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偉大なるダメ人間シリーズその7 本居宣長  NF


こちらに移転しました(「【『ダメ人間の世界史』&『ダメ人間の日本史』ブログ版】(06)オタすぎてキモい大和魂の探究者 本居宣長」)

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 偉大なるダメ人間シリーズその7 本居宣長(1730〜1801)

はじめに
 今回は、日本の国学を大成させた大学者・本居宣長を取り上げます。彼については一度レジュメで扱いましたので、詳細はそちらを見ていただくこととし、今回は彼の余り知られていない一面にスポットを当てます。
 まず、彼の略歴は以下の通りです。

略歴
 江戸中期の国学者。春庵・鈴屋と号した。伊勢国松坂(三重県松阪市)の木綿商・小津家に生まれる。父の死後に家運がかたむき、19歳で伊勢山田の紙商・今井田家の養子となる。ほどなく養家をはなれて実家をつぐが、医師となって身をたてる事として23歳のとき京に上る。京では堀景山に漢学を、堀元厚らに医学を学んだ。6年間の京遊学中に先祖の古い姓である本居を名のる。また、景山を通じて契沖や荻生徂徠の著作に接し、大きな影響をうけた。
 1757年(宝暦7)松坂にもどって医師を開業、このころ国学の研究に本格的にとりくむようになる。63年、賀茂真淵が伊勢神宮参詣の帰途に松坂に立ち寄った際、宣長は宿を訪問して対面する。生涯に一度だけの対面だったが、その際に真淵の門人となりその後は手紙の遣り取りで教えを受けた。
 源氏物語・師真淵の遺志を継ぎ、「古事記」研究を通じて古来より伝わる日本本来の有り様を追求することを生涯のテーマとし、その成果は「古事記伝」にまとめられた。
 1787年(天明7)松坂の領主である和歌山藩主に為政者の心構えを説いた「秘本玉くしげ」を献上、のち松坂在住のままで和歌山藩に登用され、たびたび藩主の御前で古典の講義をおこなった。門人は、実子本居春庭、養子本居大平ほか多数。なお、伴信友や平田篤胤は没後の門人といわれる。
 彼の学問は3つに分類される。(1)「物のあはれを知る」という日本文学論。文学の目的は、儒教や仏教の教えや道徳を説くことではなく、素直にものに感じる心をやしなうことであるとする説で、源氏物語研究である「紫文要領」や「石上私淑言」などの著作にしめされている。(2)日本語の言語学的研究。テニヲハの係り結び法則を発見し、著作「てにをは紐鏡」「詞の玉緒」で指摘するなど、古典実証主義に裏打ちされた音韻研究は、現在の研究にも影響をあたえている。(3)「古事記伝」に代表される古道論。これは、儒教や仏教の道徳的強制を人間への抑圧行為とみなし、人間の自然な感情を最大限に尊重し、それを発展させ死者に思いを馳せ心を通わせる事が出来るとした。しかし「古事記」などの描写を基本的に全面的に受け入れる態度を示したため、後世には皇祖神を賛美する神道的理論とみなされ、幕末・明治期には国粋主義の思想的根拠として利用されることにもなった。

宣長の志向
 以上のように、他の国学者と同様に後世には国家神道・国粋主義への階梯を築いたとされる宣長ですが、真淵・篤胤ら他の大物国学者とは異質な面があります。

 日本の古典文学を好む傾向は、青年期に京で儒学を学んでいた際に既に見られており、儒学に専念せず和歌を好んでいたと言われています。それを咎めた学友に「儒学は天下を治め民を安んじるための学問であり、政治を受持つ訳でない我々が学んだとて何の益があろう。また孔子の言う『先王の道』はこれまで実際に行われた事の皆無な道であり、その様な道が今実施されるのを望んでも無理な話だ。『先王の道』は孔子が社会を背負うエリートとして背負わざるを得なくなった物であり、人間を人間であらしめている物はもっと他にあるはずではないか。孔子が弟子曾皙の『川浴びをし、風に吹かれ歌いながら帰りたい』という望みに共感したように、人間としての自然な情こそ人間たる所以ではないのか。」と反論したそうです。それじゃあ、貴方は何をしに来ているんだと言いたくなりますが、内向的で学問好きな人物がこうした方向を志向するのは比較的よく見られることです。荻生徂徠の弟子であった服部南郭も同様に漢詩に耽溺して詩人の道を歩み、経世論を重んじる兄弟弟子・太宰春
台と激しく対立したといいますから、決して宣長だけが特別と言うわけではありません。宣長は、商人の家に生まれながら、内向的な性格から商売には向かないと判断され学者・医師の道に進んだと言う経緯がある位ですので、寧ろ自然な流れと言えます。まあ、全国にまたがる弟子たちを始め多くの人々と交わりしばしば論争も交わしている位なので彼を内向的とは一概には言えない気もしますが。

 国学者として日本の古典を研究するようになってからもこうした考え方は変わらず、「人間の本性は弱く未練で女々しいものであり、雄々しく勇ましく見えるのはうわべを取り繕ったもの」という思考に至っていたようです。師の真淵や同時代の上田秋成らが古人の雄々しさを礼賛している事を考えると特筆されるべき事でしょう。「やまと心」という言葉も多くは強く雄々しい心情を表すものとして使われるのに対し、宣長は古典での用例から寧ろ実生活上の智恵といった意味合いであることを主張していました。

「源氏物語」愛好
 その背景には宣長の性格的なものだけでなく、早い段階から宣長が「源氏物語」を愛好していた事も挙げられると思います。それも、ただ愛読していたというに留まらず、それが高じて宝暦三年(1763)には「源氏物語」本文に似せた擬古文小説「手枕」をものすに至っています。「源氏物語」には光源氏と年上の恋人・六条御息所の馴れ初めが描かれていないことを踏まえ、可能な限り「源氏」に近い文体で二人の最初の馴れ初めを題材に描いたものです。言うまでもなく、宣長は作家ではなくこれは商業的要請から書かれたものではありません。どこまでも宣長の欲求によってなされた創作活動でした。「紫文要領」などの「源氏物語」研究も、こうした活動の延長線上にあったと思われます。

 それにしても、妻子持ち(同年に長男・春庭が生まれている)の三十路男が女性向けの恋愛小説に耽溺した挙句、その作品世界を題材にした二次創作までやってのけるというのは、ちょっと常人の感覚とは離れている気がします。他の国学者たち、すなわち契沖や賀茂真淵、上田秋成らが「源氏物語」を人物の心情描写・技巧・作品中の和歌が巧みである事は評価するものの、内容が道徳的でない・弱々しいといった理由で寧ろ批判的であったこと、特に宣長自身の師である真淵が力強く雄々しい「ますらおぶり」を重視し「源氏」を「雄々しさが欠如した成れの果て」と断じていることを考えると尚更特異に映ります。真淵らと比べるならば、「国家の品格」とか「美しい国」とか「サムライ魂」とか勇ましくぶち上げているすぐ横で「侘び、寂び、萌え」なんて嘯いているような感じすら受けます。宣長の「源氏」への接し方は、ちょうど現代のオタクがいわゆる「萌え」作品を愛好し同人活動をするのに通じるものがあると言えるのでないでしょうか。そういえば、現代でも医師はオタクの割合が高いといわれますね、
その説の真偽は不明ですが。

 もっとも、古典作品を愛好してその二次創作をした知識人は宣長だけではないようです。宣長は、こうした「源氏」愛好家としての活動を出発点とし、物語論や和歌の歴史を踏まえた評価、古語の言語学的研究や日本人の精神史・死生観に至るまで広範で巨大な学問的成果を残しました。物語を愛好するオタクとして出発しながら、それを知的・学問的に昇華させて当代はおろか現代においても価値のある業績を挙げた宣長は、やはり偉大であったと言えます。

おわりに
 昔から、「日本男児」とか「大和魂」とか言われる時には、精神的な強さ・雄々しさ・無私で没我的な忠誠などが求められることが多いように思います。僕は一応は日本の伝統を大切に思い愛国心もそれなりに持っているつもりなのですが、内向的で心身が強いとはお世辞にも言えないヘタレなもので、こうした風潮は正直辛いものがあります。まして「勝ち組」「負け組」などと言われる世知辛い昨今です。そうした中で、宣長は「人間は本来弱いものなんだよ、強くなくたってそんな事でその人の尊さが損なわれるものじゃないんだよ」と言ってくれている様で何だか嬉しいです。

参考文献
拙稿「本居宣長」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011214.html)
本居宣長(上)(下) 小林秀雄 新潮文庫
本居宣長記念館公式サイト(http://www.norinagakinenkan.com/) 年譜が参考になった
マンガ日本の歴史36花ひらく江戸の町人文化 石ノ森章太郎 中公文庫
エンカルタ百科事典 マイクロソフト
オタク学入門 岡田斗司夫 新潮OH!文庫


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