本を、そして日本の風土や文化をこよなく愛していました。その結果として、当時の社会で主流であった儒教や監修として根付いていた仏教に反発し、古典の世界に「あるべき姿」を見出したと考えられます。ただし、この「直霊」で宣長が述べる太古の理想世界は虚構である事は言うまでもありません。実際の歴史を振り返るまでもなく、「古事記」を見ても儒教・仏教が伝来する以前の神代から既に「乱れ」は存在していました(宣長も禍津日神の仕業としてこれは認めています)。宣長は、日本を世界の中心とした上で、自分の思い描く理想世界を太古の日本に幻視したと言えるでしょう(※1)。その意味では(文中で宣長が非難している)儒教が太古を理想社会として描いたのと類似しています。
 ここで描かれているのは、日本が統一国家として形成されつつあった時代の支配層が持っていた世界観とはいえますが、当時の世界の実像であるとはいえないはずです。宣長はこの二つを混同したと言えそうです。或いは、それを知りながら敢えて「古事記」を他の書物・価値観と切り離してそのものとして全て受け入れる態度をとったのかもしれません。宣長は、「石上私淑言」などの作品では「真の情」などの「真理」に対して突き放したような見方をしていますから、おそらくは後者であるでしょう。しかし、そうだとしても「古事記」を絶対視した観点を現代に持ち込むのはどういうことなのでしょうか。実際、上田秋成を始めとして少なからぬ人々がこの点に戸惑いと反発を禁じえなかったようですし、現代語訳している僕自身も当惑せざるを得なかったのは事実です。その真意までは現時点では分からない、としか言いようがありません。
 宣長は、古典から直接読み取れる範囲の言及にとどめるという学究的態度を原則としており、自身の時代における社会については全て神々の計らいであり人為による無理な変革は神意に反するという消極的な保守主義を唱えていましたから、「道」による救済追求は基本的には個人レベルに留まっています。しかしこのような理想世界を思い描く傾向はあり、「秘本玉くしげ」のように「道」を念頭に置いた理想政治を志向した事がないではありませんでした。そう考えると、平田篤胤のような、太古に理想を託し体系化した宗教理論への萌芽が既に見られるともいえます(※2)。この作品は、宣長による日本独自の「道」への信仰告白といえます。 宣長は決して認めないでしょうが、人心が素朴であったと思われる太古に理想を設定してその理想を現代に敷衍しようとする有り様は儒教と類似していると言えそうです。その意味では中国に対抗して日本自身のアイデンティティーを主張する伝統に忠実であり、荻生徂徠などの古学などと共通した態度であると言えます。

※1:この点では師・賀茂真淵と共通しているが、真淵が「道」を真っ直ぐに志向する素直・素朴で強い心を重んじたのとは異なり、宣長は人の心は弱く揺れ動くものと考え「道」に触れて強く動かされる心情を尊んだ。
※2:篤胤の思想も本来は、現実社会でより善く生きる事で個人レベルでの魂の救済を志向するものであった。しかし、太古に具体的な理想世界を設定し自尊的排他的価値観を強く打ち出したため、後世において革命・国家主義に利用されたと言える。


参考文献
本居宣長全集第十四巻 筑摩書房
直毘霊・玉鉾百首 本居宣長 村岡典嗣校訂 岩波文庫
本居宣長(上)(下) 小林秀雄 新潮文庫
人物叢書新装版本居宣長 城福勇 吉川弘文館
本居宣長記念館公式サイト(http://www.norinagakinenkan.com/)
排蘆小船・石上私淑言 本居宣長著 子安宣邦校注 岩波文庫
宣長と篤胤の世界 子安宣邦著 中公叢書
人物叢書賀茂真淵 三枝康高 吉川弘文館
人物叢書平田篤胤 田原嗣郎 吉川弘文館
神道の逆襲 菅野覚明 講談社現代新書


発表一覧に戻る