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南北朝は「近世」なのか  NF


南北朝は「近世」なのか

はじめに
 このサークルで日本通史を扱ったレジュメでは、近世を南北朝からとするものがあります。例えば「日本近現代軍事史」では貨幣経済発達に伴う傭兵・歩兵を主とする軍事編成が見られるようになった事を近世の端緒としていますし、僕の「日本民衆文化史」でも同様に貨幣経済発展から都市民衆の社会的実力が向上して彼らが文化的主役の座に躍り出た事を論拠にしています。しかし、一般には南北朝は中世として扱われる事が多いです。そこで、そもそも「近世」とは何かを考えながら、近代以降の碩学が南北朝について述べた論説を参考にしてどちらが適当なのか考えてみたいと思います。

「近世」とは
 そもそも、「古代」「中世」「近世」「近代」といった言葉の定義があいまいであるように思われます。そこで、日本史に限らずどのような時代が「近世」と呼ばれているかを見てその共通性を見る事にしましょう。日本史の場合、少なくとも徳川期、場合によっては織豊期も含めて「近世」と呼ぶ事には大凡の一致を見ているようです。中国史に関しても、明・清が「近世」である事には問題なく、宋・元を含める事も少なくありません。西洋史では、少なくとも絶対王政期に関しては「近世」と呼んで問題ないようです(「近代」と呼ぶ向きもありますが、市民革命の意義を考えて区別するほうが適切なように思います)。始まりに関してはルネサンスを挙げる人が多いでしょう。
 これらの共通点を考えると、@商業が盛んになっているA官僚制や常備軍が整えられ集権的専制政権が確立B文化面において庶民の影響力が強くなっている、といった点が挙げられるでしょう。以上から、商業勢力の力が強くなり、庶民の文化的地位が向上し、政治権力の専制志向が明らかになる時期をもって「近世」の始めと考える事はさして不当ではない様に思います。どこを切れ目にするかは諸説ありそうですが。
 以下では、南北朝について碩学達が述べた内容を吟味し「近世」と言ってよいか考えて見ましょう。

松本新八郎
 まず、松本新八郎氏から。彼は、戦後において東京大学を中心として石母田正らと共にマルクス主義的な唯物史観を発展させた一人とされています。緻密な実証に基づき堅実に論証を進めた石母田とは対照的に、鋭い感覚で本質を突くタイプであったようです。その代表作の一つとされる「南北朝内乱の諸前提」「南北朝の内乱」(共に「中世社会の研究」に掲載)からその言説を見る事にしましょう。
 松本氏は、南北朝動乱があった14世紀を「農業・手工業のおもむろな発展にともなう、商人・高利貸資本の成長」(「中世社会の研究」P255)により「地主または商人高利貸的地主の連合秩序である比較的自由な郷村制度」(同P255)が形成される過程と捉えました。そして動乱に携わった勢力として旧来より認識されていた「古代国家機構を再編して統一政権をつくろうとする天皇公家の反革命のこころみ」(同P256)や「鎌倉的政権体制を維持しようとする旧武家階級の現状維持の要求」(同P256)に加えて、「いっそう自由にして解放的な統一的政権を要求するさらに革命的な勢力」(同P256)すなわち「農奴、小農民、地主」(同P256)を挙げています。更にその新興勢力を「甲乙人」と呼び、これを「京畿近国における生産力の増加、流通機構の発展」(同P283)を前提として「自営農民および農村の商業交換を正規におこなう名主層」や「庄官や商業的怒号として生産地と消費都市との商品交換の媒介をなす商業地主」、更に「これらの商人・地主による利潤の追求を組織的に追求するための新なる腕力機構をになう人々」(いずれも同P282)としています。つまり、貨幣経済発達に伴う庶民の実力向上がこの動乱の根底にあったと述べているのです。
 そしてそうした社会背景をふまえ、松本氏は「鎌倉初期の内乱にもまして、この南北朝の内乱こそが古代社会と封建社会を区切るいっそう重要なそして最後的な革命」(同P301)と断じ、動乱は「荘園制度を徹底的にほりくずし、国衙・公領をうば」うことで「古代天皇制支配の物質的基礎を完全に」崩壊させる結果を招いた(共に同P301)と総括しています。個人的には、いわゆる平安期の王朝国家は貴族・寺社といった権門や地方豪族による自足体制の連合体と考えておりこれを「古代」と捉える事には賛同できませんが、社会変化の画期として「平安期→鎌倉期」より「鎌倉期→室町期」の方が重要であるという指摘は重要であると思います。まあ、「南北朝いごの社会はいわゆる近世封建制への著実な連続的歩み」(同P303)であり「中世末期の社会変動」(同P305)とも述べていますから、南北朝動乱が近世への第一歩であるとは認識してもらえそうです。

網野善彦
 次に、網野善彦氏。網野氏は平安期から室町期を中心にして非農業民の活動について大きな研究成果を残しており、御存知の方も多いかと思います。個人的には、松本氏が上述の説を展開する際に不十分であった実証面を補う役割を果たしたと言えるのではないかと考えています。その網野氏が南北朝を総括した短文「南北朝動乱の意義」から注目すべき文言を探ってみます。
 網野氏は、この動乱で民衆の自己主張、現実的な利害・打算が顕著になり自治的な村落の成長も著しかったと述べ、これを「社会の深部にまで浸透するようになった貨幣―宋元銭の流通の作用」によるとしています。加えて「生活その物の必要から、『読み、書き、そろばん』が広く庶民の間に普及しはじめた」と民衆の実力向上を強調。その上で「茶の湯、立花、連歌、能・狂言など、ふつう『日本的』なものを代表するとされる多様な芸能がそこに育ってくる」としています。更にこれを「『専制的』な国家が成立してくる背景」であり「いわば『民族史的』な転換」とまで言っているのです。ただ一方で「古代、中世、近世のような社会構成上の時代区分では区切りえない」ものともしていますが、貨幣経済の浸透による庶民の実力向上や専制国家志向、庶民文化の成長は社会構成上の転機と見做してよいのではないでしょうか。少し歯切れが悪い気がします。でもまあ、「新たな『近世的』風俗はその中から生まれる」とも言っていますから、これはまだ近世になりきらない過渡期という意味合いだと解釈できます。以上から、網野氏の説からも「南北朝=近世」とまでは言い切っていないにしろ近世への第一歩とする事はあながち間違いではないと解釈できそうです。

中村直勝
 最後に、中村直勝氏です。彼は戦前・戦中において京都大学を中心に日本史研究において優れた研究を数多く残した研究者です。皇国史観全盛の時期において、その枠内で可能な限り実証的・客観的な論説をなした碩学でした。時代的には松本氏や網野氏より古い彼を最後に残したのには、それなりの理由があります。それは、追々お分かりいただけるかと思います。
 ここでは、昭和十年に発行された中村氏の著作「吉野朝史」から引用してみることにしましょう。皇国史観が盛んなこの時期でその一員として活動していながらも「従来は吉野朝の歴史とし云へば、勤皇と愛国と感激との歴史であつて、所謂涙なくしては読まれぬ歴史であつたが、さうした詩人的な詠嘆の歴史の外にそれ等諸現象の奥に、脈々として流るるものを見出す事が、また歴史家の任務なる事を知らねばならぬ。」(P3)と述べて実証・社会的視点の重要性を述べている辺りは皇国史家とは言いながらも現代にも通用する質をもった存在といえます。そして、目次において「米穀経済から貨幣経済へ」「仏神から人間へ」とこの時代を特徴付けているのです。
 更に特筆すべき事は、冒頭の総論において「鎌倉時代を以て中世の終とするならば、室町時代を以て近世の初頭と言はねばならぬかと思ふ。」(P3)として、更に「確かにこの吉野朝頃に、中世は終わりて近世は初まつたと云ふ感が深い。之を経済組織の方面から見れば、この時代を中心として、米穀経済から貨幣経済への変移がある。之を思想界に見るならば、神仏の宗教的世界は終りを告げて、人間の世界が導き出されると思ふ。」(P3-4)と詳述しています。以上のように、中村氏は南北朝こそが近世の始まりであると断言しているのです。そして本文でも「吉野朝時代が一つのトンネルであつた様な気がする。其の前と後とに於ては、四周の風物すべてに、格段の相違があり、非常な変異がある様に思ふ。」(P361)、つまり「土地中心の経済状態が、一転して貨幣中心の経済状態に進歩する」(P362)としており網野氏の「『民族史的』な転換」という表現と対応しているのは興味深いです。
 そして各論的な部分も検討してみましょう。まずは経済面。南朝については「先に天皇が八条院領を失はれた当然の結果として、南朝側では財源既に四散し、土地からの収入は望むべくもなかつた事を思ひ合さねばならないし、又別に、後醍醐天皇の新しい国家財政政策が、最も進歩した貨幣経済に基礎を置かれんとされたものである事をも閑却してはならない。」(P13)として貨幣経済を積極的に採用した事を強調しています。一方で足利政権に関しては「武士の棟梁として天下に号令するからには、米経済を以て其の財政策の基礎とせなければならぬ」(P21)ものの、実際には「幕府自らは常に土蔵よりの融通を受ける事によりて、その財政の急を救はれつつ」(P21)あり「貿易によりて金銭の利益を収めんとし」(P22)ており、「米経済の将来なき事」(P22)を知って「無言のうちに、或は無意識の裡に、貨幣経済に転向」(P22)していたと指摘。更に一般豪族に関しても「どうしても土地の収入を以て彼等の生計にする外に仕方がない」(P366)ものの「其の計数の基本は土地ではなくして、物」(P367)すなわち「一種の貨幣」(P367)である事実から貨幣経済が彼等にも浸透していたと見ているのです。
 次に思想面です。中村氏はこの時期に伊勢神道・吉田神道などに代表されるように仏優位の本地垂迹説から神優位の反本地垂迹説へと変遷しつつあった事実を指摘し、神と人との類似性を考慮して「『神国日本』の思想は、押しつむれば人間の世界の認識となり、やがて人間の存在を発見する事」(P23)に思いをはせています。更に経済とも関連して「人間の発展、それは欲望の肯定となり、欲望の達満は、貨幣の通用を喚起するに至る」(P24)点にも言及しているのです。一方、上述のような肯定的側面だけでなく「拝金思想」(P380)が蔓延し「黄金の前には、地位も名誉もない哀れさ」(P380)が上流階級にも広がっている事への批判も見られます。以上を総括すると、中村氏の目は南北朝において宗教の精神的影響力が相対的に低下し現世中心主義に移行しつつあった事をも捉えていると言えます。
 加えて、「公家」という言葉が元来は天皇を意味していた事を立証し「天皇御親らが天下を統一して政治さるべきもの、それが『公家一統』と言ふ詞の真意」(P70)とも述べておりこの時期に専制政権志向が生まれていた事にも言及。更に「当時の人々―殊に吉野朝の人々が、国家意識を明瞭に把持し、日本国家のために進み、日本国家の進むべき路を作るために荊棘を切り開いた」(P4)と述べているのは皇国史家としての一面が強く出たともいえますが、ナショナリズムの萌芽がこの時期に見られる事への指摘ともいえます。専制政権と国家意識、共に近世を語る上で重要な特徴なのです。
 以上より、中村直勝氏の意見でも南北朝が冒頭で述べた近世としての特徴を満たしているといえるようです。何と言っても、この時代を近世の幕開けと断言しているのが特筆されます。

まとめ
 以上のように、碩学たちの目から見ても南北朝は冒頭の条件を満たしつつあった時代と言えます。特に中村直勝氏などははっきりと近世であると言い切っている位です。また、ここでは述べませんでしたが、戦後南北朝研究における最大の名著とされる佐藤進一氏の「南北朝の動乱」でも商業の発達や政治権力の専制志向、民衆の社会的実力向上について言及があります。そして、東大系で土地制度を中心とした社会史研究で業績を残した永原慶二氏も南北朝が荘園制度の実質がほぼ失われた転機だとしています。また、中村氏と同じ京大系研究者である林屋辰三郎氏も「内乱の中の貴族」はしがきで南北朝を「中世のまんなか」としながらも「日本の歴史を二分し、古代と近世の境目ともなる変革期」と述べているのです。
 以上より、優れた実証的研究者とされる人々の見解は一致していると言ってよいでしょう。どうやらこの時期を「近世」と呼ぶ事はさほど不当なものではないといえそうです。ただし、この時期は中世と近世との過渡期に相当しますので「中世」とするのも間違いとは言えないのでしょうが。

参考文献
中世社会の研究 松本新八郎 東京大学出版会
週刊朝日百科 日本の歴史12 後醍醐と尊氏 朝日新聞社
吉野朝史 中村直勝 星野書店
日本の歴史9南北朝の動乱 佐藤進一 中公文庫
日本中世社会構造の研究 永原慶二 岩波書店
日本歴史叢書荘園 永原慶二著 吉川弘文館
内乱の中の貴族 林屋辰三郎 角川選書
日本中世史を見直す 佐藤進一・網野善彦・笠松宏至 平凡社
悪党と海賊日本中世の社会と政治 網野善彦 法政大学出版局
近世日本文学史 神保五弥編 有斐閣双書
中国史 下 宮崎一定 岩波書店
西洋史入門 井上幸治編 有斐閣双書


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