虚無僧と楠木氏  NF


はじめに
 時代劇で隠密として登場するなど、天蓋笠をかぶり尺八を吹く姿で知られる虚無僧。その歴史的起源に楠木氏が関係しているという伝承があるようです。今回はそれについて述べます。

「ぼろぼろ」
 まず、虚無僧の前身と言われる「ぼろぼろ」について述べる事にします。「ぼろぼろ」は鎌倉末期に多く見られるようになった遊行者の事で、「梵論字」とも呼ばれます。その実態については、梵字について解説し説教を行いながら遊行する事で生計を立てる芸能宗教者だったと推測されています。
 「徒然草」にも「ぼろぼろ」が登場しますが、そこでは彼らは集団で念仏を唱え命を軽んじて刃傷沙汰をしばしばおこすが名誉や主従の絆を重んじる存在とされています。そして「ぼろぼろの手紙」に登場する虚空坊は、正義を重んじる存在として描かれています。勿論美化されているのでしょうが、「ぼろぼろ」には彼等自身の美学・価値観が存在した事が伺えます。一方「七一番職人歌合」からは「ぼろぼろ」が念仏修行者と共に諸国を遊行していた事や嘗ては小領主であった者もいた事がわかっています。実際、鎌倉の名門・三浦氏が北条氏により没落させられた際には家臣の戸部氏が一時期こうした遊行の身として過ごしたという話も伝えられているのです。「ぼろぼろ」には主君を失った浪人も多く含まれていたのでしょう。なるほど、道理で時宗の踊念仏集団が武士の価値観を持ち合わせたような存在な訳ですね。
 彼等遊行者は、各地の地方豪族たちにより治安を紊乱すると見做されて殺害される事も往々にありました。彼等が集団で行動していたのはそうした存在から自衛する為でもあったようです。
 その「ぼろぼろ」の有り様が変貌し禅宗や中国文化が取り入れられて現在知られている虚無僧の原型が出来たのが14世紀末頃の事でした。そして、それに楠木正勝が大きく関わっていると言う伝承が残っているのです。

楠木正勝
 楠木正勝は、正成の孫で南朝後期を軍事的に支えた正儀の子です。彼は南朝が足利政権に屈服した後も、足利への抵抗を続け義満に反旗を翻した大内義弘の軍にも参加して戦ったものの敗れて逃れたとされています。
 その正勝ですが、「虚鐸伝記国字解」によれば虚風から尺八を学び諸国を回遊したと伝えられ、天蓋を被り尺八を吹く現在の虚無僧形式の祖とされているのです。更に筑波山の虚無僧寺・古通寺は正勝が開いたと言う伝説があり、彼の書と伝えられるものも残されています。しかしどう考えても話が出来すぎていますし、天蓋が出来たのは徳川期の事だと言われていますから間違いなくこの話自体は後世の作為でしょう。ただ、楠木氏、それも正成や正行でなく比較的マイナーな正勝に祖を求めているあたり、一笑に付せない何かがある様にも思われます。一部分であるにせよ、何らかの事実が含まれているのかもしれません。実際、虚無僧が尺八を吹く現在の原型を固めた時期と正勝が生きたとされる時期はほぼ一致しているわけですし。
 そこで、まずは一番不審と思われる天蓋について考えて見ましょう。14世紀の「峰相記」には、播磨国の「悪党」すなわち政治権力の思うようにならない新興豪族について記述がありますが、それによれば彼らは「六方笠をかぶり柿帷を着て」「人に面を合わせず忍びたる体」であったそうです。つまりは、「悪党」たちは笠を被り顔を隠していたというのです。楠木氏も正成以前から「悪党」と呼ばれた新興豪族でしたし、正勝は敗者の残党というべき存在でしたから素顔を隠して隠密行動をしたとしてもおかしくありません。当初の虚無僧たちも、そのようにして顔を隠していたのではないでしょうか。それが徳川期になって天蓋を被るようになったと思われます。正勝が尺八を吹いたという伝承の真偽はわかりませんが、上述の遊行者に紛れて諸国の味方と連絡を取ったという可能性はなくもないのかもしれません。それにしても、なぜ楠木氏が虚無僧と結び付けられたのでしょうか。

虚無僧と南朝
 そういえば、虚無僧寺には楠木氏だけでなく南朝そのものとの因縁があるようです。例えば、深谷の虚無僧寺・福正寺は長慶天皇が令山峻翁に命じて開かせた国済寺を移転したものですし、やはり虚無僧寺である興国寺も南朝皇族の帰依した寺といわれています。更に青梅の鈴法寺建立を懇請した吉野織部之助は楠木氏の末裔と伝えられます。
 こうした南朝系統の伝承が多い一方で、前述の興国寺の近くに明徳の乱で敗れた山名氏の旧臣が聖となって住み着いたという話も残っています。この時期の南朝と山名氏、どちらも政治的敗者といってよい存在ですね。そういえば「ぼろぼろ」にも失脚した武士が多く流れ込んでいました。それと同じ文脈で考えればこの時期に南朝関係者が虚無僧と因縁があるのも理解できます。
 この時期、足利方・南朝とも大陸からの新文化である禅宗を取り入れるようになっていました。そして禅宗とともに様々な新奇な文物が流入しており、尺八もその一つだったのです。それが「ぼろぼろ」の世界に14世紀末から15世紀初頭にかけて急速に流入し、新たな宗教芸能として尺八が採用され普化尺八が禅の修業として広がっていきました。この時期において「ぼろぼろ」の流れを変えるほどに多数で新規参入してもおかしくない政治的敗北者といえば旧南朝勢力が自然でしょう。彼らなら、大陸との交渉もある新興豪族出身も多いですし禅宗文化の素養があったとしても不思議はまったくありません。
 真偽のほどは明らかではありませんが、「虚鐸伝記国字解」の伝承は虚無僧と旧南朝との関連を暗示している可能性は十分にありそうです。

おわりに
 「ぼろぼろ」、そしてそれが発展した虚無僧の中には、政治的に敗北し身をやつした者も少なからずいたようです。「虚無僧」草創期における最大の政治的敗者、すなわち南朝残党にとって、楠木氏嫡流の正勝はアイドル的存在だったことは想像に難くありません。そして、後世にいたるまで虚無僧には浪人が数多く存在し隠密を行う者も少なからずいましたが、それを納得させるような話ですね。

参考文献
虚無僧の謎吹禅の心 岡田冨士雄 秋田文化出版(主にこの本の要約)
新訂徒然草 西尾実・安良岡康作校注 岩波文庫
異形の王権 網野善彦 平凡社ライブラリー
増補姿としぐさの中世史 黒田日出男 平凡社ライブラリー
楠氏研究 藤田精一 廣島積善館
楠木正成 植村清二 中公文庫
週刊朝日百科日本の歴史 中世を旅する人々 朝日新聞社


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