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王朝貴族と食生活  NF


はじめに
 我が国の古典とされる華やかな文学・文芸を生み出した王朝時代の貴族達。彼らの食生活について概観し、今日の我々のそれについても考えてみたいと思います。なお、「王朝時代」とは地方豪族の土地支配を認めつつ土地単位で租税や貴族への年貢を中央に進上する事で都市貴族が養われていた10世紀から12世紀、広義には14世紀前半までを指すと考えてください。

奈良朝貴族の食卓
 前説として、古代社会の集権国家が保たれていた時期、具体的には8世紀半ばの奈良期における貴族がどのような食生活をしていたかを見てみましょう。「万葉集」には、
醤酢に蒜撞き立てて鯛願ふ 吾には見せそ水葱の羹
といった歌が掲載されていますが、この歌からも伺えるように新鮮な野菜・魚などを多様に摂取しており調味料を用いながら様々な調理方法で食事を楽しんでいたようです。
 例えば貝の生食を好んだと言われている他、鹿や魚などの肉・臓器を塩漬けにして食していたことが知られています。また、この時期には調味料も既に食塩・酢・酢滓・醤・醤糟・未醤・荒醤・飴・糖・胡麻油・酪などと多様に用いられていました。中でも醤は米・麦・豆などを発酵させたもので、後に味噌・醤油の原型となります。また、調理方法においても煮る・干す・ゆでる・汁にする・浸す・あえるといった基本的な方法がある程度まで出揃っていました。
 それだけではなく、当時の上級貴族は牛乳やバター・チーズといった乳製品をも好んで摂取していた事が知られており、いわゆる伝統的「日本食」とは異なった面も大きいようです。
 全般的に言うと、8世紀の貴族達は食事への関心も高く食欲旺盛で、食材の新鮮さや栄養バランスにも考慮した健康的な食生活であったと言えそうです。

中世貴族とその食生活
 さて、今回の本題に入る事にしましょう。9世紀後半頃より地方における貧富格差の拡大や現地豪族の成長により地方支配・徴税体制が動揺し中央政府の集権的体制が崩壊しつつありました。そこで、政府は地方豪族の権益をある程度黙認しつつも土地に課税する事で税収入は何とか確保する体制へと方針を転換、更に上級貴族はその権威を用いて地方豪族たちを保護すると共に彼らからの年貢を収入とするようになります。それに伴ってか中央貴族達は地方と遊離し、急速に都市として成熟しつつあった都を離れず高等遊民化する傾向を見せ始めます。こうした変化が、彼らの食生活にも影響を及ぼしたであろう事は想像に難くありません。具体的な例について以下で見て行きましょう。
 さてこの時期、「源氏物語」「枕草子」に代表されるように貴族達による文学が開花しましたが、これらの作品中に食事についての言及がなされる事はほとんどないようです。「枕草子」で幼児がイチゴを食べている様子はかわいらしい、割った氷に「あまずら」(甘味料)をかけた様子が美しいと記されているのが目立つくらいで、それらにしたところでこれらの味でなく外観について感想を述べているだけに過ぎません。どうも、この時期の貴族は食に無関心であったのかも知れません。
 で、具体的にどういったものを食べていたのか。まず、主食としては玄米を蒸したものを食していました。しかし、調理される場所から食事をする場所までの距離が離れている事が多く(※1)、飯は冷めてしまい固くボロボロとしたものになっていたようです。これを箸で挟むことはできません(※2)ので匙を用いて食べていました。そこで、できるだけボロボロにならないよう、予め固く握って運ぶように成ったようです。この強飯を高く盛り上げたものが主食でした。次に副食ですが、乾物・なます・唐菓子などが主で生鮮食品はほとんど見られません。乾物は肉・魚介類が多く、焼かれたものが串で刺さった状態で出されたようです。野菜類は余り取られなかったといわれています。これらの乾物を、腰の「紐小刀」で削って椀に入れ、熱湯を注ぎこんだ上に「おめぐり」(食塩、醤、酢など調味料)で自分で味付けして少し柔らかくなったタイミングを見計らって食べていたのです。これに加えて濁酒を多量に飲んでいたことが知られていますが、この頃の濁酒はアルコール分は少なめでしたが糖分が多かったと推定されています。
 要約すると、加工食品・加工飲料を中心に炭水化物・動物性蛋白・塩分を過量に摂取し野菜はほとんど食べない食生活であったと言う事ですね。聞いているだけで食欲が失せるようなメニューです、全然美味しくなさそうです。本当に宮廷料理なのか、正直信じられません。彼らが食事への関心が薄いのもある意味納得です。おまけに物凄く身体に悪そうですね。実際、ビタミン不足に伴う栄養失調が当時の貴族には多かったと言われています。
 こうした不健全な食生活に加えて、屋内に篭って運動をしない、昼前に起きて夜に詩歌管弦の遊びをして深夜まで起きるといった生活習慣であったため、糖尿病や精神疾患も多く見られたようです。そうした生活の中で幻想的・超現実的な物語に耽る、こう考えると実に不健全ですね。貴族達は現世にどちらかと言えば否定的な観点を持ち来世での救済を願う傾向がありましたが、これは政情不安定などの外的要因ばかりが原因ではなさそうです。こうした頽廃した精神傾向が広まるのに比例して、彼らは社会的実力を失っていく事になります。いや、寧ろ逆で自分達の社会的実力が衰えていくという予感が彼らを不健全な頽廃へと導いたのかもしれません。
 まあ、貴族達は国政を動かす実務家(特に中級以下の貴族は実務官僚としての性格が強い)・支配者としての顔も持っていましたから、上述した内容がどれだけ一般化できるかは分かりませんけど。ただまあ、奈良期と比べると全体的に不健康・頽廃した空気が蔓延しており、比べて彼らに取って代わる軍事貴族や豪族達が健康的な食生活・生活習慣を持っていた事は事実と言えるでしょう。

考える事
 まあ、王朝貴族の食生活が不健全なものであったことは、昔から広く知られてはいました。しかし、具体的に検討してみると何だか既視感がするのは気のせいでしょうか。生産と切り離された都市生活、コンビニ食品やインスタント食品に代表される炭水化物・肉類に偏った加工食品、清涼飲料水のように糖分過多の加工飲料、慢性的野菜不足…。加えて、夜更かしや休日の寝坊といった不規則な生活習慣や運動不足、その結果としてのメタボリック・シンドロームや生活習慣病。そうです、王朝貴族の生活は現代日本人のそれとよく似ているといえるのです。物質生活には恵まれていながら悲観的な見通しが強かったり超現実的な物語文化が発達し現実逃避できるところまで似ています。まあ、物語文化そのものは後世への誇れる遺産なので良いですが、余りに生活が不健全に傾くのはやはりどうかと思います。王朝時代の場合はごく一部にのみ見られた現象ですから問題は少なかったですが、全般的に同様の傾向が見られるのはやはりよろしくないでしょうね。とはいえ、現代の場合は富裕層が健康に良い食生活資源を独占し、比較的貧しい人々がこういった不健康な食生活をしているのが実情なようですが。まあともかく、当てはまる人は自身の未来や次世代のためにも食生活・生活習慣を少し見直したほうが良さそうですね。

おわりに
 …自分で書いていて物凄く耳が痛かったです。節制しないとなあ。

※1 天皇を例に取ると、大膳寮(宮中の調理場)から清涼殿(天皇の日常生活の場)まで500m程度の距離があったそうである。
※2 この当時の箸は現代と異なり上で繋がったピンセットのような形状であった。

参考文献
食べる日本史 樋口清之 朝日文庫
食物と日本人 樋口清之 講談社文庫
たべもの古代史 永山久夫 河出文庫
日本の歴史3奈良の都 青木和夫 中公文庫
日本の歴史4平安京 北山茂夫 中公文庫
日本の歴史5王朝の貴族 土田直鎮 中公文庫
枕草子 池田亀鑑校訂 岩波文庫
日本古典文学大系14-18源氏物語 岩波書店
日本歴史叢書延喜式 虎尾俊哉著 吉川弘文館
王朝政治 森田悌 教育社歴史新書


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