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物語の消費形態について―いわゆるオタクを時間的・空間的に相対化する試み―  NF


はじめに
 中国の古典といえば、どの辺りを一般には連想するでしょうか。いわゆる「四書五経」に代表される儒教経典、「老子」「荘子」「韓非子」「孫子」「呉子」などの諸子百家、「史記」、李白・杜甫や白居易らに代表される唐詩、「水滸伝」「三国志演義」「西遊記」「金瓶梅」の「四大奇書」…。日本人に馴染み深いのはこの辺りではないでしょうか。
 しかし、中国人にとって国民文学作品として真っ先に挙げられるのは何と言っても「紅楼夢」です。20世紀初頭の大学者・王国維は、英国におけるシェークスピアなどと同様に中国の国民精神を代表する作品と評価、文化大革命期でも多くの文学が禁書となる中で「紅楼夢」は何故か「男尊女卑社会に抵抗を示す階級闘争文学」などと呼ばれ賞賛されています。同時代の権力者も「紅楼夢」は読みたかったということでしょう。この「紅楼夢」の概要についてお話しすると同時に、この物語を人々はどのように愛してきたか、商業の発達した当時の社会でどのように消費されてきたかについて述べてみます。

紅楼夢
 「紅楼夢」とは、18世紀に曹雪芹が没落した実家をモデルに名門の御曹司と少女たちとの洗練された交流や実家の栄枯盛衰を描いた長編小説です。全120回ですが、曹雪芹が途中で病死したため彼自身の手によるのは80回までとされています。登場人物の繊細な心理描写、洗練された生活描写などが高く評価されており、現代に至るまで長きにわたり中国国民に愛され時の皇帝・乾隆帝も目を通したとされています。
 名門の御曹司である主人公・賈宝玉は才知はあるものの学問を好まない少年です。彼は理想郷を模した大観園で父方の従妹・林黛玉や母方の従姉・薛宝釵といった一族の少女や彼女らの侍女を含む「金陵十二釵」と呼ばれる美少女達と同居し、彼女たちと才知に満ちた会話を楽しんで生活しています。宝玉は少女を至高の存在と考え、次のような発言を残しました。
「女の子は水でできた身体、男は泥でできた身体。ぼくは女の子を見るとすっきりするけれど、男を見ると臭くて胸がむかつく。」(第二回)
…何ともコメントに困る、ある意味天晴れとしか言いようのない台詞です。ダメっぷり炸裂です。
 そんな宝玉は、感性や趣味が似ている林黛玉と相思の仲(といっても友人以上恋人未満ですが)となり、時には一般道徳の矛盾や世間の腐敗・不正に憤ったりもしながら、貴族的な洗練された生活・機智に満ちた趣味を彼女たちと楽しみます。しかし、甘やかされ世間知らずな彼らにも厳しい現実世界の波が押し寄せることになります。賈家は精神的退廃や財政的破綻が徐々に忍び寄って没落の道をたどり、宝玉は林黛玉と大喧嘩をした挙句に心ならずも良妻賢母型の薛宝釵と結婚、間もなく黛玉は病死します。そして宝玉は、自分たちが元来は仙人界から下界に降りてきた存在である事を知り、人間世界に見切りをつけ出奔して結末を迎えます。

「紅迷」たち
 広く人々から愛された「紅楼夢」ですが、中でも熱狂的な愛好者は「紅迷」と呼ばれています。「紅迷」達については様々な逸話が伝わっていますが、著明なものをいくつか紹介すると…
・林黛玉の不幸を共有しようと病床に伏す少女が続出、心配した両親が「紅楼夢」を燃やそうとすると、「どうして宝玉さんや黛玉さんを焼こうとなさるの」と叫び正気を失った。
・黛玉の位牌を作って毎日のように祭り、「警幻天(仙人世界)に行って、瀟々妃子(林黛玉の仙人世界での呼び名)にお目にかかるのだ」と口走り家を飛び出した。
・宝玉と黛玉が夫婦になれるよう「続編」作成する作家が続出。
…実に壮絶です。「紅楼夢」自体が主人公のヘタレな男が数多くの美少女ヒロインたちと洗練された生活・魂の交流を楽しむ中に悲劇が忍び寄るという現代日本の「萌え」作品も顔負けの爛熟した作品なのですが、その愛好者たちもそれに負けてはいません。
 ヒロインと自らを同一化させ虚構と現実の区別がつかなくなった少女、架空世界の登場人物の死を悼んでの慰霊、ヒロインに「萌え」て入れ込んだ挙句に現実世界から脱落する男、カップルの悲運を悼み幸せな結末を求めての二次創作に走る人々…。現代日本に置き換えて考えれば、逝ってしまっているとしか言いようのないのがよく分かります。
 上記のような人々ばかりでなく、作品世界のモデルを作者・曹雪芹の周囲などから探求するなどの作品分析も知識人読者の間では盛んでした。

「林黛玉型」ヒロイン
 ところで、後世に出版された「少女生活小百科」という書物にある「少女の気質」では、次のように少女の性格を分類しています。
一、玉女型(天真爛漫な少女)
二、淑女型(大人びた少女) 因みに薛宝釵はここに分類されます。
三、明星型(華やかなアイドル的存在)
四、学究型(優等生の少女)
五、林黛玉型
 さて、ここで問題なのは林黛玉がヒロインの一典型として中国人に説明無用で認識されていると言う点です。では、林黛玉型とはどのようなタイプなのでしょうか。当の書物にはこう定義されています。
「物事に感じやすく痛々しげな風情をしている。悲劇的な作品が好きで、その中にのめり込みやすい。悲しいことばかり考えて、いつも涙が絶えない」
 また、薛宝釵が「健康美」なのに比較して「病態美」であるとも言及されています。ここでもう少し、林黛玉のキャラクターに言及した表現を紹介しましょう。
「林黛玉を根本的に規定するのは、『ここは私の場所ではない』という感覚である。」
「寄る辺なき身の居候」
「林黛玉には他人を寄せつけず、『お高くとまっている』ところがあった。」
「林黛玉の抗議や叛逆は、…(中略)…、『ここがおまえの場所である』という事前の決定に粛々と従う
ことに異議を唱え、自ら『私の場所』を見出そうとする決意に基づく運動にほかならない」
(上記四つは「週刊朝日百科 世界の文学108」より)
 対照的なのが薛宝釵で、こちらは
「物事に冷静に対処し、均整の取れた淑女型の薛宝釵が、主人から召使に至るまで幅広い人気」
「無知無能な男たちに徹底的に絶望しながら、なおもどこか冷ややかに『良妻賢母』の道を歩む」
(同じく「週刊朝日百科 世界の文学108」より)
と描写されています。
 心身に病的な美しさを孕むヒロインと健康美を売り物にするヒロインが対比的に扱われる事は現代日本の娯楽作品でも例があり必ずしも特異な事例とは言えませんが、林黛玉は当時の社会が到達した爛熟・頽廃の境地を象徴していると言えるかもしれません。ともあれ、現実離れしたこの世ならぬ妖しい魅力を湛えた林黛玉は、中国人にとって永遠のヒロインとなっているようです。
 それにしても、こうしたヒロイン達を属性別に分類した書物が流通していると言う事実は、「紅楼夢」の亜流というべき物語が数多く存在した事やそれらを分析的に楽しむ風潮の存在を窺わせ、当時の社会の文化的爛熟を象徴していると言えます。さぞかし数多くの知識人が人生の道を踏み外したんだろうなあと想像されます。

漢(おとこ)の物語
 余談になりますが、この時代には「紅楼夢」だけではなく、正反対の英雄豪傑が活躍する歴史ものも人気を博していました。中でも中国を圧迫してきた北方民族相手に活躍する英雄の物語は特に好まれ、契丹戦の英雄・楊業一族の活躍を描いた「楊家将演義」や漢代の匈奴戦の英雄・李広を描く「李広伝」、対契丹戦の英雄・狄青が主人公の「万花楼演義」などが人気でした。中でも最大の人気を誇ったのが南宋時代に金との戦いで活躍し謀反の疑いで非業の死を遂げた岳飛を扱う「説岳全伝」です。岳飛の下に憂国の志を持った豪傑たちが集まって活躍し、岳飛が非業の最期を遂げた後も配下が遺志を継ぎ金軍の総大将を討ち取るという内容です。キャラとキャラの間の因縁・超科学的な新兵器といった要素が満載で、「水滸伝」登場人物の血縁者も岳飛配下として登場するなど荒唐無稽さが大きな魅力となっているようです。また、戦う美女・梁紅玉の活躍が華々しく描かれたり物語中で男女の情交が描かれたりする点も中国の歴史ものとして典型的と言えます。聴衆の要望を取り入れながら、血沸き肉躍る物語が作り上げられた事が察せられます。
 それにしても、祖国を苦しめる敵を撃退する話や英雄豪傑の物語を好むのは古今東西共通ですが、豪傑の友情・活躍を描く物語が、ストーリー全体の構成よりも場面場面の盛り上がりを重視し、全体の矛盾も問題としない荒唐無稽さを持つ点は万国共通といえそうです。我が国でも、80年代に「週刊少年ジャンプ」で連載された漫画は、アンケートという形で読者人気を重視しながら豪傑たちの物語を描いていましたが、やはり盛り上がりを最優先し話の筋の統一性は二の次とした荒唐無稽な作品が続出する結果になっています。時に読者サービスとしてお色気の場面が見られた点も共通しています。いつの世も聴衆・読者の要望は侮れません。

「紅楼夢」と商業社会
 五代十国時代から、江南を中心に商業が発達し都市人口が増加。宋代には一般市民の生活水準が向上するなかで富裕層から科挙を通じて政治家が輩出されるようになります。明・清の時代になると商業発達・都市化は更に進行し大商人を中心に都市市民が社会的に台頭、都市に居住する庶民が次第に文化の主役を担うようになっていきます。士大夫とは異なり儒教的な倫理道徳に縛られていない庶民たちを対象に自由奔放な作品が生み出され、科挙に合格できず立身出世から外れた知識人の手により洗練されたものになっていったのです。「紅楼夢」もそうした社会背景の中から生まれた作品と言えます。
 商業の発展は、作品自体の性格のみならずその普及・消費の形態にも大きな影響を及ぼしました。例えば、出版物消費の拡大を背景に出版基が熾烈な販売競争を繰広げるようになりますが、その中で熾烈なサービス合戦が行われるようになります。物語の回数を削ってダイジェスト版にする、逆に回数を増やす、「三国志演義」「水滸伝」を一冊セットにして抱き合わせ販売するといった商法が見られました。現代でも初回限定の特典といったサービスはよく見られますが、この頃の中国の販売合戦の熾烈さは遥かに上回っています。
 こうした風潮の中で、物語を元ネタにした多様な作品関連グッズも展開されました。「紅楼夢」はその最たるもので、林黛玉など登場人物をモデルにした人形や彼らを描いた印・杯、画などが多数販売されました。当時は物語本に載せられる挿絵も人気を得る上で重要な要素となっており、「紅楼夢」で挿絵を描いた改gは当時を代表する美人画家として人気を博しています。また、分野を超えた展開で言えば、「紅楼夢」は勿論その他の人気小説は名場面が多数京劇などで舞台化されています。
 しかし、これらの現象も当時の中国に限った特別なものではありません。我が国においても徳川時代後半の18世紀後半〜19世紀前半には「春色梅児誉美」「偐紫田舎源氏」といった人気恋愛小説は歌川国貞らの妖艶な挿絵により更なる評判を呼んでいたようですし、その絵に描かれた登場人物の道具や服装を真似る人々も現われたということです。また、徳川時代のみならず20世紀初頭においても、美人画で知られる竹久夢二が小説などの挿絵画家として人気を博しています。更に現代日本においても、漫画・アニメ・ゲームにおけるキャラクターのフィギュアや関連グッズを買い漁ったり、ライトノベルの挿絵や漫画・アニメキャラのイラスト収集に狂奔するオタクが存在する事は周知のことと思います。
 「紅楼夢」が流行した清朝社会、町人文化の爛熟した徳川時代後期、そして現代日本…。庶民が主体となって作られた都市文化が成熟した時、その到達点はいずれも同じであるようです。

参考文献
拙稿「中国民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020607.html)
週間朝日百科 世界の文学106 西遊記・封神演義… 朝日新聞社
週刊朝日百科 世界の文学107 三国志演義・水滸伝… 朝日新聞社
週刊朝日百科 世界の文学108 紅楼夢・金瓶梅・儒林外史・聊斎志異… 朝日新聞社
中国史(上)(下) 宮崎市定 岩波書店
中国の歴史(下) 貝塚茂樹 岩波文庫
中国艶本大全 土屋義明 文春新書
金瓶梅 日下翠 中公新書
酒池肉林 井波律子 講談社現代新書
新修国語総覧 京都書房
エンカルタ百科事典 マイクロソフト
中国武将列伝(上)(下) 田中芳樹 中央公論社
中国古典文学大系44 紅楼夢 平凡社
拙稿「日本民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)


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